中学校の運動会で、10段の人間ピラミッドが倒壊して、生徒が大怪我をしたとの報道に寄せて。

2015年10月12日
テーマ 

以前、幼稚園、保育園の子どもたちの声が『騒音』だとする風潮について述べたことがあります。

 

確かに、閑静な生活をしたいと思って、住宅地に終の住処を求めたのに、その後幼稚園等が開園して、騒々しくなったのはなんだ!との思いはあるでしょう。私も、十数年前に現住所に住み着いてから、徒歩30秒のところに公園が、徒歩1分のところに保育園が、徒歩3分のところに幼児用スイミングスクールが、その建物内に焼肉店がオープンするとは、予想しておりませんでした。でも、子どもが増え、賑やかになるのは良いことだと基本的に考えます。

 

誰かのように、国家に貢献するために子どもを産むべきなんて思っておりませんが、やはり子どもの声が聞こえることは、明るくなりますね。

 

子どもの遊び場や、子どもが体力をつける、いろいろな経験をする場がなくなってきていることは間違いありません。それは、子どもの体力テストの結果を言うのではありません。少子高齢化と言う基本構造のもと、過疎化で子どもが居なくなり、学校等は閉鎖されること、都市部でも、親がいずれもフルタイムで働き、なかなか一緒に遊ぶ時間が取れない、要するに、親が、遊びを子どもに教える機会がなくなりつつあるのです。

 

ここ数年、小学校、中学校の運動会のプログラムが変わったとか、様々な意見が出されて収拾がつかなくなったなど言われます。例えば、騎馬戦の是非がこれです。落ちたら危ない!はそのとおりです。でも、危ない遊戯はいくらでもあります。ドッヂボールについても同じことを言われます。個人差と言うものもあります。団体競技である以上、実施してもしなくても、保護者から反対意見が出されることが想像されます。もう、20代後半となった私の子どもたちのころは、『実質的平等』の観点もあったのだと思いますが、例えば、徒競走のチーム分けは、タイムごとに行うなんてありました。

 

これは、教育とは?の基本的視点を問いかけられた感があります。

 

このことは、とても難しい問題だと思います。教員、特に公立学校の先生は、あらゆる方向を気にかけながらお仕事をされるのでしょう。そんな思いでおりましたら、大阪府の中学校で、運動会での10段の『人間ピラミッド』が倒壊して、生徒数人が、骨折等の怪我を負ったと言う報道に接しました。なんでもこの中学校は、昨年も、骨折した生徒がおり、今年も、練習中に怪我をした生徒がいたと言うのです。

 

ここでも、様々な意見が寄せられているようです。人間ピラミッド賛成派、もちろんこの方々も、怪我をして良いとは言われませんが、こちらは、ピラミッドにより一体感、達成感ができる、危ない!と思われることを大人が回避したら、子どもは、本当の危険が判断できなくなると言うあたりの意見が主流でしょうか。 私自身は、人間ピラミッドをやったことも、見たこともありませんので――3段くらいのミニチュア版は別ですが、――10段の人間ピラミッドがどんなものか、ハッキリ理解できているものではありません。ただ、かなりの重量はかかるのではないでしょうか。

 

もし、これが潰れたら、転落も怖いが、下にいる子どもにかかる重量は、相当なものだと思います。

これは、単に擦り傷くらいですまないのではないでしょうか。特にこの学校では、現に『事故』が起きできるのに、なぜ続行したのでしょう。先生たちの中に、経験がある指導的立場の方はおられたのでしょうか。要するに、人間ピラミッドは、もはや子どもの運動、競技の域を超えているのではと考えます。まとまること、チームワークを学ぶことは大切ですが、それは、必ずしも人間ピラミッドでなくてもと思うのです。

 

中には、こんなもの!やりたくないと思っている生徒もいるでしょう。団体競技の経験は、私自身も重要と思いますが、10段の人間ピラミッドは、子どもたちが得るものとリスクを相関すると、運動会の競技に適さないのではないでしょうか。 おぎママこと教育評論家の尾木直樹さんは、私がなんとなく抱いていた違和感の正体に、気づかせてくれました。尾木直樹氏は、「やらせる学校も学校なら、眺めて感動する親も親」とコメントされました。

 

つまり、もしかして、我が校は、こんなことをやっている、こんなことができたとアピールしたい学校と、今流行りの写メかなにか、また、tweetしてよろこんでいる親がいるからか?と言う疑問でした。それ自体危険な場面を、写真撮影するなんて、子どもの安全は後回しでしょうね。尾木直樹氏は、大人たちが、子どもの命、安全に関する意識が低いと批判されています。さてみなさん、どのようにお考えでしょうか?