2015年のノーベル文学賞は、ベラルーシの女性作家で、ジャーナリストでもあるアレクシエービッチ氏に授与されることが決まりました。
日本では毎年この時期、『ハルキスト』たちが集まってはがっかりする様子が繰り返されていますが、当の村上春樹さんご本人は、確か、「わりに迷惑です。民間のブックメーカーが儲け率を決めているだけ。競馬じゃあるまし」とコメントされたと思います。
ところで村上春樹さん、『割と好きな日本人』です。
アレクシエービッチさんは、1948年母親の故郷ウクライナで生まれ、その後父親の故郷ベラルーシに移り、新聞社に勤務した後、フリーのジャーナリストとして活動を始め、その傍ら文筆活動をされるようになったとされます。その当時は、ウクライナ等の黒海周辺諸国、ベラルーシ等のバルト三国等は、旧ソ連に属しておりました。
それで、アレクシエービッチさんの「戦争は女の顔をしていない」等有名な文学作品は、なかなか世界に発信されなかったそうです。ソビエトの崩壊、ペレストロイカにより、この方の文学作品が世に知られるようになったのです。
アフガニスタンやチェルノブイリにも行き、現地で何が行われているか、しっかり発信されたのです。 アレクシエービッチさんは、チェルノブイリ事故をひとつの契機として、原子力発電に関するメッセージも発信されています。福島原発事故後、日本にもいらっしゃって、このような発言をされています。「原発利用と核とは表裏一体」「原発の平和利用という言葉に騙されてはいけない」。世界唯一の被爆国である日本が、福島第一原発の事故を経験したことに衝撃を受けたのです。
数年前、日本の団体に招かれて来日されました。原発再稼働に舵を切ったことは、驚きだったでしょう。 私は、村上春樹さんのファンではありませんし、まして村上氏の文学作品を論評する能力なんてありません。ただ、ハルキストからではありませんが、ノーベル文学賞に関して、気になる声があります。
それは、純粋な文学、小説ではなく、政治的テーマを書かなければ受賞できないと言うものです。ノーベル文学賞受賞者である大江健三郎さんが、憲法9条を守ることを言い、先般の安全保障関連法案に反対のメッセージを出したことも、その理由に挙げているのです。 文学作品が、何をテーマにするか、読者に何を訴えるかは、作家それぞれでしょう。
作家は、必ずしも、ノーベル文学賞の獲得を目指して文筆活動をされているのではないと思います。私には、日本人が賞から漏れたとき、あるいは勝負事で結果を出せないときに、その理由を、あたかも日本社会、歴史、政治、より直裁に言えば、日本の政権与党に耳が痛い出来事ーー日本の政治を批判した見解ーーゆえに結果が出たかに言われることが、とても気になります。
今回受賞者となったアレクシエービッチさんは、世界各地を自身の目で見て来た中のひとつが日本であり、その中で関心を持たれたのが原発事故だったに過ぎないのだと思います。 一部日本人からのこれら意見について、以前日本にもいらっしゃったアレクシエービッチさんがお聞きになったら、驚きを隠せないのではと思いました。
でもこんな風潮?、深刻に考えなくても良いのかもしれません。確か村上春樹さん、何かの国際的文学賞の受賞の折、『核兵器NO』『脱原発』を日本人は言い続けるべきだと演説されました。そんな日本人村上春樹さんのノーベル文学賞受賞が叶わないことを云々する方々は、単なる僻みやっかみを言っているに過ぎないとも思えば良いのです。