プロ野球に進む選手とこれを選ぶ球団の覚悟について

2015年10月28日
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今年のドラフト会議、プロ野球新人選択会議は終わりました。

今年も数々のドラマがありました。選択された選手、プロ野球を希望したけれども今回は選択されなかった選手、意中の球団に選択された選手、意外な球団から選択された選手、それぞれですが、この日がひとつの節目、運命の日となった若者に、エールを贈りたいと思います。

選手にドラマがあるの同じように、プロ野球球団にも、ドラマそして覚悟がありました。私が今思い出すことを2つ挙げます。

ひとつは、今でも語り継がれる1968年のドラフト会議です。この年は、山本浩二さん、田淵幸一さん、星野仙一さん、山田久志さん、東尾修さん等等、錚々たるメンバーが、ドラフト1位に並んだ年でした。その中で、ドラフト7位で当時の阪急ブレーブスに指名されたのが世界の盗塁王、殿堂入りした福本豊外野手でした。福本豊さんが、後に語ったお話です。

当時社会人野球の松下電気にお勤めで、まさか自分がドラフト会議にひっかかるなんて全く考えていなかったそうです。

事実阪急ブレーブスを含めて、ドラフト前も、まさにその当日も、どこからも、何の声もかからなかったので、指名されたことは知らなかったそうです。これを知ったのは、翌日勤務先で、スポーツ新聞を眺めている先輩に、「なんかオモロイことありまっか?」と聞いたら、「お前、昨日のドラフトで、阪急から指名されとるやんけ。オモロイわ」と返されて、初めてドラフト会議で指名されていた事実を知ったと言うものです。福本豊さんの実力努力は相当なものでしょうが、これを世界に引き上げたのは、阪急ブレーブスです。よくぞドラフト7位で指名していただきました。どうやって、予想も心算もしてきなかった彼を口説いたのでしょうか。これは覚悟ですね。

ふたつめは、最近のことです。私は、日本ハムファイターズのドラフトに臨む姿勢が立派だと思います。数年前、今年常勝球団の監督をお辞めになった方の親族にあたる当時大学最高の投手が、どうしてもその監督が指揮を執る球団に入りたいとして、他球団からの指名があっても入団しないと公言しておりました。

このとき日本ハムファイターズは、なんのためらいもなく、この選手をドラフト1位で指名したのです。理由は、「プロ野球としてあるべき指名をします」。

当たり前と言えば当たり前ですが、日本ハムのこの姿勢、カッコイイですね。余談ですが、この球団の態度に対して、この選手の親族や大学関係者が異論を出したのは、私はなんだ!と思いました。でも、さすがに親族にあたる監督さんや、選手本人は潔かったです。結果として日本ハムには入団されませんでしたが、この選手、翌年希望希望に入団でき、実力を発揮しています。そして日本ハムファイターズのこの言葉は、綿々と球界に受け継がれていると思います。


その後、『どこそこの球団じゃないから入団拒否』は聞かれません。いちばんの選手をわざわざ逃すのはプロではないと言うわけです。こんなプロ野球球団の姿勢は、プロ野球を目指す若者にも、頼もしく映るのではないでしょうか。いちばんになるぞ!の思いが湧くはずです。

その後日本ハムファイターズには、大谷翔平選手が入団しました。アメリカメジャーを目指す意思を表明していた大谷選手を口説きました。いちばんの選手が欲しいのは当たり前と言われました。そして、今年も日本ハムファイターズは、いちばんを狙いました。結果、今年はクジ引きで『連敗』しましたが、そのブレない姿勢は、高く評価されるはずです。きっと日本ハムファイターズには、この先良いことがありますよ。

今日は、かつての阪急ブレーブス、最近の日本ハムファイターズで起きた例を参考に、プロ野球球団の使命と覚悟について述べました。選手にも球団にも運命そして責任はあるのです。今年選択され、今後プロ野球に携わる選手たちが精一杯力を発揮でき、日本のスポーツ界が、より良い方向に進むことを願っています。

 

 

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