五郎丸フィーバーの福岡から
2015年10月25日
先週福岡に行きました。福本悟からいたしますと、福岡と言えば、鮮魚をメインとする食べ物、焼酎をメインとする酒のイメージが、どうしても強いです。
昨年は、ソフトバンクホークス日本一の日にあたりましたし、今回も、ソフトバンクホークスが、日本シリーズ出場を決めた日にあたり、『西鉄ライオンズ』黄金期以来、福岡は、スポーツと言えば野球のイメージがあります。福岡市内の夜も、この日号外が出るなど賑やかで、アビスパ福岡を応援する私は、ちょっと肩身が狭い感じがするのです。
その福岡市で、今ちょっとフィーバーになっている現象があります。
先日終了したラグビーワールドカップ日本代表の五郎丸歩氏の出身地として、脚光?を浴びているのです。
五郎丸歩さんは、福岡市出身で、小学生時代は、サッカーチームの市内選抜にも選ばれた実力者ですが、その後ラグビーに転じ、佐賀工業高校時代には、3年連続花園の舞台を踏み、進学した早稲田大学1年のときからレギュラーを掴み、各代表を経験し、今回のワールドカップで3勝を挙げた日本代表の中心選手であることは、もうみなさんご存知のとおりです。
五郎丸と言う苗字は、全国に1.000人くらいあり、『五郎丸』と言う地名から来たとされます。五郎丸発祥の地は、元筑紫の国那珂川郡で、現在は、福岡市のとなり那珂川町とされています。『丸』とは、開拓を意味するとされ、五郎丸とは、石のゴロゴロから来たとか、五郎さんが土地を開拓したからだとか、諸説あるようです。いずれにしても、五郎丸は、北部九州に多い名称です。
実は福岡市内には、『丸』がつく地名は多いのです。私が32年前住んでいた市内早良区には、『次郎丸』『三郎丸』があります。そのころは、周りは田畑に囲まれていました。北部九州には、幾つか地名に特徴があって、『原』を『ばる』と呼ぶことや、『牟田』が多く、中牟田、大牟田などあります。五郎丸さんがお生まれになったお近くにも、五郎丸世帯があるそうです。
その五郎丸歩さん、日本リーグでは、ヤマハ発動機ジュビロに所属していますから、福岡市を離れ、静岡県磐田市にお住まいなのだと思います。 さて、先日西鉄福岡天神駅におりましたら、観光客らしき方が、係員に、こんなことを尋ねておりました。「五郎丸駅に行くのはどうしたら良いですか?」。そうです。西鉄電車の駅に、『五郎丸駅』があるのです。
ただし、この五郎丸駅、五郎丸歩さんのご実家近くとは関係ありません。また、福岡天神から大牟田を結ぶ西鉄天神大牟田線(本線)ではなく、途中西鉄久留米駅手前の宮の陣駅から、支線である甘木方面に向かう小さな無人駅なのです。場所は、福岡県久留米市となります。 五郎丸駅、1日の乗降客は約550人で、ほとんどが久留米市に向かう通勤通学客だそうで、朝の数時間だけしか駅員はおりません。
福岡天神からは直行はなく、全車両西鉄久留米方面からの2両編成のワンマンカーなのです。地元の方ならご存知でしょうが、この『五郎丸駅』見つけた方は、このところの『五郎丸フィーバー』で、五郎丸、福岡と調べて発見したのでは?と思われます。西日本鉄道関係者は、時ならぬ観光スポットとなり、「五郎丸選手のことて、この小さな駅を知ってもらえて嬉しい」と喜びを語っています。
五郎丸歩さんに感謝ですね。以前この『ひとりごと』でも触れたように、今年のアビスパ福岡の監督は、サッカー日本代表が、始めてワールドカップに出場したときの主将井原正巳氏です。この井原正巳氏、ジュビロ磐田の選手として現役引退しました。アビスパ福岡、今年は井原監督のもと 、過去3年が嘘だったような成績で、この時期でも、まだJ1昇格の期待が持てる位置に付けています。
J1自動昇格順位である2位にはジュビロ磐田、アビスパ福岡は、勝ち点差2の3位でこれに付けているのです。 元ジュビロ磐田の井原正巳氏が福岡にいらして、アビスパ福岡は、元気になりました。福岡市出身の五郎丸歩氏は、磐田に行きました。そしてこのご活躍で、福岡を全国区にしていただきました。井原正巳氏と五郎丸歩氏、アビスパ福岡とジュビロ磐田、不思議な縁を感じながら、アビスパ福岡の昇格に期待する自分がおります。
失言とされる中には確信もあります。
2015年10月24日
河野太郎氏は、自民党きっての脱原発派知られています。これまでも、与党重鎮から、お小言を頂戴するような発言されてきました。それが河野太郎氏、安倍改造内閣に、初入閣しました。河野太郎氏、行革大臣就任パーティで、「政府の一員となる以上、政府の外に向かっては、政府の政策を擁護していく」と、脱原発などの持論を封じることを、明らかにしました。おめでたい席であり、このことは、今日は申しません。
このパーティには、もう一人の太郎さんが来賓としていらして、こんな祝辞を述べたそうです。「河野太郎とかけて、北海道の釧路ととく。そのこころは、『失言(湿原)』が多い」。もっとも、当の太郎さん、このダジャレを思いついた北海道で、「軽減税率は面倒だ。財務省は、反対だ」と発言し、折角公明党の機嫌を取ろうとした安倍首相の足を引っ張るような本音を言ったばかりでした。この後続いて祝辞を述べた菅義偉内閣官房長官は、「先ほど河野太郎ちゃんが失言が多いと話があったが、私は、福岡の太郎さんの失言をいつも気にしているんです。」と、本音を述べられたのでした。
今、私は福岡に居るのですが、「福岡の太郎さん」とは、麻生太郎元内閣総理大臣であります。失言の中には、確信的な発言もありますが、私が聞いたことがある明らかにマズイなと思うもの幾つか並べてみましょう。なお、これは失言ではありませんが、英語が堪能な麻生太郎氏、あまり日本語は得意ではないようです。麻生太郎氏が読めなかった文字と言う本が出た?くらいですから。例えば、未曾有、踏襲、破綻、有無、参画、偽装……。まだあります。特に、四文字熟語はからっきしダメなようです。叱咤激励、面目躍如は?でしたもんね。
この方の本音と思われる発言は、考え方の違いですから、私にとっては、笑っていられるものではありません。例えば、「憲法改正は、喧噪の中で決めない方が良い。
ナチスドイツは、最も民主的と言われたワイマール憲法を、落ち着いた世論のもとに変えてしまった。あの手口学んだらどうかね」「かつて東京で、美濃部革新都政が誕生したのは、女性が美濃部スマイルに騙されたからだ。女性に参政権を与えたのが最大の失敗だった」。まだありますが、腹が立ちますので止めておきます。
それでは失言シリーズ行きます!
「日本ほど安全で治安の良い国はない。ブサイクでも美人でも、夜中に平気で歩けるのだから」
「終末期医療は、金がかかるから、さっさと死ねるようにしてもらわないといけない」
「金がないなら結婚しない方が良い。稼ぎがなければ尊敬されない。俺は金がないほうじゃなかったが、結婚は遅かった」
まだありますが、こちらは腹が立つと言うよりも、こっちがおかしくなってしまいかねないので、止めておきます。確かにこのところ、政治家太郎さんが流行っていますね。『○○党が死んだ日』と言い、喪服で国会に出席したのは、山本太郎参議院議員でした。もっとも私は、安全保障関連法案に関する一連の山本太郎氏の発言は、失言』だとは思えません。
太郎と言う名は、金持ちかどうか知りませんが、もともと天皇家の一子の名で、その後、武士階級で使われるようになった由緒ある名だそうです。日本の童話でも、金太郎、桃太郎、浦島太郎などあって、テレビのヒーローとして、ゲゲゲの鬼太郎、ウルトラマンタロウなんてありますね。与太郎とか三年寝太郎も聞きます。どうやら、おめでたいイメージですね。
さて、内閣の一員として、国の表舞台に立つ河野太郎さん、先輩太郎さんからの「失言に注意」のアドバイス、肝に命じられたでしょうか?でも、私が心配するのは、単なる失言ではありません。発言が失言ではなく、確信になってしまうことです。脱原発は、内閣に対する失言かもしれませんが、それは、河野太郎氏の確信であり、国民に対する失言ではありませんでした。
これが先輩太郎さんらのご指導よろしく、逆にならないことを願うばかりです。河野太郎さん、大臣就任おめでとうございます。
福本悟から見る岡山県、福岡県、そして東京都の不思議な縁
2015年10月23日
今日は、日本弁護士連合会の関係行事に出てみようと思って、開催地岡山市に来ました。その後、依頼者との打ち合わせを兼ねて、私の故郷、大好きな福岡に移動しました。岡山市には、このところ岡山地方裁判所出頭等の出張が続いたのですが、ある特徴に気づきました。それは、いつ行っても晴れていることです。
鉄道少年だった昔、SL蒸気機関車を追って、各地に行きました。東京生まれ東京育ちで、情けないことに?25歳まで実家暮らしだった私が、最初で最後?のひとり暮らしをした福岡市に赴任したのはなぜだ!と言う疑問について、司法研修所の検察教官が、結婚式で、苦し紛れにこんなことを言いました。
それは、あいつ(と言いました)がまだ純情な少年時代、新幹線の博多開業と勝負して、小学校4年時に、東京から博多までの国鉄の駅を全部覚えたなんて、全然法曹には関係ない趣味を持っていたからだとの珍説を披露してくださったのです。
そうです。東海道新幹線は、昭和47年3月に新大阪駅から岡山駅まで伸長しました。そして、昭和50年3月に、岡山駅から終点博多駅まで全線開通したのですが、鉄道少年だった当時、新幹線の終点が博多駅になることを知り、新幹線が無視する?全部の駅を開業までに覚えてしまおう!と純粋な(バカな)動機を持ち、小学校4年までに、全部覚えたのでした。
新幹線の終点が岡山駅までの間は、私が小学校高学年、中学生の時代でした。つまり、フットワークが軽かった——そのころは、今ほど太っておりません——ので、終点岡山駅に降り立つことは、結構ありました。
特に、岡山から倉敷を経て、山陰本線の米子駅まで通じる芸備線は、途中の新見駅近くの布原信号所で、D51型蒸気機関車の3重連が見れる絶好のスポットだったので何回か行きました。そしてSLが無くなったころ、昭和51年3月、ようやく受験時代を終え、大学進学を果たしたので、開業1年経過した岡山駅からの山陽新幹線で、広島駅まで行きました。なぜか終点博多駅まで乗らなかったのが運命だったのですね。
さて、話を最初に戻します。そんな少年時代の思い出がある岡山ですが、雨男の私をしても、いつも好天なのは驚きです。
気になって調べてみましたら、岡山市は、日本の県庁所在地の中で、降水量1mmの日が全国最多だと知りました。それで、1989年から、『晴れの国岡山』を標榜しているのだそうです。雨男の私は、自分の結婚式が雨で、主賓をさせていただいた結婚式全部が雨、そして今月出席が叶った結婚式でも雨、実に迷惑な奴ですが、さすが岡山には勝てませんでした。しかも、岡山と福岡は、福本悟からみると、不思議な関係があるのです。
商人の町博多と武士の町福岡の関係、成り立ちは、このホームページができる前の旧版『よかとこ九州』から、何回かお話しています。福岡ができたのは、関ヶ原で東軍将として武功を挙げた黒田官兵衛の子黒田長政が入国してからです。
黒田長政は黒田家の発祥の地備前福岡から、その地名を取ったのでした。黒田長政の福岡入りの前には、関ヶ原の戦いのキーマンになった小早川秀秋が、現在の福岡市東区の名島に福崎城を構えておりました。そのとき備前、備中等周辺大国を収めていたのが、元は毛利氏の一族宇喜多秀家でした。この宇喜多秀家こそ、関ヶ原での最大の悲劇とのちの世に語られることになりますが、小早川秀秋は、なんと宇喜多秀家が太閤秀吉から5大老宇喜多秀家が賜っていた備前他を、徳川家康から拝領することになるのです。
そしてご承知のとおり、小早川秀秋は、宇喜多秀家の亡霊に取り憑かれてわずか21歳で亡くなったと言われます。
宇喜多秀家は、前田利家の娘を正室にしていた関係と、総崩れになった西軍にあって、最初から最後まで怯むことなく戦い続けたことから、死一等を免じられ、八丈島に流罪となったのでした。
八丈島は、当時絶海の孤島であり、内地の人間として最初に流人とは言えやって来たのは、この宇喜多秀家たといわれていますね。小早川秀秋とは異なり、宇喜多秀家は、八丈島で80年余生きていたとされます。宇喜多秀家が生きた、生きられたことで、以後八丈島は、流罪の地とされ、やがて東京都に組み入れられたのです。
宇喜多秀家は、生まれも今の岡山県です。晴れの多い豊かな土地から、まだ内地の人間が誰も暮らしたことがない八丈島にながされた運命に、どんな思いで生涯を閉じたのでしょう。
また、小早川秀秋から受け継いで新しい都市福岡を築いた黒田長政の感慨もどうだったでしょう。そんな歴史に思い巡らしていたら、山陽新幹線は、小倉駅を出ました。さて、数分で福岡です。
謝っても文句を言う人、謝った後、その補填を求める人
2015年10月22日
三井不動産レジデンシャルが、2006年ころから販売した横浜市都筑区に4棟ある大型マンションで、複数の杭が地盤に達しておらず、これがために建物が傾いていることが判明し、横浜市が調査に入ったとのことです。
問題発覚の経緯は、昨年1棟の外廊下の手すり部分がずれていると通報があって、三井不動産グループが調べたところ、52本ある杭のうち6本が、地盤まで達していないこと、2本がしっかり打ち込まれていないことが判明し、そのため傾いたとなったようです。
なぜこんなことが起きたかと言うと、このマンションの地盤調査や杭打ちを受注した下請会社に外部から出してきた社員が、別のマンションに杭を打ち込んだ際のデータを、転用したからなのだそうです。
当面倒壊の危険はないと発表されていますが、マンション住人の皆様には、たいへんな災難であり、お見舞い申し上げます。データ転用に関与した外部からの社員が在籍していたと言う会社は、建物の補強や改修工事に要する費用を全部負担するとして謝罪しました。
これを受けて販売元の三井不動産レジデンシャルは、住民に対する説明会を行いました。伝え聞くところでは、マンションは、全棟建て替えすること、建て替え完了までの仮住まいの費用はもとより、いわゆるオーナー貸しの所有者には損失補償をし、加えて精神的苦痛に対する補償も行うとのことであります。建て替え完了までには3年程度はかかるようで、相当な損害賠償を要するでしょう。 三井不動産レジデンシャルは、建物を建築したのではなく、ましてデータ転用には、関与したものでもありません。
しかし、例え知らなかったとしても、売主としての瑕疵担保責任があるのです。これは法律により、新築建物の場合は、10年は負担しなければなりません。もちろんデータ転用をしたその人が、民事上不法行為を行ったとして、発生した全損害を賠償しなければならないのは当然です。また、建築した会社は、注文主に対して、請負契約に基づく瑕疵担保責任、債務不履行責任を負担します。
そんなところから、三井不動産レジデンシャルは、不法行為をしたとされる社員が居た下請会社に対して、自社が住人に対して支払う賠償について、これの求償すなわち、支払いの補填を求めると言われております。 事態の深刻さ、被害の大きさからして、関わった会社が責任を問われるのは仕方ないことで、被害者の救済が、確実になされるよう願いたいです。
でも、建築瑕疵や不良物件によるトラブルに関して、少なからず関わった者として、いくつか思うところがあります。 まず、これは僻みなのでしょうが、今回のように、比較的短期に調査がなされて原因が突き止められ、相応の責任の取り方が表明されたケースはあまり聞きません。
これは、いわゆる大手会社が関係した大規模なトラブルであり、あらゆる観点から、その対応を考えたのだと思われます。経験上、まず瑕疵かどうか争い、また、責任と言うか、原因を積極的に調べることはなく、訴訟や調停になって、法的な瑕疵の存在が明らかとされてもなお、賠償額だとか補修の仕方、要は、費用の掛け方について、あーだこーだ言うのが普通です。
今回気になるのは、いち早く対応を発表した売主に対して、報道される範囲で、住民の一部が、社長に詰め寄ったり、資産価値が下がったから補償しろなんて要求していることです。
いつも言いますが、謝ることはお金を支払うことであり、本件では、いち早く損害賠償を含む相応な責任の取り方が述べられています。完全建て替えになる物件であり、もうこんな物件嫌だと思われる住民には、購入価額以上の金額での買い取りも提案されていると言うのに、資産価値が下がった云々を言うことは理解できません。 いちばん不可解なのは、問題が発覚して調査がなされ、比較的早期に原因まで突き止めたのに、なぜ建築時には、誰もデータ転用に気付かなかったのかです。
これもよく言いますが、安全は、無駄の積み重ね、幾重にもチェックがなされなければなりません。たったひとりかどうかわかりませんが、不埒な人間のいい加減な対処が、かくも大事になったのは、例えばネズミが配線を齧ったことで、新幹線が止まるような感じでしょうか。 このデータ転用をした社員、その動機はなんでしょう。ひとりで過酷な業務を担当させられて…、安い賃金でやらされて…とか、不満はなかったでしょうか。
今回は、手すりのズレと言うかたちが出て、不法行為が表面化しましたが、このようなケースは、他にもあるのでは?と思ってしまいます。職場、労働の内容や環境にも 目を凝らす必要があるのではと思います。いろいろなことを考えさせられる一件でした。
死亡宣告されて解剖台に乗せられた人が蘇生したが、その後死亡したとの海外の事例に寄せて。
2015年10月21日
インドのムンバイで、死亡したとされ、解剖台の上に乗せられた男性が、いざ解剖に着手されるときに目を覚まし、慌てた医療スタッフが、この男性を集中治療室に搬送して手を尽くしたけれども、結局亡くなったと言うニュースが、報じられています。
なんでも感染症の疑いで行き倒れていた男性は、警察により病院に搬送され、死亡したと認定されて、死因の特定のために解剖されようとしたそのとき、呼吸が回復したのだそうです。結局亡くなったのは残念ですが、警察と病院は、死亡したとの判断に関しては、互いに責任をなすりつけていたものの、男性が死亡したとの点については意見の一致をみて、争いに終止符を打ったようです。
インドのこのケースは、警察と病院の本音はともかく、結局お亡くなりになり、残念です。
ところが世界では、これに似た『生き返った』ケースは、たまに聞くことがあります。2014年3月、アメリカ合衆国レキシントンで、医師により死亡が宣告されて葬儀場に送られた78歳の男性が、防腐処理される寸前に、突然遺体袋の中で暴れ出して生存が確認された例、同年11月、ポーランドワルシャワで、これも医師により死亡が宣告されて葬儀場の霊安室に、遺体袋の中に入れられて安置された91歳の女性が、突然動き出して生存が確認された例等あるようです。アメリカの場合は脈を、ポーランドの場合は心臓の停止を医師は確認しているので、皆さん生き返ったことに、仰天したようであります。
死んだと思っていた大切な人が生き返ったことは嬉しいでしょう。でも、どうしても死を受け入れられない、たとえ動かなくなっても生きていて欲しい、大切な人の死亡宣告は聞きたくないとの思いはよく聞くことです。
いっぽうで、今この瞬間に助かる命は助けたい!の議論もあるのです。これは、主として臓器移植において論じられる脳死説の論拠にもなっていることです。
よく、心肺停止と言う言葉が聞かれます。人間の死とは何が基準なのか、これは倫理観、宗教観、医学的見地や法的観点等さまざまな立場から議論がなされます。日本の伝統的な捉え方は、呼吸.脈拍の停止、瞳孔拡大の三要素で判定するのが医学的な立場です。
ところが、心臓が停止すると、身体内の臓器が著しく退化していくことから、臓器移植を行うには、心臓停止の前で、かつ、蘇生の可能性が極めて乏しい段階、つまり『脳死』状態のときに必要と言われるのです。アメリカ合衆国等では、法律で、人の死を脳死時としています。
日本では、臓器移植法が成立した際、人の死の基準を定めず、この法律の要件を満たすときに限り、臓器移植が可能としています。当然臓器を摘出されれば、生きて行くことは不可能です。これまでの一般的な人の死の要件を変えたとまでは言えないとしても、現実として、法律により、死を前倒しする『運用』を認めるのは、違和感を持たれる方もあるでしょう。
さらに臓器移植法改正草案では、臓器を摘出される本人が、明確に反対の意思を表示していない場合には、家族の同意のみで臓器提供ができるよう、さらに踏み込んで、『脳死』をもって『人の死』とすることが検討されてもおります。テレビ番組等で、救われる命を知るとき、あくまで臓器移植の場面とは言え、人の死を早めることに、同意する方向に導かれるように思います。
今日、外国での死者?の蘇生例に触れたのは、日本では、厳格であるがゆえに、多額の費用を使って海外での手術を行う例、間に合わず、命が失われる例を見せられるいっぽうで、いわゆる植物状態に陥っても、反応する可能性を信じ、あるいはそこで温もりを持って存在するだけで良いと思って、何年も過ごす家族が居ることも、忘れてはならないと思うからです。
医学的に脳死と判定されても、まだそこに居る、確かに息をしている、身体は温かいではないか、そんな状態の人を、死んだと扱って良いのかと言う問いです。
脳死とされた後、蘇生するかもしれない!なんて言いません。でも、例えば、人を救うためと言う必要性の観点から、人の死を法律で決めて良いのか、法律実務家である私は、疑問を持ちます。もちろん、臓器移植に熱心なあまり、蘇生可能性ある患者に対する適切な医療が危ういとの危惧も聞かれます。でも、単純に、まだ息をしている人が死んだとは受け入れにくいのが、日本人の倫理観宗教観そして、家族観とでも言う伝統のように思うのです。いろいろな考え方があり、見せられる場面場面により、さまざまな考えに至ると思われます。
だからこそ、法律では明確には馴染まない、人ひとりそれぞれの心で、大切な人の死を受け入れるしかないのではと思うのです。死んだ人間が蘇生して仰天は、喜ばしいですが、その陰で、蘇生する可能性が奪われたケースは無かったでしょうか。冒頭のインドのケース、病院と警察の本音がわかる気がします。