『二刀流』の使われ方

2015年10月13日
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アメリカメジャーリーグ、マーリンズのイチロー選手が、公式戦に投手として登板しました。1イニングを投げ、2安打1失点ながら、最速143キロを記録したそうです。イチロー選手、プロ選手になった後は、日本のオールスター戦で、投手を務めたことがあるのですが、それ以来、メジャーで、野手登録の日本選手が投手として出場したのは初めてとのことです。

野球界では少年時代、エースで4番が多いですね。イチロー選手もそうです。プロとなった後に、野手一筋となる方、あるいは、それまで野手の経験がない方が、投手から転向するケースもあります。プロの投手になった後も、バッティングセンス溢れる投手、ときにホームランを放つ投手がおりますね。

イチロー選手は、今季は過去最低の成績のようで、メジャーでは、9月ともなるとレギュラーシーズンで結果を残せない選手は、出場機会が減る例ですが、マーリンズの監督は、あえて投手イチローを起用したのは、「将来殿堂入りする選手。このような機会を得た彼の努力を若手に実感して欲しかった」と明かしたたのことです。球団オーナーも、皆がイチローを愛してる、レジェンドであり、看板選手であり、来季もイチローと契約し、その活躍を期待すると述べた由です。

41歳にして、メジャーで初めて投手として登板するだけでも凄いのに、彼に対する高評価はさらに凄いと言うか、嬉しいですね。年輪を重ねるごとに、人から評価される人間って素晴らしいと思います。でも、日本球界では、若手も頑張っています。日本ハムファイターズの大谷翔平選手です。

大谷翔平選手は、高校卒業後は、メジャー行きを決めていたと言われますが、これを口説いて日本球界に留めたのは、日本ハムの栗山監督と言われます。その入団の条件は、野手としても投手としても出場すると言うことでした。出場するということは、野手と投手の練習を継続すると言うことであり、本人の努力もさることながら、球団全員の理解協力がなければ実現は困難だと思われます。栗山監督は、名将の域に達していると言われますが、指導者からではなく、解説者から監督になった異色の経歴が示すように、有る意味斬新な、有る意味突拍子もない決断と約束をしたのは、この栗山氏所以かもしれません。

大谷翔平選手は、今年は、投手部門で、勝率、勝ち数、防御率のタイトルを総ナメして、投手三冠を獲得しました。打撃のほうは、昨年よりは成績を残せなかったと仰るものの、投手としてローテーションを守りながら、出場し続けているのです。大谷選手の努力も、凄いですね。

投手OBからは、バットを置いて、投手に専念してもらいたい、野手OBからは、投手は辞めて、希代のバッティングセンスを活かして欲しいと賛辞ややっかみが聞かれます。大谷選手も、栗山監督との出会いに、運命を感じたかもしれません。これを続ける能力精神力には感嘆します。『二刀流』と言う言葉は、流行語大賞にもノミネートされました。

この『二刀流』と言う言葉、もともとは、両手に刀または剣を持って攻守を行う剣術を言いますが、太平洋戦争後、平成の世になるまで、しばらく剣道の大会から除外されていたようで、世俗的には、『二刀流』は、別の意味に用いられることがあったのです。すなわち、武器を両方に持ち、異なる手段により事にあたる、あるいは、同時にふたつのことを行う意味に使われるようになったのです。

私は酒呑みですが、知人の飲み友達に、饅頭や団子を好む人がおります。

彼は、よく二刀流と言われたそうです。きさらぎ法律事務所は、新宿1丁目にありますが、伊勢丹デパートを挟む新宿2丁目は、よく二刀流の方々が集まると、ある雑誌に記事に出ていたことがあります。

それが大谷翔平選手の登場により、ふたつの職業やスポーツを兼ねると言う意味にも使われるようになりました。イチロー選手がそのはしりだとすると、それを現実のものとしたのは、若い大谷選手なのかもしれません。これから『二刀流』は、また別の意味に使われることがあるかもしれませんが、イチロー選手、そして大谷選手の活躍努力と足跡に、敬意を表したいと思います。

 

中学校の運動会で、10段の人間ピラミッドが倒壊して、生徒が大怪我をしたとの報道に寄せて。

2015年10月12日
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以前、幼稚園、保育園の子どもたちの声が『騒音』だとする風潮について述べたことがあります。

 

確かに、閑静な生活をしたいと思って、住宅地に終の住処を求めたのに、その後幼稚園等が開園して、騒々しくなったのはなんだ!との思いはあるでしょう。私も、十数年前に現住所に住み着いてから、徒歩30秒のところに公園が、徒歩1分のところに保育園が、徒歩3分のところに幼児用スイミングスクールが、その建物内に焼肉店がオープンするとは、予想しておりませんでした。でも、子どもが増え、賑やかになるのは良いことだと基本的に考えます。

 

誰かのように、国家に貢献するために子どもを産むべきなんて思っておりませんが、やはり子どもの声が聞こえることは、明るくなりますね。

 

子どもの遊び場や、子どもが体力をつける、いろいろな経験をする場がなくなってきていることは間違いありません。それは、子どもの体力テストの結果を言うのではありません。少子高齢化と言う基本構造のもと、過疎化で子どもが居なくなり、学校等は閉鎖されること、都市部でも、親がいずれもフルタイムで働き、なかなか一緒に遊ぶ時間が取れない、要するに、親が、遊びを子どもに教える機会がなくなりつつあるのです。

 

ここ数年、小学校、中学校の運動会のプログラムが変わったとか、様々な意見が出されて収拾がつかなくなったなど言われます。例えば、騎馬戦の是非がこれです。落ちたら危ない!はそのとおりです。でも、危ない遊戯はいくらでもあります。ドッヂボールについても同じことを言われます。個人差と言うものもあります。団体競技である以上、実施してもしなくても、保護者から反対意見が出されることが想像されます。もう、20代後半となった私の子どもたちのころは、『実質的平等』の観点もあったのだと思いますが、例えば、徒競走のチーム分けは、タイムごとに行うなんてありました。

 

これは、教育とは?の基本的視点を問いかけられた感があります。

 

このことは、とても難しい問題だと思います。教員、特に公立学校の先生は、あらゆる方向を気にかけながらお仕事をされるのでしょう。そんな思いでおりましたら、大阪府の中学校で、運動会での10段の『人間ピラミッド』が倒壊して、生徒数人が、骨折等の怪我を負ったと言う報道に接しました。なんでもこの中学校は、昨年も、骨折した生徒がおり、今年も、練習中に怪我をした生徒がいたと言うのです。

 

ここでも、様々な意見が寄せられているようです。人間ピラミッド賛成派、もちろんこの方々も、怪我をして良いとは言われませんが、こちらは、ピラミッドにより一体感、達成感ができる、危ない!と思われることを大人が回避したら、子どもは、本当の危険が判断できなくなると言うあたりの意見が主流でしょうか。 私自身は、人間ピラミッドをやったことも、見たこともありませんので――3段くらいのミニチュア版は別ですが、――10段の人間ピラミッドがどんなものか、ハッキリ理解できているものではありません。ただ、かなりの重量はかかるのではないでしょうか。

 

もし、これが潰れたら、転落も怖いが、下にいる子どもにかかる重量は、相当なものだと思います。

これは、単に擦り傷くらいですまないのではないでしょうか。特にこの学校では、現に『事故』が起きできるのに、なぜ続行したのでしょう。先生たちの中に、経験がある指導的立場の方はおられたのでしょうか。要するに、人間ピラミッドは、もはや子どもの運動、競技の域を超えているのではと考えます。まとまること、チームワークを学ぶことは大切ですが、それは、必ずしも人間ピラミッドでなくてもと思うのです。

 

中には、こんなもの!やりたくないと思っている生徒もいるでしょう。団体競技の経験は、私自身も重要と思いますが、10段の人間ピラミッドは、子どもたちが得るものとリスクを相関すると、運動会の競技に適さないのではないでしょうか。 おぎママこと教育評論家の尾木直樹さんは、私がなんとなく抱いていた違和感の正体に、気づかせてくれました。尾木直樹氏は、「やらせる学校も学校なら、眺めて感動する親も親」とコメントされました。

 

つまり、もしかして、我が校は、こんなことをやっている、こんなことができたとアピールしたい学校と、今流行りの写メかなにか、また、tweetしてよろこんでいる親がいるからか?と言う疑問でした。それ自体危険な場面を、写真撮影するなんて、子どもの安全は後回しでしょうね。尾木直樹氏は、大人たちが、子どもの命、安全に関する意識が低いと批判されています。さてみなさん、どのようにお考えでしょうか?

思い込みを正すのは、実際自分の目で見ることです。

2015年10月9日
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10月最初の土日に、わんこ3頭と一緒に出かけました。最近のペットブームで、ペット可の宿泊施設は増えていますが、頭数や宿泊場所の制限があって、『家族旅行』に適する場所は、なかなか見つかりません。そんな中で、ワン友から「良かった」と言われた八ヶ岳に行って来ました。

写真 1 H27.10.06 写真 2 H27.10.06

我が家のわんこの親戚家族とご一緒しました。

八ヶ岳と言えば、長野県と山梨県の県境に連なる山々との答が大方出てくると思います。そのとおりですが、長野県の諏訪や蓼科あたりまで、裾野が広がる北八ヶ岳と、東京方面から見ると、荒々しく山頂が居並ぶ南八ヶ岳に分かれ、旅行ガイドや農作物等の産地として八ヶ岳と称するときは、山梨県側から見える南八ヶ岳を『八ヶ岳』と言うようです。

八ヶ岳は、山梨県北杜市から眺められるのですが、どの辺りと聞かれたら、「清里の近く」と答えるとたいてい「あぁ」となります。清里の隣は野辺山で、ここが山梨県と長野県の県境であり、ここを通る小海線は、日本の最高地点を通る鉄道でもあります。この周辺には、別荘やペンションのほか、会社や自治体の厚生施設が多くあります。実は、私が通学した東京都大田区にも、野辺山と伊豆高原に施設があり、学校行事として団体旅行の経験がありました。

その後、司法修習生時代にも、同期の仲間とレクレーションを楽しんだこともあるのですが、これまで『八ヶ岳』とは、八個の山が連なるからそのように名付けられたと思っておりました。それで今回も、中央高速道路を下りて、清里方面が近づくに従い、秋晴れの中に聳え立つ八ヶ岳を眺めつつ、幾つ山頂があるのか、八個あるかなと数えておりました。

それがカーブが続く道でもあり、見る位置によっては7個に見えたり9個に見えたりし、なんとか8個となることを望む自分に呆れました。それで、現地八ヶ岳に到着してその謂れを調べたのです。そしたら、8個あるから八ヶ岳ではないことを知るに至ったのでした。

八ヶ岳の謂れは、『八百万』から来たとの説が有力だそうです。

『八百万』は、『やおよろず』、神道の八百万の神に例えられ、数あまた、非常に多いの意味で、山々がたくさん連なることから名付けられたとされます。また、幾重もの谷筋が見えることから、『谷戸』にちなんで名付けられたとの説もあるようです。いずれにしても、山が8個だから……。ではないのです。

そんなことから、これまで、さも当然のように思いこんで、人にもっともらしく説明していた地名の謂れには、間違いがあったのではないかと思い、少しの時間調べてみました。八ヶ岳南麓に広がる清里は、当然『清らかな里』から来たと思っておりましたが、私が観光パンフレット等を調べた範囲では、明確には書かれておりません。北海道知床の入り口にも、『清里』がありますが、こちらは、アイヌ語で、清らかな里だと説明されていました。

さらに気になって、都内を幾つか調べてみました。『三軒茶屋』は、江戸中期に、このあたりに三軒の茶屋があったことが由来と確認でき、ホッとしました。また、私が子どもころよく出掛けた大田区にある洗足池は、日蓮上人が、この辺りの池で足を洗ったからと聞いていたところ、足を洗ったのではなく、この池の近くの松の木に、袈裟をかけたのだ説明されておりました。テレビ番組のクイズ番組だと、私の理解は、正解にはならないでしょうか?

言い訳になりますが、小学校、中学校での移動教室で行った八ヶ岳について、これまで間違った理解をしていたと言うことは、私たちを引率した先生方から、『正解』を聞かされていないと言うことでもあります。今回たまたまた岳の数を数えて、疑問を持ったわけですが、世の中さも当然と考えていたことが、思い込みにすぎないことは結構あるのではないでしょうか?修習生時代から30有余年、小学校から45年経過した久々の八ヶ岳で、そんなことを思いました。

 

線路内にテーブルが発生したとの報道に寄せて

2015年10月8日
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10月に入って途端、『爆弾低気圧』が日本列島を襲いました。

この日私は、海の近くに居たので、強風と横なぐりの雨で、傘は数秒で壊れ、衣服はずぶ濡れになってしまいました。

 

でも、首都圏周辺では、夜から未明にかけて特に酷い天候となり、停電や冠水で、大きな影響が出たようです。 翌朝首都圏の交通機関は、軒並み遅延や運転見合わせが発生し、この影響も受けました。爆弾低気圧は、東北地方北海道方面に移動したので、こんどはその地域が航空機の欠航など発生したと言うことです。この爆弾低気圧の影響かどうか今のところはっきりしない不可解なアクシデントが、都内品川で発生したと報じられています。

東海道本線の品川駅近くの線路内に、2日朝8時半ころ、『テーブル』が『発生』したと言うものです。 この『テーブル』とは、家具のそれを指し、なんで突然『発生』したのか不明だとされます。この日、それまでは、その場所には、テーブルは『発生』していなかった、だから電車の運行には支障はなかったわけです。突如現れたこのテーブルの『撤去作業』のため、運転停止となった車内では、「テーブルが線路内に投げ込まれたため、撤去作業を行います」とアナウンスされたそうです。

 

運転見合わせの理由として、人身事故とか安全確認等を言われることに慣れた満員の通勤電車内では、不思議な感覚になったとTweetがあったそうです。もっとも、『投げ込まれた』かどうか、本当はわからないのですが。 品川駅をご存知の方なら、あの複雑な線路が行き交っている品川駅構内周辺に、どうやって短時間に、人目に付かずに、テーブルを投げ込む(持ち込む?)ことができたのか、神業かと思われるでしょう。それとも、これも爆弾低気圧の一瞬の成せる技だったのでょうか。混乱する品川駅の様子は、忽ちネットで拡散したようです。

 

子どものころ、地下鉄車両は、どうやって地下に入れることができたの?とか、高層ビルの建築中にいちばん上にあるクレーン車は、建物が完成したらどうやって降ろすの?とか、お父さんお母さんに尋ねたことがあるでしょう。それにはちゃんと理由、やり方がありました。このテーブルも、どうやってその場所に存在したのか、ニュース報道の言葉で言えば『発生』したのか、いずれ明らかにされることでしょう。

 

そんなニュースに関心を持って、新宿に戻ろうとしたところ、こんどは『人身事故』のため、中央快速線が、運転見合わせとアナウンスされました。これが首都圏の交通機関の現実です。テーブルくらいと言ったら怒られるかもしれませんが、本当に、『人身事故』と聞く度に、辛い気持ちになってしまいます。昨日今日の爆弾低気圧、大きな被害が生じないことを願うばかりです。

 

海浜幕張のホテルの窓から

2015年10月7日
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日本弁護士連合会の人権擁護大会シンポジウムに参加するため、海浜幕張に来ました。

海浜幕張には、幕張メッセがあり、わんこに関する大きなセレモニーがあるので、関心がある場所ではあります。

でも、私が真面目なころ?、今から20年以上も前になりますが、当時日本弁護士連合会の法律相談事業に関する委員会に所属しており、ここ幕張の地で、1泊2日に渡って、シンポジウムが開催されたのですが、私は、地元千葉県弁護士会の先輩と一緒に、その司会進行役を仰せつかった懐かしい場所なのです。

 

そのときは、弁護士がいないいわゆる『ゼロワン地域』の問題とか、地方都市に公設相談所を設けるとかの議論がなされていたと記憶しています。まさしく司法改革の一躍を担う地道な役割を果たすべく、本当にこの分野では、日弁連も、『駆け出し』の時期だったと思います。

 

それが、司法改革がやり過ぎだったのかわかりませんが、公設事務所は全国に設けられ、法科大学院を絡めた司法試験制度も変わって、弁護士が溢れるようになり、『質の低下』が問題にされる昨今です。 あのころは、中坊公平元日弁連会長(その後、不祥事により、弁護士を廃業)の説明を単純にうけとり、『市民のため』を信じて、結果、『市民』ではなく、『市民のため』あるいは国民のためを標榜する勢力の思いのままの現在の司法制度を作ることに、加担してしまったと思っています。

 

そんな若かりしころの取り返しのつかない反省の思いから、20数年前のあの日、1日めの司会を終えて、その反省と、明日への準備のため宿泊したホテルに再び宿泊して、ビールを飲んでおります。 あのとき宿泊したホテルは、所有者が変わったようですが、東京湾を臨む国内のホテルとしては最も高層の建物のまま、変わっておりませんでした。

 

今、部屋から東京湾を見ていましたら、羽田空港に着陸する航空機が、次々に高度を下げて飛行しているところが見えました。これは、羽田空港B滑走路に侵入する航空機です。 航空機は、基本的に、向かい風のときに着陸しやすいと言われます。ただ、羽田空港は、4本の滑走路はありますが、そのうち都心部への騒音等で、離陸に使用できない滑走路がありますので、自ずから着陸使用の滑走路も限られてきます。

同じ方向に、離着陸はしないからです。 羽田空港の着陸使用滑走路として、年間過半数を占めるのはA滑走路です。

 

ただし、木更津方面から、右にアクアラインを見ながらファイナルアプローチをするのです。反対方向は、都心部を掠めるくらいの旋回になるので、着陸はありません。

A滑走路と並行するC滑走路も、お台場の観覧車の少し前で、急に左に曲がって着陸するのですが、最近は、ほとんどこちらからの侵入着陸はありません。B滑走路が、着陸の20%くらいになっているようです。

 

あと、深夜早朝に離発着する国際線は、東京湾に埋めたて建設されたD滑走路を使用することになります。このB滑走路使用時には、東京ディズニーランドを右に見て、着陸態勢に入るのです。

 

同じホテルの部屋から、20数年前は、その日の反省と翌日の準備にあたふたしていたのに、今日は、羽田空港に着陸する航空機を追いながら、ビールを飲んでいます。若いころは、ただ与えられたことに必死だったのです。でも、言い訳になりますが、今の自分は、他から与えられなくても、否、他からあれこれ言われることなく、我が道を歩んでいます。それは、真面目とは言えませんし、純真さもありません。ただ、得たのは経験です。くだらないことですが、羽田空港の着陸滑走路も、経験によりわかったことです。

経験は、自信に繋がります。

今、外を眺めながら、今日の人権擁護大会シンポジウムの復習ではなく、航空機を眺めているのは、果たして不真面目なのか、経験者の落ち着きなのか、自分勝手に考える達観?すなわち。

写真 1 H27.10.02 写真 2 H27.10.02

 

言い訳をする歳になったようです。今度は、いつ、どのような機会に、海浜幕張に来て、今日と同じように、東京湾を眺めることになるのでしょうか。

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