昔裁判官を志した法曹界の先輩が、『裁判官は弁明せず』を言われました。
民事事件で、原告被告双方の主張を聞く限り、全く正反対の事実を述べておりますし、刑事事件では、ときに有罪か無罪か判断を示さなければならない立場に裁判官は身を置きます。私は、責任の重みを言いたいのだと受け取っています。
また、裁判官は、寡黙で喋らないイメージがあるのではと思われます。
裁判官の身分は、憲法で保障されています。これは、裁判官は、あらゆる圧力を受けることがないよう、法律と良心に従い、独立して職務を行う必要があるからです。よく法廷で、裁判官が入廷すると『起立!』となりますが、あれは裁判官が偉いのではなくて、法廷の厳粛、法廷ではなんぴともここで行われてようとするところを邪魔しないことの約束みたいなものとお考えください。
私は学生時代、特に刑事法に関心があり、そのころは検察官を志していたこともあって、よく刑事裁判を傍聴しました。ですから、司法修習生になったときには、何と無く法廷の雰囲気は分かっていたつもりです。当時は実務修習の前に、司法研修所での前期修習と言う講義が中心の修習がありました。そのとき、刑事裁判教官が、テレビでも放映されたある日の東京地裁でのある場面について、我々修習生の意見を求めたことがあります。
それは、ある刑事事件で、被告人に対して無罪を言い渡した後、担当した裁判長が、被告人とされた方に対して、『疑わしいが証拠の関係からこのような判決になった…。これから気をつけて生活するように…。』と述べたことについてです。 私は、あれはないよと思いました。確かに疑わしきは罰せずであり、この法廷にいる被告人が犯人かどうかではなく、検察官が主張した事実、すなわち起訴状に記載された犯罪とされる事実が、証拠上合理的な疑いを払拭する程度認めれるかどうかを判断するのが刑事裁判ではあります。
でも、日本の社会では、やっぱり疑わしい、あの人は危ないなんて受け取られるのが現実です。余計なことを言うものだと思いました。裁判官、この元被告人が社会に受け入れられなかったら、責任取れますか。それに、この話を聞いたときは、有罪にできなかった悔しさ?が裁判官にはあるのかと感じたと、刑事裁判教官には申し上げました。 その後『裁判官の言い訳』はあまり気にならなくなりました。ちょっと気になったのは10年くらい前だったでしょうか、九州のある裁判所で言い渡された死刑判決を担当した裁判官の言葉です。
有罪すなわち、検察官の主張した事実が全てそのとおり認めれるのであれば、死刑判決はやむを得ないと言われた事案だったとされますが、判決言い渡しの後、裁判長は涙を流し、『控訴してください』と述べたのです。これはちょっと先の東京地裁の例とは違うように思いました。法律と良心に従い職務遂行した結果は、こうなるのは当然であり、判断に誤りも悔しさもない、しかし裁判官だって人間なのです。人ひとりの命の重みを思えば、可能な限りチャンスを活かして欲しいとの願いだったのではないでしょうか。でも、やはり、私は、言って欲しくなかったです。 さて、これはつい最近の事例です。
妻に逃げられた男性が、当時4歳くらいの子どもを家に放置して死亡させたとして殺人罪で起訴された裁判員裁判がありました。食事を与えず、別の女性の家に出入りし、たまに家に帰ってもゴミ屋敷さながらで、そんな中に子どもを放置し続けて、この子が亡くなっても手当を受けて7年経過して、遺体が発見されたというものです。裁判員裁判の結果は、ほぼ検察官の主張事実を認め、懲役20年の求刑のところ、懲役19年を言い渡したのでした。
おそらくこの事実認定と量刑は、裁判員裁判であることも考えれば想定されたものです。私は、しばしば裁判員制度になり、死刑判決が増えたことと、量刑が重くなったことを指摘しています。これが市民感覚と言われるものなので、制度が正しいとされる以上当然のことです。しかし、私は、職業裁判官は、『市民感覚』なるものを裁判外で出してはいけないと考えます。この事案、被告人には汲むべき事情に乏しいでしょうし、唯一救える立場にある父親に放置されて絶命したお子さんを思うと、私だって涙はでます。で
も、判決言い渡しの後、裁判官は、それをやってはダメなのです。だって、被告人からすると、判決が終わっても、そこに居て喋った人は裁判官なのですから。 この刑事裁判の裁判長、判決を言い渡した後、被告人に対して、お子さんを思うと涙を禁じ得ないに続けて、『これは事故のようなものと言われたときには耳を疑いました』と述べたのです。
それはそうだと思います。だからこそ、このような判決になったのでしょう。『事故のようなもの』との被告人の主張は、裁判員との合議を重ねて充分審理されているはずです。判決後、あんたの言っていることなんか、人間性の欠片もなく、全く信じていないとダメ押ししたわけです。もし、こんなことを言いたいのであれば、判決理由中で述べるべきです。裁判長が、裁判が終わったら、『一般市民の感覚』で、壇上で自己の思いの丈を吐き出した感があります。
裁判官は弁明もせず、一般市民としての感想も、述べて欲しくありません。被告人からすると、やはり裁判官なのですから。