『湯治』の今と昔

2015年11月20日
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日本人は、温泉好きです。

写真 1 H27.11.16 写真 2 H27.11.16
今では、大都市でも次々と温浴施設が開館されていて、週末ともなると、日帰り温浴施設は、人人人でごった返している実情です。

火山が多い地形も影響しているのだと思いますが、日本には近場に温泉が噴出していて、古くから温泉を利用する生活がありました。

暖かい液体が湧き出る、しかも、色や味が真水とは違うので、衛生や医療に関する知識も技術もない時代には、いわば魔法のように、何かしら身体に効能があると信じられていたのではないでしょうか。

古くから仏教では、『施浴』がありました。これは、病を避けて福を招来すると言う教えから来るもので、仏教伝来以来、湯屋、温室等言われた入浴施設が、寺院とともに造られたと言われます。

仏教の行事である勧進や法要の一環として、僧侶が入浴することから始まり、やがて庶民に招福をとの観点から、病人や貧しい人たちにも、背浴として入浴させるようになったのです。この例は、光明皇后が有名ですね。

こうして病気が治る、貧しさから逃れる有難い物として、温泉は重宝されるようになり、ときの権力者、有力者が利用するようになりました。『信玄の隠し湯』なんて言葉が聞かれます。

長く土牢に閉じ込めれれていた黒田官兵衛が、有馬温泉で療養したことや、天下統一の小田原攻めの折、太閤秀吉が、側室茶々を招いて箱根に逗留したこと等知られています。

武将たちは、戦で傷ついた将兵を、温泉で休ませる例でした。九州大分県は、温泉王国と言われますが、既に鎌倉時代の蒙古襲来で負傷した武士が逗留した記録が残っているそうです。

病や傷が治ると言うところから、温泉の利用方法として、『湯治』が始まります。現在では一般的に湯治とは、温泉地に長期間滞留して、特定の病等の温泉療養を行うことを意味し、温泉遊びとは別の物とされます。実際昔の人は、娯楽ではなく、病気を治そうとして何日も温泉地に留まり、自炊を含むそこでの生活をしていたのです。

明治となり、西洋医学が入るようになって、徐々に温泉を利用した治療が知られるようにもなりました。ドイツのベルツ博士は有名ですね。昭和となり、陸軍そして海軍が、温泉療養を用いた附属病院を設けたあたりから、各地でも、温泉付き病院が開業されるようにもなり、温泉で病気を治そうとする庶民の歴史は、いったん集大成となったと評価されるでしょうか。

湯治と言う言葉が定着したのは、病院で治療するのではなく、あるいは西洋医学では治癒が困難とされる病を治すために、個人が、長期間温泉で生活する意味に使われていると思います。

温泉を使った医療から、医療では治癒困難ゆえに、温泉に行くと言うものです。私は、経験者でも医療従事者でもありませんから、具体的な名前を挙げるのは控えますが、私の知人で、噂を聞きつけてある温泉地に20日間くらい滞留して生活したところ、癌がきれいに消えた経験者がおられます。

温泉は有難いものです。

ただ、娯楽や物見遊山で始まったものではありません。実は情けないことに、今私は腰の具合が悪く、脚などにも痛みがあって、医院でのリハビリと称する療養はしているものの、なかなか良くなりません。それで、自宅近くの温泉施設や出張先でも、温泉施設施設に行く習わしです。

家族や事務所職員には、『湯治』だと、都合良く言葉を使っているものの、本当は、物見遊山、風呂上がりの○ー○目当てであることはバレています。湯治に至らない症状であることがさいわいであります。

現在の温泉の利用方法について言及しました。