ある日父を奪われたら

2015年11月23日
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俳優の大沢樹生さんと女優の喜多嶋舞さんとの間の長男に対し、大沢さんが、親子関係が存在しないことの確認を求めた訴訟の判決が言い渡されました。判決主文は、『原告と被告との間に親子関係が存在しないことを確認する』となったようです。

 

この『事件』、2年ほど前に、大沢樹生さんが、あるきっかけでDNA鑑定をしたところ、長男との間には、99.999%以上、親子関係は存在しない鑑定結果が出たことから、家庭裁判所で、親子関係がないことを前提にする調停を申し立てたことが明らかとなり、マスコミを賑わしたものです。調停は不成立となり、訴訟となって、判決が言い渡されたわけです。 大沢さんと喜多嶋さんは、当時いわゆる『できちゃった婚』と言われ、6月に婚姻し、翌年の1月に長男が生まれたとのことす。

 

その後両名は離婚し、当初親権者に就任したのは喜多嶋さんでしたが、再婚をきっかけに長男の親権は、大沢さんとされ、大沢樹生さんが、約3年間男で1人で育て、その後大沢さんも再婚し、ある出来事がきっかけとして、大沢さんが、長男とのDNA鑑定に踏み切り、その結果、親子関係がほとんど存在しないと鑑定されたころから、長男は、アメリカ合衆国で生活する喜多嶋舞さんの親が引き取って、監護しているようであります。 マスコミ等では、『大沢樹生さんは、長男の実の親なのか?』だけがひとり歩きし、『嘘をついているのは大沢樹生か喜多嶋舞か?』の論戦となり、この判決が出るや、喜多嶋舞は最悪の女だと言ってみたり、父親探しを早くも始めているのです。

 

世間では、DNA鑑定等で、実親子関係があるかないかハッキリする時代なのに、なんで揉めてんの?との感想があるかと思います。それは、民法は、単なる血縁関係だけで親子関係を割り切る考えを取っていないからです。例えば、昨年最高裁判所では、明らかに血縁関係がないと証明された父親であっても、その子が、妻との婚姻中に懐胎され、生まれたのであれば嫡出子であり、嫡出子の身分を失わない、つまり、血縁関係がなくても父親なのだと言う判断をしています。

 

もし、この判決の結論だけ見れば、今回の大沢樹生さんのケース、親子関係は否定されず、実の親ではなかったとしても、長男は、大沢樹生さんの嫡出子の身分を失わないとなるはずでした。 細かい事実関係を知らない、と言うか、興味がない私なんかからすると、大沢樹生さんの思いや『正義』はともかく、当然大沢さんの請求は認められないと思っていたのです。ポイントは、『嫡出推定規定が及ぶか』にあります。

 

すなわち、民法772条は、1項で、『妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定する』、2項では、『婚姻開始後200日経過して生まれた子、婚姻解消後300日以内に生まれた子は、『婚姻中に懐胎したものと推定する』と規定しているからです。これはよく『300日規定』として問題にされるところです。例えば、長く夫と別居していた妻が別の男性と交際して懐胎したが、夫との離婚届の300日以内に子が生まれた場合、そのまま出生届を出すと、前夫の子となってしまうと言う問題がありました。 時代遅れ!女性差別!非科学的!様々な批判がなされる現状です。

 

もともとこの規定は、『嫡出否認の訴え』と一体として捉えれば、多少は、当時の立法者の意思がわかります。すなわち、この規定を受ける子について、もし、父親とされた男性が、『自分の子ではない』と言いたい場合、その手続きは、子が生まれてから1年以内に行わなければならないと言う決まりがあるのです。 これは、まずもって、婚姻中の夫婦の間に生まれた子は、その夫婦の子だとの社会的観念があるでしょうし、嫡出子とされた子の法的身分関係を早期に確定したあげて、保護する必要があるとの考えに基づくものです。

 

相当後になって、父親だと信じていた人から、『親でも子でもない!』と言われたらどうでしょう。従って本件で、もし、この民法772条2項に該当するならば、もはや18歳となった長男について、大沢樹生さんは、DNA鑑定がどうであろうと、嫡出否認は認められない、つまり、長男との親子関係不存在は認められない結論になるからです。

 

報道されたところでは、この判決、長男は、大沢樹生さんと喜多嶋舞さんが婚姻して200日以内に生まれており、民法772条の推定は及ばない、つまり親子関係を否定するには、1年以内の嫡出否認によるしかないとの解釈を取る場面ではなかったと言うことだったのです。前年6月に婚姻、翌年1月に出生と聞いておりましたから、200日超えたかどうか、まさに『ボーダーライン』だったわけです。そうすると、裁判所は、証拠調べをして、長男が大沢さんと血縁関係があるかどうか判断します。おそらく長男すなわち喜多嶋さん側が、改めてのDNA鑑定をする意思がないとみなされ、大沢さんが拠り所としていたDNA鑑定を覆す証拠は存在しないと認定して、原告大沢樹生さんの請求を認めたのだと想像されます。

 

本件訴訟は、『DNA鑑定により大沢樹生さん勝訴!』ではありません。

 

『長男が生まれたのは、婚姻後200日を超えたか超えていないか』なのです。200日を超えていた日に生まれていれば、昨年最高裁判所において、3対2の微妙なところで判決されたところを踏襲し、血縁関係よりも、長年の培われれた子の身分を重視する判決となったでしょう。種明かしすれば、マスコミや世間がワーワー言うところとは関係ない入口、それも計算で決まりだったわけです。

 

こんなふうに言いますと、大沢樹生さんは、罪のない子の身分を奪ったとして福本悟は、『他人』の子を育ててきた事実を無視して批判するのか!と言われるかもしれません。それは違います。報道される範囲で、大沢樹生さんが、DNA鑑定をした契機に打たれるものがあったからです。大沢樹生さんは、この長男が障害をもっていることや、再婚して不妊治療の末授かった胎児が死産となったこと等から、自分のDNAに異常があるのではないかと不安になり、いわば家族のため、DNAを調べたのだそうです。その結果の…であります。

 

そして一部報道されるところでは、このような結果になった以上、あいまいなままにしておくわけにはいかない、しかし、それでも親と思ってくれるなら、いつでもアメリカから帰って来い!と言ったと伝えられています。

 

これは、まさに私が大切だと信じ、また、法の趣旨でもある子どもの身分地位を不安定にしない、より直裁に言えば、子どもから親を奪わないことを『父親』として認識されていると思えるからです。

 

本件で、もし、長男の誕生が、婚姻後200日を経過していたらと思うと、おそらく全く反対の結論になったでしょう。

 

その場合マスコミは、『大沢樹生さんの訴え認められず』とか、『喜多嶋舞さん側勝訴』なんて書き出すのでしょうね。繰り返しますが、血縁関係が認められなくても、『父親とされた側』が勝訴することは、この推定規定のため、稀有なケースとなります。

 

そんなことは、大沢樹生さんは百も承知、このような案件に精通した弁護士が就いていたのです。この長男の今後に思いを馳せつつも、200日のボーダーラインでセーフとなったことは、おそらくこれまで大沢樹生さんは、長男くんと親子として接し、また、今後も、その意思を変えないであろうことを、天は見ていたのだと思います。

 

なお、長男の母親喜多嶋舞さんに関する私からのコメントは、控えさせていただきます。

2歳児にタバコを吸わすところを動画にして発信した親が、逮捕されたとの報道に寄せて

2015年11月22日
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自分の子ども、2歳児に何度も煙草を吸わせたとして20代の父親と、一緒に居た10代の少女が、暴力行為処罰に関する法律違反の被疑事実で逮捕されたと報道されています。

幼児に対して、代わる代わる火のついたタバコを吸わせ、暴行した疑いというものです。暴力行為等処罰に関する法律とは、団体又は多衆による集団的暴行、脅迫等を重く処罰する刑法の特別法です。

この事件が発覚した経緯は、この父親が、2歳児に繰り返しタバコを吸わせた様子を動画にして流したからなのだそうです。これを見た多くの人たちが、「児童虐待だ」として警察署等に通報し、捜査がなされた結果、この2名の居所が判明して、逮捕に至ったそうです。両名は、逮捕事実を認めていると報じられました。

警察は、この2歳児を、児童虐待の疑いがあるとして、児童相談所に通告して、その一時保護を委託したとのことでした。

これを知ったコメンテーターたちは、「バカ」と言うのは予想されますが、社会は児童を、このバカ親からいかに保護するかが重要です。


もちろん子ども、特に乳幼児には、親が必要です。いつも指摘するように、未だ少年非行の率は、幼児期に親、特に母親から離れて育った子どもが高い数字を残しているのです。だからと言って、児童虐待する、親として真摯に愛情を持っているとは思えない、あるいは成育環境が不良だと、子どもをそこに残すことは福祉に反します。これは本当に難しい問題です。あくまで子どもの保護、福祉の観点から、関係者が工夫努力しなければならず、特に行政は、役所仕事とならないよう、強い使命感が求められます。

確かにこの男女、バカ親でしょう。悪ガキが大人に成りきれないとも言えるかもしれません。でも、報道された動画に映された行為をしたことも呆れますが、これを動画に記録して発信したことが驚きです。自分の行為を動画にして発信して世間を驚かせた例は、最近枚挙にいとまがありません。飲食店やらコンビニ等で働く者が、商品の上に寝そべったり、客が店員に土下座を強要したり…。外国では、走行中の電車に飛び乗ったり飛び降りたり、高いところに登って細い鉄塔等を歩く等等テレビ番組に紹介されています。


こんなことをして、世間に発信することで、英雄きどりなのかもしれません。先のタバコ押し付けの男女も、初めから逮捕されるとか、これが犯罪だなんて意識はなかったのかもしれません。英雄きどりをする者たちも、一方的に自分のカッコよさ(バカさ)を世間にアピールすることで自己満足なのでしょう。バカだから仕方ないとの意見もあるでしょうが、こんなことをして何になるのでしょうか?

法律実務に携わる私は、それは自己満足なのですか?そんなことして何になるの?と感じる場面に多く遭遇します。


その典型は、離婚する意思がないのに、夫(または妻)が、不貞行為をしたところ、当の夫(または妻)を咎めるではなく、その相手となった女性(または男性)に対してだけ、損害賠償請求することですが、そのような例に当たると、これまた『よく言うな』と想うことがあります。それは、妻(または夫)ある人と不貞関係に至って、その人の妻(または夫)から損害賠償請求を受けた不貞行為(世間で言う不倫)の相手となった人が、このご夫婦、『既に婚姻関係は破綻していた』と言う主張です。

婚姻関係が破綻して、その修復は不可能な状況に至れば、互いに貞操保持義務がなくなるので、そんな人と肉体関係を持っても、不法行為にはならないと言うものです。

でも、本当にそうだとしても、そんなこと、『他人』、夫婦でもない人、まして『あんたなんか』に言われたくないよ!と夫(または妻)と関係を持った人に対しては、言ってやりたいのではと思います。私は、この婚姻関係破綻の主張は、『年中行事』と言いっています。それは、到底婚姻関係破綻なんか認められないケースでも、常に出されて『争点』にされているからです。本当に、「そんなことして何になるの」なのです。盗人猛々しいなんて言葉がありますが、不貞、不倫した人がこんなことを言うのは、厚かましいとは思わないのでしょうか。

ところが、きさらぎ法律事務所は、男女に関する案件を担当することが多く、しかも、不貞行為が問題となるケースは実に多いのです。事務所ホームページ中、このことを書いた部分も多いのですが、「そんなことしてどうするの」「そんなこと言って何になるの」との福本悟の考えに共鳴され、落とし所を一緒にお考えくださる方が多くいらっしゃるのです。


そしてその方々にとっては、そんなことして、そんなこと言って、決して意味がなかったとはならないと言うことであります。


そんなことして意味あるの?は、その行為決断は、何のためにするのかしっかり押さえているケースには見られないと言うことです。幼児にタバコを吸わす、コンビニの商品の上に寝転ぶ、これらをすること、そして動画に保存することに、何の目的もないと思われます。


あるとすれば、自分は、カッコいいと思い込む勘違いです。行為の結果を理解し、そこに行き着くためにやったことならば、世間から見て、「変だな」と思われる行為であっても、意味ないことではありません。



きさらぎ法律事務所弁護士福本悟が、男女問題を多く担当し、この種案件のご依頼者が多くいらっしゃるのは、依頼者と私は、これから行うことは意味があることだ信じているからです。男女問題は法律問題、決して動画や漫画の世界ではないのです。これをお読みになった方、頭の隅に、「福本は、男女問題やっているんだ」とインプットされ、そのような問題を抱えたお知り合いが現れましたら、心に留めていただければと思っています。

 

横綱白鵬の『猫騙し』に思う。

2015年11月21日
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大相撲九州場所で、休場明けの横綱白鵬が、関脇力士との対戦で、『猫騙し』と言う奇襲戦法を使って勝利したことについて、角界のみならず、ネット社会はもちろんのこと、あちらこちらで議論されています。

 

『猫騙し』とは、立ち会いと同時に、対戦相手の目の前に両手を突き出して掌を合わせて叩くもので、驚いた相手が目をつぶるなどしてひるんだ隙に、自分の有利な体勢に持ち込むために行われる相撲の戦法とされます。猫騙しは、相撲の決まり手ではなく、対戦中の戦法のひとつです。この謂れは、猫の前で『パチン』と手を叩くと、猫は驚いて逃げる等ひるんでしまうことから来たようです。

 

私は、基本的にお相撲には関心がありません。

 

また、件のシーンを見たものではありません。以前小柄で様々な技を繰り出して、大柄な力士に挑んだ舞の海氏が用いたことは知っておりましたので、『アレって、小さな、腕力では敵わない力士が、格上の力士に対して、なんとか相撲になるように工夫してやるものでは?』の観念があったことは事実です。

 

私でも、そんな素朴な?観念がありましたから、『横綱がやるものではない』との批判が続出しています。 白鵬関が猫騙しをやったこと、しかも立ち会いのみならず、土俵際に体を残して反転してきた相手に対して、またも『パチン』とやったことについて、特に相撲関係者からは、批判的意見が述べられます。

 

この点、まず私が思ったのは、「またか」であります。

 

「またか」とは、白鵬関がまた何か物議を醸すことをやったと言う意味ではなく、「また、白鵬関を叩くのだな」です。 日本人力士の優勝は、もう10年くらいないようです。3横綱しかり、番付を見れば、モンゴル出身者が多くを占めていて、さらに世界各国から相撲取りになるため、角界に入門する若者が増えています。

 

他方、日本国籍の若者の相撲離れは確実に進んでおります。相撲はスポーツではあるが、同時に国技であるとの意識は、日本人には徐々に薄れているのでしょう。率直に言って、古き良き日本人?特に角界関係者には、妬み僻み悔しさがあるのではないでしょうか。してやられたって奴です。 かつて、ちぎっては投げで、『憎たらしいほど強い』と言われた元横綱北の湖の現北の湖理事長は、「あれは横綱がやるものではない」と苦言を呈しました。

 

この場面を解説していた親方衆等も、同様です。ただ、これは予想されたところですが、ネット社会では、それほど白鵬関に批判的ではないようです。最も多い意見は、「横綱が猫騙しをやったら反則なんて規則はない」で、次いで、「横綱は勝つことを使命としている。負けるよりマシ」だと思います。私も、基本的にそうだと思います。 相撲には関心がないと言いながら、これまで白鵬関や鶴竜関に対する批判的意見について、この『ひとりごと』で私見を述べたことがあります。

 

今、その内容は忘れましたが、基本的には、モンゴル出身の横綱に対する批判に、批判的な私見を書いたと思っています。それは、心の中では『国技』を重視し、品格とか横綱としての……を言う風潮です。もし、大横綱白鵬が来日しなかったら、日本人の入門が少なく、観客数も増えない現在の相撲界で、外国人力士の登場活躍は、日本の国技とされる相撲を支えているとは考えられないのでしょうか。先日も、元親方が暴力事件を起こしたことが報じられたばかりで、数年前は、八百長事件がありました。角界、その先輩たちこそ、どうすれば相撲に人気が出て、日本の若者が目を向けてくれるのか、真摯に考えていただきたいと言うものです。

 

しかし、今日は、私は、大横綱白鵬関にも、物申したいです。猫騙しは悪くない、勝つのは当たり前、それはそうです。しかし、勝ち名乗りを受けた後の態度、あれはいただけませんね。ニヤッとしていたでしょう。とても大横綱白鵬が、力を出し切ってやり遂げたと言う達成感ではありませんね。アレは、してやったり、悪く言えば「ざまあみろ」に見えました。それは、常日頃煩い協会や親方衆に対するものでしょうね。 白鵬関は、猫騙しを一度はやってみたかったとその動機を述べました。本心だとして、それは引退間近を言いたいのでしょうか。そこには余裕綽々を感じます。

 

それと、対戦相手に対してリスペクトが見られないですね。白鵬関が大横綱でいられるのは、横綱白鵬に挑む力士がいるからです。勝ち続けるために、猫騙しのごとく技?が通用するかどうか試したかったのだとしても、それは対戦相手あってのこと、決して格下相手をバカにしたものではないのだとの姿勢を見せて欲しかったです。あの『ニヤッ』を見たら、横綱との対戦を夢見て、稽古に励んできた負けた格下力士は、どう思うでしょうか。

 

それと、お客様あっての大相撲でもあります。聞くところによると、横綱白鵬の猫騙しを見た観客は、ほとんど呆気に取られ、拍手も少なかったと言われます。

 

 

もし、観客の相撲離れが進むことにでもなったら、それこそ横綱がやってはならないことだと思います。そうは言っても私の夢は、大関琴奨菊が、大横綱白鵬に勝って優勝することです。横綱白鵬が居なくなることは、それが不可能となることです。白鵬関には、まだまだ強い横綱であって欲しいのです。

『奇跡は起こるものか、起こすもの』なのか。

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明示安田生命Jリーグ第2ディビジョンは、11月14日第41節が行われました。

 

 

写真 1 写真 2

全22チームで2試合ずつ総当りで年間42試合行い、勝ち点数から1位と2位が翌年J1へ昇格、3位から6位までの4チームは、いわゆるプレーオフを行い、勝ち抜いた1チームがJ1昇格の最後の切符を手にする仕組みです。

 

さて、きさらぎ法律事務所が、法人後援会に登録されている福岡市をホームタウンとする『アビスパ福岡』は、40試合を終えた段階で2位とは勝ち点差2の3位につけています。

開幕3連敗でスタートしつつも、徐々に成績をあげ、現在は7連勝中で、ここ11試合、つまり9月以降負けていないのです。でも、2位のジュビロ磐田もここ十何試合負けがなく、アビスパ福岡は、追い抜くことはできません。この両チーム、本当に強い気持ちで闘っています。

 

ホーム最終戦となった11月14日、アビスパ福岡の本拠地福岡市博多区にあるレベルファイブスタジアムに観戦に参りました。

アビスパ福岡後援会からは、史上最多の観客数になるとの予想が伝えられましたが、折からの悪天候などあって、満員札止めとなる2万人以上には達しなかったものの、ホーム自由席は、立ち見が出るほどの盛況でした。レベルファイブスタジアムは、福岡空港から徒歩20分くらい、試合当日には、福岡空港から臨時バスがでます。

 

この日は、福岡空港には、アビスパ福岡の法被やサポーターユニフォーム、タオルや旗を纏った人が、福岡空港に発着していました。全国のアビスパ福岡サポーターが、集まった感じです。私もその端くれでした。 時折雨が降る中、試合のほうは、こちらも現在5位、連勝中で初の昇格プレーオフに出場が決まっている愛媛FCが相手で厳しい試合でしたが、アビスパ福岡が、1対0で勝利しました。ホーム最終戦なので試合終了後は、社長、監督、主将の挨拶がありました。

 

キャプテンの城後寿選手は、アビスパ一筋10年以上、これまでいくものJ1チームからのオファーがありながらも、低迷するこのチームから離れることがありません。アビスパ福岡は、この日も勝利しましたが、まだ3位のままです。城後主将は、自分を信じ、仲間を信じ、これまでやってきた、関わった全てを信じ、最終戦を闘う、そしてサポーターとともに奇跡を起こそうと挨拶しました。 そうなのです。これだけやっても、2位の磐田を最終戦を前に追い抜くことができないのです。

そしてこの日、首位の大宮アルディージャは勝利し、J2優勝とJ1昇格を決めました。アビスパ福岡は、残り1枠の自動昇格を手にするには、奇跡が起こることしかありません。私がよくその言葉を引用するコブクロの小渕健太郎氏は、作曲した『奇跡』を披露する際に、『奇跡は起こるものではない。起こすものだ』と言いました。

 

私も、奇跡は起こすもの、城後選手ではありませんが、信じれば奇跡は起こせる、それは、彼らがこれまでやっていたことが間違いではなかったと思えることだと思っています。

 

レベルファイブスタジアムでの最終戦セレモニーを見て、また一つ真摯に努力するプロの姿に感動しました。 J2第42週、すなわち最後の試合は、11月23日に開催されます。アビスパ福岡は、アウエイゲームのFC岐阜との試合が、長良川競技場で行われます。怪我人続出で、とても苦しい状況ですが、奇跡を起こすことを信じるしかありません。

これまで昇格プレーオフに臨んだチームのうち、年間3位のチームは、結局勝ち抜いくことができず、J1昇格を果たしておりません。でも、アビスパ福岡に関しては、良いジンクス?があります。アビスパ福岡には、『5年周期』と言われる現象があって、2005年、2010年にそれぞれJ1昇格を決めています。そして、昇格を決めた日は、いずれも11月23日でした。前回J1へ昇格したのは、長良川競技場での試合でした。

 

そんな訳で、11月23日FC岐阜との今季最終戦を観戦に、長良川競技場に参戦します。

 

奇跡は起こすものか起こるものか、この目でしっかり見ておきたいからです。井原正巳監督率いる新生アビスパ福岡は、たとえ昇格プレーオフに回っても、負けないと信じています。11月23日は、『勤労感謝の日』です。この日を過ぎてもまだ男たちは、勝負を続けている気配です。これが勤労なのかどうかはわかりませんが、『働く意欲』と奇跡は作られることを教えてくれるアビスパ福岡に、感謝したいと思います。

『湯治』の今と昔

2015年11月20日
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日本人は、温泉好きです。

写真 1 H27.11.16 写真 2 H27.11.16
今では、大都市でも次々と温浴施設が開館されていて、週末ともなると、日帰り温浴施設は、人人人でごった返している実情です。

火山が多い地形も影響しているのだと思いますが、日本には近場に温泉が噴出していて、古くから温泉を利用する生活がありました。

暖かい液体が湧き出る、しかも、色や味が真水とは違うので、衛生や医療に関する知識も技術もない時代には、いわば魔法のように、何かしら身体に効能があると信じられていたのではないでしょうか。

古くから仏教では、『施浴』がありました。これは、病を避けて福を招来すると言う教えから来るもので、仏教伝来以来、湯屋、温室等言われた入浴施設が、寺院とともに造られたと言われます。

仏教の行事である勧進や法要の一環として、僧侶が入浴することから始まり、やがて庶民に招福をとの観点から、病人や貧しい人たちにも、背浴として入浴させるようになったのです。この例は、光明皇后が有名ですね。

こうして病気が治る、貧しさから逃れる有難い物として、温泉は重宝されるようになり、ときの権力者、有力者が利用するようになりました。『信玄の隠し湯』なんて言葉が聞かれます。

長く土牢に閉じ込めれれていた黒田官兵衛が、有馬温泉で療養したことや、天下統一の小田原攻めの折、太閤秀吉が、側室茶々を招いて箱根に逗留したこと等知られています。

武将たちは、戦で傷ついた将兵を、温泉で休ませる例でした。九州大分県は、温泉王国と言われますが、既に鎌倉時代の蒙古襲来で負傷した武士が逗留した記録が残っているそうです。

病や傷が治ると言うところから、温泉の利用方法として、『湯治』が始まります。現在では一般的に湯治とは、温泉地に長期間滞留して、特定の病等の温泉療養を行うことを意味し、温泉遊びとは別の物とされます。実際昔の人は、娯楽ではなく、病気を治そうとして何日も温泉地に留まり、自炊を含むそこでの生活をしていたのです。

明治となり、西洋医学が入るようになって、徐々に温泉を利用した治療が知られるようにもなりました。ドイツのベルツ博士は有名ですね。昭和となり、陸軍そして海軍が、温泉療養を用いた附属病院を設けたあたりから、各地でも、温泉付き病院が開業されるようにもなり、温泉で病気を治そうとする庶民の歴史は、いったん集大成となったと評価されるでしょうか。

湯治と言う言葉が定着したのは、病院で治療するのではなく、あるいは西洋医学では治癒が困難とされる病を治すために、個人が、長期間温泉で生活する意味に使われていると思います。

温泉を使った医療から、医療では治癒困難ゆえに、温泉に行くと言うものです。私は、経験者でも医療従事者でもありませんから、具体的な名前を挙げるのは控えますが、私の知人で、噂を聞きつけてある温泉地に20日間くらい滞留して生活したところ、癌がきれいに消えた経験者がおられます。

温泉は有難いものです。

ただ、娯楽や物見遊山で始まったものではありません。実は情けないことに、今私は腰の具合が悪く、脚などにも痛みがあって、医院でのリハビリと称する療養はしているものの、なかなか良くなりません。それで、自宅近くの温泉施設や出張先でも、温泉施設施設に行く習わしです。

家族や事務所職員には、『湯治』だと、都合良く言葉を使っているものの、本当は、物見遊山、風呂上がりの○ー○目当てであることはバレています。湯治に至らない症状であることがさいわいであります。

現在の温泉の利用方法について言及しました。

 

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