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最近調停で感じることについて ――思いつくままに (1) ――

(2013/03/29)

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民事調停であれ、家事調停であれ、調停事件の当事者となった場合、必ず弁護士に委任してください。

 

これは、きさらぎ法律事務所のホームページ随所に記載し、事務所での初回無料相談の際に、常に申し上げているとおりです。

 

従って、表題の調停で感じる事柄は、調停申立人又は調停相手方として、依頼者の代理人の立場で、調停に臨む際のものであります。もちろん、全ての調停,全ての調停委員が、「そうだ」というわけではありません。

 

調停をしきろうとする人がおります。

 

これは、使命感・熱意の裏返しかもしれません。実は、かくいう弁護士福本悟が、このタイプの民事調停委員でした。

 

調停とは、当事者が主張し、希望し、資料を集め、当事者を調整・説得し、紛争を解決する『場』にすぎません。

 

この『場』に何を持ち込むか、また、この『場』に居合わせた調停委員に、何を訴え求めるかは、全てこの『場』を利用する当事者が行なうべきです。

 

要するに、余計なお世話はしないでくださいということです。

 

特に、当事者に代理人が就いているケースでは、代理人弁護士によって、既にもまれ、整理され、法的な主張に高められて、この場所に持ち込まれるのです。

 

当事者代理人をさしおいて、当事者本人に、あれこれ聞き出し、何か発見し、自分たちの手で何か決めよう、教えようとする必要はないのです。

 

これは、代理人弁護士としての経験から申し上げました。

 

しかし、代理人に委任せず、当事者本人として、調停に臨まれる場合はどうでしょう。

 

もともと調停委員会がなんとかしてくれる,裁判ではないし、間に入って話を聞いてくれると思われること自体が間違いであることは、既に申し上げました。

 

そうすると、当事者として、自分は一生懸命頑張っている,この『場』をこのように利用したいと思われて、調停に臨んだところ、「あーだ、こーだ」と介入され、「こうしなさい」「これは何ですか」等々まくしたてられては、かなわないのではないでしょうか。

 

きさらぎ法律事務所にお越しになる方から、よく「調停委員は、自分の話を聞いてくれなかった」「こうだと決めつけられて、話せなくなった」等の不満をお聞きすることがあります。

 

もちろん、この『場』の主人公がご自身との認識がない方も、おられなかったわけではありません。

 

しかし、そのほとんどが、その調停委員の経験に基づく事件の筋,着地点が、一般的・抽象的に見えるがゆえに、『余計なお世話』がなされるのだと思います。

 

このホームページで、常々申し上げる『事件の筋』『落し処』は、とても大切です。

 

しかし、これらは、その当事者ひとりひとり,事件ひとつひとつによって、変わってくるものです。まさしく、生きた事件なのです。

 

確かに、当事者に代理人が就いていないケースでは、調停委員は、実質的公平の見地から、流々当事者に質問し、意見を言うのだろうと思われます。このこと自体は、間違いではないと考えます。

 

しかし、今、この場で行なわれ、調整されようとしている『事件』は、過去存在し、解決・終結した事案ではないのです。一般論――ときに、これが、道徳論にまで発展することもありますが――でまとめ込められる案件ではないはずです。

 

代理人として関与する調停で、あるいは、経験と正義感から、このような『余計なお世話』『不当な介入』をされる調停委員にあった場合は、毅然として、強く物申します。

 

調停委員会のその後の対応が変わることは、いうまでもありません。ひきしまった,緊張した調停が進められます。

 

そして、調停委員に対して、毅然として対応するという姿勢は、調停委員会を通して、事件の相手方にも伝わります。

 

調停委員に対して、はっきり物申す弁護士は、それこそ余計なお世話をしていることになるのでしょうか?