パートナーを愛すると言うことは、思いやる心を持つことです。

2016年1月29日
テーマ 

きさらぎ法律事務所弁護士福本悟は、家庭裁判所に関わる事案が多いことは、この『ひとりごと』でもよく書いております。

 

家庭家族に関する問題と言えば、相続や遺産分割、離婚、婚姻外男女関係等です。昨年末からこのところ、『マイナンバーカード』の取り扱いで、数多くの依頼者の相手方とやりとりする機会があり、別居中で、まだ離婚に至っていないご 夫婦は、随分いらっしゃると改めて感じた次第です。

 

こんなことを申せば、ご依頼者から、「何を呑気なことを言って!しっかり仕事しろ!」とお叱りを受けるでしょう。ここでこんな話をするのは、この『ひとりごと』を愛読される方に、『愛するってなんだろう』『夫婦ってなんだろう』としばし考えていただきたいからです。

 

きさらぎ法律事務所にお越しいただいた段階では、離婚を希望しない方はおられます。

 

理由はいろいろです。自分は悪くない、離婚される理由はない、配偶者を愛している、相手のほうが悪い、突然離婚や別居を言い出すのは納得できない等等。きさらぎ法律事務所内での初回の相談は無料で、時間制限はありません。

 

じっくりお話を伺います。そしてご相談者が抱える悩みやトラブルに関して、何が問題か、どうすれば良いか、着地点収めどころはどこか、私の見たて考えを申します。そして、離婚を求められた、しかし先に挙げたような理由を述べられて離婚したくないを言われた方ほとんどが、ご自身が気づかなかった、あるいは気づくことを恐れた、認めたくなかった『離婚をしたくない本当の理由』『離婚を拒絶しなければ ならない事情』が露わとなり、離婚を前提にどうするか、要するに、ご自分がしあわせになるにはどうすればよいのかを、弁護士福本と一緒に考えていく選択をなされます。

 

離婚を拒絶することだけでしあわせになれるのか、じっくりゆっくり考えていくのです。 これまたよく言う言葉があります。『パートナーを愛せなくなったら離婚。パートナーから愛されなくなったら離婚』です。離婚を拒絶される方は、本当にこれほど自分を嫌いだ!と表明したパートナーを、心の底から愛しているいると本心から言えますか?恋愛とは違い、家族であり、ひとつの社会•組織を形成します。

 

そこには相手に対して、また社会に対して、責任が伴うはずです。社会に対する責任?全然福本悟らしくないじゃんと指摘されそうです。

 

社会の中で生きていく相互の責任とでも言っておきましょう。ふたりが同じ方向を見なければ、ひずみが露わになるだけだと思います。絶対自分は正しい(それはそうかもしれまそんが)、だからと言って、パートナーが嫌がることをするとどうなるでしょう。

 

元には戻れません。 最近良いことを言うな、これだなと思える記事を見つけました。

 

ある経済誌に掲載されていた家庭問題相談•人生相談のコーナーでのあるカウンセラー?の解説です。それは、夫婦の場合、『愛している』が根本、ただしこの『愛している』は、パートナーに対する『思いやる心』なのだと言うことです。結婚生活で最も大切なことは、相手を思いやる心、お互いに居心地良い家庭であるためには、相手が何を望み、何を不満とするかを知ることが、結婚生活の基本と書かれておりました。 この話に引き込まれました。

 

さらに例は続きます。夫婦相互が衝突する場合は、そのほとんどが、あうんの呼吸で歩み寄ったり、話し合いで支えあったり、納得して犠牲を払いながら家庭を築いていく。それは納得の上で、より良い家庭を作るためであるから犠牲とは思わない。その思いやり、すなわち愛は、以心伝心か言葉や行為で伝わっていなければならないと言うことなのだと言われます。 すなわち、離婚を求める人、それは数年間悩み続けて判断し、行動します。

 

それは全く予想しなかった側にとっては不意打ちであり、勝手であり、理不尽だとなります。でも、そのパートナーは、ずっと悩んでいたわけです。

 

『側にいる人に心が通じないのは、ひとりでいる孤独よりもっと辛い』。

 

 

これはまさに当職が、どうしでも離婚に応じていただけない相手方に、しばしば申し上げることでもあります。それは気づかない相手方を責めるのではありません。ただ、『思いやる心』があれば、それぞれの思いが通じないことはない、それは、離婚を拒絶しているあなたも実は当時、心が離れていたのです。

 

何も言われない、何も変わらないことに慣れていただけです。それは、パートナーに対する思いやりではなかったのです。 もちろん、離婚を強いられることについては、相応の手厚い保護を受ける必要はあります。離婚を拒絶される方のほとんどは、本当は、ここまでの生活に慣れてしまい、困っていなかったので、これが変わることによる不安ゆえに、『離婚したくない』と言われるのが現実です。

 

厳しい言い方をしますが、それは愛している、すなわちパートナーを思いやる心はある、と言うのではありません。単に離婚後の不安、端的に言えば、これまでーーパートナーの苦悩に気づないでーー当たり前のように生活していたところが一挙に変わる、これが受け入れられないと言うことだと思います。

 

不安はわかります。

 

でも、正直になりましょう。

 

 

もはや愛し愛される関係にはないと言うことを。 弁護士の仕事の中で、私がいちばん大切だといつも申し上げるのは、依頼者を説得することであります。何時間も何回もお話を続けた末、説得されること、痛いことを指摘されるのがイヤだとされる方は、弁護士福本悟のご依頼者にはおられません。

 

そんなとき、ご依頼者から、「先生が相手方の代理人だったら、より良い解決がーー相手方のためにもーーできたのに…、と言われることがあります。これは、相手方には説得する弁護士、首に鈴を付ける弁護士はいなかったと言いたいのだと思います。

 

離婚を拒絶し続ける方こそ、どうぞ福本悟に、あなたのしあわせのため、お仕事をさせて欲しいと思う今日このごろです。

駅と駅の間に、電車が止まることがないようにするための方策は?

2016年1月28日
テーマ 

西日本九州地方が記録的な降雪に見舞われた翌日は、さらに列島を覆い尽くすように上空に寒気が入り込んだ影響で、朝からこの冬いちばんの冷え込みとなった場所が多く見られました。

 

前日沖縄県を除く西日本の県庁所在地は、最低気温がマイナスでしたが、晴天が続く東京都心部でも、翌朝の最低気温は零下2.6度まで下がりました。私の家の前は、1週間前の雪の跡がまだ残っておりますが、周辺の地面は、連日霜が降りているのです。 それでも東京は、冬は晴れの日が多いので、乾燥してインフルエンザ等には注意が必要ですが、日々の生活にモロに影響することは避けられます。

 

だからたまに雪が降ると、一溜まりもないのでしょう。福岡市で零下4.4度、鹿児島県伊佐市で零下15.2度等、九州を中心に、全国49の観測地点で最低気温が史上1位を記録したこの日、東京では、またこの冬降雪があったら交通機関はどうなるの?の意見が、ネット上で闘わされていました。それは、1週間前に大混乱を引き起こした鉄道各社の『間引き運転』の是非です。 都心部に降雪があった日は、週明けの月曜日であり、報道では前日から、交通機関の乱れが予想されていました。

 

何時もよりかなり早めに家を出た人が多い中、勤務先まで4~5時間かかったとか、もう夕方近くになっていたなんて聞かされました。特に東急電鉄と京王電鉄では、途中駅に入場規制がしかれるなど、ほとんど夕方まで混乱が続いたと報道されました。雪が降らなければそうならなかったと言ってしまえば『雪のため』なのでしょうが、直接の原因は、『間引き運転』だと言われます。

 

もっとも、雪に強いと評判?の京王線は、実は倒木と架線切れで、ほとんどの車両が車両基地を出られない状態に陥っていたことが問題でした。以前この『ひとりごと』でもお話ししたと思いますが、間引き運転のようになったのは、降雪が直接の原因とは言えないでしょう。実際京王線のある駅では、「車庫内の断線と倒木の影響で、ほとんどの電車が車庫線で眠ったままの状態です。」とアナウンスされたと聞いています。

 

間引き運転が計画的に行われるのは、大雪等の影響で、正常運行ができなくなって、駅と駅の間に長時間電車が停車するような事態を避けるためになされるのです。 鉄道専門家によれば、積雪量6センチの状態では、運転が不能となるような降雪量ではないとのことです。早めのブレーキ、乗降時間の延びが生じたとしても、間引き運転までしなくてもの意見があります。もちろん一定量の降雪となったら、安全性に関わることであって、間引き運転ではなく、『運転見合わせ』にすべきは当然です。

 

ただですら混時間帯なのに、電車の運転本数を減らしたら、始発駅近くで満員になり、いくら待てども満員電車に乗れませんとなるのは道理だと思います。それで暴動でも起きたら、またしても責任論が噴出するのではないでしょうか。 間引き運転する意味は、駅間に長時間電車が停車する事態を避けるためです。一般的に、鉄道各社は、駅の数とほほ同じもしくはやや駅数を越える電車数を線路に出していると言われます。

 

そうであれば、仮に駅間に停車することが避けられない場合には、停車中にその可能性をきちんと説明して、乗客の『降車の権利』を保障する、そして、万一駅間で具合の悪いお客さんなど出た場合には、前の駅に停車している先行車に、例えば『半分』でも駅から出てもらって、後方の車両を『半分』でも駅に入れることはできないものかと素人は考えてしまいます。よく言われるのは、まだレールに雪が積もる程度にまでいかない場合には、凍結防止のため、線路を使用したほうが良いと言う見解です。危ない状況、かなりの降雪になれば、運転見合わせとすべきです。

 

でもいちばん大切なことは、雪に弱い首都圏を熟知している我々は、こんな日は、外に出ないことだと思います。多くの人が街に出て、電車に乗ろうと駅に押し寄せる、それ自体危険ですし、緊急事態に陥った方々の救出援助等、本当に雪でも動く必要がある状況の妨げとなる可能性さえあると思います。私立学校等は、安全面から、前日に休校の決定することが見受けられます。

 

降雪により間引き運転が予想される日は、学校も職場もお休みにしましょう。こんな日に出勤しても、良い仕事はできませんよ。さて、今後も首都圏には降雪があるでしょうか?

 

「センテンススプリングありがとう!」って思える人と思えない人

2016年1月27日
テーマ 
2016年は未だ始まったばかりですが、今年の流行語大賞の候補だとネット上で交わされているのは『センテンススプリング』があります。

これは、奥さんがいる音楽バンドのボーカルとお友だちになった女性タレントが、ふたりがあたかも不倫関係ではないかと報じた週刊誌に対して、感謝のあまり叫んだ言葉だとされています。実際件の女性タレントが、そんな発言をしたかどうかはともかく、これを生み出した感性に、巷では賞賛の声があがっているようです。

『センテンススプリング』とは、『文春』と言う週刊誌を意味するそうですが、時を同じくして『文春』に記事が掲載された方がおられます。それは、安倍内閣の経済再生大臣ですが、なんでも秘書、そしてご自身が、約1.200万円を建設業者から受け取ったが、政治資金収支報告書には、それに沿う記載がなかったそうで、違法な行為をしたのでは?と指摘されているものです。

このお方、センテンススプリングのお友だちとされる男性ボーカルのファンらしく、今月から運用が開始されているマイナンバー制度をアピールするため、この男性ボーカルが歌う曲の替え歌を披露したとお聞きします。私は、このグループも、楽曲も全く知らなかったのですが、報道されたところでは、

「私~以外 私じゃないの〜 あたりまえだけどね だ•か•ら マイナンバーカード!」って、この大臣、ずいぶん楽しそうに、自信を持った調子で歌いあげたそうですよ。

ところがこの大臣、ファンかお友だちの男性ボーカルが、「ありがとう!」って叫んだ文春から、先に挙げた内容の記事を書かれたわけですが、どうやら「ありがとう!」って言わないようです。

現在のところ、ご自身が、記事のように、現金500.000円を2回にわたって受け取ったかどうか記憶かないそうです。だからハッキリと「ありがとう!」と言えないのでしょうかね。それで、国会で、このことの釈明を求めれたのに対しては、しっかり調査して説明責任を果たすと述べられたのでした。

この衆議院議員である大臣、お金を受け取ったかどうかは現在記憶がはっきりしないと仰って、1週間以内に、調査結果を説明すると述べました。現在記憶がはっきりしないけれども、今後記憶が戻るようです。でも、現在でもこの大臣、「自分のことで、法に触れるようなことはしていない自信はある」と断言しています。記憶がないのにそんなこと言って大丈夫でしょうか?じゃあ、記憶がないなんて言わずに、事実はないと明言すれば良いと思うのですが……。

このかっこいいセンテンススプリングなる言葉を世に発したことになっている女性タレントのお友だち、この人の楽曲は、この大臣のお仲間も、気に入っているようです。なんでも大臣にお金を渡したとをセンテンススプリングこと『文春』に喋った建設業者は、「ゲスの極み。まさに『両成敗』という形でたださなければならない」と言うのが、大臣が所属する政党の有力者のご見解でした。

でもねえ。『両成敗』は、どっちもどっち、くだらない、それこそゲスと評されるようなことをやっている両人に対して、第三者が言う言葉ではないでしょうか?この大臣のお仲間の有力者、同じ与党に所属しているのです。与党は庇うのではなく、両者を成敗することを決めたのですか?こんな発言をしたからには、大臣は国会議員を辞め、ゲスの会社は閉鎖倒産でもしなさいと言うことでしょう。


こうして辞任した大臣は、お友だちのように、「文春ありがとう!」って言えるでしょうか。

 

「記憶にありません」ので、これから『調査』することになるのでしょうか?

2016年1月26日
テーマ 

昔、国会の証人喚問で、「記憶にございません」が繰り返されたことがありましました。

 

これは、昭和51年初めに発覚した『ロッキード事件』が契機でした。法令に従って宣誓した証人が、自己の記憶に反する事実を述べると偽証罪に問われる可能性があるからです。自己の記憶とおりに証言すれば、たとえ客観的事実に反していても、偽証罪にはならないのです。

 

私たち弁護士は、法廷で、証人尋問を行うことがあります。証言とは、事実を述べることであり、証人の主張や見解を意味するものではありません。国会中継では、しばしばイライラする光景を目にするかと思われます。

 

それは、証人は、知っている、経験した事実だけをその記憶とおりに述べればよいのに、ときに弁明を、ときに自己主張を交えて述べ、また、尋問する側も、自分たちの期待した、筋書きとおりの答えが欲しくて、「こうでしょう」「こうなりますよね」「それ、おかしいんじゃないですか」なんて証人に議論を吹きかけることが見受けられるからでしょう。

 

実際の法廷でも、相手側の証人や本人の証言を聞いていると、「嘘ばっかり!」と憤慨される例です。私はもう慣れっこで、全然驚きません。なんとか嘘の証言を崩そうとして、反対尋問で、「あーでしょう。こーでしょう」とやれば、「違います」の一言で、証人の証言を固めてしまうのです。 そんな経験からでしょう、私たちの先輩は、「いちばん良い反対尋問は、反対尋問をしないことだ」と言われました。

 

これはもっともだと思います。

でも、依頼者からすると、真実ではない証言が延々と続き、自分の弁護士が、何もしないのは、やはりストレスとなるでしょう。私は、相手側の証人には、法廷で、堂々と嘘を言わせるのだと申します。好きなように喋らせて、明らかに不合理、客観的にあり得ない事実を述べさせると良いのです。 証人は、特に反対尋問には、最初緊張しております。そこを好きなように、それどころか証人を持ち上げるような対応をすると、ついいい気になって、やり過ぎるのが人間の性です。

 

やがてやりとりを聞いていた依頼者も、何が行われているかわかります。もちろん裁判官は、証人の全証言、証言態度から真実を見抜きますーーと信じておりますが。 そうは言っても、30年以上の経験をしても、まだ私は、「反対尋問しない」勇気はありません。これもよく言われるのですが、「決定打は1個で良い」のです。長い証人尋問で、たったひとつ「これだ!」となる決定的な証言を引き出せば、流れは一気に変わります。

 

これは、きさらぎ法律事務所のホームページのあちらこちらで書いておりますが、裁判官には、『心証の雪崩れ現象』があるのです。

 

ある事柄で、0から100に変わるのです。 ですから、決定打を取ったのに、欲を出して、あるいはさらに固めようと思ってやり過ぎると、効果は萎んでしまいます。決定打を取ったとき、件の証人は、それに気づいていないことがほとんどです。そこで止めておけばよいのに、さらにグダグダやると、気づかれてしまいます。

 

それで、さっきのは勘違いとか言って、落ち着きを取り戻してしまいます。 私が実際の証人尋問で何を心掛けているか、どんなやり方をしているか、関心はおありでしょうか?これは反対尋問のときだけではなく、相手方とやりとりするとき、「こんなふうに臨むのだ」と依頼者に申し上げるところに通じます。この『ひとりごと』は、同業者や依頼事件の相手方は、ご覧になっていないと判断して、少し種明かししましょう。

 

このことは、依頼者もしくは依頼者側の証人に、反対尋問への対処を指導助言していて気付いたことであります。反対尋問に対する答えは、『Yes』『No』『知らない』しかありません。私から先に行う主尋問で、「Aです」と証言したのを、反対尋問をする側は、「AではなくBです」と言わせたいわけです。ここから反対尋問者は、「こうでしょう」の質問となりがちです。

これに対して証人は、「Aです」と答える。つまり、反対尋問に対しては『No』の答えとなります。また、「あーでしょう」「こーでしょう」とたたみ込まれ、枕詞として、誰誰はこう言っているとか、何何なんだけど等言われたら、「知りません」で良いのです。このような反対尋問がなされ、このとおり証人が対応することで、先に述べた主尋問を固めてしまうことになります。 クイズ?が好きな方は、それでは福本悟は、どんな反対尋問をやっているのか、しようと心掛けているのか、答えが見つかったのではありませんか?そうです。

 

「YesともNoとも答えられない質問」をすることです。

 

これはなかなか難しいです。ですが、反対尋問を受ける人が、全て真実を述べているのではない限り、必ず出てくるはずです。もちろん事前に主尋問での答えを想定して準備はしますが、実際の法廷では、良くも悪くも準備やシナリオとおり行きません。その場の判断で即決対応となります。 でも、事実はひとつしかありません。それがYesともNoとも答えられないのはおかしいのです。なぜなら、これもしばしば申し上げるとおり、『事実は変えられない。事実と違うことをやり通そうとすると、必ずどこかに無理がくる』からです。

 

そして、経験した事実に関して、しかも直前の主尋問で答えた事柄に関連して「知らない」はあり得ないのです。これまでの幾つもの法廷経験で、あんな例、こんな例はありますが、具体的な事件が想定されたり、また、『こんな例』を覚えられてパクられたらイヤですから、これ以上は差し控えます。 さて、安倍内閣の経済再生担当大臣に便宜を図ってもらうため、千葉県内の建設会社が、大臣や秘書らに総額1.200万円を渡したとの記事を掲載した週刊誌が発売されたようです。

 

衆議院議員であるこの大臣の政治団体は、政治資金収支報告書には、1.200万円までの記載がないとのことで、仮に職務に関連して交付されたものではなかったとしても、この件は、政治資金規正法には違反するでしょう。この1.200万円のうち2回、各金500.000円は、直接大臣に手渡しされたと書かれているとのことです。これに対して大臣は、未だ週刊誌は見ていないとした上で、「調査して国民に説明する」と述べました。これは、先のとおり直接大臣に交付されたのですが•••の質問に対してなされたものです。

 

ちょっと待って!コレおかしくありませんか。何をこれから調査するのですか?だって週刊誌は、大臣に対して直接現金を手渡ししたと言っている人がいると書いているのですよ。自分が経験したことだけを述べれば良いのです。つまり、「Yes」か「No」のどちらかしかありません。自分のことですから、「知らない」はあり得ませんね。

 

あっそうか!「記憶にありません」これで行こう!あのロッキード事件の証人尋問が思い出されます。 これまで『政治とカネ』にまつわる疑惑に関して、政府与党が、関係したとされる人の証人尋問を避けようとしていることもわかりますね。

 

宣誓した証人が、記憶に反することを述べたら偽証罪になります。記憶にあるのに「記憶にありません」もアウトですから。

 

高齢者は低所得かもしれませんが、資産もないと言うことですか?

2016年1月25日
テーマ 

今月開催された通常国会では、現在参議院予算委員会で、補正予算の審議がおなわれました。

 

この予算、ポイントは、今年の参議院議員通常選挙の前に、所得の低い高齢者向けに、一人当たり30.000円を配布すること、そのために不足する予算約36.000億円を、国家予算に計上すると言うものです。

 

既に衆議院予算委員会では可決しており、予算については、憲法上衆議院の議決が優越しますから、結局のところ、衆議院で与党が過半数どころか『絶対安定多数』の議席を保有している以上、参議院でなにをしてもダメは、決まっているのです。でも、野党は、このいわゆる低所得高齢者給付金に関する問題について、広く国民に知ってもらおうと、それなりの努力はしていると言ってあげてよいでしょう。

 

国家の歳入の3分の1が国債であり、国の借金は減らないのに、どこにそんなお金があるのでしょう。この給付金が選挙目当て、と言うよりも、つまるところ参議院で3分の2の議席を獲得して、なし崩し的に憲法を変えてしまおうとする目論見の一環であることは、多くの人はわかっています。低所得層と言いながら、『高齢者』を対象とするところがミソですね。日本の富の約7割は、『高齢者』が保持していると聞いたことがあります。

 

振込詐欺に遭うのも高齢者ですね。高齢者は、資産は保持しても消費はしません。相続税の軽減のために、孫への贈与を優遇しても、それは消費とは言えません。私は、必ずしも消費を起こすべきだとの論調に、賛成するものではありませんが、かの消費税増額によっても消費は起こると言う主張さえある中、この給付金によって、経済は活性化するのでしょうか。 この給付金は、『下流老人』の世相に、上手く乗っかったと思います。下流老人と言われる方々は、要するに、明日の生活のお金に事欠いているのです。

 

低所得とは、文字とおり『資産』ではなく『所得』を意味します。高齢者のうちどれくらいが、課税される所得がおありでしょうか。年金生活の方がほとんどだと思います。ちなみに私の父は船員として勤め、一人になった母には、年間300万円くらいの年金が支給されます。

 

しかし、母は非課税です。これには私自身驚いています。要介護5で施設で生活する人間にお金を配っても、何に使うと言うのでしょう。 以前『定額給付金』が、子育て世代を中心に配られたことがありました。これは家計を楽にして、消費を起こす目的とされましたが、参議院予算委員会で、この給付金の7割程度は使われなかったとの答弁がありました。

 

それでは今回の高齢者定額給付金については、調査し統計を取るのかの質問に対して、「する予定はない」とのことであります。何らかな新たな試みがなされた場合、これの成果を追うのはごく当たり前になされてきたことだと思いますが、何を意味しているかわかりますね。もっとも、安倍晋三内閣総理大臣は、「高齢者のほうが消費は活発だ」と述べたと報じられていますが。 消費を生んで、将来の投資にするのであれば、一例として野党が挙げた奨学金の給付制は、意味があるかもしれません。

 

私立大学に通った私は、国公立大学は、授業料はほとんどタダだと思っていたのですが、現在は、平均して年間54万円くらいかかるのだそうです。

そして、この予算委員会で議論されるほんの数日前に、あるテレビ番組で、今後も国公立大学の学費は上がるいっぽうで、数年後には年間100万円になる、その場合、国公立と私立で違いがなくなり、奨学金受給者は、在学生の半数に達すると言う数字が出されていて、驚いたばかりでした。こうして若者は、借金からのスタートを余儀なくされるのです。

 

以前この『ひとりごと』でも取り上げた記憶がありますが、欧州では、消費税20%なんて言われますが、学校も医療も無料です。最近ある出来事で、尾木ママこと尾木直樹法政大学教授が、教え子たちが、『世界一子どもに優しい国』と言われるオランダの福祉教育制度を学んできたことが報じられたばかりです。

 

だいたいOECD、経済協力開発機構のメンバー34カ国のうち、日本は、教育への公的支出は4年連続最下位で、大学の授業料が有料で、奨学金の給付制を採用していないのは日本だけなのです。もともと日本は、若者に冷たい国のようですが、数々の先送りをして、次世代に巨額の債務を付け回してもいるのです。

 

まあ、内閣総理大臣によれば、先の日韓慰安婦問題では、「後世代の子らに、謝罪し続ける宿命を負わすことはなくなった」とのことですが。 参議院予算委員会で、内閣総理大臣に対して質問した野党議員によれば、今回の選挙直前に配布する3.600億円、これを国公立大学に通う学生の授業料に回せば、全て無料になると指摘しました。

 

私立大学出身で、息子2人も私立大学に通わせた私からすると、遡及効なく不公平?と思われなくないのですが、本当に将来を見据えれば、検討に値する提案だと思います。

 

一気に奨学金の給付制は無理だとしても、ひとつひとつ一歩一歩です。現在の世代、そしてこの方々が圧倒的に支持した政権により、巨額の負債を背負われた次世代の人々は、せめて自分は借金をしなくて済む世の中であることを願いたいでしょうから。