いつも思う、『強い国より優しい国』

2015年6月25日

千葉県のある市で、県営住宅から明渡しの断行をされる日に、中学生の娘を殺害したとして起訴された母親に対する裁判員裁判の判決がありました。

検察官の求刑懲役14年に対して、懲役7年の判決です。刑の執行が猶予されるのは、懲役3年以下ですが、この事件で弁護人は、執行猶予付き判決を求めていたと伝えらました。

 

報道されたところでは、この刑事事件、事実関係については争いがなく、専ら被告人であるこの母親に対する情状面が、審理の対象だったようです。

報道されたところの事実関係は、次のとおりです。

被告人は、婚姻した夫が借金を抱えていて当初より生活は苦しく、離婚後も、そのために負担した借金の返済を続け、仕事の収入は月10万円少々で、しかも公立学校の給仕のため、学校が休みのときはほとんど収入はなく、公務員に準じるため副業はできず、やがてヤミ金から借り、月額金12.000円の県営住宅の家賃の支払いができなくなって、県から賃貸借契約を解除されて明渡しを求める訴訟の判決が確定し、この間、市役所の福祉課に赴いたものの生活保護は受給することなく、ついに裁判所執行官が明渡しの断行に来た日、娘を殺して自ら死のうと思って殺害に及んだと言うものです。

 

発見時被告人は、殺害された娘さんの手を握り、呆然としていて、その周りには、数日前の中学校の楽しい思い出の記録が、残されていたと言うことでした。

最近の殺人事件で、裁判員裁判の判決の量刑が重いことを理由に、高等裁判所で破棄されることがあり、これでは裁判員裁判の意味がないとの批判がなされています。私も、裁判員裁判の判決が破棄されるような事態が続くようなら、そもそも裁判員裁判の制度そのもの見直しが必要と思います。裁判員になり、審理に関わることの負担は、想像を絶するものがあると思います。

 

国民に負担をかけてなんだ!と言うことだと思います。 今日は、裁判員裁判のことを言うのではありません。この刑事被告人、刑務所に行かなければならないのでしょうか?行刑の目的が、応報であれ教育であれ、また、巷間言われように、『被害者は納得しない』を取り入れるならばなおさら、この被告人を、懲役7年にすべきなのでしょうか? 私が司法修習生だったころ、もし、求刑の半分以下の判決になったら、検察官は控訴すると聞かされたことがあります。

 

それは、だから求刑よりせいぜい7かけにしておく、半分以下にしたら、『あの裁判官はおかしい』と噂され、裁判官の成績に影響するような意味が含まれていたと感じられ、『嫌だな』と思ったことがあります。

 

裁判員裁判なら、そんなことにならない期待はあります。 この事件、判決では、本件に至ったことについては、被告人のみの責任とすることはできないと量刑理由を述べています。

 

それでは誰が責任を問われるべきなのでしょうか。月額金12.000円の県営住宅の家賃を2年間支払っていないことに、県は『おかしいな』と思わないのでしょうか。

 

市役所の福祉課に生活保護に関して訪ねて来た人間について、『申請がなかった』なんて、子どもの使い(反対か)じゃあるまいし……。

以前『水際作戦』なんて隠語が囁かれていたことがありました。

 

覚せい剤が密輸される事態を水際で止めることを言うのではありません。自治体の福祉課に来た人に対して、生活保護の申請を受付しないで帰らすことを意味します。

 

私もかつて債務を抱えて法的対処をすることになった依頼者の方が、生活保護の申請をした際、担当者から、働きなさいはまだ序の口、やがて『市民のためにやっている。市民の理解が得られない。市民の税金が使われる……。』を言われて追い返されたことがあり、『思い切り』言い返してやったことがありました。

 

ホント偉そうにです。市民にこんな仕打ちをする職員に対して、市民の税金が使われるのかと言うことです。

この刑事事件、被告人となったお母さんが刑務所に入ることを、『被害者』となられた娘さんは、望まれているのでしょうか。

こんなとき、日頃声高に言われる『被者のため』が聞かれないのはなぜなんでしょう。

 

昔、自分の子どもに手をかけた親が、執行猶予判決を受けた事例はありました。そんなケースは、多くの人々から嘆願書等が提出されてもおります。

この刑事事件は、どうだったのでしょう。被告人は、誰も相談する人がいなかったなんて報じられていました。もし、そうだとしたら、それこそが、被告人の責任だとなるのでしょうか?県と市の縦割り行政なんて言い訳になりません。

 

シグナルは、幾つもありました。地域、自治体が、積極的に包み込んで差し上げるべきなのではありませんか。 日本弁護士連合会は、毎年人権擁護大会を開催しています。千葉市で今年10月に開催される第58回大会では、『母子家庭における子どもの貧困ーその原因と実効的施策を考える』がテーマとされています。

 

私は、母子家庭で頑張っているお母さんをたくさん知っています。頑張りすぎと感じることも多いです。

 

このお母さんたち、自分の努力だけでは子どもは育てられないと仰います。もちろん謙遜が含まれてはおりますが、周りに相談できる人や機関があり、サポート体制があるのです。

 

さて、本件刑事事件の被告人について、私は、懲役7年は重すぎると感じます。

 

執行猶予は厳しいのかもしれないが、実刑であっても7年は……と思います。裁判員裁判になって、死刑判決が増えていることはよく知られているーーもっとも、マスコミはほとんど触れないーーのですが、本件を知り、やはり裁判員裁判になってから、量刑は重くなったと実感します。

 

この事件は、一地方で起きた悲劇です。街のあちこちで、『地方創生』とか、『地方から』なんて書かれた与党のポスターが目につきます。安倍晋三自由民主党総裁が、胸の前で手を合わせたポーズを撮っています。

 

今、国会では、何がなされようとしていますか?ホント、『地方創生』のポスターは、ボーズなんだなと思ってしまいます。日本国民隅々まで、見てよと言いたいです。

アビスパ福岡の試合中に起きたことに関して

2015年6月24日
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昨年の衆議院議員総選挙後に政界を引退した大物政治家は、「シナ」「アメちゃん」などの発言で知られ、女性を「ババア」と言ったとして、女性たちから民事訴訟を提起されたこともありました。

 

また、大阪都構想の応援演説で、与党の有力議員が、「バカでもチョンでも」と述べたことを、直ちに撤回して謝罪しました。

 

これは、差別用語と受け取られるかおそれがあるからです。 今、汚職問題で揺れてはおりますが、FFA国際サッカー連盟は、サッカーでの人種差別を厳しく対処します。選手のみならず、サポーターであっても、差別的言動をした者、グループに対しては、出場入場禁止等の措置が執られるのです。

 

この国際的流れを受けて、最近では日本でも、『JapaneseOnly』の横断幕を張ったJリーグサポーターらが、処分されたことがあります。

さて、6月6日、私は、福岡市をホームタウンとするサッカーJリーグ第2ディビジョンに属する『アビスパ福岡』の試合を、本拠地レベルファイブスタジアムで観戦しました。

 

この試合、いつものことながらアビスパ福岡は押され気味でしたが、後半セットプレーのワンチャンスをものにして1対0で勝利しました。

高い位置から観戦していたので、ロスタイム4分が早く過ぎろと思い、審判が時計をチェックしていたシーンが、良くわかりました。 この試合、アディショナルタイムの最後のところで、アビスパ福岡のFWの選手の前にボールが転がり、相手GKと1対1となり、まさにシュート!と思った瞬間試合終了の笛が吹かれ、アビスパファンは苦笑したものでした。

 

アディショナルタイムが終了する直前に、コーナーキックとか1対1のシーンになったときは、そのプレーが終わるまでは笛を吹かないと言う暗黙のルールがあるのだそうです。

しかし、当日私は気づかなかったのですが、アビスパ福岡によれば、この試合の最中、この日主審を務めた審判は、決して苦笑では済まされない差別的言動をしたと言うのです。

 

選手らから報告を受けたアビスパ福岡は、試合終了後マッチコミッショナーに抗議したものの、当の審判本人がこれを否定したことから、近日中に、Jリーグに意見書を提出することになったと報じられております。

 

アビスパ福岡によると、問題のシーンは後半35分、接触プレーで倒れたアビスパ福岡の選手に対して、主審が、「Are You OK?」と英語で質問したところ、この選手が、「大丈夫です」と日本語で答えたので、「なんだ、お前、日本語話せるんだ」と嘲笑しながら応じたと言うもので、やりとりを見ていたチームメイトが、「審判、それはないでしょ」と言ったところ、「後で謝る」と答えたものの、謝罪はなく、マッチコミッショナーからの聴取では、当の審判は、このような事実そのものを否認したと言うものであります。

 

英語で?話しかけられたアビスパ福岡の選手は、ドイツ人の父と日本人の母を持ち、日本で暮らし、J1を含む日本でのプロサッカー選手歴は短くなく、この審判のように、長くJリーグで審判を務め、まして海外での審判歴があるトップチームの試合を担当する審判が、この選手が日本国籍であり、当然日本語を話せることを、知らぬわけがありません。

私としてはあまり言いたくないところですが、この選手の兄は、日本代表として海外でプレーしているのです。確かに外形、髪の色等は、生粋の日本人とは見えないのかもしれませんが……。

だからと言って。 私は、2つのことを申し上げたいと思います。

もちろん私は、その場面を見た(正確に言えば『気づいた』』わけではありませんが、事実の信憑は、合理性の有無でかなり説明が可能と思っております。

 

アビスパ福岡側が、『こんなこと』で嘘をつき、『こんなとき』に問題提起なんてする合理性があるのでしょうか?

複数の関係者が、勝った試合の主審を務めた審判を、陥れることをするだろうかと言う疑問です。

この部分、よく『浮気の証拠はありますか?』の質問でお答えするところです。そうだとすると、これもいつも申しますとおり、『事実は変えられない』と言うことを、この審判に対しては、申し上げたいのです。

ふたつめは、リスペクトの精神なくして世の中の平穏は成り立たないと言うことです。

かつてサッカー4級審判の資格をいただいた時期もある私は、講習などで、リスペクトの考えを強く教えられました。

今自分がサッカーができるのは、家族指導者、相手チーム、審判、ボールやベットボトル等多くに支えられているからであり、これらに対して感謝しなければならないと言うことであります。審判が居なければ試合は成り立ちません。

ですから私は、審判に対する抗議、まして暴言は認めることができません。決して審判を尊敬しろとまでは申しませんが、ある意味試合での主役、存在なくして試合は始まらないないのです。それなのに、審判が、最もリスペクトに欠ける言動をするとは。

 

このことは、今の日本の政治、特に外交問題にも言えることだと感じます。

 

かつての日本は、『植民地支配と侵略戦争により、アジアの諸国民に、多大の苦痛と損害を与えた』事実を認め、これらを痛切に反省して平和憲法のもと、世界各国から尊敬とまではいかないとしても、国際社会において、それなりのポジションを得られたことは否定できないと思います。

 

ところが、このかつての『お詫び』が間違いであるかの風潮が現れております。

 

それどころか、先の大戦は、アジアの植民地化を阻止するためのものだった、日本が統治した国には、戦後日本流の教育、文化等が残され、それぞれの国の発展に寄与した、その後日本を習って独立した国もある等等です。

 

そのような見方があることは、わからないではありません。また、各国に、日本の名前を使用した建物や、日本人の偉業を讃えた記念碑等があることもまた事実です。かの国々の方々が、このように思っていただけることは、誠に有難いことです。

ですが、日本のほうから、「良いこともした」「これからは未来志向で行こう!」と言うのはどうなんでしょうか?まず、かつての行為を謝り、許しを得たことから全ては始まると考えます。

 

これに感謝するがゆえに、相手国も、日本を認め、良いところを学び、尊敬もされるのではないでしょうか?

東日本大震災のとき、世界各国が、特にアジア諸国が挙ってその復興を支援されたのは、このような『戦後の歴史』があったからではないでしょうか?リスペクトすなわち感謝は、思いやりに通じます。

 

そんなふうに考えろとき、先のアビスパ福岡戦の主審を務めた審判と、何処かの国の宰相とが、オーバーラップして見えてしまいました。

盲導犬が、ホテルに宿泊拒否されたとの報道に寄せて

2015年6月23日
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先月、北海道のある都市で開催が予定されていた道内の視覚障害者らの卓球交流会が、盲導犬同伴で宿泊できるホテルが見つからないとして中止となったことが明らかになりました。

なんでも、会場近くの3軒のホテルは、盲導犬同伴の宿泊について、これを拒否または即答を避けるなどしたため、主催者側が宿泊先確保を断念したからとのことであります。

 

2002年に施行された身体障害者補助犬法は、公共施設や不特定多数の人が利用するホテルなど民間施設に対して、盲導犬の同伴を拒むことができないことを明記しています。

実際に、『犬』が宿泊したら著しい損害が発生すると予想できるものでもないのに、ホテルの対応については、批判的な意見が多い感じです。 都会におりますと、駅構内、電車の中、さらには百貨店等でも、目の不自由な方が、盲導犬と一緒にいる姿を見かけます。我が家にもわんこがおりますので、盲導犬『偉いな』と思います。

でも、犬に慣れない人が少なくないこと、また、アレルギー体質の方がおられることも事実です。ちなみに、家族の一員としてわんこ3頭と一緒に暮らしている私ですが、誠に恥ずかしながら、『ネコアレルギー』なのです。喘息のような症状がでるので、ネコの居る家には行くことができません。 大会が中止に追い込まれたこの都市には、ホテルが3軒しかなかったのかどうかわかりませんが、ホテルの対応を非難するだけでは、なんかおかしいのでは?と感じます。

 

この交流会は、今年が初めてではなく、道内の都市を巡回してこれまで開催されてきたと言うのですから、こんなことになったのは、何かしら他の要因もあったのではないでしょうか。

 

ホテル業を営む側は、全く補助犬法を知らないはずがありません。

私が気に入らないのは、『こんなこと』が発覚して全国ニュースになった途端、この自治体は、市内にある宿泊施設に対して、補助犬法等を説明し、理解を求め、盲導犬に関する冊子を配布するなどして、再発防止に努めると発表したことです。

 

要するに、『こんなこと』が起きて、ニュースになると、「真面目にやっております」とアピールするがごときであります。

 

いつか福岡市の教職員について、外での飲酒自粛の話題にも触れましたが、なんか自治体って、人気取り、わざとらしいところがあるなと感じるのです。 そんな人間界の意図目論見に関係なく、盲導犬は、主のため黙々とその務めを果たすのです。

 

犬は、人間の言葉はしゃべりませんが、人間の話、感情は理解できています。自分が愛され、大切にされているのか、単に体面や何かの駆け引きに使われているのか、見抜くことができます。

 

厚生労働省の記録では、この交流会が行わらるはずだった自治体を含む地域管内にいる盲導犬は、2頭だそうです。

 

この2頭が、ホテルに宿泊できなかったのかもしれませんが、当該自治体としては、『もっと地元に盲導犬を増やそう!』と、盲導犬に関する理解を深める活動をされてはいかがかと思いました。あらゆる場面で、福祉は重要課題です。

 

徳を失ったら「まさか」が起こる

2015年6月22日
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河野洋平元衆議院議長と村山富市元内閣総理大臣が、日本記者クラブで、『戦後70年を語る』と題して記者会見しました。

最近は、今年8月にも出されるであろう『安倍談話』は、1993年に、当時内閣官房長官として出された『河野談話』、1995年に、当時内閣総理大臣として出された『村山談話』を踏襲するのか各方面各国から、関心を持たれているところですから、歴代な日本政府の立場を確認する意味もあったのでしょう。

特に、従軍慰安婦の日本軍関与を認めた『河野談話』、植民地支配と侵略戦争を引き起こしてアジアの人々に多大な苦痛を与えた痛切なお詫びを表明した『村山談話』のそれぞれの部分を、あるいは『未来志向』なんて言葉を使って、安倍晋三内閣総理大臣は、故意に欠落させるのではないかとの懸念があることは、否定し得ないのです。

河野、村山両氏は、これら談話により、戦後日本は、国際社会から信頼を勝ち得たこと、現在安倍内閣が進めようとしている安全保障法案なるものは、憲法の専守防衛を、解釈により勝手に変えて『戦争ができる国』にするものであり、許されないと強く批判されたものです。

日本の歴代政府が踏襲してきたもの、諸外国から信頼されていたものを、なんで簡単に、かつ、早急に変えようとするのでしょうか?そんな意見を持つ国民は、「たくさんいる」と思います。

不思議なのは、与党議員は、誰も政府与党がやろうとしていることに、疑義を言わないことです。ようやくここに来て、ごく一部の与党議員ですが、反対の声の意思を表明したと、これも一部で報道されてはおりますが。

民主主義は、多様な意見を出し合って、認め合い、丁寧に決めていくシステムのはずです。反対意見を抑える、あるいは、反対を言いにくい状況になるとどうなるか、組織は内部から瓦解する危険性があると思います。
現に沖縄県では、辺野古沖移設問題で、自由民主党だった方々が、今や率先して政府の政策に反対しています。与党議員は、なんで安倍晋三自由民主党総裁に、全てイエスなのでしょう。永久に、安倍内閣が存続すると信じているのでしょうか?

河野洋平氏、村山富市氏、あるいは原発再稼働反対!を言い続ける小泉純一郎氏ら先人の意見は、今の与党議員には、なんとも意識されないようです。
歴史も政治も継続が大切、いつの間にか政治家各人に、謙虚さが失われたように感じます。

安倍晋三内閣総理大臣が尊敬される郷里長州の偉人吉田松陰先生は、NHK大河ドラマ『花燃ゆ』で、井伊直弼大老に対して、こんな台詞を吐きました。

徳川幕府が250年に渡って平穏な国作りを行なってきたのは、徳をもって政を行なったからである。
今幕府は、反対意見に耳貸さず、弾圧を繰り返している、徳を失った幕府に未来はない!


小泉純一郎元内閣総理大臣は、かつての小泉チルドレンを前に、こんなことも言っていました。

人生には、上り坂下り坂がある。しかし、もう一つ坂がある。『まさか』

さて、今、日本国民に対してではなく、アメリカ合衆国国民に先に約束して来た集団的自衛権の行使を可能とする安全保障法案が撤回され、あるいは安倍首相が、「やめた!」と言ったら、与党の先生方はどうするのでしょう。


「まさか。そんなことはないよ」と常にお考えなのでありましょうか。もっと政治が謙虚であったらと思います。

 

安全保障法案の成立を急ぐネックを排除するかも?

2015年6月19日
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先日国会の憲法審査会で、自由民主党が推薦した憲法学者、さらに自身が改憲論者であることを公言されてきた憲法学者を含む参考人として出席した憲法学者全員が、現在衆議院の平和安全特別委員会で審議されている集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法案について、『違憲』であると表明されました。

 

これを受けて開かれた同委員会で、野党議員から、「政府はいちど法案を撤回したらどうか」と質問された中谷元防衛大臣は、こんな答弁をしたのです。

 

「現在の憲法をいかにこの法案に適用させれば良いのかという議論を踏まえて閣議決定を行なった」 これには驚きました。憲法を(政府が決定した)法案に適応させるのだそうです。

憲法と法律どちらが上か、考えたことはないのでしょうか。

 

また、憲法は、ときの政治権力を縛るもの、政府(内閣)が、与党が絶対多数を占める国会に、『憲法を合わせろ!』の意図のもと、法案を提出するなんて。

法律によって憲法を変えるなんて、憲法に違反する政治が行われていることを自認したに等しい。

先日の憲法審査会での憲法学者の違憲発言に驚いた与党は、所属議員に対して、憲法に違反するかどうかは最高裁判所が決めることなんてペーパーを配布したと報じられています。

これまた憲法を理解していないと言わざるを得ませんね。

最高裁が違憲を言うまでは、どんな法律や政策も違憲ではないと言っているわけです。

誰がそう言っているのでしょう。

それは、憲法上憲法尊重擁護義務が明文で課せられている国会議員、国務大臣等ではありませんか。であるがゆえに、これまでは、現憲法に縛られるのがイヤな見解をお持ちの方々は、憲法改正を訴えてきました。

この憲法では、個人がいかなる思想信条を持ち、それを表現する自由が認められているのです。 先の総選挙で、『早急な安全保障体制を整備する』とマニュフェストに明記して、国民の圧倒的多数から支持を受けたと言う政府与党は、最高裁が憲法違反と判決する前に法律を変え、これにより憲法も変えてしまうようです。

 

しかして、そんな本音を言ってしまった中谷大臣は、ある意味真面目な方だと思います。

中谷元氏は、もと自衛官ですが、加藤紘一氏や、宮沢喜一氏ら自民党の中でも『リベラル』とされる政治家の秘書を歴任し、現在は、ーーかつてはか?ーーもっともリベラルと思われていた谷垣禎一自由民主党幹事長の勢力に属しておられますから。 思わす与党政治家として本音を言ってしまった中谷元氏は、過日の沖縄那覇空港の自衛隊機による管制無視による『あわや大惨事か』の責任を取って、更迭なんてならないでしょうか。

 

そう言えば、年金に関連した個人情報の流出に関連して、中谷大臣は、防衛省は大丈夫との答弁をしていましたが、こんな時期に『そんなこと』をしているのは、なんかこの際防衛大臣をなんとかしろ……!の声が、何処かから出ているのでは?の見方をする人もいるのではないでしょうか?

 

『武力行使と武器の使用の違いがわからないんですか!』と発言して謝罪した中谷氏ですが、こんどは、立憲主義、憲法尊重擁護義務に関して適切を欠く発言があったとして、なんとかのなんとか切りによって、またしても謝罪する羽目になったとして辞任なんてならないか、真面目な中谷大臣に代わる大臣のもと、安全保障法案が審議されるのではないか、『心配』しております。