惜しまれつつ引退するブルートレインに寄せて

2015年1月22日
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今年の冬は、寒波に見舞われることご多く、既に12月の降雪量新記録のなった地域が幾つもありました。1月に入って本格的な冬の到来となり、北海道北陸東北地方を中心に、交通機関の乱れが続いております。1月第3土日となった17日と18日も、北海道新千歳空港は、滑走路閉鎖が続いていると報じられました。

 

航空機は、滑走路が閉鎖されたら離陸、すなわち出発できません。空港で夜をあかす乗客が出てしまいます。私も以前、鹿児島空港からの羽田空港行き最終便が欠航となり、空港での酒盛りを経験したことがありました。

 

鉄道はどうでしょう。出発したときは何も問題なかったのに、途中て天候悪化のための動かなくなることはよくあると思います、特に、東海道山陽新幹線は、東京博多間1000キロ以上を走行します。当然停車駅の間は長いです。途中で止まってしまったら多くの影響が出るでしょう。もし、車内で缶詰になったら………の恐怖から、私は、航空機で行けるところは極力航空機を利用するのです。例えば、大阪伊丹、小松、山形も航空機です。新幹線に乗車中、何かの『空きカン』ばかり増えることを回避する事情もありますが。

 

ところで、札幌と大阪を結ぶ日本一長距離列車『トワイライトエクスプレス』が、大雪のための16時間遅れたが、終点大阪駅まで『完走』したことが報じられでおります。1月6日に札幌駅を出発したトワイライトエクスプレスは、発達した低気圧による大雪等の影響で、秋田駅や村上駅、直江津駅等で食料飲料等を補充して、約16時間遅れた2日後の8日4時47分に、大阪駅に到着したのだそうです。因みに、トワイライトエクスプレスは、鉄道ファンらから惜しまれつつも、本年3月12日に運行を終了する豪華列車です。

 

これだけ遅れたながらも、ほとんど乗客からは文句は出なかったそうです。むしろ、なくなってしまう列車に、長時間乗車できて良い思い出ができたと言った声も聞かれたそうです。途中の長岡駅等からは、新幹線への振り替えも勧めらたけれども、ほとんどの乗客は、そのまま乗車し続けたそうです。

 

これを聞いて元鉄道少年だった私は、反省いたしました。列車内に閉じ込められる危険性があるから新幹線はイヤだとは………。最近なんでも早くやれ、早いことが有能であるかの風潮が感じ取れます。のんびりとゆっくりとは違いますね。心に余裕がなければ、良い仕事は出来ないでしょう。早くやれと急かされてイライラし、また、競争相手に勝つことだけを目標にするようになったら本末転倒でしょう。

 

もう姿が見られるのはあと僅かとなったブルートレインに乗車して、ゆっくり『大切なもの』を考えてみたいと思います。

 

寒さもあれば、暑い日もある。

2015年1月21日
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寒い日が続きます。1月は、全国的に平年気温が最も低い月ですね。1902年(明治35年)1月25日に、北海道旭川市で、マイナス41℃の気温を記録しました。そのため1月25日は、『日本最低気温の日』とされました。

 

1902年明治35年は、特に寒さ厳しい年でした。新田次郎氏の『八甲田山死の彷徨』をご存知ですか?これは、高倉健さん、北大路欣也さんの出演で映画化されてもおります。1902年1月23日青森市を出発した日本陸軍第8師団の歩兵隊第5連隊が、雪の八甲田山田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事故で、210名中199名が死亡すると言う日本の冬季軍事訓練で最も多くの犠牲者を出した事故であり、これは世界山岳史上も類のない遭難と言われております。旭川市で日本最低気温を記録した1月25日は、隊長である山口少佐のもとで部隊の指揮をとっていた神成信吉中隊長の「天は我らを見捨てたらしい」が発せられた最も凍死者が多く発生した日でもありました。

 

冬季は、日本海側で豪雪になると太平洋側、特に東京では晴れの日が続いてとても空気が乾燥します。首都圏では、雪対策ではなく、インフルエンザに罹らないように………。と注意が呼びかけられます。青森や北海道の厳しさは、実感できないのです。今年も数日前、オホーツク海網走沖で、流氷初日が観測されたと報じられました。こらからの季節は、白い北海道への観光が始まる気配です。

 

いっぽうでは、沖縄県では、この時期早くも早咲きの桜が見られるはずです。開聞岳近くの鹿児島県では、やがて菜の花が咲き乱れるでしょう。こうして見ると、島国日本は、北から南まで広いと感じられます。人々は、それぞれの地域、それぞれの気候に合わせて工夫をしながら生活しているのです。そんなふうに思うと

日本人は、ひとつに纏まった互いを理解尊重し合う歴史と文化が育まれてきたのだと感じます。

 

寒いときあり、暑さ厳しいときあり、雨の日も風の日も、ここに暮らす私たちの生活を優しく護ってくれる国創りのために、政治の世界に託された願いは重いものがあります。さて、今日も一日平穏無事でありますように………。

 

安心安全と、お金は関係しない。

2015年1月20日
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 北海道に本社がある航空会社エアドゥが、北海道と北陸を結ぶ路線からの撤退を決めたことが報じられております。新千歳と新潟、富山、小松を結ぶ路線は、搭乗率が低いことが理由で、共同運行をしている全日空の同意を得て、国土交通省に申請するようです。

共同運行と言えば、昨年秋ころからスカイマークが、財務内容改善策として当初は日本航空と、ついで全日空と、このところは、ANAとJALとも共同運行を目指して合意を得る段取りと報じられております。

共同運行とは、実態からわかり易く言えば、航空会社Aが、航空会社Bの座席を一定数買い取つて自社便として販売し、B社の機材乗務員で運行する航空機に、自社の顧客を搭乗させるシステムです。B社にとっては、空席が生じても一定数の収入は確保でき、A社のブランド力を使って顧客獲得の機会となり、A社にとっては、各空港で決められた自社の発着枠を超えて顧客を誘致できることや、自社のコストをかけることなくたくさん就航させることができるメリット等があると考えられます。
実際全日空は、スターフライヤー、ソラシドエア、エアドゥ等と共同運行を実施しています。よくインターネットで空席照会するときに、同じ便なのにB社からだと満席なのに、A社からだと予約が取れてしかも航空運賃が異なる(だいたいA社のほうが安い)現象が起こるのは、共同運行便だからと言うケースがあるのです。

数年前日本の航空会社が事実上寡占状態にあるとして、スカイマークを最初に、幾つも航空会社が設立登場しました。これにより、航空運賃が概して安くなり、顧客買い手側に選択の機会がもたらされる効果がありました。しかし、これら新規航空会社は、コスト削減のため乗務員等の賃金や保守管理面で様々な問題が提起され、さらにLCCいわゆる格安航空会社の出現により、顧客が離れる傾向が出てきて、経営を圧迫する事態となったと見られます。

航空機を利用するとき、何を重視しますか?安心安全は当たり前、そして定時運行も当然でしょう。実際数ある航空会社の中で、自社は安全だとアピールするところはありませんね。

日本の航空業界に長く新規航空会社の参入がなかった理由についてはいろいろ言われておりますが、市場の活性化のためとして、ここに『競争原理』を取り入れるとの見解には賛同することはできません。常々申しますとおり、人の生命権利等を預かる業務には、競争原理は馴染みません。確かにスカイマーク等が参入したことにより、また、LCCが増えたことにより、これまで航空機を利用しなかった方々がこれを利用し、その意味では、今流行りの『消費』が起きたことにはなるでしょう。しかし、安かろう悪かろうはあり得ず、安全は議論するまでもなく当たり前として、選択利用されているはずであります。

エアドゥ等の共同運行は、業績回復のためにのみなされているわけではないと思いますが、エアドゥにしろスカイマークにしろ、なかなか業績が安定しないのはなぜでしょう。エアドゥは、亡くなった創業者が、『北海道の人のため』が理念でした。スカイマークは、もともと経済界出身者が中心になって経営がなされていて、現在の西久保社長の代で、エアバス社からの違約金問題や、鳴り物入りで登場した羽田福岡便A330機の搭乗率が、予測より低い状態が続く等で、大幅な赤字転落となり、JALに、そしてANAに、共同運行運行が持ちかけられた経緯があります。

以前経済効率について、私の考えを述べました。どうにも私には、財界の方々が、人の命を守る安心安全は当然の業界に出てこられると、ここに競争原理を取り入れて、生き残る選択をしているように感じられてなりません。物事の本質から、出来ないこと、曲げるられないもの、限界はあるはずです。

かく言う私は、どんな基準で航空機を選ぶかでありますが、基本は至って単純、その日の自分の予定にいちばん合致する便利で、無駄がない便に搭乗します。例えば、札幌の裁判所に午前10時に出頭するために利用するのは、羽田空港6時50分発のエアドゥ(ADO)11便か6時55分発のスカイマーク703便です。また、福岡の裁判所に午前10時に出頭するために利用するのは、羽田空港7時10分発のJAL303便です。自分が乗った航空機の料金がいくらだから安全確実はそれに応じた限度だ!なんて考えたことはありません。

航空業界どうしたら経営が上手く行くのでしょう。とても難しい問題だと思います。

 

鏡開きと乾杯

2015年1月19日
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 大正月が1月7日まで、小正月の行事を行う日が1月15日だとすると、もう一つ、正月に因んだ行事として『鏡開き』があります。

鏡開きは、正月に神や仏に供えた鏡餅を下げて食べる日であり、神仏の感謝し、その供えられた物をいただくことで、無病息災を願って粉汁や雑煮にして食する行事であります。もともと小正月が過ぎた後の1月20日あたりに行われていたらしいのですが、江戸時代になって、徳川家光が亡くなったのが旧暦の20日だったことから20日は忌日として嫌われ、大正月と小正月の終期の間となる1月11日が鏡開きの日とされたと言うことです。

それと、もう一つの鏡開きとして、結婚披露宴などの目出度い席で、菰を巻きつけた酒樽の蓋を木槌で割って開ける行事があります。こちらは、酒樽の上蓋が鏡と呼ばれていたことからこの名がついたようです。ですから、日本酒が合う和食の祝宴が多いですね。

どちらの鏡開きも、お祝いと感謝の儀式と言えます。お祝いと感謝と言えば、忘年会などでも行われる『乾杯』がそれですね。「お疲れ様。ご苦労様」なんて掛け声が出ます。

乾杯は、ビールが一般的ですが、結婚披露宴ではシャンパンが振舞われることが多いです。東京の福岡県人会の総会では、太宰府天満宮の梅酒で乾杯いたします。県花ともなっている梅を愛した菅公菅原道真公に対する感謝の念からでしょう。

正月も終わり、神仏に感謝し、無病息災五穀豊穣を願って食する餅も、これまでの感謝と前途を祝って嗜む酒も、その有り難さを実感していただきたいものであります。

 

小正月と『どんど焼き』

2015年1月17日
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 1月15日と言えば、何を思い出しますか?今は、いちごの日とされています。1月に入ると、和菓子店では『いちご大福』が販売されます。

1月15日で『成人の日』を思い出す人は、30代以上の方たちでしょう。2000年(平成12年)から、成人の日は、1月の第2月曜日となって三連休ができましたが、それまでは、1月15日が成人の日でした。

1月15日は、『小正月』とされます。小正月とは、正月の終わりの行事の日です。古くは、この日まで松の内だったもので、江戸時代に大正月を1月7日までとしたことから、松の内が1月7日までとなって、その代わりなのか1月15日までを小正月として、正月の終わりの行事を行う日とされたと聞いております。
大正月の間は、祖先を敬い、神仏の加護を祈念する行事が多いですが、小正月の行事は、無病息災、五穀豊穣を願うものが中心となるとなるようです。また、元服の儀式は、多くが小正月に行われていた習わしから、1月15日が、成人の日となった歴史がありました。
成人の日が、1月第2月曜日に変更されたのは、都市化に伴い小正月の風習が薄れ、その起源が元服だったことから、あえて1月15日に固定せず、国民の祝日として三連休が設定されたのだと理解しています。

小正月の行事と関連するのは『左義長』でしょう。左義長って何?と言われると思います。『どんどん焼き』『どんと焼き』『お焚き上げ』等なら聞いたことがあるかもしれません。
左義長は、簡単に言えば、小正月に行われる火祭りです。冬の田んぼに長い竹を数本組んで立て、そこに門松や正月のお飾りを置いて火をつけ、竹串等に刺した餅や団子を焼いて食べる風習であります。
地域によっては、道祖神の祭り、福徳の神とされる歳徳神を祀るものとされ、この行事の言い方もいろいろです。左義長の名は、平安時代に遡るらしく、福岡県では、『さぎっちょ』と呼ばれます。

私が住む東京都下の小さな町でも、『どんど焼き』の名で、先日この行事が行われました。夏は田んぼにカエルが合唱し、小川にはホタルが乱舞するかろうじて田園風景が残る地ですが、大きな田んぼに大きな竹を幾つも立てて、それはでっかい左義長が行われました。子供たちは、串団子をもらって大喜びでした。

左義長も、成人の日が1月第2月曜日に変更されてから、これに合わせて行われることが多いです。左義長、どんど焼きは、子供たちの元気を願う地域の行事の感が強いです。ミニ成人の日とでも言えましょうか?

無病息災、五穀豊穣を祝う日であることは、世界に広まっているのでしょう。
あるいは『神?』が守ってくれたような出来事もありました。『ハドソン川の奇跡』を覚えておられますか。
2009年1月15日、USエアウェイズの旅客機が、離陸後両エンジンに鳥が吸い込まれてエンジンが停止し、真冬のニューヨークハドソン川に不時着したと言う事故?です。
この事故では、ひとりの死傷者も出すことはなく、機長は英雄とされたものです。

古い時代の成人の日を経験した私は、司法試験に合格するまで、1月15日には、湯島天神等にお参りに通いました。
今でも1月15日は、何かがある、何かとでも大切な日なのだと言う意識が続いているのです。