人間の引き際、辞めどき
2015年1月9日
フィギュアスケート男子町田樹選手が現役を引退しました。2015年3月に中国で行われる世界選手権に臨む日本代表が発表された場での引退表明であり、日本スケート連盟さえこのこと知らず、まさに電撃引退でありました。
『氷上の哲学者』と言われる町田樹選手ならではの決断と場面の感があります。町田元選手は、近年のスポーツ選手のキャリア問題について大学院で学び、今後フィギュアスケートをスポーツマネジメントの領域で考察する研究者として、競技人生を支えてくれた全ての人に恩返ししたいとのメッセージを残されました。
実に見事、清々しい気持ちにされられました。これまた、町田樹氏のお人柄なのでしょう。
アスリートの引退には、いろいろありました。今年も、多くのアスリートが引退されましたね。数年前になりますが、もうやり残したことはない、このチームは優勝できる力があるから納得した趣旨を言って、シーズン途中のヒーローインタビューで、突然引退表明したのは、北海道日本ハムに在籍した新庄剛志氏でした。新庄氏の予言とおり、この年チームは日本一になりました。
アスリートに限りませんが、『辞めどき』は、とても大切だと思います。私は、会社経営者、個人事業主の方に、会社事業は、始めるよりも止めるほうが難しい、良い経営者は、辞めどき引き際を誤らないと申します。
信長、秀吉、家康、それぞれファンがおります。若いころ、私は、どうにも徳川家康を好きになれませんでした。狸親父と言われるごとく、何か企んでいる、真っ向勝負しないように思えて格好良さ、潔さを感じなかったからです。その点信長は、思う存分好き勝手を楽しんで、『是非もない』と言って本能寺に消えました。秀吉は、志さえ持てば、………の立身出世型の代表でありました。
でも、年を経るに従い、最期に怨恨から殺害される、晩年に多くの人の死を命じるような生き方には、同意出来ない思いになりました。
昨年放映されたNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』でもそうでしたが、徳川家康は、豊臣秀吉時代の末期の世を承継しない、天下は天下を収めるべき者が収めるとして、戦乱の無い太平の世を新しく創る考えだったとされています。
それに相応しい人物だったからこそ、長生きできたのでしょう。言い伝えに過ぎませんが、平清盛は、熱病により悶死した、源頼朝は、源義経の亡霊を見て落馬して死んだなど、それなりの功績を残しながら、残念な最期でありました。
また、後進に道を譲ることも大切です。女子柔道のある階級は、能力の高い選手が揃っておりながら、このところなかなか結果が出ないと聞きます。いっぽうで、若手に混じって、若手とともに精進を重ね、納得いくまで闘う姿勢を維持する選手もおられますね。
レジェンド葛西紀明選手には、学ぶべきところが多々あります。
人間の引き際、後進に譲るとき、新たな道に進みとき、これはなかなか難しいものです。ソチオリンピックで、日本中が泣いた浅田真央さんは、どのような選択をされるのか、アスリートとして、若者そして年頃のお嬢さんとして、悔いのない選択をされることを望みます。
駅弁の思い出
2015年1月8日
1月8日から、京王百貨店新宿店で『元祖有名駅弁と全国うまいもの大会』が2週間にわたり開催されます。
今や駅弁を販売する駅は、東京駅のような大きな駅だけとなり、列車の窓を開けて、「お弁当屋さーん」と、僅かな停車時間を利用して必死に名物駅弁を買い求めた時代は、昔日のこととなりました。京王百貨店のこの催事は、毎年テレビ放映され、凄い人集りとなっています。特に、昔なつかしと思われるのか、私のような年配族が多いのです。
皆さん、駅弁にはどのような思い出がありますか?もちろん、新幹線等の車内販売の経験はあるでしょう。でも、乗車中の列車が停車したときに買ったという経験は、相当昔となるのではないでしょうか。
私の思い出は、「やはり!」と思われるでしょうが、『横川の釜めし』です。今は廃線となった信越本線横川駅にあった『おぎのや』さんが作る峠の釜めしです。長野新幹線が開通する前までは、群馬県と長野県の県境となる碓氷峠を越えるには、横川駅で機関車を増結しなければなりませんでした。
その作業の時間に横川駅では、いっせいに乗客がホームに下車して、おぎのやの売り子さんから幾つも釜めしを買い求めたものでした。横川駅の次が軽井沢駅だったこともあり、若者のグループが、沢山買い求めておりました。何回か横川軽井沢間を通った私ですが、大学1年生の夏、仲間(悪い友人?)たちと『合宿』に向かう途中で買い、食べた『峠の釜めし』がいちばんの思い出となっています。
昨年久々に会ったあの時の彼らも、このときの思い出を言っておりました。
駅弁は、懐かしい思い出となって、私たちの心に残っているのです。あの時あの頃にタイムスリップするようです。駅弁とともに、あの時の情景が浮かびます。
今年で50回となった『元祖有名駅弁と全国うまいもの大会』に行って来ます。
それにしても催事に並んだ駅弁の値段には、正直びっくりしますね。今の駅弁には、何処か郷愁を感じ、こどものころに戻る代金が含まれているのだと思っています。
美味しさは、あまり関係ないのかもしれません。でも、お金を気にせず買いたくなる物は、とても大切だとも思えるのです。
初詣
2015年1月7日
1月7日は、七草粥を食べる日とされます。春の七草、すなわち、セリ、ナヅナ、ゴギヨウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロを入れた粥を食べると健康に暮らせると言う古来からの風習です。もともと1月7日は、正月元旦から7日経過した『七日正月』で、一つの節目となるこの日に粥を食べて邪気を払う中国で生まれた言い伝えとされます。
それと1月7日は、日本国民にとって、大きな時代の切り替えがあったなが~い1日でもありました。この日、朝からテレビをつければ、皆喪服を着用していたのです。そうです。昭和から平成へと、時代は移りました。激動の昭和等称されることが多くなり、若い世代には『昭和』と聞いても、ピンとこないかもしれません。昭和64年が平成元年です。戦争を知らない世代が大半となりました。
以前、昭和天皇即位50年事業の一環として開設された昭和記念公園について触れました。明治天皇を偲んで設営された代表的建造物と言えはなんでしょう?初詣日本一の参拝数となっている『明治神宮』がこれです。
若者の街原宿から行く明治神宮の祭神を知らない人は多いのではないでしょうか?お生まれになった京都の御陵に埋葬された明治天皇の神宮を、ぜひとも東京にも造りたいとの国民の希望から、全国青年団の勤労奉仕により、1920年(大正9年)に鎮座式が行われ、ここに明治天皇、昭憲皇太后を祭神とする今では正月三が日で300万人の初詣客となった明治神宮が存在した経過があります。
初詣のとき、よく「何をお願いしましたか?」の質問があります。例えば、神田明神の参拝客には商売繁盛、湯島天神の参拝数には合格祈願、金刀比羅さんや厳島神社には海の安全をとなるのでしょう。今年数年ぶりに明治神宮に初詣をした私は、何を祈願したのでしょう。
それはヒミツです。
あけましておめでとうございます。
2015年1月1日
新年あけましておめでとうございます。
2015年(平成27年)が動き出しました。
今年は、わたくし福本悟にとっては、大学卒業35年、弁護士登録30年、きさらぎ法律事務所を開設して20年を経過した年に当たります。そして、日本の戦後70年の節目の年でもあります。
よく『五十日』と言う言葉が使われます。もともとは、京都にある寺院の祭日に当たる5日に、講の賭け取りを行うとうまくお金が集まるとの謂れから、取引の決済、お金の集金は5日か10日に行われる慣習が培われたもので、5日、10日、15日、20日、25日、そして月末は、特に銀行は混雑しますね。
私も、この良い数字が並んだ本年は、多くの方々が、きさらぎ法律事務所にお集まりになり、いろいろなお話をしながら、自ら学びつつ、ここをお訪ねになる方々のサポートができればと念じるものでございます。
このところ思うのは、どんなに説明し、ご説得しても、意を決して法律事務所をお訪ねいただいた方々に対し、その悩み・辛さを取り除いて、安心・平穏・無事を齎すことは、なかなか難しいということであります。時として、十分ご納得いただいたと思ってしまって、自己満足に陥る危惧もあります。
今年のNHK大河ドラマは、『花燃ゆ』です。この女性主人公杉文の兄吉田松陰の有名な言葉として、「至誠にして動かざる者は、未だ之あらざるなり」があります。
吉田松陰を尊敬する山口県出身の安倍晋三内閣総理大臣も、これを座右の銘とされています。法律問題を抱え、私どもと邂逅する方々に対して、まだ理解を得ることが叶わず、安心・平穏を差し上げられないとするならば、それは私どもの誠意が足りないことだということです。
もともとは、孟子の言葉とされるこの言葉を大切にした吉田松陰は、必ず自分の真心、誠意は天に届くとの信念がありました。そして、松陰亡き後、弟子たちにより、時代は動いたものです。
不肖私めも、司法修習生になったとき、また結婚したとき、その節目節目にあたり、吉田松陰に学ぶことを誓い立てしてまいりました。決して今をときめく安倍晋三氏の真似っこではありません。
国民から大きな信頼を得て、昨年末、新たな進路をきった安倍晋三内閣総理大臣にはとうてい及びもしませんが、誠意と真心を尽くした先人に学び、初心を忘れず、2015年も執務しなければならないと思っております。
今年もよろしくお願いいたします。
きさらぎ事務所をご愛顧くださり誠にありがとうございました。
2014年12月31日
2014年(平成26年)も残りわずかとなりました。きさらぎ法律事務所をご愛顧くださり、また、きさらぎ法律事務所ホームページの『福本悟のひとりごと』にお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。
きさらぎ法律事務所福本悟にとって、今年は、事務所ホームページを改定したことが、いちばん大きな出来事だったと思っております。これを立ち上げるのに2年かかりました。基本的に、もともとのホームページの内容は変えず、多くの方々に知っていただくにはどうするかの観点から、試行錯誤を重ねて今秋アップいたしました。まだ前ホームページとの繋がりや整合性など不十分なところがございますが、リニューアルしたホームページに肯定的なご意見を賜ることができまして、嬉しく、また、いくらか安堵いたしております。
自分を知っていただく、要するに、自分をアピールする場として、事務所ホームページは大切です。特に私のように、ひとりで事務所をやっている者は、自分の特徴を示す必要があります。
でも、人とは違うと言うあまり、『我が強い』独りよがりな人間になってしまわないよう、常に多くの方々からチエックされる必要があります。やはり基本は、いろいろな人と交流し、多様な意見・考えを吸収することだと思っております。私は、仕事を通して、いつも学習させていただいているのです。
東京で弁護士業務に携わると、自ずと霞ヶ関に行くことが多くなります。しかし、事務所にお越しいただく方といろいろなお話をする時間が、年々多くなった感があります。よく、話し上手より聞き上手と言われます。まずは、皆様のガス抜きの役目を仰せつかり、一緒に目指すべき到達点を考えていきたいと思っております。
会話を続けることは、お互いの能力を高めることに繋がるでしょう。来年も、人の話を聞く、「こうだ!」と決めつけず、一緒に考える姿勢で務めたいと念じます。どうぞきさらぎ法律事務所にお越しになって、福本悟といろいろなお話をいたしましょう。お待ちいたしております。