フェアプレイとは

2014年12月30日
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写真 3今日は、宇都宮に来ました。宇都宮と言えば餃子です。なぜ宇都宮が餃子の街になったのか知りませんが、東日本大震災の年は、餃子日本一の座を、浜松市に明け渡したそうです。もっとも、浜松市は、正々堂々勝負したい由で、日本一は辞退し、翌年に持ち越したそうです。フェアプレイですね。さながらスポーツならば、スポーツマンシップと言うところでしょうか。

 

これで思い出すのは、ロサンゼルスオリンピックの柔道山下泰裕さんの金メダルです。山下選手は、オリンピックでの金メダル獲得を幼いころより目標に精進努力を重ね、無類の強さを誇りましたが、4年前のモスクワオリンピックが、まだ冷戦の最中、西側諸国のボイコットにより参加の道を閉ざされました。そして満を持して臨んだロサンゼルスオリンピックで、順調に勝ち進んだものの、準決勝で脚(腕?)を負傷してしまったのです。とても試合ができる状態ではないのに、山下選手は、決勝戦に強行出場しました。

 

 

ここで相手となったのは、エジプトのラシュワン選手でした。山下選手は、まともに柔道ができないのに、彼は力を抜くことはせず、しかも痛めている箇所は、一切攻撃しなかったのです。こうして山下泰裕さんは、金メダルを獲得しました。

 

このとき日本では、山下さんの勇姿よりも、ラシュワン選手を讃える声が大きかったと記憶しております。

写真 4

ラシュワン選手は、互いに互角のところは正々堂々と闘い、本人の責任ではないのに、差がついたところはそれを利用しないと言う潔さ、寛容の精神、優しさを持っておられました。

 

さて近頃、本人の責任ではなくついている差について、寛容ではなくなった様相が見られます。競争が成り立たない分野にまで、競争原理を取り入れていることがそれです。常々私は、「強さよりも優しさが大切」と申しております。

 

果たしてフェアプレイとは何でしようか。宇都宮で餃子を食べながら、ふと考えてしまいました、

 

 

東京駅で思うこと

2014年12月29日
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先日、出張のため、東京駅から新幹線に乗車しました。東京駅では、報道されたような100年記念のSuica販売の混乱の跡は、感じませんでした。駅には休みはないということでしょう。

写真 1

新幹線は、昔『夢の超特急』と呼ばれました。夢と思うようなスピードを出すことから言われたのだと思っています。でも、庶民の間には、新幹線は、夢を運んでくれる思いもあったのだと思っています。

 

東京と新大阪を結んだ東海道新幹線が最初でした。今では、東海道山陽新幹線はJR東海が、東北秋田山形新幹線、上越長新幹線は、JR東日本が運行しています。東京駅には駅長がそれぞれいる理屈です。今ではあまり意識されなくなりましたが、以前は『国鉄』、すなわち日本国有鉄道だったところ、万年赤字を解消する目的で、——それだけではありませんが、——分割民営化された歴史があります。不採算路線の廃止やリストラは、これが最初だったかもしれません。

 

東京で暮らしていると、旅行や出張のとき利用するのが新幹線のイメージがありますが、新幹線に乗って東京駅に降り立った方々は、どのような夢を抱かれていたのでしょう。

 

写真 2

私の場合は、むしろ東京駅が出発点でありました。昔国鉄時代、『ディスカバジャパン』『一枚の切符から』、そして『いい日旅たち』のキャッチフレーズで、鉄道旅行を推奨する流れがありました。子どものころ、何処かに行ってみたいと思っておりました。特に東京駅を発車する夜行列車、ブルートレインは、大好きでした。あさかぜ、さくら、富士、はやぶさ、みずほ、懐かしいです。これらは全部乗りました。東京と大阪を結んだ急行銀河は、何回乗車したことでしょう。時代の流れか社会の進化か、ブルートレインは無くなり、新幹線は、津軽海峡を越えるまでになり、すべからく日本中に繋がることでしょう。

都会にいると、なんとなくブルートレインなどの長距離列車を見ると、郷愁を感じます。新幹線が地方の方々の夢を運ぶのだとしたら、都会で暮らしている私たちは、夢の源を探しに旅たつのかもしれません。『いい日旅たち』は、日本の何処かに待っている人がいる、昔子どものころ、母の背中で聞いた歌と一緒に探しに行こうというくだりがありました。

 

夢の源は母、誰にでもふるさとはあるということなのでしょう。

東京駅100年

2014年12月28日
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東京駅100年を記念して、Suicaの購入を巡り、東京駅が混乱が生じたとして、1万5000枚枚用意したSuicaのうち、8000枚を販売したところでJR東日本は、販売中止を決めたこと、これに遠方から来た人、寒さの中、早朝から列をなした人たちの怒りは収まらず、警察官が臨場したなどと報じられております。

 

このSuicaの販売に当たっては、前夜からの行列の禁止は発表していたものの、当日の列の誘導も、整理券の配布もなく、販売時刻前から、横入りやら、駅利用者との住み分けなど、様々な憤懣が出ていたようで、JR東日本東京駅は、危険と判断して急遽中止を決めたようであります。

 

おそらく東京駅側は、どれくらの人が購入を希望して並ぶのか、予想が出来ていなかったのでしょう。それにしても、年中無休の駅構内で、特設ブースを作って販売するというのは「?」と思いました。駅側と購入希望者とのトラブルならまだしも、普通に東京駅を利用するお客さんと、東京駅大好きで並んだファンとのトラブルは、避けていただきたいものです。なんとも杜撰ですが、中止はやむを得ないと言ったところでしょうか。

 

実は私は、子どものころ、熱心な鉄道ファンでした。小学校4年のとき、当時の東京から博多までの駅名を覚え、小学校の発表会では独自の時刻表を発表し、消えゆく蒸気機関車を追って、あちらこちらに出向いた経験があります。これをやっていると、自然に地理に堪能になり、弁護士業務を行うに当たり、依頼者との会話、そして効率良い出張に、役立っていると思っております。

 

東京駅との思い出はたくさんあります。別れ?もありましたし、鉄道ファンなら誰しも懐かしむ『大垣行き』には何回乗車したことでしょう。私のある意味人生を変えた福岡博多に赴任するにあたっても、25歳の春、東京駅からブルートレイン『あさかぜ1号』で旅立ったものです。

 

東京駅100年おめでとうございます。こんなおめでたい日に、人間のミスで台無しにしたら悲しいですね。でも、東京駅は、そんな人間社会には、また「再販売」という形でチャンスを与えてくれます。

 

ところで、第1次なんとか政権で、『再チャレンジ』と言う言葉が、政策のひとつとして語られたことを覚えております。失敗しても、政府がサポートするような政策だったように記憶しておりますが、もう、失敗しても助けてもらえなくなったのでしょうか?みんな自由でやった責任だから。

 

助け合う猿の仲間たち

2014年12月27日
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インドで、線路上の架線に感電して気絶した猿を、猿仲間が必死に助け出す姿が、カメラに収められてテレビに放映されました。気絶して意識を失っている猿を、何処かから来た猿が叩いたり、引っ張たりし、それでも反応しないので、今度は別の猿がやって来て、かなり手荒らな刺激を与え、遂には近くを流れる下水?に、気絶して倒れたままの猿を漬け込み、やがて気絶した猿は意識を回復して、その場をみんなで立ち去ったというものであります。

 

この間20分くらいだったようです。ずっとカメラを回しているのも忍耐?がいるでしょうが、場所は鉄道の駅構内であり、ホームには人がたくさん居て、猿の救命を見守って?おりました。

 

人間社会では、駅構内に転落した人を助け出すなど、とても危険で勇気のいること、決して奨励されないでしょう。猿は命を顧みないのでしょうか?危険だとわからないのでしょうか?猿を助けるために、命を危険に晒すことは、人間には出来ないと言うことでしょう。それはわかっているつもりですが、なんか単純に「凄いな!」と、猿に感動してしまいました。

 

「猿真似」という言葉があります、猿が人の動作を真似るように、考えなく、なんでも他人の真似をすることを意味するとされます。でも、猿は、人間の真似をするのでしょうか?この言葉、なんか猿をバカにしているような感じがいたします。

 

サルと言えば、豊臣秀吉が有名ですね。織田信長は、木下藤吉郎を召し抱えるにあたり、『サル』と呼んだと言われます。希代の革命児信長は、藤吉郎を蔑視する意味で、『サル』と呼んだのではないのでは?これは結果論に過ぎないのかもしれませんが、信長は、後の秀吉の才を見抜き、何か他とは違う自分にとって特別な存在と思い、このような呼び方をしたのではないでしょうか?

 

旧石器時代、ネアンデルタール人、クロマニヨン人、何か猿の面影がありませんか。科学的には知りませんが、猿が進化したのが人類だとすると、天才信長は、秀吉の進化を予見していたのもしれません。これは珍説ですね。説ともなり得ませんが。

 

でも、人間社会では、なんでも他人の真似をするのはいかがなものでしょう。猿は進化し続けて今日に至ったとして、人間は、果たして今後どのような進化を遂げるのでしょう。

 

後の世代に確実に『良い物』を残せる場合だけ、人間は、先人の真似をすべきでしょう。進化せず、後戻りするような真似は止めてもらいたいものです。

 

昨今、『後戻りしてはならない』と言う言葉が流行りました。私も同感です。平和憲法がなかったあの戦時下には後戻りしたくありませんから。賢い方々は、間違った真似、変な懐古主義には至らないと信じます。

 

マックフライポテトはSサイズになりました

2014年12月26日
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日本マクドナルドが当分の間、マックフライポテトの販売をSサイズに限ることを決めました。マクドナルドのセットメニューには、マックフライポテトはMサイズですから、50円値引きとなるようです。

 

これは、日本マクドナルドが販売するポテトは、全てアメリカから冷凍された品物の輸入によっているところ、アメリカ西海岸の湾岸施設の労働問題からストライキが長引き、それに例の円安が拍車をかけたことから、今後安定した供給は難しいと判断されたもののようであります。

 

私の記憶が正しければ、日本にマクドナルドが登場した当時、かなり価額は高かったと思います。学生時代には、マクドナルドを食べたことはなかったと思います。マクドナルドとのお付き合いが始まったのは、時間に追われれるスーツ姿になったときからです。

 

でも、まだマクドナルドが高嶺の花のころ、店舗に行ってハンバーガーを注文すると、

 

「ポテトはいかがでしょう」

「お飲み物はいかがされますか」

 

等々、ハンバーガーに付け加えて買うよう勧められる例でした。

 

ある漫才師が、「俺はハンバーガーだけが喰いたいんや」と、このシーンをネタにしておりましたが。

 

確かに世の中、本来の目的、ゲットしたいものに『くっ付いて』くるもの、余計な物がもたらされることがあります。

 

釣り好きの知人によると、「よほどしっかりした仕掛けをしないと、本来ゲットしたい魚ではなく外道が釣れる」また、「ゲットしたい魚と一緒に、歓迎しない余計な魚まで釣れてしまうことがある」と言います。

 

さて、先日の衆議院議員総選挙では、東京あたりではあまり話題にならない『珍現象』が、沖縄県で見られました。

 

全国的傾向とは異なり、沖縄県では4つの小選挙区で、全て自由民主党が議席を獲得出来ませんでした。沖縄1区では、共産党が初めて小選挙区で議席を獲得しました。

 

ところが自民圧勝の選挙ゆえ、比例代表九州沖縄ブロックで、沖縄選挙区で落選した自民党議員4名は、全員『比例復活当選』したのです。翁長沖縄県知事のお膝元沖縄1区に至っては、先の県知事選に立候補した方を含めて立候補者が全員当選しました。

 

先の沖縄県知事選で示された民意のとおり、沖縄県民は、政府与党に『NO』を突き付けました。しかし、選挙制度と全国的傾向――少なくとも九州の傾向――のため、結局民意は反映されないものとなったのです。これでは、選挙する意味はないのではありませんか。

 

沖縄県民は、選挙により、自民党議員を振り落としたわけですか、同じ選挙の結果、『くっ付いて』しまいました。沖縄県民にとっては、迷惑この上ない『余計な物』ではないでしょうか?

 

このように言うと、2年前、当時の野田佳彦内閣総理大臣とテレビ対決して解散総選挙と引き換えに、議員定数削減を国民の前で約束した方からは、

 

「そうなんです。比例代表は問題なんです。(与党が3分の2を占めて、参議院で否決された法律を衆議院で再可決できる)国会で、比例代表制度は廃止し、全て小選挙区での選挙制度になるよう、議論を進めていただきたいものです。」

 

そんな声が聞こえてきそうです。かくして、やがて全ての議席は巨大与党が占める!