黒田如水が願った人々の幸せ
2014年12月25日
12月14日に行われた行事のため、1週間遅れたNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』の最終回が放映されました。関ヶ原の戦いの最中、九州をほぼ平定した黒田如水は、黒田家当主黒田長政の活躍で、関ヶ原の戦いがわずか1日で決着したことから、これで戦乱の世は終焉を迎えたとし、筑前52万石の大名となった黒田長政による築城と町づくりを、博多の南太宰府の地で、静かに見守る生活に入ったそうです。
そして黒田如水は、菅公こと菅原道真を祀る太宰府天満宮の境内を、隠棲の場として選びました、それは当代一の文化人でもあった黒田如水は、和歌連歌の神様とも崇敬された菅公に学び、連歌会を開いて太宰府天満宮に奉納し、長く続いた戦火のため荒廃した天満宮の復興に努められたのです。
黒田長政が築城した城は福岡城と称され、『博多』と呼ばれていた一帯のうち武家の町は『福岡』となりました。
前藩主小早川秀秋の時代、福崎と言われていた地を、藩主黒田長政が『福岡』と改めたのは、黒田家発祥の地備前福岡を起源とするものと言われております。それはそのとおりだと思います。
ところで、戦乱の世を全て知り尽くした黒田如水は、晩年これからの日の本の中心となり、発展するのはこの福岡であると感じ、それを願ったという研究の結果が、最近になって発表されているようです。黒田如水は、太閤の博多町割りを実行し、朝鮮半島に渡り、茶人千利休らとの交友から明、高山右近らキリシタンを通じて遥か異国の文化に触れて、ここ九州の入り口でもある福岡は、アジア、そして世界の入り口であると感じられたのだろうと言うものであります。
「松梅や 末長かれと みどりたつ 山よりつづく さとはふく岡」
晩年黒田如水が、太宰府から詠んだ歌です。これは、菅公が愛した梅と、逞しく伸びる松の木に囲まれた緑豊かな太宰府の地より、山々を経てやがて開かれる土地で暮らす人々の幸せを願い、詠んだ歌とされます。綿々と『ふく』が続く岡であって欲しい、ここから『福岡』が誕生したとされます。
さて、あるいは戦後日本の岐路ともなりうる先の衆議院議員総選挙の直前、私は太宰府天満宮、そして福岡城跡を訪ねました。12月14日、現代日本での『決戦』も終わりました。
こらからの日本が、決して戦争に巻き込まれぬよう、まして戦争参加するような国にならぬよう、戦乱の世を生き抜き、人々の幸せを願った黒田官兵衛、如水円清が晩年を過ごした福岡から、決意を新たにした次第です。
別れても好きな人
2014年12月24日
『空港』と聞いたら、何が思い浮かびますか?
空港を舞台にした歌、特に演歌は多いと思います。
アジアの歌姫テレサテンさんの『空港』、デュエットの名曲『北空港』、伝説の美少女A?中森明菜さんの『北ウイング』、誰かさんのカラオケの定番前川清さんの古い曲『さよならの彼方に』等等、たくさんあるでしょう、
空港をテーマにした歌は、『別れ』が定番の感がありますね。
でも、別れが似合わない空港があります。
福岡空港です。
北島三郎さんの古い曲に、
『ひとの妻とも知らないで、おれは来たんだ博多の町へ……』がありました。
『博多のひと』です。『はるばる来たぜ函館へ……』の威勢の良いサブちゃんとは違う魅力?がありますね。
男女の別れがテーマではありません。男が女を追い掛けて来ました。
福岡空港は、「世界一市街地に近い便利な空港」と言われます。
博多駅まで地下鉄2駅、福岡市の中心天神まで15分です。
福岡空港の年間発着数は15万回を超え、約2分17秒に1回、離発着があるのです、
この密度は、羽田空港、成田空港を凌いで日本一です。
市街地にあるため、離発着が事実上7時から22時までとしているため、実際は、世界一と言われているのです。
これを言うだけで、暗い、別れのイメージを払拭するのではないでしょうか?
福岡博多は、『のぼせもん』が多いと言われます。芸能人を多数輩出してことでも知られいます。
昨年の五木ひろしさんのヒット曲、『博多アラモード』も、福岡空港から始まっています。
『初めて、ここに急いで飛んで来たのさ。お前が、迎えてくれたエアポート』
ここから、福岡博多での愛の物語が始まります。中州、天神西と続きます。
博多をテーマにした演歌は売れないというジンクスがあるのだそうです。
福岡博多は、演歌の定番、男女の別れには似合わないからだと思います。
そう言えば、○○年前、福岡県出身の人気歌手が、結婚確実と噂されながら、「今度生まれ変わって会えたら、結婚しようね」と言って別れた
ことが思い出されます。
このかたがた、それぞれ○回離婚結婚を経験されているようです。
今は、別れたら次の人のように見えますが、なかなかどうして、もしかして、将来やはり『別れても好きな人』だったことを証明する日が来るかしれないと、甚だ不謹慎なことを考えるのは、私だけでしようか?
屋台は辞めないどこまでも
2014年12月23日
福岡博多の屋台の話を始めたら、収拾がつかなくなります。
25歳から27歳までの約1年4ヶ月、初めて東京を離れて『修習』のため赴した福岡は、私の故郷です。
厚かましくも、あちらこちらで、福岡を宣伝していたことから、『東京福岡県人会』に入会させていただきました。
福岡博多の屋台については、ブログカテゴリーの『よかとこ九州』に、何回かに分けて、屋台に関する福本なりの情報、意見を書きしたので、もう言いません。
今日は、20年以上通い続ける屋台『しんきろう』の大将(福岡博多では、店主のととを『大将』と言います)から、嬉しい話を聞く聞くことができたので、このことについてお話します。
先月になりますが、日本テレビ系列が放映する『ケンミンシヨウ』という番組で、紹介されたことです。
屋台は、福岡の風物詩ですが、福岡の真ん中天神で営業しながら、全然商売っけない(失礼!)『しんきろう』が、天神の屋台を紹介するため、仕方なく?テレビに出てしまったらしいのです。要すに大将は、職人プロを地て行くような人で、自らをアピールするようなことはいたしません。しかし、人は、見ていたのですね。
よく言われますが、出たい人より出したい人なのです。
ちょっと待って!
何処かの世界からは、そう単純に割り切れなかったよとの声が聞こえてきそうです。
第○なんとか内閣は、なりたいひとはたくさんいたけれども、なった人はすぐに、何人か辞めてしまいましたよね?
時と場合によっは、「出したい人」も、人様の役に立たないことがあるんです。
それじゃ、出たい、なりたいと言っている人も、出てください、なってくださいと言われ
た人も、その当人が所属する団体が?なお、救われないということなのでしょうか?
でも、なんでそんな団体が、あるのでしょうか?
さあ、それは人間界のように、選挙という制度がないからではないのでしょうか?
だって人間界は、必ず争点ごとに選挙をしますから、、。
踊る魚たち
2014年12月22日
羽田空港にて「またか」と思う出来事がありました。
3つあります。
機内と到着後の出来事です。
みなさん、飛行機で移動中、何をしますか?
私は、可能な限り眠ります。と言っても、常に眠っているのは難しく、目を閉じているというのが実際です。
ミニスカで話題をさらった航空会社は違うのですが、機内サービスと言って、飲み物をCAが配ることがありますね。
私は、あれ嫌いなのです。機内で声をかけられるのは面倒で、放っておいて欲しいのです。
ですから、目を閉じているというのは、声をかけられて話をするのが煩わしいための狸寝入りの意味を持っています。
ところで、敵もさるもの、座席横の肘掛けに「おめざめですか」とシールを貼っていく航空会社があります。
目覚めたあとどうするか、乗客の勝手でしょ。
あれを貼られるのは恥ずかしい。
あれは、サービスを勘違いしていますね。
しつこいときは、目覚めた!と気づいたら、わざわざ「お飲み物などいかがでしょう」と話かけられます。
そして、2つめは、これはクレームと言ってよいと思います。
福岡や札幌あたりから帰るとき、魚に煩い私は、地元の有名どころから、買った鮮魚をスチロールに梱包してもらって、持ち帰ることがあります。
特に福岡のある店舗鮮魚売り場では、お店の人が、『常連』の私のため、保冷剤を入れて梱包するにあたっては、スチロールを縦にして、持ち歩きやすいように、丁寧に時間をかけて、この難しい詰め込み作業をされているのです。
スーツ姿で鞄を持ち歩く、とても魚なんか買っているとは思えない人間のために、そして、魚は、美味しく食べてもらいたいというプロ意識から、一生懸命やっているのです。
もちろん、お店のほうで、『この面を上に』と紙を貼りますし、空港で預けるときにも、横にしたらダメであるとお願いしています。
さらに、預かった航空会社のほうでも、『天地無用』のシールを貼ります。
それが、羽田空港の手荷物受取場では、横に倒されて出てまいりました。
おそらく、このスチロールを扱った係員は、『横に倒す』という感覚はなかったのでしょう。
この航空会社は、もう3回めです。
単なる不注意なのか疑問が出てまいりました。
それで、『天地無用』の、意味を調べてみした。
天地無用とは、上下さかさまにしてはいけないと言う意味でありました。
たぶん、縦横変えることは、天地無用に含まれないのでしょう。
でも、『縦横無用』なる言葉は聞いたことがありません。
魚好きな福本悟にとって、これは深刻な問題です。
話かわ長くなりました、クレーマーの類の話を聞かされて、嫌ですね。
3つめは、、、、やめておきます。。。
アメリカ発マカデミアナッツとピーナッツ
2014年12月19日
大韓航空前副社長が、アメリカ合衆国ニューヨーク発韓国仁川行き自社航空機の機内サービスがマニュアルとおりになされていないことに激昂して、駐機場から滑走路に走行中の機体のUターンを命じ、機内サービス責任者を降ろした事件が報道されています。いわゆる『ナッツリターン問題』です。
大韓航空のファーストクラスでは、マカデミアナッツは袋から出して、銀の皿に盛ってから提供すべきところ、CAが袋のまま前副社長に差し出したことから、事件は起きたということです。
航空機の国際線、まして、ファーストクラスなんか縁がない人間からすると、「ナッツはナッツ。袋まで食べるわけじゃない。どうでも良いのでは?」と思うものの、マカデミアナッツの生産地ハワイあたりの専門家によると、マカデミアナッツは、もともと上級クラスの方々が召し上がるもので、確かに銀の皿に盛って、「どうぞ」との慣習があるのだそうです。
さて、今日は、この『ナッツリターン事件』について喋りたいのではありません。『航空機とナッツ』で思い出したことがあるのです。
マカデミアナッツほど高価なものではないのかもしれませんが、航空機の売り込みが、ピーナッツになぞられて、社会問題になったことがありました。そうです。昭和51年初春に発覚した『ロッキード事件』がそれです。
これは、アメリカのロッキード社が、当時ボーイング社、ダグラス社がほとんど航空機販売のシェアを握っていたところに、自社開発の『トライスター』機を全日本空輸株式会社に売るため、日本の政界財界に金をばら撒いた事件であります。このとき5億円の賄賂を受け取ったと認定された田中角栄元内閣総理大臣は有罪判決が確定しましたが、渡す賄賂、すなわち金額の隠語が、ピーナッツで語られておりました。
この事件、内部告発もあったかもしれませんが、アメリカの報道機関が、市民団体等が知り得た情報から暴いたものでした。
これと似た事件は、ニクソン大統領を辞任に追い込んだ『ウォーターゲート事件』が思い出されます。市民の知る権利がいかに大切か、これこそ民主主義の根幹だと思い知らされたものです。
情報公開による政府企業等を監視し、その不正を暴き、インチキを正す仕組みは、アメリカでは根付いております。最近のアメリカで暴かれた真実として、イラク戦争の大義がありましたね。
最近のアメリカを真似する空気からして、なんで圧倒的多数の国民の支持を受けている政権は、国民の知る権利、情報公開に関しては、なぜアメリカの真似をしようとしないのでしょうか?それとも、特定国家秘密保護法は、その趣旨の法律でしたか。
民主党政権時代に、沖縄返還時の日米で取り交わされた秘密が明らかにされました。これは、『外務省機密漏洩事件』として、関係者が有罪判決を受けてもいるのですが、その裁判で証人となった官僚らが、『真実』をようやく明けらかしたものでした。
民主党政権は終わりました。先の選挙の際、政権与党は、「この道しかない!」「民主党政権時代に、後戻りしてはならない!」
と、盛んに叫びました。これから、情報公開や消費税等、アメリカを模倣して行くのでしょう。