本当のこと…?
2014年10月10日
北海道の『空の玄関口』新千歳空港は、時刻表や観光案内,そして出発空港の掲示では、「札幌」と表示されます。
搭乗手続を終え、機内に入ると、CAから、「札幌新千歳空港行きです」との案内があり、着陸すると、「新千歳空港に着陸しました」とのアナウンスがあります。
「新千歳空港」という名称になったのは、今から20年少し前で、それ以前は、航空自衛隊千歳基地の場所にありました。
いずれも、札幌市内に新千歳空港があるのではありません。札幌市内には、プロペラ機が発着する丘珠空港があります。
現在の新千歳空港は、旧空港より南側に位置し、滑走路の一部は、太平洋に面する苫小牧市に属します。
苫小牧市は、ホッキ貝漁が有名な太平洋に面する工業,漁業が盛んな街です。港湾施設も充実しており、フェリーターミナルもあり、こちらは、『海の玄関口』と言えるかもしれません。
新千歳空港は、太平洋に近いので、日本海に近い札幌市へ移動すると、よく天気が変わっていることがあります。
札幌市ほど降雪は多くありませんが、それでも、年に何回か、大雪のため、滑走路が閉鎖されることがあるようです。
私も数年前の2月、新千歳空港に着陸できず、函館空港に連れて行かれた経験があります。
新千歳空港が太平洋に面する苫小牧市に、(一部)属することは、意外に思われるかもしれません。
ところで、札幌市は当然、日本海に面していると思われがちですが、実は札幌市は、海に面しておりません。これをご存知ない方は多いと思われます。
「えー!北の海産物の宝庫,新鮮な魚介は札幌で食べられると思っていたのに…」という声が聞こえてきそうですが、大都市札幌でありますから、太平洋側,日本海側,いずれもよい山海の逸品が集まってくることは、間違いないと思われます。
ちなみに、千歳市,苫小牧市に位置する新千歳空港が、世間では「札幌」と表示されるのはなぜでしょう。
「わかりやすいから」という面はあるでしょう。
しかし私は、千歳市,苫小牧市の方には、甚だ失礼だと思いつつも、「札幌」と言った方が、人が集まる,集めやすくなるからだと思っております。
以前、経済効率について言及しましたが、インパクトによっても、お金は落ちるからでしょう。
これと同じ例は、「東京ディズニーランド」にも当てはまると思っております。
千葉県浦安市にあるディズニーランドは、なぜ千葉を名乗らないのでしょうか。
むしろ、千葉県の名物とされても良いのではと思います。
しかし、「本当のこと」は、知らない方が良い場合があることは、否定できません。
例えば、「札幌市には海がない」と、あえて宣伝する必要があるでしょうか。
東京都内の「品川駅」は、品川区に属さないことを、東京都民は知っています。
品川駅は、「品川駅」でありさえすれば良いのです。
つまり、「(札幌市には海がないけれども)札幌は、魚がうまい」と思い、期待し、信じることが大切です。
私は、きさらぎ法律事務所を訪れる方に対し、「事実と異なることをやれば、必ず無理が来る」と申し上げます。
ただし、皆が平穏に、楽しく、夢を持って生活できているならば、「事実」を堂々と、あえて明らかにする必要はないと考えることも申し添えます。
なぜなら、このようなご回答を差し上げるケースは、誠に残念ながら、決して平穏ではなく、もう無理が来ているからであります。
「新千歳空港」は、あえて積極的に、「札幌市にあるのだ!」と表明しているわけではありません。
ある意味、その謙虚さが、人々に対し、北への思いを馳せらせる一員になっているのかもしれません。
だからこそ、「札幌新千歳空港」の言い方で、千歳市,苫小牧市の方々が、文句を言ったと聞いたことはございません。
私が札幌に出張するとき、しばしば「新千歳空港」と表現するのは、私たち道外の人間も、千歳市,苫小牧市に対する「ありがとう」の気持ちを持ち続けたいからであります。
これも業界用語?
2014年10月9日
今日は、霞が関の東京家庭裁判所に出頭しました。
地方出張し、東京都に隣接する県の裁判所には、しょっちゅう行き来しますが、やはり絶対数は、東京地裁,東京家裁が多いのです。
東京都内には、地方裁判所・家庭裁判所が2つあります。
23区と島嶼部を管轄するのが、東京地方・家庭裁判所で、霞が関にあります。
23区外,つまり、三多摩地域を管轄するのが、東京地方・家庭裁判所立川支部です。
東京で弁護士をしておりますと、東京地方裁判所立川支部に行くときは、『立川』と言いますが、東京地方裁判所に行くときは、『東京』とは言いません。
「霞が関」もしくは、「本庁」と言う例です。
これは、東京に事務所がある者のクセのようなものだと思っています。
ですから、東京以外の弁護士が、東京地方裁判所に行くときには、『東京』と言われるのであって、『霞が関』とは言われないのではないかと思います。
ある範囲の中でのみ通用する言語や決まりは、けっこうあるのではないでしょうか?
方言も、これに似ていると思います。
私が、東京を離れて、初めて暮らした福岡市では、「なおす」と言う言葉がありまして、少しは戸惑いました。
「なおす」は、直す、修理するではなくて、「しまう」つまり、片付けると言う意味でした。
もっとも、不器用で、面倒が嫌い、アバウトな人間でしたから、「なおす」は、どちらの意味でも、「あぁ、嫌な言葉だな」の思いに変わりがなく、大勢に影響ありませんでしたが。
しかし、外で、「霞が関に行く」と言ったら、これを聞いた一般人は、どこに行くと思われるでしょうか?
都内で、「霞が関」で連想するのは官僚,役人、「永田町」で連想するのは政界,政局でしょう。
ところで、霞が関2丁目には、警視庁があります。
警視庁のことを、よく「桜田門」と言いますね。
昔あった必殺仕掛人中村主水さんのことを、「八丁堀」と言っていたのと、なんだか似ています。
街で、「今から桜田門に行く」と聞いたら、ちょっと怖い、ヤバイ感じと思われてしまうのではないでしょうか。
歴史好きの方には、「桜田門」という言葉は、また違った感じに聞こえるかもしれませんが。
ごく内輪の中でのみ通用する言葉は、あまり外で堂々と使わないほうが「安心・安全」かと思われます。
ただ、東京地方裁判所に行くとき、「東京の裁判所に行く」と言って出るのは、なんか変だなと感じる毎日であります。
自由研究
2014年10月8日
10月6日は、台風が上陸し、関東地方を通過しました。
前日の段階から、学校はお休み,職場は午後からと決定されるなどしたためか、多くの混乱はなかったようでした。
ただ、行方不明となられた方や、家屋に被害など受けられた方がおられ、案じられます。
台風が上陸した日、実は、午後から、関東地方のある裁判所に出頭する予定があったのですが、東京新宿からの交通の便を配慮していただき、期日は延期されました。なんだか子どもみたいですね。
台風は、首都圏をあっと言う間に通過して、正午ころには晴れ間となって、暑さが戻って来ました。
以前、弾は当たらないで呟いたように、「安全は、一見無駄と思われる積み重ねによって維持されるもの」です。
そして、この無駄?となったと思える時間をうまく使うことで、「安全プラスα」を獲得したいものです。
例えば、ふだん時間に追われて、見落としたものはないか、より詳しく調べられないかなど、じっくり腰を据えて考えることです。
この日、台風の影響など関係なく、裁判所の期日が開かれ、期日に臨んでいたとしたら、言及しなかったであろうポイントがありました。
たまたま延期になり、裁判所期日のその時間帯に事務所にいたことで、別の依頼者の方とお話しする時間あり、その会話の中で、気づかされたのでした。
もちろん、そのことに気づかなかった,言及しなかったとしても、大勢に影響はなかったでしょう。
でも、『備えあれは憂なし』です。結果的に、これまた無駄と思えたものであっても、やはり武装?準備していくと、気持ちに余裕ができます。
私が高校生のとき、『自由研究』という時間帯がありました。
これは、その時間割を担当する先生に、突発的?事情が生じ、休講となることを意味します。
生徒は、この時間帯に、自由に勉学に勤しむことができる?という趣旨のようでしたが、「『自由研究』とは、うまいことを言ったものだ」と、この年になって思います。
そのころは、ゲームも携帯もありませんから、だいたい外で健康な運動をしたり、これも健康のために、食堂に行く、あるいは、LINEもありませんので、国語の勉強よろしく漫画本を利用して、読解力をつけるなど、それぞれに工夫しておりました。
『自由研究』の掲示が張り出されると、バンザイ!した記憶があります。
この『自由研究』こそ、今の私にはある意味休養であり、ある意味カンフル剤ともなると思います。
意外にも、自由業である弁護士には、自由になる時間がないものです。
『自由研究』は、自由時間を得たそのことをまず有効に使い、さらに、これまで追われて気づかないでいた物事を研究する時間ということだと思います。
学校がお休みとなった子どもたち、あるいは、職場がお休みとなったお父さんお母さん、あなた方は、どんな『自由研究』していますか?
現在は、スマホもLINEもありますが。
あるいは、昔の子どもたちのほうが、自由に、伸び伸び健康だったと言えましょうか。
小樽運河とサケの遡上
2014年10月7日
「逢いたい気持ちがままならぬ 北国の町は、つめたく遠い」
北のウォール街と呼ばれたかつての道内最大の商業都市小樽。
小樽市出身の鶴岡正義と東京ロマンチカの名曲は、この小樽を舞台にしています。
小樽は、富良野美瑛に並んで、福本が好きな北海道の街,そして景色です。
小樽の裁判所には、きさらぎ法律事務所開設以来、10回近く通いました。
そして、高台にある裁判所から眺めた小樽の街も、素晴らしいです。
でも、今回は、裁判所に行ったのではありません。
逢いたい人,いや、逢いたい「生き物」がいるのです。
それは、この時期、道内の川を遡上するサケです。
現在の小樽と言えば運河でしょう。小樽運河に、サケが現れたのです。
お世辞にも「きれい」とは言い難い運河に、サケさんの姿を見つけました。
運河に入り込む近くの小さい川に、昇っていくのです。
この川は、水量が少なくて、ただでさえ長い道のりを、必死にたどり着いたサケは、
本当に傷だらけになって、最後の力を振り絞っているかのようでした。
ただ、小樽に訪れた日の前後は、珍しい大雨が続いたとかで、水量があって、
いくらか痛々しさが緩和されたと感じると、地元の方に言われました。
サケは、母なる川に戻ります。
成人して、今まさに親になろうとするとき、きっと、自分のお母さんを追いかけてきたのでしよう。
さて、離婚での親権,別居中の監護権について争われます。
未成年者の親権・監護権を語るとき、父母どちらが、その子を出生から現在まで、中心になって、主体的に接してきたかがポイントだと言われます。
この「主体性」とは、「精神的情緒的つながり」を意味します。
そのため、特に未成熟子の場合は、「母親がふさわしい」と結論付られることが多いのでしょう。
ただし、暴力・育児放棄などが顕著で、子を保護する必要性が高いときは、別だとされます。
親権・監護権が争われるケースでは、しばしば父親側から、母親は、育児放棄したとの主張が出されることがあります。
夫婦間に諍いがあっても、子どもが特に小さい間は、子は、お父さん、お母さん、どちらも好きなのです。
暴力や育児放棄を受けている子、例えば児童相談所の管轄内で生活している子も、お父さん、お母さんが会いに来てくれることを、楽しみに待っていると聞きます。
親権者あるいは監護権者に指定されなかったお父さん,お母さん,お子さんは、離れていても、お父さん、お母さんが大好きなのです。
養育費の支払い,面接交流を通じて、子を愛し、責任を果たしていることを実感してください。
よく、「子どもは、監護親の顔を見る」と言われます。
元夫婦間に、葛藤が激しいケースでは、親権者となって、子を育てている親は、なかなか面接交流に、積極的になりません。
子どもは、わかっているのです。
こんなとき、「子が(父または母に)会いたいと言えば、会わせる」という答えが、いちばん悪いのです。
子は、監護親が嫌がっていることは、誰よりもわかっております。
以前、『離婚男女問題』で申しましたが、離婚により、相手も変わるのだと思い込む努力をしなければなりません。
また、なんらかの理由で、子を虐待等してしまったお父さん、お母さん、それでもお子さんは、あなたが大好きなのです。サケは、見たことがない親を探して、母なる川に戻ります。
なんらかの理由・事情により、お子さんと離れて暮らすお父さん、お母さん、お子さんは、あるいは、記憶がない父、母に会いたいと思っております。
ルーツを探して旅立つと言われますね。
こんなとき、『会いたい気持ちがママならぬ』とはなりませんように。
小樽のサケさんと会って感動いたしました。
経済効率は、体重と関係する…?
2014年10月4日
懐かしいプロペラ機に搭乗しました。
座席数は少なく、当然、機内は狭いです。満席でした。
ちょっと嬉しかったのは、荷物の収納に手間取ることが予想されるので、荷物室に預けることに協力をとの呼び掛けに、数人の人が名乗り出たことでした。
定刻に到着でき、時間が気になっていた私は、とても助かりました。
プロペラ機の航路は、利用する人が少ないかといかと言えば、必ずしもそうではないと思っています。
例えば、新千歳-女満別線はなかなか予約が取りにくいことで知られていますし、大阪伊丹と福岡の間にも、プロペラ機が使われることがあります。
これは、座席数に合った航空機のやりくりの必要性から生じるのだと思います。
よく、羽田-新千歳は搭乗率世界一,羽田-福岡,羽田-大阪伊丹までで、世界ベストスリーを取った年度があると報じられます。
世界的に見て、羽田-新千歳が、ドル箱であることはそのとおりです。
しかし、統計は、座席数から割り算するので、実数ならば、お隣韓国の済州島と、金浦や仁川を結ぶ航路,あるいはブラジル国内線などのほうが、上だと言われます。
要は、経済効率なのです。
カラの飛行機を飛ばしても、人件費・燃料費は発生します。福岡-松山、新千歳-函館などは、昔は、ジェット機が就航していました。
そんな事情から、日本の民間航路からボーイング747,ジャンボ機が消えました。子どものころ、SL蒸気機関車を追い回した経験からすると、ジャンボ機がなくなるのは、経済の重要性から生まれた物が、経済を理由に消えていく矛盾を感じます。
唯一の国産として、YS11は、惜しまれながら引退しましたが、近いところで、国産のジェット機がお目見えするようです。
このジェット機の売りは、座席数が少ないことだそうです。
やはり、あるのは経済効率ですね。
そして何か『想定外のアクシデント』が起こってしまうと、政界、財界も、このときとばかりに、経済を優先して、安全が蔑ろにされた可能性に言及するのです。
長く活躍するプロペラ機も、これから生まれる国産ジェット機も、長生きしてもらいたいです。
今日の出発空港での一コマは、プロペラ機,飛行機に、私たちも無理は求めないから、どうぞ長生きしてくださいとのメッセージにも見えたのでした。
でも、どこに荷物を置くかよりも、体の大きさで座席数を余分に取ってしまうような私には、「福本悟さん、体重減らして乗ってよ」と、聞こえなくもありませんでした。
「効率」は荷物だけの問題ではありませんね。