最近、徳川幕府、そして田中角栄氏を評価する声が聞かれます。
ともに外に向かって敵を作らず、戦闘行為がなく、国内でも大きな対立はなく、それなりに人々は納得して生きていたと言われるのです。特に田中角栄氏は、『昭和の顔』のトップに選ばれたこともあるようです。
日本が鎖国から目覚め、幕府の力が衰え、尊王攘夷が叫ばれてやがて倒幕に、そして明治維新を迎えました。若き志士たちが血を流し、王政復古を成し遂げて新しい国を作ろうとしたことで、幕末維新は、若者や歴女からも注目される時代のようです。確かに明治になり、新らしい国の骨格が決まり、近代化されていく過程は、私の時代の社会科の入試でも、いちばん試験に出るとされた部分でもありました。
数年前、NHKで、年末に3年間にわたって『坂の上の雲』と言うドラマが放映されました。これは司馬遼太郎氏が、なかなかテレビ化を承認されなかった名作であり、私も放映を楽しみにしていたものでした。ただ、なんとなく、私なりの勝手な解釈ですが、この時代を、そしてこのドラマをどう捉えるか、司馬遼太郎氏自身、幾らかの不安を感じておられたのではないかと思いました。
『坂の上の雲』には、3人の主人公がいます。いずれも幕末に四国松山で生まれ、それぞれの道で、日本の明治時代を支えることになる人物です。秋山好古、秋山真之、そして正岡子規です。司馬遼太郎氏の原作はともかく、あえて言えば、NHKでは、本木雅之さん演じる秋山真之に、スポットライトを当ててていたように思われます。
秋山好古は、大日本帝国陸軍の軍人で、陸軍大将にもなった人物ですが、日本騎兵の父とも言われます。秋山真之は、帝国海軍の軍人で、バルチック艦隊を迎え撃った日本海大海戦の折の作戦参謀で、彼が打電した『天気晴朗なれど波高し』は、今の世にも、あちらこちで使われているのです。正岡子規は、俳人歌人として知られますが、新聞記者の経験もあって、小説や評論の世界にも通じ、日本の近代文学に大きな影響を与えた国語学研究家であります。この3人が、幼少期から、松山での知り合い、遊び仲間であったことから、物語は始まりました。
司馬遼太郎氏は、もと新聞記者ですが、先の大戦で、壊滅的な結末を迎えた日本が、そこに至るまで、どのように近代国家として体をなしたかに関心を持っていました。明治維新により、急速に近代化した日本は、西欧列挙に学び、渡り合っていくにあたっては、やがては手が届くと思って登り始めたが、途方もなく遠く、長い道のりであったと言う、達成感よりも哀しさが残る感覚を、『坂の上の雲』と言う題名に残したのだと評価されています。『坂の上の雲』は、小説だけれども、司馬遼太郎氏は、事実のみ書いたと述懐されています。
ただ、明治初期の若者たちが、自己の志を、国家の進展と同じように捉え、それが秋山好古の騎兵隊であり、秋山真之の海軍戦術てあり、正岡子規の日本語による散文改革だったとの立場が出ていて、特に後半は、日露戦争が大半を割いているため、戦争賛美の作品と捉えられる危惧から、先のとおり司馬遼太郎氏は、この作品の映像化ドラマ化には、承諾されなかったと言うのが、NHKプロデューサーの弁でありました。
司馬遼太郎氏の相続人により、松山市に『坂の上の雲ミュージアム』が開設の許可を受けられましたが、そこには、『特定の政治、思想、信条を極端に賛美しない』という意図で開設にこぎつけたものでした。 NHKで放映された坂の上の雲、秋山真之の親友であって、旅順港閉塞作戦で落命した広瀬武夫中佐は、私が関心を持っていた歴史上の人物です。今では名俳優の仲間入りをされている元五輪選手藤本隆宏さんが演じましたね。
『杉野はいずこ』の歌で知られる広瀬武夫中佐、日本の軍神第1号として靖国神社に祀られ、かの石原慎太郎氏が、広瀬武夫氏の血染めのタオル?を保管していると報道されたこともありました。広瀬武夫氏の出身地大分県竹田市には、広瀬神社があり、市の博物館前には、その銅像があります。私は、『3分の2』に関して、あまりにも国民の意識が欠落していることに、もう居ても立っても居られない思いで、参議院議員選挙の日、大分県のある場所に行くため、前日、ついでと言っては失礼ですが、竹田市に行きました。私が見た広瀬武夫氏の銅像には、広瀬武夫氏が心優しい明治の男として紹介されていました。
軍神だとか英雄だとか無縁です。これは藤本隆宏さん演じる広瀬武夫そのままでした。そして私は先日松山市を訪れ、『坂の上の雲ミュージアム』に入館しました。『坂の上の雲ミュージアム』、まさしく特定の……のとおり、子どもや学生主婦らが勉強するスペースが設けられるているなど、日露戦争を持ち上げ、軍人らを讃えるものではありません。そこには静かに明治が、松山市が流れていました。
最近ある報道で、日本が、先の大戦であのような結末を迎えた、そしてそのように突き進んだのは、日露戦争に勝った!と言う勘違いがあったからだとする意見が、掲載されていることを知りました。私はもう、歴史に関心を持った当初から、日露戦争は負けなかったと言う認識です。セオドアルーズベルト大統領の仲介を得たのは、政治力であり、全権大使小村寿太郎外務大臣ならずとも、戦争が終わってよかった、負けなくてよかったと本当は思っていたのです。しかし、国民は、日比谷焼き打ち事件しかり、もう真実を見る目がなくなっています。カッコいい言葉に騙されています。そしてそのまま先の大戦に進む政府軍部を持て囃し、国民一体となった突き進んでしまったのでした。
私は、豊後竹田そして松山市に坂の上の雲の登場人物の足跡を辿り、彼らは決して英雄でも救国の主でもないことに、気づかされれました。少なくともご本人は、そうお思いだと受け取っています。それは、NHK『坂の上の雲』での秋山好古、秋山真之、広瀬武夫各人の描かれ方で確信しました。あの時代、志を持ち、優しさを持ち、生きていく過程で遭遇し、その場面で最大の力を発揮した先人たち、悔いはないでしょう。見事です。しかし、その後の日本が進んだ道、その過程で自分たちがいかなる評価され、後の世の人々に伝えられたかには、さて、どのように思われているでしょうか。
『世界一』とか、『強い』がある方から、盛んに述べられる昨今です。『我が軍』と言い、自衛隊員らを特に讃える言動をし、その賛同を求めます。 今年の12月、かつて戦ったロシア国の大統領が来日し、北方領土問題に大きな進展があるのではないかと言われています。ロシアのプーチン大統領、以前から『引き分け』という言葉を日本国民に贈りたいとしています。
かの日露戦争は、『引き分け』ではないかもしれませんが、日本は負けなかったと理解する私からすると、予定される『下関会談』の結果、あるお方が、こんなことを言われたら怖いと思います。『日本国民の念願が、我が内閣により叶った、北方四島のうち歯舞群島、色丹島が返還された。これは歴史的勝利であり、我が内閣の成果である』と。
そしてその直後に行われる衆議院議員総選挙、いよいよ憲法が変わってしまいます。日露戦争から学ぶのは、私なんかではなく、どなたかであるべきなのです。そんなことを松山市で考えてしまいました。
きさらぎ法律事務所での初回の相談は無料、相談時間の制限は設けておりません。このように申しますと、「本当?」と感じられる方が少なからずおられると思います。ホームページを見て申し込みされた方でも、この質問を受けることがあります。
実際このシステムを利用なさった方は、やはり本当だとわかります。
弁護士費用に関する日本弁護士連合会の規程が撤廃され、弁護士費用は、依頼者と弁護士が、自由に取り決めして良いことになりました。それで『初回無料相談』はできるのですが、巷聞くところ、相談料無料の法律事務所は、結構あるらしいです。ですから、『本当ですか?』のお尋ねは、相談時間に制限がないことについてであります。
むしろ、「何時間かかるのですか?」のご質問を受けることもあります。つまり、反対に、ずっと拘束されるのではないか、何かいろいろ聞かれるのではないかと思われるのでしょう。
予め30分と決めれていると、相談者は、これこれを聞こうと決めていて、質問してその答えを欲します。いつも言うことですが、相談者が聞きたいと思っていることが、事案の解決に有効かと言えば、全く無駄ではないにしても、解決には直結しないことがほとんどです。そもそも自分が期待する答えが欲しい、そうなるような前提で質問されるからです。
弁護士の答えが『YES』であったとしても、紛争の相手方にその通り言ってやっても、「はい、わかりました」とはならないですね。もし『NO』の回答を貰ったら、諦めますか?法律専門家の答えですから、食い下がっても仕方ないとは思っても、30分程度のやりとりでは、『それではどうすれば良いか』には進めません。
これは経験としか申せませんが、何時間もかかることなく、私の相談は終了しています。相談を受けて、質問に対する答えを出し、それではどうするか、相談者にとって何が良いのか、つまりこの事案の終着点はどこか、どこで収め、何を確保するのか、初回相談の機会に申し上げます。つまり解決を齎す回答です。そこに行くためのプロセスをその次に説明します。相談時間の前半は、ただ黙って聞いている、その質問に対する回答を差し上げる、そして後半は、それでは何をすべきか、どうするかを私からお話します。
後半戦は、ほとんど私が喋っています。そして『時間』終了です。過不足なく時間を使っています。ほとんどの方が、やり残し感なく帰られると思っています。時間制限なんかなく、ごく自然に終了しているものです。
ですから、時間制限はない、必ず面談して相談をと申し上げるところを面倒だ!とは思って欲しくないのです。電話、メールのみでの相談は受付していないのは、そんなやり方だけで解決できる法律問題はないからです。端的に言えば、しっかり時間を作って、弁護士に相談しようとの姿勢がなければ、抱えている問題は、解決しないのです。
最近は、きさらぎ法律事務所のホームページをよくご覧になっているのに、あえて電話で、とか、内容証明を出してとか、申し込みされるケースが出ています。アクセスしていただいたことは誠にありがたいのですが、お断りしています。その申し込み者にとって、何ら解決にならないからです。
さらに厚かましく付け加えますと、それでもいい、解決したかどうかは、自分で決めるのだとお思いでしたら、さらに危ない。相談を受ける前に『これを聞こう!』と考えていたところが、まず間違いと言えるからです。
それを気づいていただく、そして、ご相談者にとって何が解決なのか、そのために何をするのか理解していただいて、一緒にやっていきましょう、こうなるのです。
ここからのお話です。
それでも依頼されないのはなぜでしょう。
もちろん、同じような回答道筋を示されて、そちらの弁護士に依頼されるのは良いことです。私は、初回相談を終えた後、他の弁護士にも、相談されることをお勧めしています。もちろんそれは、安心して弁護士福本に依頼していただきたいからです。でも、その結果、私と同じような対応回答をし、その方向でやろうとなって、その弁護士に依頼されるのでしたら、解決します。解決までのきっかけを与えたことで、私も自己満足ですが、嬉しいです。しかし、持ち帰っても、『そのまま』の方がおられます。
せっかく相談を受けても、動かなければ解決しません。なぜ弁護士に依頼されないのでしょう。別に困ってなければ、人間は動きません。それはそれで良いのです。しかし、納得していないというのではなく、割り切れない、諦めきれない、やはり気持ちの整理がつかないのでしょう。
ここまでくれば、法律問題ではないですね。決断です。やらない限り変わらない、それでも良いのだと言うことです。それはひとつの選択です。ただ、問題の先送りは、いかがなものかとは思います。究極を言えば、もし相続が起きたらどうしますかです。
相談者にとっては、法律事務所にいらっしゃるのは、大きな階段を上がったことになると思うのです。今度は決断です。まだ自分の期待する答えが欲しくて、あちらこちら法律事務所を回っている間には、余裕があるのでしょう。
それでも期待する答えが得られなかったときは、決断が求められます。でも、最初にどこかの法律事務所を訪ねたときの決断より、ハードルは、下がったのではないでしょうか。弁護士に相談しようと思ったとき、そしてきさらぎ法律事務所に相談申し込みしたときの勇気があれば、解決できない問題はありません。
相談後のあなたの勇気を信じています。
航空機に搭乗する機会が少なくない私ですが、先日初めて離陸に向けて滑走路を走行中の搭乗機が、離陸を中止する事態に遭遇しました。ゴーアラウンド、すなわち、着陸復航の経験は何回かあり、それもーー見たわけではありませんが、ーー車輪が地上に接地する前に、機体が上昇したので、機内で衝撃を受けることはなかったです。
また、全員搭乗して、航空機がボーディングブリッジを離れた後に、何らかの不備が見つかって、誘導路に停止して、機体が整備された経験は何回かあります。 しかし、滑走路を走行中に、離陸が中止になった経験はなかったです。
かねてより滑走中の離陸の中止には、大きな衝撃がかかること、場合によっては前のめりになって、額をぶつけることもあり得ると聞いておりました。それ故乗客の安全のために、コックピットはギリギリの判断をされるのだと思っておりました。平たく言えば、不意に急ブレーキがかかるわけで、体が自然に反応するのは避けられない状態です。ですから、経験者は、怖かったと言われます。
これもよく言われることですが、離陸中止を決断するのは、ひとつの基準があります。『オートパイロット』、自動操縦が当たり前の現代の航空機でも、離陸は手動で行われます。つまり、人間の判断と腕によるのです。後に申しますが、私はこれこそ重要で、安心だと思っています。今回の離陸中止も、機械に頼らぬ機長の判断でした。さすがプロと唸らされます。 管制から離陸の許可が出ると、操縦室は、動力源を定められた離陸推力まで上げ、浮上できる速度まで加速します。ただし、エンジンの動作に問題がないか確認するために、ギアのブレーキをかけた状態で滑走しますので、万一推力を上げたのに異常を感じたら、停止することは可能です。
一般的には、異常なんてないはずですから、ギアのブレーキを解除して、オートシステムのスイッチを入れ、これが作動するとスラストレバーが動いて、エンジン出力が離陸に適した推力まで自動的に上昇、機長が操縦桿を握り、副操縦士とともにスラストレバーの上下を支えるのだそうです。 もっとも私は、その操作を実際見たわけではありません。これは、十年くらい前に、依頼者となったある航空会社の操縦士の方から、興味本位にお聞きしたものです。
ちなみに、操縦士の資格は、航空機の種類によってあるそうで、その方は、ボーイング747型の機長でしたが、この機種は、やがて無くなるので、そのときは、ボーイング777型機の操縦士の資格を取得中でありました。
しかし、それでも滑走中に、離陸中止となるケースはあると言うことです。今回の私のケースは、滑走中と言っても、すぐに「あぁ、止まったな」とわかるもので、ほとんど衝撃はありませんでした。ですから、さほど航空機が離陸に向け、速度を上げて、進んでいなかった段階で、中止措置がとられたのだとわかります。
速度から、残りの滑走路を使って離陸中止が許される限界があります。その位置を、速度と残りの滑走路の長さから『V1』と呼ぶらしいです。V1を超えての停止操作は危険であり、V1を超えたらいかなる場合でも、離陸操作を継続しなければならないとされています。 かつて福岡空港で、ガルーダインドネシア航空の航空機が、滑走中に離陸を中止し、滑走路を飛び出して防御フェンスも破壊し、空港敷地外の道路を超えて停止した航空機事故がありました。この事故は、死傷者が出る惨事となったのですが、V1を超えたのに離陸を中止しようとしたたことが、大きな原因だとされました。よく離陸後何らかのトラブル、例えば片方のエンジンが停止したとかで、出発空港に緊急着陸した航空機の例が報じられます。
そのうち離陸の操作中に異常を感じたが、既にV1を通過したので浮上したケースはあると思います。 私は、オートパイロット化された現代でも、離陸時だけはパイロットの手動を要する点で、離陸は安心しています。裏返して言うと、あまりにも機械に頼るのは危険だと思っていると言うことです。安全性には影響はなかったかもしれませんが、今年は、航空会社の発券トラブルが相次ぎ、機械のメンテナンスやバックアップの不備で、全国の空港で、搭乗手続ができなくなつたことや、ベルトコンベアの不都合で、貨物室へ乗客の預けた荷物を搭載できないまま出発したこと等、コンピュータ、機械のトラブルが少なくない感じかします。
機械を作るのも人間、結局は公共交通機関に携わる人々の使命感、プロ意識によって、安心安全が確保されているのだと思います。 私が搭乗した10月8日ANA631便A320型機は、離陸を中止して整備をしなおしましたが、結局運航不能となりました。
早朝の羽田空港だったこともあり、2時間少々遅れて、代わりのA320型機が用意され、目的地に飛び立つことができました。離陸を中止して、整備に入りますとの機長のアナウンスでは、浮力に関わるエンジンの不備があるとのことでした。そのまま離陸を強行しなくて良かったです。命あっての物種、私が見回した限りでは、搭乗客誰一人、遅れたことに文句を言うことはありません。まさにプロとはこうあるべきと身をもって経験した三連休初日の出来事でありました。
少し前の話ですが、大阪市内の寿司店が、特定の国のお客様に、大量のわさびをつけて握り寿司を出していたことが、ネット上で批判を受け、このグループ会社が、弁明に追われたことがありました。
会社による聞き取り調査などによると、確かに特定の店舗のある従業員が握った寿司には、かなり多くのわさびがつけられていたことが、確認されたようです。
ただし、これは差別や嫌がらせではなく、わさびを大量に求める外国人の方があったことが契機に、そのようにしたとのことで、いわばサービスのつもりだったと聞こえました。
もっとも、ネット上のコメントでは、実際笑いながら、あるいは特定の国籍の人を嘲笑うかの言辞を吐いていたとも伝えられていて、少なくとも写メされた画像を見る限り、『わさびテロ』と称されたことがわからないでもないくらい、とても美味しく寿司を食べられるものとは思われないのです。
ところで、これはネット上に出ていたのですが、わさびテロを行なった店舗従業員に対する同情あるいは共感する意見が寄せられていました。
その理由は、特定の国に対する嫌悪感からなされた一見して分かる内容で、理由にもなりえないものです。文句があるなら来るな!件の国でも排日教育をしているとか、ここで論じる意義はありませんのでコメントはいたしません。
私は、差別云々以前に、この職人さんは、寿司職人としてのプライドや、お客様へのおもてなしの気持ちはないのかと思いました。寿司職人には頑固な人、こだわりを持つ人が少なからずいて、自分の信念、寿司へのこだわりこそ最高の寿司を出せる前提だとして、客の好みや希望を聴かないのだと聞いたことがあります。おもてなしの形はさまざまで、ニヤケながら寿司を握るのもひとつのあり方かもしれません。
しかし、お客様は、わさびを食べたくて来店したのではないと思うのですが。
この記事が誌上に現れてしばらくしたころ、ひとつの話題が先の『わさびテロ』の被害に遭った国民から、提供されました。今度は、大阪市内のバス会社が、その国籍の乗客に、差別的とも取れる対応をしていたと言うのです。『被害者』は、大阪市内の営業所で乗車券を購入するとき、英語で自分の名を名乗ったそうです。
その際、日本語で言えば苗字の部分のみを伝えたところ、乗車券に表示された名前が、カタカナで表記されたいわゆるファーストネームに続けて、かつて日本人が、その国民を蔑視する意図で使用した『◯ョ◯』を印字したと言うのです。実際写メされたその乗車券には、そのように書かれていていたことが確認されています。このバス会社もその事実は認めました。ただし、差別的意図はなかったとしています。
このバス会社によると、実際発券に携わったのは、20代の女性で、そんな『差別用語』はそもそも知らないと言いたいようです。確かに差別する意思はなかったのかもしれません。英語での発音が、そんなふうに聞こえたからだと言っています。しかし、このバス会社の乗車券には、氏名を全て表記されることはないことが確認されています。
例えば、『スズキ』の類です。それに『◯ョ◯』と聞こえたってのは本当なのかはともかく、あえて書く必要はないですね。私は、日本語が得意ではないと見たお客様に、面白おかしくふざけてやったのだと感じます。実際、帰国して日本語がわかる人から指摘を受けて怒りが湧いたと報じられていました。
さらにこんな例も報道されていました。やはり大阪市内の鉄道会社のケースです。10月の三連休で混雑する関西国際空港へ向かう車内で、担当車掌が、「本日は、多数の外国人のお客様が乗車されており、大変混雑しておりますので、日本人のお客様には、ご不便をおかけしています」とのアナウンスをしたことで、社内で口頭注意をされたことが明らかにされました。なんでも始発駅で、日本人の乗客が、外国人が多くて邪魔と叫んでいるところに遭遇したので、トラブルを防止するために、アナウンスしたとのことでした。
差別する意図はなかったが、あたかもお客様を区別するかのアナウンスをしたのは不適切だと言う会社の判断が述べられていました。これまでも、外国人の乗客の大きなバッグ等で、苦情が出ていたけれども、この車掌さんがアナウンスしたのは初めてと付け加えられております。
この最後の例、私も、差別的意図はなかったのだろうと思います。ただ、やはり『区別』と捉えられる発言はチョットまずいかなと感じます。混雑する車内で、バッグ等が邪魔なのはよくあることですが、それで迷惑?するのは、その場に居合わせた乗客であって、必ずしも日本人だけが迷惑を受けたのではないですから。でも、この事実を電鉄会社に通報したのは、アナウンスを聞いた日本人の女性だそうです。いつもこんなふうにマニュアル化されているのかと尋ねたと伝えられています。この通報者には、差別的と映ったのでしょう。
これまでの例が、『被害者』側からあらわにされていたのと異なり、興味を持ちました。会社が不適切と判断したのですから、『通報』は正しかったとなりましょう。でも、不適切かもしれないが、悪意を感じないのはなぜでしょう。
大阪の鉄道会社で思い出したのは、これも少し前に、先行列車の人身事故により、途中駅に停車中の電車の車掌が、乗客からのクレームに耐えかねて、自殺すると喚いて制服制帽を脱ぎ捨てて線路内に侵入、高架線から飛び降りて(落下して)、大怪我を負った事件?です。これには、この車掌さんへの同情が多く聞かれました。会社が、彼を懲戒処分しないようにとの署名も行われています。ここで問われたのは、人身事故による遅延と言うこの車掌さんにはどうにもできないことに関して非難し詰め寄り、罵倒することの適否でした。
公共交通機関でのマナーは必要ですし、我慢も必要でしょう。外国からのお客様には、日本でのマナーを理解していただくのは難しい面があると思います。
しかし、日本人は、マナーをわかっているはずです。
また、接客業に携わる方は、今は、外国からのお客様相手無くして、商売は成り立たない現実があると思います。そんな中で、差別、不適切、マナー違反、あるいはクレーマー等等、サービスを提供される側も、意識を高める必要があると思っています。ここが徹底されていない接客業は接客業の資質はなく、また、公共の場での自己中クレーマーもまた、サービスを提供される資格なしと考えます。
接客業ってなんだろう、利用する側もされる側も、真面目に考えるべきだと思うこのごろの大阪での『事件』でした。
今年は、10月になっても雨が多い東京です。
一般的には関東は、10月、11月は晴れた日が多い印象で、『特異日』と言われる11月3日は、まず雨は降りません。この時期北海道では雪虫が飛来して、市街地でも初雪が観測されます。そして雪に変わることころは、霙混じりの雨が降ります。日本海側の北陸地方でも、この時期雨が降ります。特に雷を伴って激しく降ることがありますね。地元では、これを『鰤起こし』と呼ばわれると聞いたことがあります。
雷は嫌ですね。
数年前の11月、小松空港を離陸して上昇中、突然大きな音がして、搭乗機が急降下したことがありました。しばらくしてキャビンアテンダントさんから、落雷を受けたと説明がありました。例によって、航空機の安全には全く支障がないことを、機長より確認いたしましたので、飛行を続けますとの付加されました。
もっとも、機内に聞こえた女性の叫び声の方が大きかったですが。
今日は、数年ぶりに小松空港を利用しました。小松空港は、正式には『小松飛行場』と言われ、航空自衛隊小松基地と民間航空が滑走路を共有する防衛省が管理する飛行場で、管制は、自衛隊が担当しています。
石川県小松市にあるので、小松空港と呼ばれていますが、航空会社時刻表等では、『小松(金沢・福井)と記載されることがあります。小松飛行場は、太平洋戦争下に、旧海軍が攻撃隊を要する滑走路を開設するために建設し、終戦後の昭和20年11月、大蔵省を経て米軍に接収されました。
その後サンフランシスコ講和条約の発効により、小松飛行場が開港されたのです。北陸への玄関口として重宝されていたこの空港も、北陸新幹線の開通により利用客が減り、東京便は減便になっているようです。
でも、羽田から小松まではかなり低空で飛行するので、好天の日は富士山や北アルプス、そして日本海等が眼下に見えて、航空ファンには人気の空路だと聞きます。
今回は、鰤起こし、すなわち、雷には、当たりませんでした。ただ、数日前の台風18号が近くを通過したときはかなりの風雨が降って、一部の便が欠航になったようです。北陸地方と雷と言うと、航空機だけではありません。
富山、長野、岐阜の山岳地帯を住処とする天然記念物に指定されているのが、ニホンライチョウです。漢字で書くと『雷鳥』です。かみなりの鳥!と聞こえます。雷は、サンダー、鳥は、バードです。『雷鳥』を、サンダーバードと同じと考えて当然かと思います。
昔JRの特急に、『雷鳥』がありました。大阪から富山まで、湖西線を通って運行されていました。それが京都を出ると、福井、金沢、高岡、富山のみ停車する『スーパー雷鳥』が登場しました。単に早いと言う意味だと思いますが、その後『雷鳥』は無くなり、JR西日本の『サンダーバード』になっています。北陸新幹線の開通により、現在は、大阪と金沢の間で運行されているのです。
ニホンライチョウは、富山県に生息しているので、確かに『雷鳥』は、似合わなくなったのかもしれません。
ところで、『サンダーバード』は、『雷鳥』の格上げ、要するに雷と鳥の英語版かと思われる向きも多いかと。実は違うのです。昔何かの本で知ったのですが、『サンダーバード』の名付け親は、当時のJR西日本の社長ですが、『サンダーバード』とは、アメリカ先住民族に伝えらる神話が、ルーツなのだそうです。
雷光と雨を起こす巨大なワシに似た鳥が居て、これが颯爽と走るように飛び立つ様子から『サンダーバード』は生まれました。先にも申しましたが、『雷鳥』の雷はサンダー、鳥はバードなので、しばしば特急『雷鳥』の語呂合わせと思われると聞いています。昔鉄道ファンを自称する私ですが、最初は、『スーパー雷鳥』イコール『サンダーバード』だと思っていたのです。ちなみに、雷鳥の英訳は、Grouseだそうです。
今日は、金沢駅で、『サンダーバード』を見ました。
今、日本海を横目に小松空港に向かうところですが、とても天気が良いです。今日は飛行中、雷には当たらないはずです。
神話の世界のサンダーバード、やはり雷と関係すると知っても、なんかロマンチックな感じがします。でも、なんでニホンライチョウは、雷の鳥と書くのでしょう。以前立山で見ましたが、おとなしい鳥でした。この時期小松空港を利用すると、なぜか雷と結びつけてしまうのでした。