ANAグループに起きたコンピュータシステムの不都合に関する報道に寄せて。

2016年3月28日
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踏んだり蹴ったりの言葉があります。3月のある日、鹿児島空港に居た人の思いです。その前日の午後、鹿児島空港に着陸しようとした小型機が、前のめりで着陸して前部が破損、滑走路上で動けなくなった『重大インシデント』が起きました。

インシデントと認定されたとおり、さいわい怪我をされた方はおられませんでしたが、これがために滑走路が4時間以上閉鎖され、鹿児島空港を離発着する航空便に、欠航遅延が発生しました。ちなみに、昨年も、鹿児島空港では、小型機が、管制からの指示を聞き間違えて、民間旅客機の着陸進路を妨げ、重大インシデントとされる事態が起きています。

鹿児島空港での重大インシデントの翌日、ANAホールディングスの全日空空輸で、朝8時20分ころ、航空便の発券システムに不都合が発生し、予約、販売、搭乗手続きができなくなり、この日日本中の空港で、全日空146便が欠航、多くの遅延が発生し、この日の全日空国内線の半数以上が影響を受け、数万人に影響が出たと報道されていました。
最終的には、12時間経過した同日午後8時を過ぎたころに、完全に正常に戻ったことが確認されたようでした。なんでも複数のデーターベースのサーバー間で、情報を共有する機能に不都合が起きていた可能性が高いとのことです。この影響で、前日鹿児島空港で足止めを食らって『宿泊』を余儀なくされた北海道に帰ろうとする方が、この日も搭乗できず、結果鹿児島に2泊する事態になったと嘆いていた姿が、報道されたていたのです。

私は、全日空便にも搭乗しますから、決してANAホールディングスに、他意を持つものではありません。しかし、今回のシステムダウン?に関しては、全日空には多いに反省していただきたいと思います。特に私は、このところ、ANAには、気になる2つの出来事があったから、そう思うのです。これのうちひとつは、今回のシステムダウン?が発覚して、「少しだけ」記事にされている事柄です。

私は、今年の2月24日午後、鹿児島空港におりました。さて、搭乗前に、鹿児島最後の焼酎をと思ったそのとき、全日空からアナウンスがありました。「搭乗手続きを中止します。コンピュータシステムが故障したので、復旧までしばらくお待ちください」とのこと。そして30分くらい待ったでしょうか。システムが回復したので、搭乗手続きを再開しますとアナウンスがあったのです。写真

こんなことを言ったら失礼ですが、鹿児島空港から各地に向かうANAは、頻発しているわけではありませんから、鹿児島空港では、欠航遅延は起きなかったようで、ここに居合わせた方は、『影響』を感じられなかったと思います。

トラブルの原因は、説明ありませんし、私はこのとき、当初鹿児島空港だけのトラブルと思ったのです。要は、トラブルによる実害がなければ、どうでも良かったのです。ただ、羽田空港に到着したら、この日のアクシデントは、ANAグループが関わる全国の空港で起きていたことを知りました。コレってしっかり原因を突き止め、責任の所在を把握しなければ、同じことが起きるなと思ったことを覚えています。

今月21日、経済誌に、ANA元会長が、リーマンショック後、会社一丸となってどん底を脱するまでと題して、公的支援を受けるに至ったJAL日本航空と対比しながら述懐する記事が載っておりました。JALを批判する意図に出たものではないと思いますし、苦境を脱するために会長はじめ、ANAグループ一丸となって努力したことには敬意を評したいとは思います。


ただ、全体の論調が、『競争』であり、随所にコストダウンなる言葉が出ていました。『競争』は、福本悟が大嫌いな言葉です。会長は、社員一丸となって頑張ったと仰りたいのでしょうが、露骨に労働時間を増やしたなんて言われると、やはり利益のため、生き残るためたは、人件費なんだなと思わざるを得ませんでした。競争と安全は、どうやって調整するのでしょう。このコンピュータシステムの不都合が起きる前日、春の陽気に囲まれた三連休の最終日に発表された全日空元会長の談話、あまり好きにはなれませんでした。

さて、この日の『不都合』は、不都合で済めば、いずれ人々の記憶から抜けるでしょう。それにしてもコンピュータシステムって脆いですね。便とお客さんが少ない鳥取空港では、『手書き』で搭乗手続きを行うことができ、影響はなかったと報じられていました。航空機は、魔の15分と言われる離発着の時間以外は、計器飛行です。


いわゆるコンピュータ管理されて、運航されているのです。9.11同時多発テロでは、このコンピュータシステムが、犯人にハイジャックされたと言われております。

人件費を落とし、長時間労働については、社員一丸となってと捉える企業経営者からすると、コンピュータ管理されることは、時代がもたらすものなのでしょう。でも、離発着は手動で、ひとたび故障したコンピュータは、人の手を借りなければ復旧しない現実が未だ存在する以上、やはり人を大切にしなければならないでしょう。


2月24日のコンピュータシステムの不都合の教訓は、活かされなかったのでしょうか?公共交通機関の経営者が、『競争』や『コストダウン』を誇示するような論調を露わにしたとき、たまたま発生したこのアクシデントに、真摯に向き合って、空の安全を守り抜いていただきたいと思いました。

私は、空港をテーマにした曲が好きです。

2016年3月25日
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上野発の夜行列車降りたときから……。今月、ある航空会社の機内オーディオのあるチャンネルで、最初に流れてきた昭和の名曲です。今月21日、上野発の夜行列車は、21日上野駅に到着した札幌駅発『カシオペア』をもって、全ての運行を終えました。そして、国内最後の急行列車であり、ブルートレイン札幌駅と青森駅を結ぶ『はまなす』も、運行を終了しました。昔鉄道少年だった私は、ひとつの時代が終わったなと思いました。

上野発の夜行列車が役目を終えたのは、新幹線が、青函トンネルを通過して北海道に繋がったことによるものです。東京駅から九州に向うブルートレインが廃止されたのも、新幹線そして航空機に取って代わられたことが大きいです。ブルートレインと言えば『夜』の駅がテーマですね。ところで、有る意味ブルートレインに取って変わった航空機も、その出発地である空港、これは夜のイメージがあるように思います。そして、空港のイメージ、コレって私は『雨』が似合うと思います。

写真 2
この『ひとりごと』でも書きましたが、私がいちばん好きな空港、それは新千歳空港です。ここには、『北空港の記念碑』があります。「夜の札幌…」で始まるこのデュエットの名曲、やはり空港は夜が映えるようです。それは、別れと合うからでしょうか。空港を歌った曲は、たいてい夜ですね。
古くは、フランク永井さんの『羽田発7時50分』青江三奈さんの『国際線待合室』、私の司法修習生時代によく聞いた中森明菜さんの『北ウイング』もそうでした。それと、空港は、雨が似合うようです。なぜでしょう。
写真 1
私が好きな歌手として、アジアの歌姫こと、テレサテンさんがおりました。このテレサテンさんが、日本レコード大賞新人賞を受賞した曲が、『空港』でした。「何も知らずにあなたは言ったわ。たまには、ひとりの旅もいいよと。雨の空港……。」また、テレサテンさんと同じ台湾出身の先輩歌手、欧陽菲菲さんの『雨のエアポート』は、名前そのものですね。雨は、別れに似合うのでしょうか?涙雨なんて言われますね。

 昔鉄道少年だった私は、今では、毎月羽田空港から、何処かに行きます。テレサテンさんは、たまにはひとりの旅もいいよと歌われましたが、私は毎回ひとりで機内の人となります。そして、私が旅立つ?のは、夜ではなく、だいたい早朝です。そして、出張先から帰って来るのは夜です。ただ、なぜか雨の日が多い気がします。それは、私の仕事上、あまり嬉々とした場面はないからなのかもしれません。 

 空港では、特に羽田空港は、ありとあらゆる方面に向かう人が集まります。そして機内には、さまざまな事情を抱えた人が搭乗しています。以前新宿駅から、箱根に向かう小田急ロマンスカーの車内について、この『ひとりごと』でも書いたことがあります。

航空機の 中には、今、空港で、大切な人と別れたばかりの人もいるでしょう。また、これから大切な人との最後の別れの場に行くため、搭乗した人もいるでしょう。もちろん航空機を利用する人は、楽しい旅行のためが少なくないでしょう。でも、やはりブルートレインで、のんびりとはいかない人生模様がそこには有るのだと思います。

 演歌は、涙そして別れが付き物です。空港をテーマにした歌は、自ずから明るいものではないのでしょう。この日私は、雨のエアポートを行き来しました。日頃仕事に追われて、空港は、別れと雨が似合うなんて、あまり意識したことはなかったです。夜羽田空港に戻り、1日行き来した事情を振り返り、空港は、人生の縮図、やはり演歌が似合うと思った次第です。

 

 

毛利元就の『3本の矢』とアベノミクスの『3本の矢』

2016年3月24日
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幕末から明治維新を語るとき、好き嫌いは別として、島津氏の薩摩藩、毛利氏の長州藩を無視することはできないでしょう。

 

島津氏も毛利氏も、関ヶ原では西軍となったため、徳川幕府となって、大きく領地を失いました。ただ、島津氏はもともと薩摩、すなわち鹿児島県ですが、関ヶ原の後、防長2ヶ国となった毛利氏は、もともとは現在の山口県ではなく安芸の国、すなわち今の広島県の出です。ですから、戦国時代を舞台とすると、毛利氏は、広島県のイメージで語られるのだと思います。

 

写真 1『三本の矢』と言えば何を思い出しますか?そうです。アベノミクスの3本の矢です…でしょうか?

 

矢は放つ性質のものですから、発動したとか、実行した等と言われることがあります。たとえ実行されていなくても…。私は、アベノミクスの3本の矢は、難し過ぎて理解できません。

 

もっとも、理解しようとしないと言われたこともあります。

 

その1、大胆な金融緩和、

その2、機動的な財政出動、

その3、投資を喚起する成長戦略

だと言われます。

 

これは就活生には不可欠な知識なのだそうです。 私でも、ひとつだけわかることがあります。この『政策』は、デフレの脱却を意図していることです。それは、その1で、異次元と称される金融緩和、すなわち、日銀が、市場にジャブジャブと金を流し混んだことです。物の価値が低いから投資や消費が起きない、景気が悪いと言うわけです。

 

世の中にお金が出回ると、企業や家庭にーー例えば銀行が貸し付けするなどしてーーお金が渡る、みんながモノを買う、つまり消費が起こると良い物が出回り、競争も起きて物価も上がるだろうと帰結されます。 長い間のデフレ?に変に慣れたのか、私は、この冬のガソリン、灯油の低価格を経験して、そもそも「デフレって悪いの?」と考えてしまいました。悪いのは、多くの国民が感じる不景気であって、そのように感じるのは、格差が進行しているからです。

 

灯油を買えて、投資ではなく、凍死しなかった家庭はあると思います。それに、つとに株価の上昇が、政権側から声高に言われますが、株なんてやれる人は、お金と余裕のある人です。庶民派?の私なんか、株はやったことはありません。それに、株価の上昇は、その性質上当然期待値が含まれているのであって、実際の経済情勢を反映しているのではありません。つまり、お金持ちの期待に乗るかたちで発動されたわけです。 その2の財政出動は、ある意味昔の自民党に戻った感はあります。市場に流れたお金を使ってもらうと言う建前で、聞こえの良いインフラ事業が続々出で来ました。昔土建屋が儲かる公共事業なんて言われたことがありますが、確かにダムや道路、整備新幹線、果ては原発再稼働まで、民主党時代はもとより、躍起になった『小泉改革』より前の時代に先祖かえりした感じです。

 

でも、公共のためと言うなら、少子高齢化社会に沿った事業に、早々と予算を計上し、お金をかけるべきでしょう。ところが好収益、つまり儲かった企業はどんな業態でしたか?私は、経団連をはじめとする名だたる経済団体に名を馳せる企業に、福祉や教育、医療介護方面を見たことがありません。多額の法人税の減税をした上、『政策減税』まで受けたベスト何かの企業の名前は、この『ひとりごと』でも挙げました。少しも『公共』のためになっていないと思うのですが。

 

改正された派遣法、あれは雇用の安定になるんだそうです。賃上げも…。 ここまで来れば、その3、成長戦略なんて、聞こえ倒れですね。新しい起業をし、女性、高齢者等どんどん登用して、世界に通じる新たな業態を生み出すのだそうです。でもねえ~。政府与党の本音は、女性の役割はなんでしたっけ?終末医療にお金をかけることって、よかったかな?高度経済成長期ならともかく、少子高齢化社会に根本的に合わないと考えるのは、私だけではないと思いますが。

 

仮に『うまくいく』ところがあっても、結局は、庶民には『好景気』は実感できない仕組みに絡め取られています。消費税が上がりましたから、労働者の実質賃金が上がらないのでは、消費は起きない、公共事業と言い、資材と人材を要するところとなっても、同時に起きた円安により材料価額があがり、人手不足なのに賃金を上げることができず、良い物が適切な価額で市場に出ず、投資も起きにくい、これを内包しています。 『三本の矢』、これは良い言葉ですね。これに乗っかったのかな?

 

でも、もともと『三本の矢』は、何かを積極的に行うと言う意味ではありません。この言葉は、戦国大名毛利元就の『三子教訓状』から、後の世の人が、『毛利元就の三矢の教え』を創作したと言われるのです。三子教訓は、子の毛利隆元、吉川元春、小早川隆景に対し、毛利本家の結束を求めたもの、具体的には、毛利家を快く思わない者がいるから、兄弟仲違いすると、毛利家は滅亡するとの戒めを説いたものです。

 

これが1本の矢は折れる、しかし3本の矢は折れないの逸話に繋がります。いずれにしても、カッコつけや新しいことに突き進むことを求めるのではなく、まず身内足元を固めること、力を合わせて『目的』を実現することを求めるものです。戦国大名である毛利元就は、天下を狙いませんでした。毛利家、そしてその領民の安全安心が目的だったのでしょう。

 

現在日本国憲法のもと、政治を託された者は、国民のために、その安心安全のために、自己を律する立場です。アベノミクス、なんか自己満足に聞こえます。国民の安全安心が目的ではないように思えてなりません。 さて、私が、『3本の矢』について書いたのは、毛利元就の里、広島県安芸高田市吉田町に来たからです。

 

毛利家は、山口県ではなく広島県だと知ってはおりましたが、この山間の町に、決して目立たず、格好に囚われず、天下を望まない、変な野望もなければ、自分がいちばんなんて思っていない地味な、知る人ぞ知る毛利元就の足跡を感じたからです。

 

毛利家が収めた長州、山口県ご出身の方もまた、『3本の矢』はお好きですが、さて、毛利元就との評価は、『歴史』が決めるのでしょうね。

航空機のいちばん前の座席に座った経験から。

2016年3月23日
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福岡と新千歳に行く場合、JAL、ANAはたいていボーイング7777型機を使用しているので、私は、最前列の座席に座ったことがありません。

それは、ファーストクラス、プレミアムクラスと言って、確か1万円近くする座席だからです。これだけ航空機に搭乗する機会があっても、料金を知らないのですから、とんとご縁がないことがバレます。スカイマークやエァドウでは、一番前の座席をゲットできたことが何回かあります。特に札幌の裁判所午前10時に出頭する等往路では、とでも重宝です。


さて、今日は、JAL広島空港行き始発便で、『1H』をゲットしました。このところ何かと縁があるボーイング737型機でした。もともとこの区間は、ファーストクラスは設定されていないからです。
写真 1

チョッと嬉しくなって、写メ撮りました。ただこの席、意外な?経験をすることがわかりました。良かったことは、いちばん出口に近い席ですから、到着して扉が開くと、最初に出られることです。これを最初に言ったのは、他は……だからです。早く出たい!感情が湧く座席でありました。今日は、ーーいつもか?ーーつまらない話に、お付き合いいただけますでしょうか。

ボーイング737型機は小型で、通路は1本です。座席の位置が、通路に出ているのです。もちろん、通路に座席を設定しているのではありませんが、機内に入ると、すぐここにぶつかります。それで搭乗客は、これにより狭い『通路の幅』の感覚が掴めます。私は、終わりのほうに搭乗したので、あまり実害はなかったですが、それでも機内に入って、『通路』を見つけるまでの間、搭乗客の荷物がモロにぶつけられます。


この機種、トイレは前方1箇所、後方2箇所あるのですが、人間の習性でしょうか、進行方向にあるトイレを使うのですね。睡眠中、トイレから出て来た人に、何回か足を踏まれました。出発前の手荷物の収納は、落ち着きませんね。ファーストクラス等は違うのでしょうが、私は、最前列の上の棚には、毛布や非常用設備?等航空会社の物が予め積み込まれていることが多いことを知っています。

すると、このあたりの座席で荷物をたくさん抱えた乗客の荷物は、何処か違う場所に収納せざるを得ませんから、乗客とキャビンアテンダントとの受け渡しが、私の横や頭上で、航空機のドアが閉まる直前までなされることになります。

こうして航空機が出発すると、いつのように、睡眠の時間となります。と言うよりも、この『ひとりごと』でも書きましたが、ある事情により、狸寝入りします。しかし、いちばん前の座席ですから、『あちら』もそれがすぐにわかります。飲み物のカートがお出ましになると、知らん顔はし辛いです。でも、狸寝入りがバレると体裁悪いような気持ちになり、目を開けていると、目の前には、キャビンアテンダントさんが、座っておられます。


困ったことに、この日は、天候の関係で揺れが多く、キャビンアテンダントさんも、座っている時間がいくらかありました。目の行き場がないのです。寝たふりダメ、目を開けてもダメは、辛いですね。なんか落ち着きません。

そんなこんなで、本当に疲れたのか、本当に寝てしまったようです。すると突然上下左右に激しく揺れたのです。『地震か!』と咄嗟に思いました。でもすぐに、自分は航空機に乗っている、地震で揺れるがわけないことに気づきました。

そうです。航空機が広島空港に着陸したのです。着陸時の衝撃を地震かと思ったのでした。つまりそれだけしっかり寝ていたと言うわけです。私の目の前にお座りのキャビンアテンダントさん、さぞかしだらしない中年オヤジの醜態を見せつけらてイヤだったでしょう。

写真 2
こんな経験をして、ひとつわかりました。疲れているときこそ、いちばん前の通路側の座席をーーもちろん機種と航空会社によりますがーーゲットしようと言うことです。キャビンアテンダントさんと目が合い、また、狸寝入りは通用しない場所です。狸寝入りなんかしなくても、緊張で?疲れて自然に寝てしまいます。あっと言う間の到着でした。


今日も、朝4時台に家を出ましたから、貴重な体力回復の機会となったようです。そうこうするうちに、目的地に到着しました。随分山の中です。さて、ここで何を呟くことになりましょうか?

 

山陽自動車道八本松トンネル車両火災事故の報道に寄せて。

2016年3月22日
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昔鉄道少年だった私は、蒸気機関車を追い、また、ループ線やスイッチバック等の特殊な路線には、かなり興味がありました。


スイッチバックは、箱根登山鉄道でも見ることはできますし、ループ線も、北陸本線敦賀新疋田間や、上越線の土合土樽間にもあります。ただこのループ線は、トンネルが絡んでいて、あまり山登りの実感がないと思います。山を回っている感じがするのは、肥薩線の通称大畑ループ線です。ここにはスイッチバックもあり、私は、司法修習生として福岡市に住んでいたとき、見に行きました。今では、観光列車も運行されているのです。


スイッチバックやループでなくても、峠越えはあります。急勾配を登ることで有名なのは、旧信越本線の碓氷峠、すなわち横川軽井沢間でしょう。この『ひとりごと』でも何回か取り上げました。それと、『峠』と言う駅名もある奥羽本線板谷峠と合わせて、かつて日本の旧国鉄三大勾配区間と言われたのが、通称『セノハチ』広島県内にある山陽本線八本松瀬野間です。今日はセノハチのお話です、

この区間10.6kmは、瀬野駅から八本松駅に向けて22.6‰の急勾配で、上り列車には、補助機関車を連結して、連続した急勾配を走行しています。


ただし、平成になってからは、貨物列車のみが増結の対象で、しかも、八本松瀬野での連結切り離しではなく、広島貨物ターミナルと八本松駅の先、東広島市の中心西条駅で、これが行われているようです。これは、通勤電車にも、セノハチの通過に支障のない動力を備えた車両が、投入されたからです。

私は、子どものころブルートレインこと、夜行寝台特急列車によく乗車しました。東京からは、九州山口に向かって、さくら、みずほ、はやぶさ、富士、あさかぜが運行していました。


歴史好きな私は、吉田松陰先生の出身地萩、原爆ドーム厳島神社のある広島、源平と維新の地下関等に行くため、よくブルートレインに乗りました。ちょうどセノハチを通るころ夜明けとなり、周囲の山々を眺めたことを覚えています。このセノハチは、増結した機関車から飛び降りたとして、トラベルミステリーにも登場したことがあります。

現在ブルートレインは廃止され、私も、広島や山口に用があるときは航空機を利用しますので、セノハチを通ることはありません。むしろ『裏セノハチ』とでも言うべき区間を何回も通ったことがあります。


広島空港が、平成5年に県内東部の本郷町、その後平成の大合併で三原市に組み込まれました山間地区に移り、広島市内に行き来するには、山陽自動車道河内インターから出入りする必要が生じたからです。

そして、空港のある河内インターのある三原市から、西条町のある東広島市を経て広島市内に通行するとき、西条インターと志和インターの間が、道路のセノハチであります。こちらも、東広島市の八本松、広島市安芸区の瀬野と同じような地形となっています。ここを、広島空港と広島市内を往復するため、リムジンバスに乗車するのです。

広島の場合、空港と市内は、結構あります。高速道路が開通する前は、鉄道は難所で、八本松瀬野で機関車を付けて外す作業もあるように、ここから広島市は遠いのです。


さて、この山陽自動車道の八本松瀬野間に相応する西条インター志和インター間にある『八本松トンネル』で、交通事故が発生しました。トンネル内に渋滞中の車両に、後方から車両が突っ込んで火災が発生し、死傷者が出る惨事となったと報じられています。

トンネル火災は、東名日本坂トンネル事故が記憶に新しいです。また、高速道路のトンネル内の事故と言えば、中央高速笹子トンネル天井崩落事故を思い出します。なんでこのような惨事が起こるのでしょう。笹子トンネルの事故は、ここを通行した車両には、どうしようもなかったことですが、他の交通事故も、同じ原因をよく聞くのですが、止まるべきとき、減速すべきとき、これを怠ったことが、事故に結びつくケースがあります。


特にトンネル内で渋滞が発生すると危険です。今回の八本松トンネル火災事故も、トンネル内は渋滞していたようです。先に申しましたとおり、西条インターから八本松、そして瀬野地区になる志和インターまでは、広島市に向かって下り坂となります。先般の軽井沢スキーツアーバスの事故ではありませんが、下り坂のスピードは、要注意ですね。

まだ八本松トンネル火災事故の原因は、確定していません。昔鉄道が懸命に、また注意して走行レール上を走行していた近くに並行して、高速道路が開通しました。鉄道とは違うとは言え、やはり運転手は、この辺りは緊張して走行しているのだろうと思っています。高速道路は便利かもしれませんが、『レール』に乗らない点で、各自のマナーに任される部分はあるのでしょう。


『乗客』となった運転手は自己責任であり、また、他人にも影響を与える立場です。高速道路は怖いなと思えました。


さて、この『ひとりごと』にセノハチを思い出しつつ、八本松トンネルの事故に言及したのは、事故の翌日、私は急遽、『あの場所』を通行する必要が生じたからです。広島空港から広島駅まで空港リムジンバスを利用する用事があるのです。


事故により通行止め、リムジンバス運行停止の情報を聞きながら、この『ひとりごと』を書きました。

事故に遭われた皆さま、お見舞い申し上げます。