冗談言ったらクビになりそうになったと言う人あれば、冗談言われて、審議決議を知らなかった人あり。

2016年11月8日
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本当に酷いもんです。環太平洋パートナーシップ協定、いわゆるTPP承認、関連法案は、11月4日TPP特別委員会で、強行採決されました。安倍晋三内閣総理大臣は、自民党総裁でもありますが、こんなことを言っていました。『我が党は、結党以来強行採決しようと考えたことは一度もない』。本当にそう思っているらしいので、この点についてはもう論及いたしません。おそらく総裁の真意を誤解した?部下たちが、提灯待ちに徹した結果なのでしょう。

私はTPP参加に反対ですが、そのことは置いておきます。今に始まったことではないでしょうが、この国の議会制民主主義ってなんだろうと思うのです。この国会で、ここに至るまでの事実経過を復習してみましょう。発端は、山本有二農林大臣のこんな発言からでした。『TPPを強行採決するかどうかは、佐藤勉自民党衆議院議院運営委員会が決める』であります。佐藤議員のパーティ?に招かれた山本大臣の『祝辞?』です。

法案を提出し、条約を批准する職務を有する内閣は、国会の決議、承認を要します。議院内閣制のもと、内閣は、国民の代表、国権の最高機関である国会に対して責任を負っています。それが内閣の一員、しかも担当大臣が、国会では強行採決が行われる、それを自党の委員長に期待しているかに述べるのですから、資質以前の問題です。さすがに安倍晋三内閣総理大臣の意を汲んだ菅義偉内閣官房長官から、『注意』を受けました。

この発言の影響を回避したい与党は、野党側からの辞任要求を突っぱねます。安倍晋三内閣総理大臣によれば、アメリカに先立ち、国内をTPP参加でまとめることが重要だからです。任期満了前のオバマ大統領が、これに賛成する可能性は低い上に、クリントン・トランプ両氏も、反対を表明しています。なんとかアメリカに影響をとお考えなのです。ここでは、やっても無駄かどうかは論じません。

さて、地球温暖化対策の新たな枠組みとなる『パリ協定』は、11月4日発効しました。温暖化を引き起こす化石燃料から脱却し、脱炭素社会を目指す国際的試みですが、今世紀後半には、世界の温室効果ガスを実質0にし、産業革命前からの気温上昇を2%に抑える目的です。これは先進国、途上国を含めた190か国以上が参加する大きな取り組みとされます。しかし、日本は、アメリカ等の動向を見誤り、また、例のTPP国会の混乱から、国会の承認手続きをとることなく、これが発効してしまったのです。これでは京都議定書以来の日本、地球温暖化対策に熱心ではないーー要するに、自国のことのみ夢中だーーと捉えられても仕方ない失態です。

それでも大島理森衆議院議長らは、パリ協定の発効日である11月4日に、国会本会議場で、この条約の承認決議を行う予定でした。これには、山本大臣から名指しされたからなのか、佐藤議院運営委員会委員長も同意したとされます。私からすると、どーせ何日になろうとも、強行採決になるのは明らかではありますが。
とは言え、そんな経過で進んでいた先週、またしても山本大臣が、発言しました。『冗談言ったら、大臣をクビになりそうになった』と。

これは相当低レベルの発言ですね。冗談で仕事しているんでかね。国会の審議・決議をなんと心得ているのでしょう。当然大臣の資質なし、野党側は、こんな大臣の主管するTPPは審議するに値せず、即刻辞任を求めて特別委員会開催を反対していたのです。

それで大島議長らの取りなしで、来週7日以降の決議日程がほぼ決まって、金曜日4日は、パリ協定の承認決議かと思いきや、自民党の特別委員会委員らは、特別委員会を開催して、ほとんど審議なきまま、『強行採決』したのでした。これには、当の佐藤議院運営委員会も相当お怒りでした。だって委員長が知らないところで委員会が開催され、かつて山本大臣が冗談?で言った佐藤氏が決めるではなく、佐藤氏を除外して、採決したのですから。この特別委員会は、佐藤氏や大島氏に連絡していない事実を認めました。これでパリ協定は、如何にしても発効前の国会承認は、不能と着したのです。

強行採決と言う世界に恥を晒したのみならず、外交上の失態に加えて、パリ協定発効日ギリギリでの国会承認さえできず、重ねて世界に恥を晒しました。野党民進党は、佐藤氏がTPP採決を知らなかったことについて、関東軍の暴走を政府が抑えられなかった例にたとえ、現場の暴走と強く非難し、佐藤氏も、不手際を陳謝したそうです。

なんでこんなことになるのか。数の奢りと言えばそれまでです。私は、一強時代が続いて、与党議員に、なんとか総裁のお気に召していただくために躍起になっている空気が蔓延しているからだと思います。本当に提灯持ちですね。アメリカ大統領選挙前に、日本がアメリカに先んじて、国会で承認されたとの結果を残したい総裁の意図に沿うことが全てなのです。

結論は決まっていて、審議は必要ないのです。

本当に情けない連中です。結論が決まっているのですから、数で勝るのですから、確かに結論は変わりません。強行採決すれば、全部与党の思惑通り進みます。ただし、今回のパリ協定とTPP承認の件、これは与党の思惑と言うよりも、総裁にオベンチャラを使うことが、この国の政治の根幹、いかに安倍晋三氏のご機嫌をとるかに、この国の政治は決めれることがハッキリしたと言うこと事実が明らかになったことを、国民は認識する必要があります。安倍晋三氏、きっと世界に名を残す宰相となるでしょう。

火中の栗を拾った方々に対する感謝の気持ちを持ち続けたいと思ったサッカーJリーグアビスパ福岡の2016年でした。

2016年11月7日
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2016年サッカーJリーグJ1の最終戦が、11月3日文化の日に催行されました。今年J1に所属するアビスパ福岡は、既にJ2への降格と、年間最下位が決定していました。J2に所属していた昨年の今ごろは、全く負ける気がしないと言うか、ワクワクする試合を続けていて、随分観戦に行ったものです。きさらぎ法律事務所は、『アビスパ福岡後援会』に登録されているので、本年最終戦に参戦いたしました。

ホームレベルファイブスタジアムでは、アビスパ福岡後援会、『ソシオ』のテントを訪問しました。今年いたただいた招待券を使い切らなかったお詫びを言い、来年もお願いしてまいりました。降格が決まってからも、ホームゲームは毎回10.000人以上の観客が訪れるとのこと、やはりJ1へ所属した効果でしゎうか。
この日の相手は、柏レイソルです。昨年1年間アビスパにレンタルされて、この時期神懸かり的にゴールマウスを守護した中村航輔選手が登場しました。あれから1年、不思議な縁です。中村航輔選手、柏レイソルの中心選手に成長し、世代別代表でも、素晴らしいパフォーマンスを見せています。この日は、チョット暇そうでした。
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そうなのです。アビスパ福岡と柏レイソルとの力の差は歴然としていて、中村選手が守る柏レイソルのゴールの枠内目掛けて飛んだシュートは、0本でした。対して柏レイソル、そんな凄さはないのかもしれませんが、終わってみれば4点を取り、ホーム最終戦は、0対4でアビスパは敗れました。今年は、34試合闘って4勝しかしていないのですから、残念ながら、負けはもう驚かなくなりました。

試合終了後のセレモニーで、井原正巳監督は、ひとえに自分1人の責任を強調しておられました。周囲からは、『1年でJ1復帰』とか希望的観測のもと、勝手な発言が出る中、井原正巳監督からは、遂に『来年』に向けての言葉はありませんでした。確かに勝負の世界、誰かが責任を問われる、最高責任者は監督であるのは、組織としてのルールではあります。

でも、敗軍の将兵を語らずではありませんが、ホントに監督だけの責任なのでしょうか。この日久しぶりにアビスパの試合を見て、なんか覇気がない、チーム一体感がない、何をしたいのかはっきり見えないもどかしさを感じました。これは昨年感じなかったことです。どうしてこうなったのでしょう。

チームも会社関係者も、サポーターも、また、サッカー関係者も、就任1年目で、昇格プレーオフを勝ち抜いてJ1に復帰させた井原正巳監督の手腕任せきり、井原さんがやっている限り大丈夫たと思い込んでいたのではないでしょうか。これは監督にとつては、相当な重しになります。アビスパ福岡の会社としても、川森社長になって、百数社だったスポンサーの数が、1.500社になりました。地道に、『謙のみそれをなす』の姿勢で、スポンサーを集めた社長以下会社関係者の努力には頭が下がります。でも、どこか、だからこそ安心もしくはこんなはずじゃないの焦りはなかったでしょうか。

最終戦が行われた日、1人の元アビスパ戦士が引退を発表しました。ジュビロ磐田からアビスパ福岡に期限付き移籍していた岡田隆選手です。2012年のシーズンに、J1へ降格したアビスパ福岡に期限付き移籍されました。その年ボロボロになったアビスパ。でも、岡田選手は、自ら志願して磐田にも戻らなかったと言われます。
そして2013年シーズンは、アビスパに籍がない状態で、チームキャプテンを引き受けられました。その年でしたか、アビスパ福岡が連続債務超過で、ライセンス剥奪の危機に陥ったとき、チームの存続のため、率先して諸々の活動をされました。こうしてアビスパ福岡がJリーグに残ることを見届けた岡田隆選手、翌年J2に降格した古巣のジュビロ磐田に、戻られたのでした。

岡田選手は、とにかく走っていた印象です。怪我で十分な動きができないときでも、ボールに食らいついていました。試合後は、サポーターに歩み寄り、いつも感謝の言葉を述べておられました。その岡田隆選手、名門ジュビロ磐田が、1年でJ1へ戻れなかったことからか、翌年2015年のシーズンは、ジュビロ磐田のキャプテンとなりました。
しかし、怪我に悩まされ、その後公式戦に出場する機会がないまま、今年2016年のシーズンで、引退を発表されたのです。まだ32歳です。

岡田隆選手は、ある意味苦労を買った、火中の栗を拾った人でした。ご自身は、そのためボロボロになっても、チームのため、サッカー界のため、そして未来の子どもたちのために、ただ走ってきた方なのではないでしょうか。アビスパ福岡ライセンス剥奪の危機、あのとき岡田隆さんがおられなかったら、今のアビスパ福岡はありませんでした。また、ジュビロ磐田に復帰し、試合に出られないキャプテンとして、選手チームを鼓舞することがなければ、果たしてジュビロ磐田は、J1へ復帰できたでしょうか。

その岡田隆選手、引退を表明された折、アビスパ福岡にも、言葉を寄せられました。アビスパ福岡でプレーできたこと、キャプテンとして支えてもらったこと等を仰って、アビスパ福岡に対しても、感謝を述べておられるのです。昨年のシーズン、ジュビロ磐田とアビスパ福岡が、最後まで相譲らず、ともにJ1昇格を果たしたことを、本当に喜んでいただきました。

井原正巳監督も、かつてジュビロ磐田に所属しました。長年名将ネルシーニョ監督のもとで、ヘッドコーチを務められた柏レイソルを退団して、中村航輔選手と言う素晴らしい若手選手を連れて、アビスパ福岡の監督になられました。おそらく周囲からは、なんでアビスパ?って意見されたのではないでしょうか。井原監督は、巡り合わせ、縁であったと言われますが。火中の栗を拾うどころではなかったと想像します。そして2年目の今年、アビスパ福岡は、全くJ1では歯が立たず、惨憺たる結果となりました。シーズン終了の挨拶では、来季に向けた餞け?の言葉はありませんでした。井原正巳氏、おそらく退団する決意なのだと思われます。アビスパ福岡の川森社長は『続投』をお願いしたと明かしましたが。

井原正巳監督に対しては、感謝しかありません。だからこそ、私たちは、もう恩返しすべきでしょう。日本サッカー界にとっては、とても大切な方です。いつまでもアビスパに引き込み、ボロボロになることは、アビスパ福岡を愛する者として、見ることはできません。ご本人が、思うところあって、ゼロからスタートされるとのお気持ちを持たれたならともかく、素晴らしい夢を見させていただけだことでもう、井原正巳監督、『解放』して差し上げることではダメでしょうか。

岡田隆選手と言い、井原正巳監督と言い、私たちアビスパ福岡を愛する者は、永遠にそのご恩を忘れません。そんな思いに至った2016年サッカーJリーグ最終日の福岡でした。頑張れアビスパ福岡!

 

小江戸川越のご案内です。

2016年11月4日
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酒井忠勝、堀田正盛、松平信綱、柳沢吉保と続くと、何を思い浮かべますか?

 

いずれも江戸幕府の中核、老中・大老を務めた実力者、幕閣を支えた人物です。社会科の教科書にも出て来ます。この人たちに共通するものがあるのです。それは、今では『小江戸』と呼ばれる埼玉県川越市、江戸時代の川越藩を治めていたことであります。

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川越は、武蔵野台地の北端に位置し、荒川と入間川が合流する古くからの交通の要所で、江戸時代には、船を通して江戸まで物資を運んでおりました。現在の川越市は、埼玉県で3番目に人口が多い都市であり、東京都23区内へは16.3%の通勤率です。川越市内には、川越駅、本川越駅、川越市駅があり、JR線、西武線、東武線が通じていて、現在でも依然と

して交通網が発達しています。

 

 

 

 

 

今日は、川越に来ました。

 

川越を小江戸と言い、幕閣の実力者を配したのは、川越は、江戸幕府の北の要であり、武蔵国一の大藩であったからです。親藩譜代の城下町であり、商業や学問が盛んであり、徳川家光誕生の間等、寺院・仏閣・歴史的建造物が多くあり、関東地方の文化財の数では、鎌倉市、日光市に次ぐ都市です。国から、埼玉県唯一の『歴史都市』に認定されているのです。先の老中大老は、いずれも知恵者、学問好きで知られています。

川越市は、現在でも多くの学校がある文教都市でもあります。 私が子どものころ、東京の成り立ちについて学校で教えられ、グループ研究の課題とされた経験があります。そのとき、昔の人たちの努力と言う意味で、太田道灌の江戸城や、玉川兄弟の玉川上水等がテーマにされたことを覚えています。実は太田道灌は、最初に河越城を造りました。戦国時代には、管領上杉氏や小田原を拠点とする北条氏が支配するようになり、江戸幕府開設前の東国一の都市でした。

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また、江戸幕府になってからは、歴代藩主は、武蔵野の拠点となるこの地の開発に力を注ぎ、松平信綱の時代に玉川上水、野火止用水が、柳沢

吉保の時代には、現代の新田の開発祖となる土地開発がなされています。領内では狭山茶が生産され、また、開墾地ではサツマイモ作りが行われ、川越は、焼き芋発祥の地とも言われますね。 最近は、海外からのお客様も増えています。小江戸川越とともに、『蔵のまち』のイメージ作りがなされています。市内を運行する路線バスには、『蔵のまち』を経由することが表示されています。

ここに来ると、蔵のまちを通る一本道を、バスは、多くの観光客を避けるようにして、運行されていることに驚きます。危ない!とハッとするときもあります。どこでも言われることですが、観光客のマナーの問題があります。食べ歩きをしているのか、道端にゴミが落ちているところを目にします。折角まちが保存されているのにと思わずにはいられません。

 

観光客が散策できると言うことは、歩きやすい地形であることを意味します。市内中心部は、ほとんど高低差はなく、市内最大でも50mくらいでしょうか。市内からは、関東平野を取り囲む山々が見えますが、このように平地で住みやすく形成されたのも、江戸時代等に開発が進められたからでしょうか。川越の街は、開発より保存に向けていると思われます。

これは、昨今各地で検討されているこれからのまちづくりの参考にもなるのではないでしょうか。 こんなふうにバスの中から蔵の町並みを見ていましたら、途中下車したくなりました。川越のシンボル『時の鐘』は、現在耐久工事中でした。

 

そこから歩いて太田道灌の像がある川越市役所を通って、目的地に着きました。いつかこの町並みを、ビールを片手にゆっくり歩いて見たいと思いました。

 

広島市と札幌市、ここで暮らす方々が相互に観光で行くなら、とても魅力的な都市ですが。

2016年11月2日
広島東洋カープと北海道日本ハムファイターズの対戦となった今年の日本シリーズ、直線距離で1.200キロの広島市と札幌市の間の移動となり、これは過去の日本シリーズで、最長の移動距離になりました。アメリカ大リーグの移動と比較すると、驚くに値しないかもしれませんが、このことにより、様々な問題点が浮かび上がり、また、新たな発見があったとされます。


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この『ひとりごと』でも書きましたが、広島東洋カープ球団は、新千歳空港への移動に、約1.000万円かけてJALと契約し、チャーター機を用意しました。ところがもし、広島市のマツダスタジアムで、雨天順延が発生したら、今回は、移動日を設けるシステムのため、キャンセルと新たな移動方法を考案しなければならなかったのです。そして第1戦、かなりの雨模様でした。試合開始時刻をずらすなどして、ギリギリ開始にこぎつけて、関係者は安堵されたとのことでした。雨の試合で、日本ハムファイターズの二刀流、大谷翔平投手が、本来のピッチングができていないことばかりが報道されていた表舞台でした。

この日本シリーズ、全てがナイターでした。唯一午後6時試合開始の札幌ドームでの第6戦、3時間23分の熱戦となりました。翌日は移動日ですが、マツダスタジアムでの練習があるため、午前9時には、新千歳空港を出る必要があり、選手もたいへんですが、報道陣や関係者は、新千歳広島間の直行便が少ないため、朝早くから東京羽田乗り換え等てんやわんやだったようです。NPBのコミッショナー、札幌ではラーメン1杯、広島ではホテルに戻ったら食事するところはなかったなんて『苦労』を言っていました。こうしてみると、日頃移動に慣れているパリーグのチームは、落ち着いていたかもしれません。


パリーグには、札幌市と福岡市を本拠地とするチームがあります。仙台市を本拠地とするチームも、関東圏以外は、空路での移動でしょう。これはシーズン中しょっちゅうあることでしょう。ところで島東洋カープは、シーズン中は、新幹線での移動だそうです。それには、広島空港の位置が関っていると思います。広島空港、かつては広島湾に面した西広島にありました。それが市街地を離れて、ジャンボ機も滑走できる新空港を建設することになり、現在の三原市に移ったのでした。三原は、新幹線停車駅ですが、空港のある場所は、もともと本郷町でした。平成の大合併で、三原市に組み込まれたのですが、ホント山の中です。空港のすぐ近くまで高速道路が来ていますが、それでも広島市街地から1時間近くかかります。不便なのです。


以前セリーグのある球団が、新潟市での地方試合を行い、広島に移動する際に、新潟空港から福岡空港まで行き、新幹線で広島駅まで来たと言う話が残されています。福岡空港からJR博多駅までは2駅5分ですから、私もベストのやり方だと思います。福岡ソフトバンクホークスは、福岡空港を利用しますから、距離はともかく、移動時間を苦にしないでしょう。セリーグは、全球団が『本州』にあります。しかしいちばん西のチーム、広島東洋カープは、かなり不便な位置にあるがゆえに、日頃利用しない空港を使うことになる点で、スタッフ関係者は、苦労があったと想像されるのです。


広島空港は、私は何回も利用しました。着陸寸前まで、山また山で、山にぶつかると思っていたら、滑走路があったと言う感覚です。広島空港を貶めるつもりは毛頭ありません。空港が市街地にあることの功罪は、つとに指摘されるところです。ある人が言っていたのは、ツアー団体客は、広島空港を利用させるべきであり、それはビジネス客の増加を見込まれないからだと言う理由でした。


いつでもなんでも福岡で申し訳ないのですが、福岡の経済が発展するのは、空港が市街地にあることに、少なくない影響があることは否定できないと言われます。プロ野球界では、おそらく広島東洋カープと北海道日本ハムファイターズの対戦が、いちばん移動に気を使う対戦となるでしょう。たとえば、日本シリーズ基金のようなものを設けておき、両チームや関係者を合わせてチャーター機で移動させる、いわば呉越同舟なんていかがでしょうか?返って落ち着きませんか。ハラハラしながら裏方さんたちは、この日本シリーズを支えていたことを知りました。


ここでも広島東洋カープと北海道日本ハムファイターズの関係者の皆さんに、あっぱれと申し上げたいです。

 

アビスパ福岡は、11月3日、今季最終試合をホームレベルファイブスタジアムで行います。

2016年11月1日
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プロ野球日本シリーズが終了した夜、広島マツダスタジアムでは、もう日付が変わるころにも、大きな音がしていました。それは、日本シリーズに興奮した人たちが、騒いでいたのではありません。

ほとんど人がいなくなったスタジアムの練習場で、広島東洋カープの選手たちが、バッテイング練習をしていた音だったのです。さっき日本シリーズは終わったばかり、もう来年まで、プロ野球の公式戦はないのです。『カープ女子』ら、熱心なファンが、静かに眺めていたと言うことです。

なんともまあ、ビックリです。

もう試合はないのです。しかも、さっき今年最後の試合が終わった、広島東洋カープが破れてばかりなのです。それが深夜の練習とは……。悔しさを忘れないことなのか、そうではないようです。来年40歳になるベテラン新井貴浩選手は、こう言います。これはいつもとおりだと。

広島東洋カープの選手、シーズン中はナイターが多いですが、翌日は、午前10時には球場に入って、もう汗を流しています。プロ野球選手は、自動車で通勤、しかも高年俸の選手は、外車等の高級車を乗り回すのが常と言われているのに、カーブの選手は、電車バスで行き来しています。

新井選手によれば、昔はタクシー券があったものの、近頃の若い選手は、それを使うことをせず、電車バスなのだそうです。ベテラン新井貴浩選手をしても、当然と言います。

日本シリーズを制した北海道日本ハムファイターズは、翌日すぐに札幌市に帰りました。ビールかけで遅くまで、また朝からはマスコミに追われお疲れのところ、約1.000人が出迎えた新千歳空港に到着し、そのまま札幌ドームに向かったそうです。栗山英樹監督こう言いました。『調子にのるな!チャラチャラするな!』。そして栗山監督、上京して以前キャスターを務めていたテレビ番組に出演し、改めて感想と決意を披露しました。

優勝した際のインタビューでも言っていたように、日本一になった実感はない、失敗を反省し、修正すべきところ、これからやるべきことを考えていたそうです。ご自身は、いつでも野球のことしか考えることができないとも仰っていました。

日本ハムファイターズも、翌日から練習を始めたそうです。これから来年のキャンプまで、日本一を喜ぶファンらとのイベントもあるでしょうから、このオフシーブンこそ、どのように過ごすかがとても大切と纏められました。広島東洋カープも、北海道日本ハムファイターズも、監督スタッフ選手一体となった素晴らしいチームですね。

だからこそ、史上稀に見るハイレベルの好試合が展開され、普段野球に興味がない私なんかも、引き込まれたのだと思います。

今年サッカーJリーグディビジョン1に所属したアビスパ福岡は、きさらぎ法律事務所として法人後援会に登録され、私福本悟はアビスパサポーターのひとりです。

残念ながらシーズン最下位が決まり、来季は、再びJ2に舞台を移します。J1の壁と言えばそれまでですが、なんとも歯痒い試合ばかり見せられました。

そんなアビスパ福岡ですが、井原正巳監督が言われる言葉は好きです。

『しっかり準備して次に備える』。これは、昨年猛烈な勢いで終盤戦を闘い、昇格プレーオフを制してJ1へ駆け上がった当時から、井原監督が言われていたことです。今年結果が出なかったことは本当に残念ですが、準備無くして勝負はできない、何事も向上しないことを知らしめた言葉です。

今年25年ぶりにセリーグを制覇した広島東洋カープ、先ほど挙げた『練習』や『日常』は、今年になって始められたのではないはずです。かの栗山英樹監督をしても、就任初年度で、パリーグを制覇して臨んだ日本シリーズで、読売巨人軍に負けたとき、球団に進退伺を提出したそうです。

そして翌年はリーグ最下位となり、その後ことごとくクライマックスシリーズで敗退、ようやく5年にして最大11.5ゲーム差あったパリーグを制覇し、日本一となったのです。

『ローマは一日にして成らず』と言われます。準備して、コツコツとやるしかないのでしょう。ですから私は、アビスパ福岡を応援します。広島東洋カープ、北海道日本ハムファイターズの活躍から、アビスパ福岡の選手何か感じ取って、今シーズン最後の試合に臨んで欲しいです。

そして私は、1年でJ1へ復帰、、、、なんて望まみません。


この間井原正巳監督から教えられた『準備』をやり続けて、いつの日にか日本のサッカー界に、『アビスパあり』、あのアビスパが!と言われるような存在になって欲しいと思います。


広島東洋カープありがとう!北海道日本ハムファイターズおめでとう!