飲酒した入浴した母親が、乳児を抱えて浴槽に浸かったまま寝込んでしまったことから、この乳児が溺死したと報道された事故がありました。
当然世論はこの母親に対して厳しい言葉をなげつけます。
よく、炎天下の車内に子どもを残してパチンコに興じていたら、子どもが熱中症で死亡したと聞くことがあります。
この場合も、『ばかっ母』とか言われます。
こんな事故により命が失われるのはいたたまれません。
ただ報道によれば、この30代の母親は、公営住宅に暮らす5人の子持ちと言うことで、子育てそのものも、厳しいものがあったのでは?と気になります。
数日前、子育てに自信がないと病んだ母親が、子と無理心中して子が亡くなった事件があったかと思います。
今、福祉の重要性が言われ続けています。
大きく分けて、特養すなわち、自治体等が運営する特別養護老人ホームと、認可保育園が、特に大都市部で不足している問題です。
昨年段階で、特養入居待ちは50万人とも70万人とも言われ、そのほとんどが、介護の必要性が高い要介護4と5とされます。
認可保育園のほうは、ある特別区では、4ケタの待機児童数と報じられたことがありました。
特養にしろ認可保育園にしろ、用地の確保が難しいと言われます。
特に首都圏では、地価も高いことが影響するようです。
そんな事情でありながら、特養にも、内部留保金があるとか言って、介護事業者に対する報酬は、昨年の選挙後真っ先に削られました。
でも、どうなんでしょう?
今、統一地方選挙の真っ最中です。
日ごろあまり地域に関心がないーー悪いことですがーー私ですが、ちょっと地元を調べてみました。
私が住む自治体は、都内でも人口増加が見込まれる市ですが、この10年間で、特養も認可保育園も、新規開設ゼロでした。
実際要介護5の私の母親は、サービス付高齢者賃貸住宅で生活しております。
今月も、私の家のすぐ近くに大規模マンションが出来ました。同じ市内の別の場所では、大規模な開発事業が行われています。
この開発事業に、地元自治体が支出するのかどうかわかりませんが、マンション等が林立すれば、自治体には固定資産税収入が見込まれます。
市は、何にお金を使っているのでしょう。
そもそもそんな用地があるのなら、特養等を造れば良いのに……と思います。
これは、たまたま私が住む自治体の問題なのだとは思えません。
よく子どもを育て、守るのは、家庭学校地域の三位一体の協力体制が肝要とされて来ました。
のみならず、頑張っている家庭、ギリギリの状態の家庭に対しては、地域の目が行届き、みんなでサポートする体制が求められるのでは?と思います。
そんなところに、お金をかけて欲しいです。
冒頭の溺死事故、たくさんいる子どもの入浴を手伝うサービスがあればどうでしょう。
このお母さん、単に酒が好きだったのではないかもしれません。
本当に、子育て仕事に疲れたら、しばし酒でも飲みたいと思ったかもしれません。また、疲れて眠ってしまったのだとしたら、そんな環境が辛いですね。
国だけではなく、各地方自治体も、お金の使い道を考えていただきたいものです。
春となると、スポーツのリーグ戦が始まります。
野球、サッカー等見る者を楽しませます。フェアプレーとは、もともとスポーツ競技から生まれたとされるように、互いを讃えながら勝負することの大切さを言うものです。
開幕して間も無いサッカーJリーグ第1ディビジョンで、自らの反則行為によって倒した相手選手の顔面を踏みつけるプレーをした選手が、その行為が極めて悪質だとされ、リーグから4試合出場停止処分を受けたそうです。
必死のプレーですから、ときに反則となる行為がなされることは仕方ないとしても、倒れてプレーを続行出来ない相手選手を踏みつける行為は、到底許されるものではありません。
プロサッカーでは、しばしば報復行為は一発レッドとされますが、本件は、自らの反則によって倒れた相手選手の顔面を、スパイクで踏みつけたのであり、その危険性はもとより、品格人間性を疑われる行為だと思います。
私は、かつてサッカー4級審判員の資格を持っておりました。何か一つでも履歴書に書ける資格が欲しいと思って取得したのですが、結局ピッチに立つことなく資格は失われました。
フェアプレー真剣勝負の世界に、不純な動機は怪しからないですね。ただ、資格取得の際に学んだことがあります。リスペクトの精神です。
リスペクト、感謝と言う意味ですが、サッカー競技が成り立ち、自己の技能を高められるのは、チームメイト、相手チームがあり、試合は審判なくして始まりません。
ボール、ユニホーム、ペットボトルその他諸々がなければ、サッカーはできません。これら全てに対して感謝の気持ちを持ち続けようと言う教えです。
ですから、例え明らかな誤審だと思えても、審判に抗議し、まして侮辱的言辞を取ることは許されないのです。
また、ボール等も、どんなにボロボロになっても粗末に扱ってはならないのです。そして、いちばん見苦しいのはプレーそのものと関係ない故意の反則、報復行為だとされます。
リスペクトの精神は、あのあとの私の業務姿勢に大きな影響を与えました。
何かのトラブルに巻き込まれ、辛い思いをしているあなた、苦境を脱し、幸せになりたいあなた、私は、自分が幸せになるためには、相手をリスペクトする、少なくとも踏みつけるがごとき行為をしてはならないと申し上げます。
辛くて藁をもすがる思いで、法律事務所のドアを訪ねられた方には、何を言っているんだ!の感情を持たれて当然です。
でも、気づかないところで、これまでも、誰かに、何かに支えられて、今日はあるのです。
今、紛争の対象となっている相手方に対する怒りは当然でしょう。
ただ、それだけに留まり、先を見ないでは、解決には進みません。おそらく紛争の相手方には、相手方なりの論理感情で、あなたにとっては容認出来ない対応主張をしているのです。そんな相手を徹底的に、これでもか!と追い詰めたら、心を開くことはないのです。
この辺り、いつも申しますとおり、依頼者と弁護士との信頼関係でやり遂げるしかありません。
私が、『競争』を嫌うことはもう、広く知られているでしょう。
それは、そもそも競争が成り立たないところ、競争が馴染まないところで競争原理が導入されるからです。
ですが、それより忌むべきは、スポーツで言えば報復行為、一般社会で例えれば、何かに打ちのめされてリングから降りた者を、「これでもか」とばかりにパンチを見舞う行為です。
ご自分の希望がそれなりに叶ったと言うことは、相手方は、その限度で引いたのです。闘いの場から降りたのです。リスペクトしてあげようではありませんか。
きさらぎ法律事務所弁護士福本悟が担当させていただく案件は、離婚親子親族相続男女の問題等の、深く人間の心に根ざすところが多くございます。
よく、人間性の機微に触れると申しますが、法令判例だけを真似て解決できるものではありません。
「幸せになりましょう。それには相手方を追い詰めないこと、腹八分目がちょうど良いのです」と申し上げます。
歳をとって、このような考えで弁護士業務に携わる方はあまりいらっしゃらないのだなと感じるこのころであります。
南フランスの山中に墜落したドイツの航空機は、病んだ副操縦士による故意の事件の様相を示しているようです。
コックピット内をひとりにしないことが、事件の教訓となっております。
ところで、「なんでひとりなの?」と疑問となるアクシデントが、日本でも起こりました。
先日徳島空港で、滑走路内に車が立ち入っていることを失念した管制官が、羽田空港から徳島空港に向けて着陸態勢に入ったJAL機に、『着陸許可』を出したため、あわや大惨事となる恐れがあったことが、明らかにされました。
このとき、JAL機の操縦室が、滑走路内の車の存在に気づき、後輪が接地したのに逆噴射することなく、急遽着陸を止め、上昇して危機を回避しました。この様子は、ビデオカメラ等に収められていて、ほんの数秒、あと何メートルのところで、車と機体がぶつかるところだったことが知らされたのです。
ブロと言えばそれまでですが、パイロットの機転技術と生命を預かるブロ意識に、敬意を表します。
数年前に、大阪伊丹空港から高知空港に向かったANAグループのプロペラ機が、前輪が出ずに、高知空港に胴体着陸したことを思い出しました。
このときも、ひとりのけが人も出さず、コックピットは賞賛されたのですが、
機長は、「自分の役目は、お客様を目的地まで送ること。ただそれだけ」と社内に報告し、一切マスコミ等の前に姿を見せませんでした。
さて、ブロはブロですが、ブロを支えるシステムがしっかり機能していなければ、ブロはブロとしての力を発揮できません。
徳島空港のアクシデントは、当時管制官は、たったひとりで業務にあたっていたことが判明しました。
テレビドラマではありませんが、管制官がたったひとりの時間があるのだとは、このときまで知りませんでした。
管制官は、国土交通省に所属する国家公務員であることは知られておりますが、私は、新千歳空港は、航空自衛隊が管制を担当していることを知っておりました。
ただ、航空自衛隊千歳基地と『一緒』だった歴史の延長だと思っていたのです。
この徳島空港の一件で、全国の旅客用空港のうち8空港が、自衛隊により、管制業務が行われていることを知ったものです。
自衛隊が担当しているからどうだと言うものではありません、沖縄那覇空港そのものは、日本の管制ですが、上空は、米軍が担当することは以前から知っております。ただ、今回国交省は、自衛隊に管制業務を委託しているので、管制官を常時複数配置しなければならないとは、
ーー国交省の管制官は、そう決まっていますが、ーー申し送していないとのとでありました。
確かに民法の委任契約では、委任した以上、委任者は、委託事務について、受任者に対して具体的に指図できません。
本件で、自衛隊側は、常時複数配置は決めていなかったと発表しました。国交省は、複数管制体制とされるようお願いするようです。
自衛隊の皆様は、任務に誇りを持っておられます。
また、瞬時に自身で判断し、責任を全うすることが、身についているはずです。そんなブロ中のブロに対して、あるいは、「あなたひとりでは心配だから、別の人を入れます」とシステム化するのは可能なのでしょうか?
それとも、こんなところで、『文民統制』シビリアンコントロールなんて、政治の方から見解が出されるのでしょうか?
ともあれ、コックピットも管制室も、たったひとりにして欲しくないと願う私は、臆病な搭乗客であります。
昨年12月に行われた衆議院議員総選挙で、政府与党は、沖縄県小選挙区全4選挙区で、議席を獲得できませんでした。
最近ある国政政党から除名処分を受けた小選挙区と重複立候補して比例区で復活当選した衆議院議員が、辞職しないのはおかしいと批判されています。先の総選挙では、自民圧勝でしたから、重複立候補者は、ほとんどが小選挙区で当選するので、従って、小選挙区で落選しても、比例区で復活当選となる仕組みです。
この比例復活により、衆議院議員となった沖縄選挙区選出の議員から、沖縄県知事は、もっと政府与党を見なければダメだとの発言がなされたのは、昨年12月に知事に就任した翁長雄志氏が、政府関係者と面談出来ない理由を述べた折のことでした。
この方々も、元々は、ーー選挙目当てのアナウンスだったのかもしれませんが、ーー辺野古移転に反対を表明されていたと思います。
ところが、一昨年当時の自民党幹事長より、政府与党の意見に同調するよう求められ、記者会見までさせられて、『転向』を余儀なくされたものです。
かつて仲井真前知事は、よい正月が迎えられるほどの『おみやげ』を持たされて、辺野古沖の埋め立てを承認しました。そして今度は、政権与党の実力者による恫喝により、地元選出の議員も、『転向』を余儀なくさせられました。名護市長選挙では、元自民党沖縄県議会議長が、辺野古沖移設反対を表明する稲嶺進氏を応援するので離党届を提出したところ、これを受理せず、除名したと報じられました。
そして、翁長雄志氏こそ、生え抜きの自民党だったはずです。
橋本内閣以来、何人か総理大臣は替わりました。この間、大阪府知事から、関西空港を米軍代替基地とすることを検討するとの表明もありました。
曰く、「大阪府には基地か無いから」が理由だそうです。民主党政権時代には、鹿児島県のある島が、具体的に検討されたことがありました。実際海兵隊の一部は、グアムに移動しました。
民主党政権は、国民に大き失望を残して終焉を迎えました。
このとき、竹島そして尖閣諸島を巡る対応を批判する世論に上手く乗っかって、現政権そして巨体与党が出来上がったことは、意外と指摘されていないようです。
あたかも中国、そして朝鮮半島の方から、日本の独立平和が侵されるかの風潮がありました。国民にナショナリズムが起こるとき、軍事に関する懸案事項は、さらりと通過してしまうことは、歴史が示しているものです。ただし、悲惨な歴史の経験者である沖縄県民は、政府与党に反発する姿勢が、強固となって行きました。
沖縄県民は、未だかつて沖縄県に基地が必要と言ったことはありません。
日本の米軍基地の4分の3が集まる沖縄県は、強制的に土地を奪われ、基地にされてしまったのです。
ですから、もともと普天間基地の代替基地を用意するとの発想がおかしいわけです。
翁長知事は、政府の官房長官に対し、普天間基地の危険性を言われるが、ーーそんなこと、沖縄県民が気づかないわけはない!ーーなせ危険性の除去を沖縄県民に求めるのか。
沖縄県民の民意ははっきりしている、これを汲んで事に当たれないのは、政治の堕落だと言い切りました。
私は、翁長知事にしても、元々は保守勢力に属した方々が多く辺野古移設反対に次々と回ったのは、政府与党の問答無用の態度、沖縄県そして県民の意思を顧みることをしない傲慢さに対する怒りの表明だと思っています。
それは、国民(本土の)より絶対的な支持を得て、有る意味批判されず、言いたい放題やりたい放題の政府与党に対し、政治の原点を知らしめるアリの抵抗なのだと感じます。率直に言って、翁長知事稲嶺市長とて、政府が政策を変えること、米軍が応諾することはないとわかっておられるでしょう。
でも、、このままで良いのか、黙っていて良いのかの思いなのでしょう。
先の大戦で唯一地上戦が行われた沖縄、ここに生き、暮らす県民に対して、後世において格別の高配を願ったのは、自決した太田実海軍中将でした。
歴史は繰り返します。
最近『我が軍』発言をした総理大臣も、『粛々として進める』と繰り返した官房長官も、今後その言葉は使用しないと公言されました。
繰り返すのが歴史、歴史から学ぶのであれば、今こそ私たちは、太田中将の最期の言葉を思い致すときなのではないでしょうか?
御高配どころか、捨て石にするがごときは、先人の遺徳に背くことだと考えます。
もっと政治が謙虚になれば、そして国民皆が、自分の街に基地が来たら?と考えて、公平に対処していけたらと願うものであります。
普天間基地移転に伴う代替基地をどこかに確保すると言う日米間の約束事は、沖縄米兵少女暴行事件の発生を契機に起きた普天間基地の返還要求運動が始まった翌年、内閣総理大臣に就任した橋本龍太郎氏時代にもう、規定事実とされていたと思われます。
村山内閣時に発足したSACOの中間報告では、普天間基地の全面返還を目指すことと併せ、十分な代替施設を用意すること、その施設として、海上ヘリポートへ移設を検討すことが明記されており、前回のひとりごとでお話したように、歴代自民党総裁の中では、沖縄問題には特には熱心だとされ、総理大臣就任直後、わざわざアメリカまで行って、「普天間基地移転返還問題』を、急遽首脳会談の議題に挙げた橋本龍太郎氏をしても、はじめに結論ありきだった感は否めません。
そして、平成9年ころには、当初は、辺野古沖とは明示されていなかったと思いますが、沖縄県東海岸、キャンプシュワブあたりを米軍は考えていることは、報じられておりました。
実は平成9年には、当時の名護市長が、基地受け入れを表明しており、翌年の沖縄県知事選挙では、大田昌秀知事を破って、自民党の応援を得た稲嶺恵一氏が沖縄県知事に就任したので、現在の辺野古沖移設問題は、とうの昔に解決してもおかしくないと、『本土』の人間なら考えてしまいそうです。
たまたまですが、私は、平成10年の沖縄県知事選挙戦の最中、那覇市に滞在していたのですが、大田昌秀氏の腰が低い物腰柔らかく、語りかけるような対応が、心に残っております。
また、NHK朝ドラで『ちゅらさん』が放映されていた平成13年には、辺野古沖を臨む大浦湾に行き、反対派の看板等を目の当たりにしました。
私の印象は、辺野古問題は、年を追うごと、現地沖縄県では、反対する方が増えているように思います。
実際、名護市長は反対派の稲嶺進氏が再選を重ね、沖縄県知事は、政府から基地軽減政策なるものを示されて、『驚くべき立派な内容。これでよい年が迎えられる」と安倍内閣に賛辞を送った仲井真知事に代わり、昨年12月より、もと自民党の翁長雄志氏が務めております。
そして沖縄県選出の衆議院議員は、ひとりも選挙区では自民党は議席を獲得できません。
どうしてこうなったのでしょう?
私は、まさしく翁長知事が仰ったように、政府与党の『上から目線』、初めに結論ありきの傲慢な態度が、沖縄県民の反発を買っているのだ感じます。
ちなみに、翁長知事が仰った政府が繰り返す『粛々と進める』なるもの言いは、完全な上から目線だと言う指摘に対して、ネット上では、「翁長知事こそ、粛々の意味を国語辞典で調べろ!」なんて意見が寄せられているようです。
こんなこと、悲しいですね。
繰り返される沖縄県民の意思、民意を無視して、「粛々として進める」との発言態度が、沖縄県民をなめ切った、バカにしていると取られても仕方ない不遜な対応に受け取れると言う意味で、「上から目線」なる表現を使われたのであって、粛々の単語が気に食わないと言っているのではないでしょう。
国民の多くは、基地と向かい合う生活をしておらず、所詮自分たちの問題、特に民主主義とは何かを端的に示す問題だとの実感がないのだと思われます。
今度は、沖縄県の歴史から見たこの問題を考えたいと思います。