日本には、古い昔から語り継がれた昔話、民話、そしておとぎ話があります。
いちばん古い物語は、竹取物語すなわちかぐや姫のお話だったと思います。話自体は美しい幻想的な感じがしますが、意外にも最後が悲しい結末になっている物語が多いことに気づきます。例えば、鶴の恩返し、狐の嫁入りなど、読み手のこころに何ものかを残すのではないでしょうか。
先週岡山に行って来ました。岡山と言えば桃太郎が有名です。
昔真面目なおじいさんおばあさんがおりまして、この老夫婦は子どもがいなかったのですが、ある日おじいさんが、川から流れてくる大きな桃を見つけたところ、中から元気な男の子が生まれ、桃太郎と名付けました。
桃太郎は働き者でしたが、大きくなって人々を苦しめている鬼ヶ島の鬼退治に出かけることになり、このときおじいさんおばあさんから黍団子をもらい、途中イヌ、キジ、サルに黍団子を分け与えて家来にし、見事鬼退治をしておじいさんおばあさんの元に帰ると言う物語であります。
黍団子とは、キビを粉にしてこしらえた団子ですが、ここからキビの団子、すなわち『吉備団子』があったことから吉備の国岡山県が舞台とされたのです。
桃太郎の物語は、さっき申しましたちょっと悲しい終わり方をするおとぎ話とは違って、大きな手柄を立てて無事おじいさんおばあさんの元に帰ってくる点で、英雄伝であり、また善を勧め悪をを懲らしめると言う勧善懲悪の物語です。
日本人が、いつから勧善懲悪の物語を好むようになったかですが、江戸時代の南総里見八犬伝はその典型と言われますし、後世の創作だとされる水戸黄門もこの時代ですから、徳川幕府の政策と言うか文化だったように思います。
でも、またケチをつけるのかと言われそうですが、なんとなく『善玉悪玉』と決めつけること、この簡単な割り振りにはどうかな?の思いがありました。
例えば、黄門様の『この紋所が目に入らぬか!』は権力志向を感じますし、遠山の金さんも、もともとお奉行様です。 その点、桃太郎のお話は良いですね。
あれは、鬼すなわち悪い奴をやっつけたと言うよりも、私は、真面目に暮らすおじいさんおばあさんに大きなご褒美をくださったものと考えます。桃太郎が帰って来てから、3人で平穏に暮らしたと言うこのなんでもない情景がとても良い終わり方だと思っています。
童心に帰った気持ちで、桃太郎の像の前で考えてしまいました。
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世の中、本当の問題の解決になり得ないのに、当面をしのぐための問題の先送りが少なからずあると思います。
3.11の記憶が冷めやらぬこの時期、原発最終処理施設がそれです。
仮に今後原発を止めても、絶対に解決しておかなければならないのがそれです。
この放射性物質の処分としては、極めて安定した地層深くに格納するしかないと言われております。
この結論が動かせないことから、原発全廃を決めた国があることは、周知のとおりです。東日本大震災から4年後の夜、ある報道番組で、フィンランドのオルキルオト島に存在する『オンカロ』と言われる格納施設が放映されました。
2020年から100年に渡って埋設処分に利用して閉鎖する、しかし、生物にとって安全が確保されるまでには10万年の年月を要する、従って、それまでオンカロは閉鎖され続けるのだそうです。
日本の福島第一原発の事故に学んで原発ゼロを決めたドイツ、そしてフィンランドの国民は、そのインタビューで、日本が、原発の再稼働に舵を切ったことの驚きとともに、この最終処理施設がないまま原発を稼働し続けていることに、驚きの声が寄せられておりました。
私も、全くそのとおりだと思います。
これは原発の是非以前の問題です。現政権になって、青森県むつ市に、『リサイクル燃料貯蔵』施設が完成し、同じ青森県六ヶ所村の『使用済核燃料』再利用工場を補完するなんて言われおりますが、要は、放射性物質をどうすることも出来ず、『再利用』とか『中間処理』の言葉を使って問題の先送りをしているだけなのです。
それで困ったのか、最近政府与党は、地質学者の意見として、地質学的には、阿武隈山地、北上山地そして根釧台地あたりは、放射性物質の最終処理場として地震等による影響がなく『安全』だと言う見解を出したようです。
しかし、名指しされた自治体は、たまったものではありません。
『風評被害』等を仰てすぐに反対の意見を出しました。そんな状態でありながら、最近では、この福島第一原発の事故による『廃棄物』を移動させる議論が出ているのです。 原発が一旦存在した以上、最終処理施設の問題は避けて通れません。
これを決める、確保しないまま、中間だとか再利用なんて言葉で誤魔化して解決になるのでしょうか?
原発そのものが安全であっても、これは避けて通れません。 福島第一原発は、福島県民のために存在したのではありません。
東京電力が、首都圏の電力供給のために半ば国策として行なったものです。誰だって原発が近くにあること、まして放射性物質の貯蔵施設が近くにあることは嫌です。
こんなとき、法律実務家の間では、『利益のあるところに危険と損失あり』と言う言葉があります。
私たちが託した政府与党が、問題の解決に進まないのでしたら、利益を得ている東京都民が負担すべきと言う結論になるのでは?
東京都内に放射性物質の最終処理施設を造る。そうなったとしても、私は、問題の先送りをしなかった東京都民を讃えたいと思います。
それでこの問題は解決ですから。
今年も3月11日が来ました。私が子どもの頃は、9月1日が防災を意識した日でしたが、1月17日そして3月11日が、これに加わりました。
各地で防災訓練、そして、慰霊の集いがありました。
東日本大震災とこれに続いた福島第一原発の事故は、どれだけの人に苦しみを齎したでしょう。
よく天災と人災が比較されますが、地震津波と原発事故は、同列に扱うことはできません。
ある番組で、震災の被害者としての思いは被災者皆同じ、だが、原発に関しては、同じではないとの指摘がありました。
原発事故によってふるさとを奪われた人の中でも、原発再稼働容認から即時廃炉とすべきの意見があり、まして国のエネルギー政策、特に原子力利用の是非に関しては、様々な意見があるからです。あの日、あのときの政府の対応を徹底的に批判した政党が、絶対的安定多数を得て、原発再稼働を進めているのですから。
被災者間の意見の相違から、対立が起きなければと願います。こんな日本国内の様子を見て、この時期日本を訪問したドイツのメルケル首相は、不思議に思われたかもしれません。
ドイツは、国のエネルギー政策を、原発ゼロに転換したことが知られています。
その理由についてメルケル首相は、「日本で起きた福島第一原発の事故」を挙げました。
どれほど安全性を言ったところで、あの事故により原発の安全神話は崩壊した、ひとたび事故が起きたときどんな被害影響が出るか、ドイツは学んだと仰るのでした。
これ、皆さんどう思われますか?
端的に、メルケル首相は、「なんで日本人はまだ原発やってるの?」と不思議に思われたのではと言う意見を以上に、あるいはメルケル首相に、我々はバカにされたと感じられた方もおられるのではとも思います。
メルケル首相に『バカにされた』と感じた新聞社を見つけました。
「ドイツは過去と向かい合った」として、ナチスの戦争犯罪を憎み追及し、また謝罪したとのあのくだり、『ナチスドイツと日本は違う』のだそうです。
ナチスは、ユダヤ人を組織的に殺戮したが、日本では一部の兵隊が不埒な行動をとったが、組織的に民族を迫害したのではない、メルケル首相は『ナチスと日本を混同している』のだそうです。
これ、本当に市販されているある新聞社の論評ですよ。
確かに日本は、『民族対立』から中国などに『進出』したのではないでしょう。
また、現に『不埒な行動』をしたのは兵士です。組織的ではない、軍がやらかしたのではない……。なるほど。バカにされたと思ったら、こんな反論もあるのですね。
さて、メルケル首相は、こんな反論に対して再反論するでしょうか?
私は、バカな人に対してバカと言っても意味がないと思っています。
メルケル首相は、日本人は、学ぶ力があると思っておられるからこそ、原発再稼働と言う不思議な光景について、意見を述べられたのだと考えます。
私も日本人は、賢明な民族だと信じております。
これ、愛国心?
3月10日と言えば何を思い浮かべますか?と問われたら。
「えっ。3月11日じゃないの?」。この 日を前にして、あるニュース配信社が行ったアンケートでは、知っている、知らないが拮抗したと出ていました。
昭和20年3月10日は、『東京大空襲』があった日です。
今年で70年となり、都内の慰霊堂で行われた法要には、安倍晋三内閣総理大臣も、歴代首相では初めて出席したそうです。
太平洋戦争も末期の昭和20年3月10日未明、米軍の爆撃機B29が大群をなして東京下町に焼夷弾を投下、約10万人が一夜にして亡くなった空襲がこれです。
10万人と言う数字は、私が住む自治体の総人口より多いです。日本の現在のスポーツ施設スタジアムで、一挙に10万人を収容できる場所はあったでしょうか?
今日は、数字について考えたいと思います。数字から何が見えるかということです。
先の大戦では、230万人の軍人軍属が亡くなり、民間人の犠牲者数は約80万人と言われます。
軍人軍属の戦死者の半数以上3分の2程が、赤紙で招集されたにわか兵となった方々でした。
戦死者の6割以上は戦病死、特に餓死だったとされます。菅原文太さんの遺言ではありませんが、国民を戦争に巻き込み、飢えさせることが行われていたのです。
終戦を挟んだ昭和20年1月から12月までの当時の人口は7千万人くらいですが、男女別平均寿命を調べると❗️ショックです。
1955年に刊行された『人口問題研究第60号』によれば、男子23.9年、女子37.5年となっています。あの当時、無念を強いられた方々からすると、なんと日本人の寿命は伸びたことだろうと思われるでしょう。
一夜にして、あっと言う間もなく、忽然と10万人がいなくなる事実。
高齢化社会ではなく、ーー少子ではあるでしょうが、ーー長くは生きられない社会が続いたのです。
現在の名古屋市の人口が230万人くらいですから、この半数が餓死する状況は、想像できるでしょうか?
今私たちがあるのは、日本国憲法のおかげであり、これを不断の努力で護ってきた国民の英知あってこその平和です。
それは、あの暗黒の時代に根こそぎ動員され、また、何も知らされず、普通の暮らしをしていたのに、突然前途を絶たれた幾数もの尊い犠牲があったからです。
東京で生まれ育ち、子どもを育て、やがてシニアになる私は、3月10日に改めて平和の尊さ、有り難さを実感せざるを得ませんでした。
過半数どころか絶対的安定多数を、国民は政府与党に与え、平和を託しました。
3月10日を知らない人が過半数と言う現実とのギャップを危惧するのは私だけでしょうか?
ドイツのアンゲラメルケル首相が来日しました。
物理学者でもある旧東ドイツ出身のメルケル首相は、洞爺湖サミット以来の来日で、わずか2日間の公式実務訪問でありましたが、私たちに重要なメッセージを残しました。
かつての大戦では、ドイツは日独伊三国同盟の枢軸国と言われる関係の敗戦国でありながら、国際社会に受け入れられたのは、
『ドイツは過去ときちんと向かい合った』からだと言われました。
確かにナチスの戦犯に対する時効を廃止して、地球上あらゆる場所まで追いかけていることはよく知られています。
そう言えば、今年94歳で死去したヴァイツゼッカードイツ連邦共和国大統領は、今から30年くらい前に、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在も盲目になる」と述べられました。
メルケル氏によれば、かつての敵国との和解は、「近隣諸国の温情なしには不可能だった。
ただドイツ側も過去ときちんと向かい合った」と言うことでありました。
弁護士として仕事をしていると、よく謝れとか謝罪しなければとの声や場面に遭遇することがあります。
以前もお話したかもしれませんが、他人に損害を与えた、精神的に苦しめたような場合、お金を支払うことで謝ったかたちにする、それしかないのが、この業界の良いところ悪いところで悩ましいものです。
でも、お金を支払うイコール謝罪となるのであれば、以後「謝れ!」と言われることはありませんし、ましてこうしてなされた謝罪が撤回されることもありません。
お金なんて要らない、こんなもの返すから謝れ!なんて司法の世界に身を置く者として、経験したことはありません。
戦後70年の今年、安倍晋三内閣総理大臣は、『安倍談話』を出すようです。
巷では、かつての侵略戦争と植民地支配に対する痛切な反省を込めて出された『河野談話』『村山談話』そして靖国神社に参拝した首相が出された『小泉談話』を修正するかもしれないと囁かれています。
今、談話の内容について論じるのではありません。
確かに、近隣諸国から、なんでもかんでも謝れ!謝れと言われたら、気分が良いものではないでしょう。だってもう謝ったのですから。
司法の世界では、謝った者に対して繰り返し『謝れ!』はないと申しました。
でも、ひとたび謝った者が、それを撤回することもありません。
謝る必要があるかどうかは議論されるべきですが、かつて謝ったことが間違い、謝罪を撤回するなんてあり得るのでしょうか?謝ったことにより収まった紛争は、蒸し返されるのでしょうか?
メルケル氏が言われる過去ときちんと向かい合ったと言う意味は、先人が辛い、また、恥ずかしながら現在そして将来のため、向かい合ったことそのものを否定することは、なお認められないと聞こえました。
メルケル首相、良いときに来日してくださいました。