Topics

調停委員・司法委員いずれも経験した弁護士として

(2020/05/25)

>> 一覧に戻る

調停委員も司法委員も、民間から選ばれた人が裁判所の手続に関わることで、一般社会の良識と乖離しない司法が運営されることを意図するものです。

 

弁護士は、法律専門家ではありますが、国民の側に居て、特に民主主義社会ではときとして、多数により少数者の意見が届かなかったり、少数者の権利がないがしろにされる危険性を内包することから、そのような方々の権利が損なわれないよう、裁判所に橋渡しする役割も担う立場です。

司法委員は簡易裁判所に配属され、調停委員も特別なケースを除き、簡易裁判所及び家庭裁判所に配属されます。これら裁判所は市民に近い、手が届きやすい、利用して欲しいとの考えが根底にあると思っています。

 

ただし、調停委員と司法委員は実務での具体的場面では、職務内容は異なります。

調停は文字通り、調整を行う手続であり、その結果を決めるのは当事者です。これに対し司法委員は、簡易裁判所に係属した民事訴訟の中から、裁判官から配転を受けた事件について、裁判官を補佐するかたちで、裁判所の立場で解決する職務となっています。

 

よく調停では、当事者が譲り合うこと、その調整役を調停委員が行なうのだと説明されます。加えて言えば、調停委員はどちらの味方でもなく公平なのだとも。

この説明自体は間違いではありませんが、私の考え方、捉え方は改めて申し上げます。

 

司法委員は現に提起され、係属する民事訴訟を裁判所の立場で見ることからスタートします。裁判所は、最終的には係属した事件を判決というかたちで解決しなければならない。もちろん副次的には紛争について、最終的な結論を出してあげるのは当事者にとっても「解決」とはなるのでしょうが、あくまで裁判官は、法と良心のみに従って職責を全うします。当事者の主張や希望を分析・整理し、係属する事件の「本当の問題点」などを押さえて裁判官に繋げる役割が、司法委員には求められるのです。

 調停委員は、中立と言われます。この中立という言葉がひとり歩きし、私からすれば、それは言い訳に聞こえることがままあります。調停委員は、判決をする立場にはないことから、時として明らかな理不尽、法律上あり得ない当事者の主張であっても、「それは違う!」などと主張することは少ない現実です。

 司法委員は裁判所の、より具体的には判決をしなければならない裁判官の立場で事案を見ます。ここでしばしば感じるのは、解決には判決は相応しくないというケースです。

疾病等で稼働できず、収入が減ったから家賃が支払えなくなって、家主・賃貸人から契約解除を受け、明渡しをしたくても引越しするお金に事欠く場合があります。

そんなとき「明渡せ」の判決を裁判官が書いても、現実に賃借人の意思で自分から退去・引越しすることは困難でしょう。勝訴した賃貸人は、判決があるのに何だ!と思うでしょう。つまり、解決になっていないのです。

 このようなケースで司法委員は、当事者の意見を聞き、証拠を分析しつつも現実的な解決案を裁判所の立場で提案することがあります。これを「司法和解」と言います。

むしろ司法委員は、判決ではなく、和解により解決するのに相応しい案件を配転されることが多いです。判決によらない民間の良識に従った解決です。

 ただし、調停委員や司法委員もその職場は裁判所です。当然法律を無視した解決を勧めることはできません。特に司法委員は、司法和解できなければ、裁判官は判決をします。ですから当事者が、どのような主張をし、裁判所に判決を求めているかを正確に聞き取り整理し、裁判官に説明しなければなりません。

 司法委員として執務する過程で、ときとして法律上成り立たない、また証拠上も合理的な説明が困難な事案の当事者に対しては、後見的な意識のもとそれを質すことがあります。

 証拠調べが終了するころには、裁判官と打ち合わせの上、判決の見通しもお話します。これは、相当抵抗反発を受けます。しかし、裁判所以外の手続では解決できないのであれば、ここが最後の機会です。判決を見据えて、司法委員として、これを受取った方からすれば、かなり厳しいことも申し上げます。

私は年を重ねるごとに、家庭裁判所に関わる案件の依頼を受けることが多くなっています。家事事件には、「調停前置主義」という言葉もあり、調停が手続の中心であります。専門機関を介しての話し合いが、有意義だということです。

 調停委員を退任して思うことは、いかにして当事者代理人として調停委員会を利用するかということです。また、実効性のある調停はどうすれば可能か、このあたりのことを随時お話したいと思います。