調停には過度の期待はできないが調停は利用すべきです(1)
(2020/06/09)>> 一覧に戻る
民事調停委員を40代の9年間歴任しました。
調停制度は文字どおり、存在する法的紛争を調整し、常識にかなった解決を得るために、当事者が譲り合うことで、判決と同じ効果がもたらされるよう民間の良識を得て進められる司法手続きです。
この調停を担当するのが簡易裁判所、また、当事者の合意があるときなど一部の地方裁判所内に設けられる調停委員会です(家事事件を専門に扱うのは、家事調停委員です)。
裁判官が主任で、最高裁判所から(実務上は、所在の地方裁判所長から)任免する専門的知見を有する民間2名を調停委員として構成します。その専門性から調停委員は、医師・建築士・不動産鑑定士・税理士等専門職のほか、教員や金融機関・保険会社等に勤務した方など、バリエーションに富んでいます。2名のうち1名が、弁護士資格を有する者が選任されることは、少なからずあります。
調停は、裁判所が行なう紛争解決の型体です。ただ主役は当事者、つまり調停申立人とその相手方であり、しばしば『互譲の精神』により調停は行なわれ、調停委員会は、基本取り次ぎ見守り、必要に応じ調整し、一定の示唆を与えつつ、当事者をサポートする役割があるといわれます。
実際調停委員は、自ら『公平に行う』と宣言し、取り次ぎはされるも、あまり専門的立場から、意見を述べない人が少なくありません。
調停委員として執務しているとき、私が配転を受けるのは、たいてい当事者に代理人弁護士が就いていて(少なくとも、申立人・相手方のいずれかには就いていて)、法的論点が含まれている案件でした。弁護士として仕事をするについても、自分の依頼者の相手方には、弁護士が就いて欲しいと常に思っておりますが、調停委員という非常勤といえども、裁判所の組織内で仕事をする際にも同様に思っておりました。
ここで申し上げる『感想』は、弁護士が就いているケースが中心です。ただし、今にして思えば、いささか勘違いもあるのですが、当事者の代理人として裁判所にやって来る弁護士も、いろいろいるのだなと、弁護士の姿を垣間見ることができたことは、得難い経験になりました。裁判所から、調停委員会からみた場合、当事者主体・当事者主導の手続ですから、やる気のあるなしはすぐに気づきます。もちろん当事者・依頼者を説得しきれなくて、調停委員会に意見を言ってもらうことは、私は、良いことだと思っています。
ただ、いかに裁判ではないと言っても、事案の分析がおろそかだったり、法的に理解困難な組み立てや反論をされるなど、ここが裁判所であることを忘れたような対応がなされることがありました。
そのような場合、依頼人とその弁護士の信頼関係を損わないように対処するのも、調停委員会の重要な役割です。そしていわゆる無理筋の事件・主張は収めてもらういっぽうで、例え相手方とされた側にとっては、無理強いはできなくても、調停を止めて――不成立にして、これで全てが解決したことにするのかは、考えていただきたいものでした。
裁判手続によらない解決が、調停の妙味です。その場をどのように扱い、調停の主役となるかは、代理人弁護士の力量だと思っています。それは法的知識ではなく、説得力です。それは依頼者本人を、そして調停委員会を引き込み「味方にする」説得力です。それができる弁護士が代理人に就いた依頼者は幸せです。
このことに関して次に書きます。