今、子どもたちに教えたいこと

2015年2月13日
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 シリアで行方不明となった日本人2名が、武装組織『イスラム国』に捉えられて殺害された悲しい、許し難い事件が起こりました。
亡くなられた方の無念、ご家族の苦悩を思うとき、申し上げる言葉もございません。

今日は、この事件そのものに関するお話をするのではありません。
先週ある都市の小学校で、20代の女性教諭が、5年生社会科の授業において、『イスラム国』がネット上に公開したと言われる殺害場面などが映された画像を児童に見せて論じさせたと言う『事件』についてであります。

事態が発覚したことを受けて、学校長は、不適切であるので指導すると言い、自治体の教育委員会も、『大きな問題』だとして厳正に対処する方針だと表明しました。
国内のメディアも報道しない残虐な画像を、発達途中の児童に見せたことは問題だと言うことです。

この件に関しては、この教諭の行為が、『教育的配慮の点』から、適切か不適切かと問われれば、私も『不適切』だと思います。教育委員会の説明も、その観点からは、同意できるものです。
ただし、教育委員会も認めているように、この教諭が、この画像を用いて子どもたちに考えて欲しいとしたテーマはとても大切であり、決して昨今賑わすわいせつ事件や体罰等の教員の不祥事と同列に捉えてはならないと言いたいです。

まして、このところ流行っている残虐な、また、悪ふざけしたネットに流出するような画像を使った興味本位の行動ではないのだと言うことです。

このときの授業のテーマは、『情報化が進むことによる利点と問題点』であり、東日本大震災後、見る人の心的苦痛を考えて津波の画像を流さない放送局もあったが、報道で支援の輪が拡がった例を出し、「どこまで真実を報道することが良いか」議論させたと言うことです。この教諭は、「報道のあり方を考えさせるとともに、命の大切さに目を向けさせたかった。迷った末に見せたが軽率だった」と反省の弁が明らかにされました。

この『事件』について、報道機関の見出しは、『小5授業でイスラム国遺体画像』『小5授業で遺体写真使用』等です。これだけ見ればなんてバカな!となるでしょう。
でも、この若い教諭の学習に対する姿勢、子どもたちに発するメッセージそのものは、間違っていないと考えます。

この事件で命を落とした後藤健二さんは、今現地世界で起きている真実を知らせるため、自の命を賭したのです。
今、日本の与党政治家から、この行動を『蛮勇』と評価されました。また、未だ『自己責任』の声が聞かれることはまことに悲しいです。

報道機関は、国民の『知る権利』に応える社会的責務があります。
なぜ表現の自由が大切なのか。政府国の都合で情報が隠されることも、政府国の政策に反対し、意見することが封じられることも、絶対に認めることは出来ません。
報道機関は、政府を向いて何を報道するか決めるのではありません。


国民による監視コントロールが効かなくなった政府がどんな道を走るのか、私たちは学んだはずです。

さて、件の教員はどうすべきだったのでしょうか。
何を間違えたのでしょうか?確かに小5の子どもたちに、この教諭が意図するところ、子どもたちに考えて欲しかった本当の問題を、具体例なくして理解させるのは難しいかったと思います。
でも、あの画像を使用しなくても、こんな真面目な信念、教育観を持っている教諭であれば、子どもたちは、教諭の話をしっかり聞いてくれたのではないでしょうか?

教員だって失敗しながら、また、子どもたちに教えられながら学んで行くのではないでしょうか?

この教諭に、またチャンスが与えられますよう、単なる『教員の不祥事』として葬られないよう願っています。