何もしない贅沢

2015年2月23日
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 報道によれば、ITバルブと言われた2000年ころを上回る株価の上昇だそうです。

法人税や相続税の軽減も提案され、これからお金持ちには、ありがたい世の中になって行くのでしょう。

バルブの時期、今は日本航空と統合した当時の日本エアシステム、通称JASの機内のエンターテイメントオーディオで面白い、考えされられるやりとりがありました。

舞台は、海がきれいでほとんど人が住んでいない南の国に、リゾートホテルを建設するため、家族を残して派遣されたサラリーマンと現地住民との会話です。

住人  「おーい。なんで朝から晩までそんなに働くのだ?」

サラリーマン  「会社のためだ」

住人  「なんで会社のために働くんだ?」

サラリーマン  「会社が儲かると、自分もお金をたくさんもらえるからだ」

住人  「お金をもらえたらどうするんだ?」

サラリーマン  「こんなきれいな静かな場所に来れるからだ」

住人  「なんでここが良いのだ?」

サラリーマン  「何もしなくて良い。一日中のんびりできるからだ」

住人  「そんなら今のオラたちとおんなじだな」



ひところ、『何もしない贅沢』と言う言葉が流行りました。
富裕層をターゲットに、都会から遠く離れたほとんど人がいない場所に、リゾートホテルなどが開業して、そこでのんびりすることを売りにする旅行ブランが人気を得ました。

ここでは、『何もしない』ために、たくさんのお金がかけられるのです。

ある日の○○新聞に、読者?から、こんな投稿がありました。

今、憲法改正の是非や閣議決定した集団的自衛権に関する恒久法についてあれこれ言われているが、いわゆる護憲派と言われる方々から、それならどうしたら平和を守れるのか、攻撃されたらどうすれば良いのか、具体的に対策意見が出されたことがないと言うものです。


何もしない、何も言っていないと言う指摘でしょう。

でも私は、おそらく護憲派、特に憲法前文の精神を重んじ、憲法9条を厳守すべきとの立場の方々には、これこそが答えだと考えます。
だって憲法は、軍隊を持たない、交戦しないと言っているのです。

憲法前文は、全世界の人びとが、恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利があると宣言し、日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意したこと、このことで日本国民は、国際社会において名誉ある地位を占めたいと願い、国家の名誉をかけて、この崇高な理想とを目標を達成することを誓っているのですから。

朝鮮戦争の最中、自衛隊の前身となる警察予備隊ができました。

日本国憲法が、占領下に作られたとの批判はしばしば聞きますが、自衛隊(の誕生の契機)も占領下の出来事だったとはあまり指摘されません。
災害救助等に活躍する自衛隊は、国民に認知されているからでしょう。この自衛隊は、海外に派遣される途が開かれた後も、現地でひとりも殺傷せず、ひとりの隊員も殺傷されなかったと強調されます。

この現実があるからこそ、現地でも日本人に対する攻撃は為されなかった、日本は違う!との国際的認識が形成されていたのではないでしょうか?

そして、これこそが憲法のチカラ、そして国民政府一致して平和を維持し、他国から攻撃されない理由だと考えることはできないでしょうか?

中南米に位置するコスタリカは、昨年のサッカーワールドカップでの活躍が記憶に新しいですが、コスタリカには軍隊がありません。

ニカラグア、ベネズエラ、そしてキューバ等紛争が絶えない地域にありながら、コスタリカが攻め込まれたと聞いたことはありません。

いっぽうで、核兵器開発が度々取り沙汰されるような独裁国家に対しては、力での対決姿勢が強調されます。専守防衛と言う言葉がありますが、軍隊を持たない弱い国だから攻め込んでやろう、やっつけてしまおうと、軍事力に誇る国は考えているのでしょうか?


護憲派の方々は、おそらく「何もしない」ことこそ平和を守ることだとお答えになるのでしょう。

ですが、私は、日本は、決して「何もしない」国ではなかったと思っています。この憲法がある限り、これを全世界に発信することで、どうしたら平和を守れるのか、そして「どうしたら攻撃されないのか」を十分示していると思うのです。