鹿児島の男性に対する褒め言葉は、『せごどんに似とっと』だと聞いたことがあります。 せごどんとは、西郷隆盛さんです。 子どもたちは、上野の西郷さん像が印象強く、西郷隆盛さんが薩摩すなわち鹿児島ご出身だと知らないようです。 西郷さんがバカな弟子たちに、『おいどんの命、おはんらに預けた』と言って、『政府にただす筋これあり』の蜂起をしたのは、明治10年2月15日、鹿児島が60年ぶりの大雪となった朝でした。 そして西郷さん一行は、懐かしい故郷鹿児島の城山に戻り、最後のときをむかえたのです。 前夜、西洋事情に詳しい村田新八が中心になって皆が歌った『ラ・マルセイエーズ』は、西郷さんをして、別れではなく、勇気を与える歌なのだと言わしめたものです。 春は、別れと出発の季節です。 卒業式等では、『蛍の光』が歌われますね。『蛍の光 窓の雪………開けてぞ今朝は、別れ行く』で、別れの歌といわれます。 ただ、原曲であるスコットランドの『オールド・ラング・サイン』は、別れを意味するものではありませんでした。この辺り、あるいはNHKの『マッサン』で放映されるかもしれません。 家の近くのあるスーパーでは、営業終了時刻になると、蛍の光が流されるので、蛍の光の重みを感じなくなってしまいました。 西郷さんたちが、最後の夜、勇気を与えると評したフランス国歌を歌ったと言うのは、別れは次の再会を約束し、決してこれで終わりではないと思ったのではないでしょうか? 蛍の光も、原曲がそうであるように、 この場では一旦別れるけれども、また会おう!それぞれが大きくなった姿を見たいねと言う約束の歌と思えます。 そんな思いで鹿児島空港にある足湯に浸かりました。 西郷さんが、『おやっとさん』(お疲れさん)と労ってくれたように感じました。