空港で飲むビールの味は?

2015年2月20日
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 上野駅の下のホームに立つと、東北の匂いがすると言われます。

出稼ぎの人たち、かつて金の卵と言われた集団就職の若者が、ここに到着する列車から、おおぜい降りて来ました。

青函トンネルを通過して北海道に繋がる寝台列車、ブルートレインと言われる北斗星、そして大阪と札幌を結ぶトワイライトエクスプレスも、今年3月で運行が終了します。

ブルートレインの多くは、東京駅から出発していました。
ブルートレインとは、青色の車体が疾走するところから名付けられたので、寝台特急をイメージしていたのですが、東京駅からは、寝台特急の他に、座席式の急行『雲仙、西海』『霧島、高千穂』あるいは『桜島』などが、まる1日以上かけて東京と九州を結んでいました。

東京駅からのブルートレインは、数年前に廃止されました。

東京駅からも、上野駅からも、ブルートレインがその役割を終えたのは、航空機が多く利用されるようになったからです。
遠くに早く移動できる航空機は、やがて鉄道に替わって国内での交通機関の主役級に躍り出たのです。

かつての上野駅が、東北の入り口だったとすれば、東京駅は、九州の入り口だったと言えます。

ところで、航空機が発着する空港では、どんな匂いがして、また、何処かの入り口となるのでしょうか?

私は、空港は、どこに行く人も隣合わせ、空港は、日本あちらこちらを結ふ起点なのだと感じます。

たとえば、羽田空港の搭乗口は、北海道行と九州行が並ぶことがあります。


私が福岡出張の折、しばしば利用する7時15分発JAL303便は、羽田空港第1ターミナル13番搭乗口ですが、その隣12番搭乗口からは、7時ちょうどには女満別空港行きが、7時50分には函館空港行きが出発します。

搭乗口前のソファーでは、博多弁と北海道のイントネーションがそれぞれ飛び交い、スーツ姿の出張族が、携帯やパソコンをいじっている風景が見られます。
ブルートレインにとって替わった航空機も、今度は新幹線に押されるようになりました。


今年3月の北陸新幹線開業により、おそらく羽田からの富山小松便は減るでしょう。以前あった羽田花巻線はなくなり、私が楽しみにしていたプロペラ機が結ぶ鹿児島福岡線も、減便となって利用することはなくなりました。

東京から西に向かう場合、新幹線利用と航空機利用の比率は、岡山まではほぼ拮抗、広島で逆転と言われておりました。

ところが新幹線のぞみ号が、東京広島間ではMAX20分待てば乗車できるようダイヤが組まれたあたりから、広島でも新幹線優位と報じられるようです。この空と陸の戦い、結着することはなさそうです。
写真 1写真 2
私は、鉄道駅には、ふるさとやその土地の匂いがあって、空港には、日本中ありとあらゆる場所とそこに行き来する人を受け入れる懐であって欲しいと思っております。

同じビールであっても、それを飲む空港、そこから眺める景色によって、味が違う感じがするのは私だけでしょうか?

すすきののシンボルと中洲のシンボル

2015年2月19日
 マッサンこと、竹鶴政孝氏が初代代表取締役を務めたニッカウヰスキー株式会社のシンボルとなったのは、マッサンではなく、あのヒゲのおじさんではないでしょうか?

と言うよりも、道外の人間にとって、札幌すすきの交差点にあるビルのネオンに描かれたあのおじさんこそ、札幌の、そして歴史を刻み、発展する北海道のシンボルの感があります。

これは、道内最大の繁華街すすきのと、ネオン街には欠かせないウイスキーとがマッチしたのかもしれません。

北海道最大のネオン街がすすきのなら、九州最大のネオン街は中洲です。

中洲は、福岡県博多区にあります。那珂川と博多川に囲まれた位置にあるまさしく中洲ですが、この那珂川を隔てて武士の町福岡と町人の町博多がありました。

今でも『福岡』と言うか『博多』と言うか、福岡市民人それぞれのようです。

中洲のシンボルとはなんでしょう。写真 1 H27.02.16

私は、那珂川のような気がします。福岡博多をテーマにした演歌は売れない!と言うジンクスがあるとかですが、ニックニューサーの『サチコ』でも、五木ひろしさんの『博多アラモード』でも、那珂川が出てきます。

でも、私が大好きな曲は、青江三奈さんの『中洲那珂川涙町』です。

『玄界灘の風にちぎった  恋の行方を知りたくて  忘れものでも探すような 
 こころ細さで来たけれど  男が中洲(泣かす)という街で  女は中洲(泣かず)と意地を張る  逢えない人の噂ばなしを、訪ね歩いた涙街  「忘れんしゃい……」「忘れんしゃい……」  
中洲那珂川  風が吹く』


私が大好きな博多祇園山笠が出てくる二番の歌詞も良いです。
福岡博多をテーマにした演歌は、なぜか男が昔恋した女性を探して、また、その思い出探しに来る場面が多い気がします。
北島三郎さんの『博多のひと』もそうですね。中洲那珂川涙町にもあるとおり、私なんか中洲は、「泣かす」と言いますが、確かに中洲のママさんなどは「泣かず」とも呼びますね。


九州男児と言う言葉がありますが、福岡出身の女性タレントの多くを拝見しますと、「福岡の女性は強か!」と思います。写真 2 H27.02.16






最近の私は、中洲ではもっぱら安い居酒屋で、いかの活造りを食べるくらいです。




でも、中洲から那珂川を眺めると、飲んだ後でもなんか清々しい気持ちになり、中洲そしてこの土地の歴史を感じるとともに、自分は福岡が大好きだと改めて思うのです。

 

『この街で』

2015年2月18日
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 久しぶりにじ~んと来ました。機内のオーディオから流れた歌です。

現愛媛県知事中村時広氏は、幼稚舎からの慶応ボーイですが、日本新党から立候補して衆議院議員になり、1999年から2010年まで松山市長を勤めました。

任期中『日本一のまちづくり』を標榜し、市民が誇れるまちづくりを、司馬遼太郎氏の名作『坂の上の雲』をモチーフして推進し、実際NHKで3年間にわたって、『坂の上の雲』が年末に放映されました。行政改革にも熱心で、私は2回、日弁連の行事が松山市で開催された機会に、中村時広氏の講演を聞くことができました。

話が面白く、全然眠くなかったです。

この中村時広氏が市長を務めた2000年に、『松山市21世紀イベント委員会』が設立し、『21世紀に残したい言葉』が募集されました。その中で松山市長賞を獲得したのが、「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい」でありました。


2005年に松山市内で開催された日本ペンクラブ『平和の日、松山の集い』で、「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい」と言う言葉に感動したゲスト2名が、即興で歌にして披露、会場内では感動のあまり涙する姿が見られたそうです。

その後『この街で』は、『ことばのちからが生んだ歌』としてCDになり、松山から全国に広がったと言うことです。この曲は、最初に歌った新井満氏以来10名のプロアーティストがカバーして来ました。
そして昨年2014年、スーパーユニット『ブラザーズ5』の杉田二郎、堀内孝雄、ばんばひろふみ、高山厳、因幡晃各氏からなる『この街で』が発表されるに至ったのでした。初めて聞く機内エンターテイメントオーディオから流れたブラザーズ5の歌声に、涙が止まりませんでした。

まずは歌詞を聞いてください。


「この街で生まれ、この街で育ち、この街で出会いました あなたとこの街で  この街で恋し、この街で結ばれ、この街でお母さんになりました   この街であなたのすぐそばにいつもわたし  わたしのすぐそばにいつもあなた  この街でいつかおばあちゃんになりたい  おじいちゃんになったあなたと  歩いてゆきたい」



ブラザーズ5のリーダー格杉田二郎さんは、『この街で』に出てくるストーリーがすごく純粋で理想形、この街で生まれて、この街の人と恋をして、そして人生を全うしていく、なかなかできるようでできない、とてもきれいな夢の世界、こころが洗われると述べられました。

しあわせとは見えないところ、本人が気づかないところにあるとは言い尽くされた言葉です。

この当たり前のとこがなかなかできない、そのありがたさがわからない、『この街で』は、ブラザーズ5のみなさんと同じような世代を生きている私にとって、なんでもないことに、しあわせに気づかせられるきっかけを作ってくれたようです。


これは人生の応援歌です。来週もまた、この曲を流しているる航空会社を利用します。

涙もろくなってく歳ですね。

 

灯台下暗し

2015年2月17日
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 経営破綻が報じられた後、初めてスカイマーク便に搭乗しました。搭乗便は満席でした。 
とても気に入っていたA330型は、もう使用されなくなりました。そのため機材のやりくりで、いくらか欠航が出ているようです。

福岡と新千歳によく行き来する私は、スカイマークは昔からよく利用していました。
写真 1
初期のころは、ボーイング767型が飛行しておりました。
この機種に、『シグナスクラス』と言う座席がありまして、名前を呼ばれてサービスを受けたことがあります。

もちろん私は、JAL ANAのファーストクラスやプレミアムクラスとは無縁です。
ある一時期、スカイマークは、羽田と関西空港の間に、JALとの共同運航便がありました。

関空の搭乗口に、JALの制服を着用した係員が居たことが不思議な感じでした。今後、共同運航により、こんな風景がみられるのでしょうか?

また、数年前、たまたま新千歳からの帰路、かなり空席があった日で、いちばん前の『1C』の座席に座っていたとき、CAさんから、「いつも当社便をご利用なさっておりますね。ありがとうございます。」と言われたことが忘れられません。

たぶん、それらしい搭乗客を見つけて、テキトーに声掛けしたのでしょう。

そんな思い出があるスカイマークですが、今日は機内放送で、民事再生法の申請をして、皆様にご心配をおかけしましたとお詫びのアナウンスがありました
。CAさんは、これまでよりも何か明るい感じがしました。CAどうし談笑している姿を見てしまいました。

最近持ち株のほとんどを、上場廃止とされる前に売却した前代表取締役時代には、きっと社内の空気は良くなかったのでは?
と思ってしまうくらい、『いい感じ』でした。
写真 2
スカイマークの機内誌をめくってみたら、東京の温浴施設というコーナーで、なんと私が以前住んでいた街にある日帰り温泉が案内されていました。

この温浴施設は、地下1700メートルから汲み上げた天然温泉であります。しかも、ナノ水というナノレベルの波長で、水分子が振動しているきめ細かな水を使用しているので、湯上り直後は肌がモチモチで、湯冷めしにくい効能があるとされます。今でも同じ自治体に住んでいるので、この温泉の前はたまに通るのですが、入館したことはなかったです。 
 実は、羽田空港から福岡空港に向かう便は、羽田空港の出発滑走路によっては、我が家の真上を飛行するのです。
離陸後6分です。晴れて空気が澄んだ日は、下から飛行機が見えます。

なんか灯台下暗しですね。これもスカイマークの縁でしょうか。 
 ただし、経営難とは言え、スカイマークのCAさんのあのコスチュームというのか制服、あれはセンスないですね。

あれなら以前着用していたジャンパー様のほうがまだましと思います。

たぶん最近、こんな意見が出ていると思います。
私は、最近の風潮にかかわりなく、ずっと前からそう思っていたので誤解なきようお願いします。


機内放送でもありましたが、再生を期待しております。頑張れスカイマーク! 

 

北大路欣也氏の『マッサン』

2015年2月16日
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 NHK朝ドラ『マッサン』は、第18週『幸せをつかむ』で視聴率24.4%をあげ、最高記録となったとのことです。

この週は、マッサンの大切な人の結婚と急死と言う悲喜交々の人生模様が描かれ、いよいよマッサンことニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝氏が、ウイスキー造りを始める内容となったものです。

さて、ご存知の通り先週からマッサンに大俳優北大路欣也氏が出演いたしました。

なんと北大路さんの強い要望があったのだそうです。

北大路さんは、1968年放映のNHK大河ドラマ『龍馬がゆく』に主演として抜擢された折、竹鶴氏より声をかけられ、当時25歳の北大路さんは、北海道余市のニッカウヰスキーを訪ね、竹鶴政孝氏より、「君の眼が気に入った」の言葉をもらい、ウイスキー造りの苦労、エリーこと妻リタさんとのこと、仲間たちのこと等暖炉を囲んで静かに語られたひと時が忘れられず、この度『マッサン』の放映が決まったときより、たとえチョイ役でってもなんとか出して欲しいと直訴されたのだそうです。

北大路欣也氏と言えば、戦前からの東映全盛期の名俳優市川右太衛門氏を父に持ち、日本アカデミー賞はじめ数々の賞を受けられ、2007年には勲章も授与された日本を代表する俳優です。

その北大路欣也氏の出世作となった龍馬がゆくに出演が決まった折、竹鶴政孝氏より声をかけられたことをずっと心に刻み、機会あれば竹鶴夫妻のドラマに出たいと思い続けておられたと知り、ましてもマッサンに感動させられました。そう言えば、主人公マッサンを演じる玉山鉄二さんも、京都出身でしたね。

これに似た話は、やはり25歳の五木ひろしさんの思い出話として、聞いたことがあります。

五木ひろしは、抜群の歌唱力を持ちながらなかなかヒット曲に恵まれず、デビュー10年となろうとするころ、『横浜たそがれ』と巡り会いました。五木さんは、まだ横浜たそがれがヒットチャートに上らない時期、全国行脚をする過程で、「今度もダメか」と疲れきって入った札幌すすきの小さなラーメン店で、店主より、「あんた頑張っているね」と声をかけられたことが忘れられないのだと言われました。

そして、やがて横浜たそがれで第一線に出た五木ひろしさんは、押しも押されぬ日本を代表する演歌歌手の地位を築かれています。

男の25歳は、大厄を過ぎた翌年にあたります。

ある中高一貫の男子校では、中学に入学した生徒に、『25歳の自分』を予想して書き出す学習しています。

私の場合、25歳の4月司法修習生となり、25歳の7月福岡に赴任しました。私なりに当時『25歳の決意』はありました。しかし今の自分は………。

北大路欣也氏の『忘れられない思い出』を聞き、『初心忘るべからず』に改めて思い至りました。

本当に、その道の第一人者、尊敬される方は、自分の今日あることを、その大きなボイントとなった出来事を終生忘れることなく、日々精進を続けられているのだと認識させられた次第です。

それにしても、やはり『マッサンは偉い!』。
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