ヒューマンエラーを起こさないために

2015年10月16日
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三連休の中日、鹿児島空港に着陸しようとした日本航空のボーイング767型機が、降下中に新日本航空の小型プロペラ機が、針路に入ってきたとして、急遽着陸を取り止め上昇して危険を回避したトラブルがありました。世上『ニアミス』と言われるもので、国土交通省は、航空機事故に繋がりかねないとして、『重大インシデント』に認定、国土交通省運輸安全委員会は、航空事故調査官3名を派遣して、今後原因調査を行うとしました。このアクシデントでは、搭乗者に怪我をされた方はおられませんでした。

現時点で国土交通省が発表したところでは、日航機は、鹿児島空港管制官から着陸許可を得て、空港の約5.4km高度約300mのところで、前方左から針路に割り込むかたちで進入する小型機を発見、衝突を避けるため急上昇して着陸をやり直したこと、いっぽう小型機所属会社は、「管制官からの着陸許可を受けて降下中だった」と述べたとのことです。

今年は、この『ひとりごと』でも触れたと思いますが、徳島空港での出来事や、那覇空港でも同様の事態が起こりました。なんか嫌ですね。

鹿児島空港は周囲が山で、東京から向かう航空機は、宮崎市から霧島を右手に見て、錦江湾を掠めて右旋回して南から北へ進入するのが普通で、着陸寸前まで、高い山の中を飛行し、山にぶつかると思ったら、滑走路が見えて着陸となる空港です。山の中で視界が悪く、私もかつて視界不良のため、東京からの便が着陸できず、東京羽田空港行き最終便が欠航になり、帰れなくなった経験があります。


そんな鹿児島空港ですが、この日は極めて視界が良好で、日航機の機長は、とっさの判断でゴーアウンド、すなわち着陸複行を行い、この危機を脱したと報じられます。ゴーアラウンドがなされるとき、着陸寸前で前屈みのところが急上昇となって、客室では、座席に打ち付けられたような感じになることがあります。私も、今年羽田空港での着陸寸前に、これを経験しました。客室乗務員から、最終の着陸態勢に入ったとの案内の後、窓側の席からは、地上が見えたのに急上昇するので、不安を持たれると思います。

元日本航空の機長で、湾岸戦争時に日本人を救出するための日本政府特別機の操縦を託された小林宏之氏は、ヒューマンエラーに関する研究で知られています。私も、縁あって小林氏の勉強会に参加する機会がありまして、その人柄とらともに、プロの心構え、安全安心に対する思いの強さに引き込まれたひとりです。小林氏は、ヒューマンエラーが発生するのは、経験不足、思い込み、コミュニケーション不足を主に挙げられています。

鹿児島空港でのこの一件が、ヒューマンエラーだったのかどうか現時点ではわかりません。ただ、航空機事故の70%が、ヒューマンが絡んだものと言われます。この中には、今年発生したジャーマンウイングスの墜落や、かつての日航機羽田沖墜落事故のように、操縦士の異常操縦が含まれていますので、実際は、『間違った』ケースは、もっと少ないとは思います。

このプロによるヒューマンエラー、私も学ぶべきところが多いと思うのです。

例えば、この鹿児島空港での一件、どちらかの操縦士が、管制官の指示を自己の判断による『思い込み』の可能性だってありえます。


私も、プロとして仕事をさせていただいておりますが、小林宏之氏の言葉には、もっともだと学ぶものがあります。経験とは、いくつにもなっても必要です。経験には終わりはないのです。思い込みは、本当に怖いことです。これは、経験があると思う心の自惚れから、生まれることもあります。そして、コミュニケーションとは、コックピットに必要なのは当然でしょうが、弁護士の場合、依頼者とのコミュニケーションから生まれる信頼関係こそ命綱であります。


高度の機械化が進んでも、これを造り、また、使いこなすのも人間です。弁護士として仕事をさせていただいている私は、全てが人間から始まり、人間との関わりで、ブロの責務を果たさなければならない立場です。


高度のプロ意識が必要とされる場面でのヒューマンエラーの可能性が検証される報道を聞くたびに、気を引き締めなければならないと思うものであります。

 

私は、ハルキストではありません。でも、村上春樹さんは、割と好きな日本人です。

2015年10月15日
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2015年のノーベル文学賞は、ベラルーシの女性作家で、ジャーナリストでもあるアレクシエービッチ氏に授与されることが決まりました。

 

日本では毎年この時期、『ハルキスト』たちが集まってはがっかりする様子が繰り返されていますが、当の村上春樹さんご本人は、確か、「わりに迷惑です。民間のブックメーカーが儲け率を決めているだけ。競馬じゃあるまし」とコメントされたと思います。

 

ところで村上春樹さん、『割と好きな日本人』です。

 

アレクシエービッチさんは、1948年母親の故郷ウクライナで生まれ、その後父親の故郷ベラルーシに移り、新聞社に勤務した後、フリーのジャーナリストとして活動を始め、その傍ら文筆活動をされるようになったとされます。その当時は、ウクライナ等の黒海周辺諸国、ベラルーシ等のバルト三国等は、旧ソ連に属しておりました。

 

それで、アレクシエービッチさんの「戦争は女の顔をしていない」等有名な文学作品は、なかなか世界に発信されなかったそうです。ソビエトの崩壊、ペレストロイカにより、この方の文学作品が世に知られるようになったのです。

アフガニスタンやチェルノブイリにも行き、現地で何が行われているか、しっかり発信されたのです。 アレクシエービッチさんは、チェルノブイリ事故をひとつの契機として、原子力発電に関するメッセージも発信されています。福島原発事故後、日本にもいらっしゃって、このような発言をされています。「原発利用と核とは表裏一体」「原発の平和利用という言葉に騙されてはいけない」。世界唯一の被爆国である日本が、福島第一原発の事故を経験したことに衝撃を受けたのです。

 

数年前、日本の団体に招かれて来日されました。原発再稼働に舵を切ったことは、驚きだったでしょう。 私は、村上春樹さんのファンではありませんし、まして村上氏の文学作品を論評する能力なんてありません。ただ、ハルキストからではありませんが、ノーベル文学賞に関して、気になる声があります。

それは、純粋な文学、小説ではなく、政治的テーマを書かなければ受賞できないと言うものです。ノーベル文学賞受賞者である大江健三郎さんが、憲法9条を守ることを言い、先般の安全保障関連法案に反対のメッセージを出したことも、その理由に挙げているのです。 文学作品が、何をテーマにするか、読者に何を訴えるかは、作家それぞれでしょう。

 

作家は、必ずしも、ノーベル文学賞の獲得を目指して文筆活動をされているのではないと思います。私には、日本人が賞から漏れたとき、あるいは勝負事で結果を出せないときに、その理由を、あたかも日本社会、歴史、政治、より直裁に言えば、日本の政権与党に耳が痛い出来事ーー日本の政治を批判した見解ーーゆえに結果が出たかに言われることが、とても気になります。

 

今回受賞者となったアレクシエービッチさんは、世界各地を自身の目で見て来た中のひとつが日本であり、その中で関心を持たれたのが原発事故だったに過ぎないのだと思います。 一部日本人からのこれら意見について、以前日本にもいらっしゃったアレクシエービッチさんがお聞きになったら、驚きを隠せないのではと思いました。

 

でもこんな風潮?、深刻に考えなくても良いのかもしれません。確か村上春樹さん、何かの国際的文学賞の受賞の折、『核兵器NO』『脱原発』を日本人は言い続けるべきだと演説されました。そんな日本人村上春樹さんのノーベル文学賞受賞が叶わないことを云々する方々は、単なる僻みやっかみを言っているに過ぎないとも思えば良いのです。

 

大河ドラマ真田丸の前に

2015年10月14日
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来年のNHK大河ドラマは、堺雅人さん主演の真田幸村を描く真田丸です。武田信玄の元で知略を学んだ父真田昌幸より、武田家は織田信長によって滅ぼされたが、天下を取るのは羽柴秀吉であり、武田家とは縁がある徳川家康の力も侮れないとして、兄信幸は徳川側に、幸村は豊臣側に付くよう、信州真田家を残すために、帝王学を教育されたのが、戦国最後の勇将真田幸村が誕生した契機でした。
写真 1 H27.10.08 写真 2 H27.10.08
そして、真田幸村は、徳川秀忠の関ヶ原への遅参、大坂冬の陣では、徳川家康を追い詰める(わざと仕留めなかったとの伝説も生まれました)等の戦歴を挙げ、彼の最期、大坂夏の陣の終焉により、戦国の世が終わったともいわれます。

さて、今日は、真田幸村の話をするのではありません。戦国の世は、力と力の対決でした。天下統一が近づいた豊臣秀吉の晩年にも、武闘派と官僚の対立が、結果として豊臣家を滅ぼすことになったように、戦国時代が終わりと、台頭してくるのは官僚です。今日は、宇都宮に来たので、徳川幕府初期に起きた吏僚派の代表、宇都宮城主本多正純失脚に纏わるナゾをお話します。

本多正純は、徳川家康が、唯一友と言い、敬称をもって呼んだ三河以来の功労者本多正信の子で、19歳より家康の側近として仕え、その信任を得ておりました。豊臣家が滅亡した直接の原因となった大坂冬の陣の後の和睦を反故にした?大阪城内堀埋め立ては、この本多正純の策と言われます。

ちなみに、この和睦には罠があることを言い続け、最後まで反対したのは真田幸村ですね。真田幸村は、これにより自分の役割、戦国の世の落とし前として、大坂夏の陣に臨んだのでしょう。武闘派真田幸村から、官僚本多正純への時代のバトンタッチとも思えます。

さて、豊臣家が滅亡し、1916年に徳川家康と本多正信が相次いで世を去りました。戦国時代に徳川家康を支えた武功派は、活躍の場はなくなり、家康の側で、行政手腕を振るう吏僚派の本多正信正純が、幕府の礎を築いたとして、重んじられるようになりました。こうして本多正信正純親子対する憤懣が、家康と正信死後爆発するのです。

宇都宮は、日光街道、奥州街道の分岐点で、戦略的にも重要な位置にあります。これは、戊辰戦争でも証明されました。また、神君家康公を祭神とする日光東照宮への入口です。ここを与えられたのが本多正純です。

1622年徳川家康の七回忌の法会に、日光に出かけた将軍徳川秀忠は、途中宿泊する予定の宇都宮城に立ち寄らず、江戸に帰ったことが、『宇都宮釣り天井事件』が生まれた発端です。

本多親子により過年失脚させられた三河時代からの重臣に、大久保忠隣がおりました。

また、秀忠の姉である亀姫は、武功派奥平信昌に嫁ぎ、その孫が、本多正純が入城する前の宇都宮城主でした。三河以来の重臣として、酒井忠世、土井利勝がこれに絡みます。さて、将軍秀忠が、宇都宮に差しかかったとき、姉の亀姫が、秀忠に対して、「宇都宮に不審あり!」と報告したのです。

もちろん、釣り天井なんかありません(本当にあったなら、人目に触れるてバレては意味ない!)が、幕府に対しては、過年二の丸の修理の許可を申し出たのに、実は本丸ま修理したことや、鉄砲を買い込んでいたことが理由とされたのです。

実は、亀姫は、本多正純が宇都宮に入ったため、宇都宮城主だった孫が、当時格下と言われた小山城主た転封されたことや、その娘が、本多親子の陰謀?により失脚させられた大久保忠隣の嫡男に嫁いでいたこと等から、本多親子に対して、恨みがあったとされます。これを利用したのが、老中筆頭の酒井忠世で、次席の土井利勝だったという陰謀説が有力です。それは、秀忠が急遽宇都宮城には立ち寄れなくなった旨、本多正純に伝えに来たのが、酒井老中らの腹心井上正就だったことからも、裏付けられると言うものです。

『宇都宮釣り天井事件』は、城に不審ありが後世の創作に繋がったものですが、将軍秀忠からの糾問に対して、その全てに答えられなかった本多正純は、失脚するに至ったのです。

このとき秀忠は、先代正信からの忠勤に免じて、本多正純を宇都宮城主から、禄高5万石の出羽の国への転封を命じたところ、本多正純が、身に覚えがない濡れ衣と言って固辞したため、怒った秀忠は、本多正純を追放したとされます。あるいは、戦乱の世から泰平の世の礎が築かれたとして、将軍秀忠自らが、これ以上本多正純の力が強くなるのを恐れたのかもしれません。

ここで学ぶことは、いつの世にも、なんとか派となんとか派の対立が起き、歴史は繰り返すと言うことです。


そして、陰謀渦巻く世界でも、結局最高権力者にとって、用がすんだら使い捨てをすると言うことです。大坂冬の陣後の陰謀で、真田幸村そして豊臣家を葬った本多正純は、今度は葬むられました。そして、武功派、吏僚派それぞれの力により、盤石な政権を造ったはずの徳川幕府も、豊臣家臣分断により勝利した関ヶ原の怨念?を、薩摩そして長州から受けて崩壊したのです。

歴史の不思議を思いながら、宇都宮を後にしました。

 

『二刀流』の使われ方

2015年10月13日
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アメリカメジャーリーグ、マーリンズのイチロー選手が、公式戦に投手として登板しました。1イニングを投げ、2安打1失点ながら、最速143キロを記録したそうです。イチロー選手、プロ選手になった後は、日本のオールスター戦で、投手を務めたことがあるのですが、それ以来、メジャーで、野手登録の日本選手が投手として出場したのは初めてとのことです。

野球界では少年時代、エースで4番が多いですね。イチロー選手もそうです。プロとなった後に、野手一筋となる方、あるいは、それまで野手の経験がない方が、投手から転向するケースもあります。プロの投手になった後も、バッティングセンス溢れる投手、ときにホームランを放つ投手がおりますね。

イチロー選手は、今季は過去最低の成績のようで、メジャーでは、9月ともなるとレギュラーシーズンで結果を残せない選手は、出場機会が減る例ですが、マーリンズの監督は、あえて投手イチローを起用したのは、「将来殿堂入りする選手。このような機会を得た彼の努力を若手に実感して欲しかった」と明かしたたのことです。球団オーナーも、皆がイチローを愛してる、レジェンドであり、看板選手であり、来季もイチローと契約し、その活躍を期待すると述べた由です。

41歳にして、メジャーで初めて投手として登板するだけでも凄いのに、彼に対する高評価はさらに凄いと言うか、嬉しいですね。年輪を重ねるごとに、人から評価される人間って素晴らしいと思います。でも、日本球界では、若手も頑張っています。日本ハムファイターズの大谷翔平選手です。

大谷翔平選手は、高校卒業後は、メジャー行きを決めていたと言われますが、これを口説いて日本球界に留めたのは、日本ハムの栗山監督と言われます。その入団の条件は、野手としても投手としても出場すると言うことでした。出場するということは、野手と投手の練習を継続すると言うことであり、本人の努力もさることながら、球団全員の理解協力がなければ実現は困難だと思われます。栗山監督は、名将の域に達していると言われますが、指導者からではなく、解説者から監督になった異色の経歴が示すように、有る意味斬新な、有る意味突拍子もない決断と約束をしたのは、この栗山氏所以かもしれません。

大谷翔平選手は、今年は、投手部門で、勝率、勝ち数、防御率のタイトルを総ナメして、投手三冠を獲得しました。打撃のほうは、昨年よりは成績を残せなかったと仰るものの、投手としてローテーションを守りながら、出場し続けているのです。大谷選手の努力も、凄いですね。

投手OBからは、バットを置いて、投手に専念してもらいたい、野手OBからは、投手は辞めて、希代のバッティングセンスを活かして欲しいと賛辞ややっかみが聞かれます。大谷選手も、栗山監督との出会いに、運命を感じたかもしれません。これを続ける能力精神力には感嘆します。『二刀流』と言う言葉は、流行語大賞にもノミネートされました。

この『二刀流』と言う言葉、もともとは、両手に刀または剣を持って攻守を行う剣術を言いますが、太平洋戦争後、平成の世になるまで、しばらく剣道の大会から除外されていたようで、世俗的には、『二刀流』は、別の意味に用いられることがあったのです。すなわち、武器を両方に持ち、異なる手段により事にあたる、あるいは、同時にふたつのことを行う意味に使われるようになったのです。

私は酒呑みですが、知人の飲み友達に、饅頭や団子を好む人がおります。

彼は、よく二刀流と言われたそうです。きさらぎ法律事務所は、新宿1丁目にありますが、伊勢丹デパートを挟む新宿2丁目は、よく二刀流の方々が集まると、ある雑誌に記事に出ていたことがあります。

それが大谷翔平選手の登場により、ふたつの職業やスポーツを兼ねると言う意味にも使われるようになりました。イチロー選手がそのはしりだとすると、それを現実のものとしたのは、若い大谷選手なのかもしれません。これから『二刀流』は、また別の意味に使われることがあるかもしれませんが、イチロー選手、そして大谷選手の活躍努力と足跡に、敬意を表したいと思います。

 

中学校の運動会で、10段の人間ピラミッドが倒壊して、生徒が大怪我をしたとの報道に寄せて。

2015年10月12日
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以前、幼稚園、保育園の子どもたちの声が『騒音』だとする風潮について述べたことがあります。

 

確かに、閑静な生活をしたいと思って、住宅地に終の住処を求めたのに、その後幼稚園等が開園して、騒々しくなったのはなんだ!との思いはあるでしょう。私も、十数年前に現住所に住み着いてから、徒歩30秒のところに公園が、徒歩1分のところに保育園が、徒歩3分のところに幼児用スイミングスクールが、その建物内に焼肉店がオープンするとは、予想しておりませんでした。でも、子どもが増え、賑やかになるのは良いことだと基本的に考えます。

 

誰かのように、国家に貢献するために子どもを産むべきなんて思っておりませんが、やはり子どもの声が聞こえることは、明るくなりますね。

 

子どもの遊び場や、子どもが体力をつける、いろいろな経験をする場がなくなってきていることは間違いありません。それは、子どもの体力テストの結果を言うのではありません。少子高齢化と言う基本構造のもと、過疎化で子どもが居なくなり、学校等は閉鎖されること、都市部でも、親がいずれもフルタイムで働き、なかなか一緒に遊ぶ時間が取れない、要するに、親が、遊びを子どもに教える機会がなくなりつつあるのです。

 

ここ数年、小学校、中学校の運動会のプログラムが変わったとか、様々な意見が出されて収拾がつかなくなったなど言われます。例えば、騎馬戦の是非がこれです。落ちたら危ない!はそのとおりです。でも、危ない遊戯はいくらでもあります。ドッヂボールについても同じことを言われます。個人差と言うものもあります。団体競技である以上、実施してもしなくても、保護者から反対意見が出されることが想像されます。もう、20代後半となった私の子どもたちのころは、『実質的平等』の観点もあったのだと思いますが、例えば、徒競走のチーム分けは、タイムごとに行うなんてありました。

 

これは、教育とは?の基本的視点を問いかけられた感があります。

 

このことは、とても難しい問題だと思います。教員、特に公立学校の先生は、あらゆる方向を気にかけながらお仕事をされるのでしょう。そんな思いでおりましたら、大阪府の中学校で、運動会での10段の『人間ピラミッド』が倒壊して、生徒数人が、骨折等の怪我を負ったと言う報道に接しました。なんでもこの中学校は、昨年も、骨折した生徒がおり、今年も、練習中に怪我をした生徒がいたと言うのです。

 

ここでも、様々な意見が寄せられているようです。人間ピラミッド賛成派、もちろんこの方々も、怪我をして良いとは言われませんが、こちらは、ピラミッドにより一体感、達成感ができる、危ない!と思われることを大人が回避したら、子どもは、本当の危険が判断できなくなると言うあたりの意見が主流でしょうか。 私自身は、人間ピラミッドをやったことも、見たこともありませんので――3段くらいのミニチュア版は別ですが、――10段の人間ピラミッドがどんなものか、ハッキリ理解できているものではありません。ただ、かなりの重量はかかるのではないでしょうか。

 

もし、これが潰れたら、転落も怖いが、下にいる子どもにかかる重量は、相当なものだと思います。

これは、単に擦り傷くらいですまないのではないでしょうか。特にこの学校では、現に『事故』が起きできるのに、なぜ続行したのでしょう。先生たちの中に、経験がある指導的立場の方はおられたのでしょうか。要するに、人間ピラミッドは、もはや子どもの運動、競技の域を超えているのではと考えます。まとまること、チームワークを学ぶことは大切ですが、それは、必ずしも人間ピラミッドでなくてもと思うのです。

 

中には、こんなもの!やりたくないと思っている生徒もいるでしょう。団体競技の経験は、私自身も重要と思いますが、10段の人間ピラミッドは、子どもたちが得るものとリスクを相関すると、運動会の競技に適さないのではないでしょうか。 おぎママこと教育評論家の尾木直樹さんは、私がなんとなく抱いていた違和感の正体に、気づかせてくれました。尾木直樹氏は、「やらせる学校も学校なら、眺めて感動する親も親」とコメントされました。

 

つまり、もしかして、我が校は、こんなことをやっている、こんなことができたとアピールしたい学校と、今流行りの写メかなにか、また、tweetしてよろこんでいる親がいるからか?と言う疑問でした。それ自体危険な場面を、写真撮影するなんて、子どもの安全は後回しでしょうね。尾木直樹氏は、大人たちが、子どもの命、安全に関する意識が低いと批判されています。さてみなさん、どのようにお考えでしょうか?