ハロウィン
2014年10月31日
10月31日は、「ハロウィンの日」とされています。
ハロウィンは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の収穫感謝祭がキリスト教に取り入れられ、現在のハロウィンになったそうです。
もともとは、万物への感謝が、その起源でした。
この時期、街のあちらこちらで、仮装した男女が見られますね。
アメリカなどでは、仮装した子どもたちが、「お菓子をくれなければ、いたずらするぞ」と、家を回る例ですね。
日本の子どもたちも、この時期は、「好きな格好が許される!」「多少のわるさは許される!?」と思うのか、楽しそうに見えます。
「収穫」は、やはり秋に似合います。
実りの秋、収穫の秋、食欲の秋…。
長い冬の間、大地は静かに準備をはじめ、春が到来すると、土を耕し、種を撒き、夏の太陽のもと、いのちを育み、そして、全てが結実するのが秋です。
じゃがいも、かぼちゃ、秋なすなどの農作物の多く、そして、こうべを垂れた稲穂は、やがて新米として、秋を待って、私たちの前に現れます。
以前思いを馳せたサケもまた、秋にその生涯を結実させるのでした。
私たちは、秋のありがたさを実感するともなく、春夏秋冬その日を生きております。
昔の人は、謙虚で偉かったですね。
ハロウィンの意味は、子どもたちに語り継きたいものです。
しかし、「お菓子をくれなければいたずらするぞ!」とは、危なっかしい感じがしないではありません。
当たり前のことをするのに、何か引き換え条件を求めるのはおかしくありませんか?
これは、弁護士として業務に携わる過程で、しばしば経験することです。
「離婚してもよいが、親権は渡さない」からはじまり、「預かった物は還すけど、お金を寄越せ」などなど。
依頼者にとっての理不尽を全て引き受けるのもまた、弁護士の重要な仕事です。
ハロウィンの「お菓子を寄せ…」は、子どもたちの大人たちに対する一つのメッセージだと思いましょう。
「大地と万物への感謝を忘れて独り占めするなよ、いま自分が喜々としていられるのは、多くの見えないサポートがあったのだよ。」
「だから、次の世代に分け与えようね。所詮お菓子じゃないか‥‥。」
「でも、大人は、わがままはダメだよ。だって、もう充分わがまま言って生きて来たでしょ。」
そんな声が聞こえてきそうな「ハロウィン」です。
千年の古都
2014年10月22日
10月22日は、平安京に遷都した日にあたるそうです。
「千年の古都」と称される京都は、794年10月22日から明治時代に入って東京が首都となるまで、日本の政治・文化の中心を担っておりました。
子どものころは、「鳴くよ うぐいす 平安京」と年号を覚えたものです。
平城京遷都の年号は、「南都 立派な 平城京」と覚えました。
奈良を「南都」と呼んだのは、平城京より後のことでしょう。
そうすると、平安京が「うぐいす(の声)」に例えられたのも、後世の創作となりましょうか?
では、なぜ鳴く鳥として、「うぐいす」を当てたのでしょう。
「鳴くよ カラスが 平安京」では、ダメでしょうか?
「カラス」には、「七つの子」や「夕焼けこやけ」など、古くから童謡に用いられるように、日本人の心を掴んでいるように思われます。
それに対して「うぐいす」は、「ウグイス嬢」とも言われるごとく、なぜだか、綺麗・煌びやかなイメージがあり、それが、在りし日の京都を彷彿させるものがあるからでしょうか。
奈良が、「なんと立派な」ですから。
そういえば昔、「カラスの勝手でしょ」と言うのがありましたね。
「うぐいす」にするか、「カラス」にするか。
はたまた、「泣くよ赤ちゃん」にするか・・・後世の人間の勝手であります。勝手と言えば、晩夏から初秋にかけて鳴く蝉がいます。
あれは、まさしくその鳴き声を和音にして名付けたのだそうです。
大学生のころ、毎日鳴き声が聞こえてくるあの蝉について、友人に、「なんであの蝉、『ツクツクボウシ』と言うんだ?」と尋ねたところ、彼は怪訝な顔をして、
「だってお前、あの蝉の鳴き声やってみろよ」
と言ったのです。
私が、「お〜しんつくつく、お〜しんつくつく」と言ってやりましたら、
彼は、「??」と、さらに怪訝な顔をして、会話が続かなくなったことがありました。
その後、調べてみましたら、「ツクツクボウシ」を、「お〜しんつくつく」と呼ぶ説があることを知りました。
これは、千年昔から、解決できない論争かもしれません。
クライマックスシリーズ
2014年10月17日
10月、プロ野球界では、「クライマックスシリーズ」が行われています。
クライマックスシリーズは、形式的には、「日本シリーズに出場するチームを決める手続」と言えます。
そして、プロ野球の日本一を決めるのは、「日本シリーズ」だと思います。そもそも「クライマックス」とは、最高潮,山場などの「その場面の盛り上がり」を意味するような言葉であり、各試合には、勝敗を決する山場となる場面,見る人の歓声が、最高潮に達する場面はあったと思います。
「さらに場面が盛り上がる」という意味で、「クライマックスシリーズ」と名付けたのでしょうか。
これと同じようなシステムは、サッカーJリーグには、J1に昇格するチームを決める「プレーオフ」や、J2,J3の「入れ替え戦」があります。
こちらは、「クライマックスシリーズ」とは言わないようです。
私は、プロ野球日本一を決定する試合に参加できるチームを決めるシリーズを、どうして「クライマックス」と呼ぶようになったのか存じません。
ここでもやはり、観客動員の意図が働いていることは否めないでしょう。また、リーグでの順位がほぼ決まってしまうと、プロでありながら、モチベーションが下がり、いわゆる「消化試合」のごとくなってしまったら、ファンに対して失礼だとの思惑もあるのでしよう。
でも、あえて「クライマックス・・・」なんて言わなくでも良いように思いますが。
こんなふうに思ってしまうのは、おそらく日本語読みをするからでしよう。
意地悪く考え れば、クライマックスシリーズが終わったら、「もう最高潮の場面はないの?」「山場は見られないの?」となってしまいます。
日本人は、英語力に弱いと言われますが、そうであるがゆえに、横文字を上手く、都合良く?使っていると思います。日本一決定戦の参加資格を獲得するゲームを「最高潮」「山場」と囃し立てても、なんかおかしい感じがしませんか?
しかしこれを、「クライマックスシリーズ」と一言表現するだけで、すんなり収まる感じがするのはなぜでしょう。
つまり日本人は、英語力がない、本当は、横文字が苦手だから、五感の作用で受け取るしかないからではないでしょうか?
ちなみに、アメリカ大リーグでは、「ワールドシリーズ」と言いますね。英語圏では、この参加資格を得る試合は、さすがに「クライマックスシリーズ」とは言えないのではないのでしょうか。
モチベーションが、motiveとactionの造語であるなんて考える必要はないでしょう。
こうして見ると、日本人は、日本人に合う上手い横文字の使い方をしているなと思うのは、私だけでしょうか?
本当のこと…?
2014年10月10日
北海道の『空の玄関口』新千歳空港は、時刻表や観光案内,そして出発空港の掲示では、「札幌」と表示されます。
搭乗手続を終え、機内に入ると、CAから、「札幌新千歳空港行きです」との案内があり、着陸すると、「新千歳空港に着陸しました」とのアナウンスがあります。
「新千歳空港」という名称になったのは、今から20年少し前で、それ以前は、航空自衛隊千歳基地の場所にありました。
いずれも、札幌市内に新千歳空港があるのではありません。札幌市内には、プロペラ機が発着する丘珠空港があります。
現在の新千歳空港は、旧空港より南側に位置し、滑走路の一部は、太平洋に面する苫小牧市に属します。
苫小牧市は、ホッキ貝漁が有名な太平洋に面する工業,漁業が盛んな街です。港湾施設も充実しており、フェリーターミナルもあり、こちらは、『海の玄関口』と言えるかもしれません。
新千歳空港は、太平洋に近いので、日本海に近い札幌市へ移動すると、よく天気が変わっていることがあります。
札幌市ほど降雪は多くありませんが、それでも、年に何回か、大雪のため、滑走路が閉鎖されることがあるようです。
私も数年前の2月、新千歳空港に着陸できず、函館空港に連れて行かれた経験があります。
新千歳空港が太平洋に面する苫小牧市に、(一部)属することは、意外に思われるかもしれません。
ところで、札幌市は当然、日本海に面していると思われがちですが、実は札幌市は、海に面しておりません。これをご存知ない方は多いと思われます。
「えー!北の海産物の宝庫,新鮮な魚介は札幌で食べられると思っていたのに…」という声が聞こえてきそうですが、大都市札幌でありますから、太平洋側,日本海側,いずれもよい山海の逸品が集まってくることは、間違いないと思われます。
ちなみに、千歳市,苫小牧市に位置する新千歳空港が、世間では「札幌」と表示されるのはなぜでしょう。
「わかりやすいから」という面はあるでしょう。
しかし私は、千歳市,苫小牧市の方には、甚だ失礼だと思いつつも、「札幌」と言った方が、人が集まる,集めやすくなるからだと思っております。
以前、経済効率について言及しましたが、インパクトによっても、お金は落ちるからでしょう。
これと同じ例は、「東京ディズニーランド」にも当てはまると思っております。
千葉県浦安市にあるディズニーランドは、なぜ千葉を名乗らないのでしょうか。
むしろ、千葉県の名物とされても良いのではと思います。
しかし、「本当のこと」は、知らない方が良い場合があることは、否定できません。
例えば、「札幌市には海がない」と、あえて宣伝する必要があるでしょうか。
東京都内の「品川駅」は、品川区に属さないことを、東京都民は知っています。
品川駅は、「品川駅」でありさえすれば良いのです。
つまり、「(札幌市には海がないけれども)札幌は、魚がうまい」と思い、期待し、信じることが大切です。
私は、きさらぎ法律事務所を訪れる方に対し、「事実と異なることをやれば、必ず無理が来る」と申し上げます。
ただし、皆が平穏に、楽しく、夢を持って生活できているならば、「事実」を堂々と、あえて明らかにする必要はないと考えることも申し添えます。
なぜなら、このようなご回答を差し上げるケースは、誠に残念ながら、決して平穏ではなく、もう無理が来ているからであります。
「新千歳空港」は、あえて積極的に、「札幌市にあるのだ!」と表明しているわけではありません。
ある意味、その謙虚さが、人々に対し、北への思いを馳せらせる一員になっているのかもしれません。
だからこそ、「札幌新千歳空港」の言い方で、千歳市,苫小牧市の方々が、文句を言ったと聞いたことはございません。
私が札幌に出張するとき、しばしば「新千歳空港」と表現するのは、私たち道外の人間も、千歳市,苫小牧市に対する「ありがとう」の気持ちを持ち続けたいからであります。
これも業界用語?
2014年10月9日
今日は、霞が関の東京家庭裁判所に出頭しました。
地方出張し、東京都に隣接する県の裁判所には、しょっちゅう行き来しますが、やはり絶対数は、東京地裁,東京家裁が多いのです。
東京都内には、地方裁判所・家庭裁判所が2つあります。
23区と島嶼部を管轄するのが、東京地方・家庭裁判所で、霞が関にあります。
23区外,つまり、三多摩地域を管轄するのが、東京地方・家庭裁判所立川支部です。
東京で弁護士をしておりますと、東京地方裁判所立川支部に行くときは、『立川』と言いますが、東京地方裁判所に行くときは、『東京』とは言いません。
「霞が関」もしくは、「本庁」と言う例です。
これは、東京に事務所がある者のクセのようなものだと思っています。
ですから、東京以外の弁護士が、東京地方裁判所に行くときには、『東京』と言われるのであって、『霞が関』とは言われないのではないかと思います。
ある範囲の中でのみ通用する言語や決まりは、けっこうあるのではないでしょうか?
方言も、これに似ていると思います。
私が、東京を離れて、初めて暮らした福岡市では、「なおす」と言う言葉がありまして、少しは戸惑いました。
「なおす」は、直す、修理するではなくて、「しまう」つまり、片付けると言う意味でした。
もっとも、不器用で、面倒が嫌い、アバウトな人間でしたから、「なおす」は、どちらの意味でも、「あぁ、嫌な言葉だな」の思いに変わりがなく、大勢に影響ありませんでしたが。
しかし、外で、「霞が関に行く」と言ったら、これを聞いた一般人は、どこに行くと思われるでしょうか?
都内で、「霞が関」で連想するのは官僚,役人、「永田町」で連想するのは政界,政局でしょう。
ところで、霞が関2丁目には、警視庁があります。
警視庁のことを、よく「桜田門」と言いますね。
昔あった必殺仕掛人中村主水さんのことを、「八丁堀」と言っていたのと、なんだか似ています。
街で、「今から桜田門に行く」と聞いたら、ちょっと怖い、ヤバイ感じと思われてしまうのではないでしょうか。
歴史好きの方には、「桜田門」という言葉は、また違った感じに聞こえるかもしれませんが。
ごく内輪の中でのみ通用する言葉は、あまり外で堂々と使わないほうが「安心・安全」かと思われます。
ただ、東京地方裁判所に行くとき、「東京の裁判所に行く」と言って出るのは、なんか変だなと感じる毎日であります。