本日も出張先より呟きます。
青函連絡船を乗り継いで降り立った函館は、まさしく北の玄関口でありました。
航空路の発達もあり、また、青函トンネルも開通し、2015年度末には、新幹線が伸長し、「新函館北斗駅」が開業するそうです。
そうすると、現在の函館市は、本州から素通りされ、寂しい街になってしまうのでしょうか?
函館市は、津軽海峡に突き出ていて、技術的に、新幹線を通すことは難しかったと説明されることがあります。
新幹線が通るかどうか,特に、新駅ができるかどうかは、さまざまな影響が生じると思います。
のぞみ号が停車しない静岡県には、新幹線停車駅が6つあります。
山口県には、「新」が付く駅が3つあります。
その昔、自分の出身地に、急行電車を停車させた運輸大臣が、辞職したことがありました。
高速道路もそうですが、新幹線を通すことや、どこに駅を作るかなどは、
どのような視点で決定されているのでしょうか?
公共交通機関は、そこで暮らす人の手足だと思います。
よく、不採算路線を廃止する際、「自動車などが普及して、そこで暮らす人が利用しなくなったから」と説明されることがあります。
函館市民の方々は、新幹線を利用しないのでしょうか?
最近、函館市の対岸にある青森県大間の原発の稼働をめぐつて、函館市が、これの差し止め請求をしたと報じられました。
原発事故が起きたとき、まさしく地形から、函館市民は、逃げ道がないからだとも言われます。
大間町の方々が、自分たちの生活のため、原発誘致は必要だと判断したとするならば、「なんでよそから文句を言われるのか」とお考えになられても、不思議ではないと思います。
それぞれのふるさとを持ち、ここに根付いて、ささやかに、一生懸命生きている一般市民同士が、あたかも対立するような現実は、明らかにおかしいのではないでしょうか?
これは、市民,「ここで暮らす人のため」というのは単なるお題目であり、利用者の目線に立っていないがゆえに、生じたと考えざるをえせん。
もちろん、そうならざるを得ないのは、そう決めた機関は、彼らの論理では、より重要な視点から、決定したのだろうとは思います。
この点、弁護士は、はっきりしています。
依頼者のため、たった一人のため、社会正義に背かない範囲で行動するからです。
さっきの例であれば、函館市民,大間町民のどちらかの立場に寄らざるを得ないからです。
この単純さが、弁護士の魅力でもあります。
あまり難しく考えないことです。
「はるばる来たぜ函館へ…」は、北島三郎先生の代表作であり、今も口ずさむ名曲ですが、「どうして名曲になったか」の質問に対してなされた答えは、至って単純でありました。
北海道出身の北島三郎氏にとって、初めは、「はるばる来たぜ東京へ…」だったそうです。
ところが、レコーディングのとき、「東京」のところを「函館」と北島さんが替えて歌ったら、「そうだ、このほうが合う」と関係者皆感じて、「はるばる来たぜ函館へ…」になったというのです。
このとき、北島三郎氏に、郷愁の思いがおありだったのか、あるいは、ちょっとしたイタズラ心でやられたのかわかりません。
難しく考えない,何をしたいのか,自分の思うとおりやる,いつもこんな気持ちで過ごしております。
初回無料相談の折、ご相談者の方から、「私は、相手から主張・要求されたことに、どう対応すれば良いでしょうか」というご質問をよく受けます。
私は、「相手にどう対応するかではなく、単純に、あなたは何をしたいのですか」と、ご相談者にお尋ねいたします。
単純・簡単に考えると、楽になりますよ。