10月31日は、「ハロウィンの日」とされています。
ハロウィンは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の収穫感謝祭がキリスト教に取り入れられ、現在のハロウィンになったそうです。
もともとは、万物への感謝が、その起源でした。
この時期、街のあちらこちらで、仮装した男女が見られますね。
アメリカなどでは、仮装した子どもたちが、「お菓子をくれなければ、いたずらするぞ」と、家を回る例ですね。
日本の子どもたちも、この時期は、「好きな格好が許される!」「多少のわるさは許される!?」と思うのか、楽しそうに見えます。
「収穫」は、やはり秋に似合います。
実りの秋、収穫の秋、食欲の秋…。
長い冬の間、大地は静かに準備をはじめ、春が到来すると、土を耕し、種を撒き、夏の太陽のもと、いのちを育み、そして、全てが結実するのが秋です。
じゃがいも、かぼちゃ、秋なすなどの農作物の多く、そして、こうべを垂れた稲穂は、やがて新米として、秋を待って、私たちの前に現れます。
以前思いを馳せたサケもまた、秋にその生涯を結実させるのでした。
私たちは、秋のありがたさを実感するともなく、春夏秋冬その日を生きております。
昔の人は、謙虚で偉かったですね。
ハロウィンの意味は、子どもたちに語り継きたいものです。
しかし、「お菓子をくれなければいたずらするぞ!」とは、危なっかしい感じがしないではありません。
当たり前のことをするのに、何か引き換え条件を求めるのはおかしくありませんか?
これは、弁護士として業務に携わる過程で、しばしば経験することです。
「離婚してもよいが、親権は渡さない」からはじまり、「預かった物は還すけど、お金を寄越せ」などなど。
依頼者にとっての理不尽を全て引き受けるのもまた、弁護士の重要な仕事です。
ハロウィンの「お菓子を寄せ…」は、子どもたちの大人たちに対する一つのメッセージだと思いましょう。
「大地と万物への感謝を忘れて独り占めするなよ、いま自分が喜々としていられるのは、多くの見えないサポートがあったのだよ。」
「だから、次の世代に分け与えようね。所詮お菓子じゃないか‥‥。」
「でも、大人は、わがままはダメだよ。だって、もう充分わがまま言って生きて来たでしょ。」
そんな声が聞こえてきそうな「ハロウィン」です。