自由研究
2014年10月8日
10月6日は、台風が上陸し、関東地方を通過しました。
前日の段階から、学校はお休み,職場は午後からと決定されるなどしたためか、多くの混乱はなかったようでした。
ただ、行方不明となられた方や、家屋に被害など受けられた方がおられ、案じられます。
台風が上陸した日、実は、午後から、関東地方のある裁判所に出頭する予定があったのですが、東京新宿からの交通の便を配慮していただき、期日は延期されました。なんだか子どもみたいですね。
台風は、首都圏をあっと言う間に通過して、正午ころには晴れ間となって、暑さが戻って来ました。
以前、弾は当たらないで呟いたように、「安全は、一見無駄と思われる積み重ねによって維持されるもの」です。
そして、この無駄?となったと思える時間をうまく使うことで、「安全プラスα」を獲得したいものです。
例えば、ふだん時間に追われて、見落としたものはないか、より詳しく調べられないかなど、じっくり腰を据えて考えることです。
この日、台風の影響など関係なく、裁判所の期日が開かれ、期日に臨んでいたとしたら、言及しなかったであろうポイントがありました。
たまたま延期になり、裁判所期日のその時間帯に事務所にいたことで、別の依頼者の方とお話しする時間あり、その会話の中で、気づかされたのでした。
もちろん、そのことに気づかなかった,言及しなかったとしても、大勢に影響はなかったでしょう。
でも、『備えあれは憂なし』です。結果的に、これまた無駄と思えたものであっても、やはり武装?準備していくと、気持ちに余裕ができます。
私が高校生のとき、『自由研究』という時間帯がありました。
これは、その時間割を担当する先生に、突発的?事情が生じ、休講となることを意味します。
生徒は、この時間帯に、自由に勉学に勤しむことができる?という趣旨のようでしたが、「『自由研究』とは、うまいことを言ったものだ」と、この年になって思います。
そのころは、ゲームも携帯もありませんから、だいたい外で健康な運動をしたり、これも健康のために、食堂に行く、あるいは、LINEもありませんので、国語の勉強よろしく漫画本を利用して、読解力をつけるなど、それぞれに工夫しておりました。
『自由研究』の掲示が張り出されると、バンザイ!した記憶があります。
この『自由研究』こそ、今の私にはある意味休養であり、ある意味カンフル剤ともなると思います。
意外にも、自由業である弁護士には、自由になる時間がないものです。
『自由研究』は、自由時間を得たそのことをまず有効に使い、さらに、これまで追われて気づかないでいた物事を研究する時間ということだと思います。
学校がお休みとなった子どもたち、あるいは、職場がお休みとなったお父さんお母さん、あなた方は、どんな『自由研究』していますか?
現在は、スマホもLINEもありますが。
あるいは、昔の子どもたちのほうが、自由に、伸び伸び健康だったと言えましょうか。
小樽運河とサケの遡上
2014年10月7日
「逢いたい気持ちがままならぬ 北国の町は、つめたく遠い」
北のウォール街と呼ばれたかつての道内最大の商業都市小樽。
小樽市出身の鶴岡正義と東京ロマンチカの名曲は、この小樽を舞台にしています。
小樽は、富良野美瑛に並んで、福本が好きな北海道の街,そして景色です。
小樽の裁判所には、きさらぎ法律事務所開設以来、10回近く通いました。
そして、高台にある裁判所から眺めた小樽の街も、素晴らしいです。
でも、今回は、裁判所に行ったのではありません。
逢いたい人,いや、逢いたい「生き物」がいるのです。
それは、この時期、道内の川を遡上するサケです。
現在の小樽と言えば運河でしょう。小樽運河に、サケが現れたのです。
お世辞にも「きれい」とは言い難い運河に、サケさんの姿を見つけました。
運河に入り込む近くの小さい川に、昇っていくのです。
この川は、水量が少なくて、ただでさえ長い道のりを、必死にたどり着いたサケは、
本当に傷だらけになって、最後の力を振り絞っているかのようでした。
ただ、小樽に訪れた日の前後は、珍しい大雨が続いたとかで、水量があって、
いくらか痛々しさが緩和されたと感じると、地元の方に言われました。
サケは、母なる川に戻ります。
成人して、今まさに親になろうとするとき、きっと、自分のお母さんを追いかけてきたのでしよう。
さて、離婚での親権,別居中の監護権について争われます。
未成年者の親権・監護権を語るとき、父母どちらが、その子を出生から現在まで、中心になって、主体的に接してきたかがポイントだと言われます。
この「主体性」とは、「精神的情緒的つながり」を意味します。
そのため、特に未成熟子の場合は、「母親がふさわしい」と結論付られることが多いのでしょう。
ただし、暴力・育児放棄などが顕著で、子を保護する必要性が高いときは、別だとされます。
親権・監護権が争われるケースでは、しばしば父親側から、母親は、育児放棄したとの主張が出されることがあります。
夫婦間に諍いがあっても、子どもが特に小さい間は、子は、お父さん、お母さん、どちらも好きなのです。
暴力や育児放棄を受けている子、例えば児童相談所の管轄内で生活している子も、お父さん、お母さんが会いに来てくれることを、楽しみに待っていると聞きます。
親権者あるいは監護権者に指定されなかったお父さん,お母さん,お子さんは、離れていても、お父さん、お母さんが大好きなのです。
養育費の支払い,面接交流を通じて、子を愛し、責任を果たしていることを実感してください。
よく、「子どもは、監護親の顔を見る」と言われます。
元夫婦間に、葛藤が激しいケースでは、親権者となって、子を育てている親は、なかなか面接交流に、積極的になりません。
子どもは、わかっているのです。
こんなとき、「子が(父または母に)会いたいと言えば、会わせる」という答えが、いちばん悪いのです。
子は、監護親が嫌がっていることは、誰よりもわかっております。
以前、『離婚男女問題』で申しましたが、離婚により、相手も変わるのだと思い込む努力をしなければなりません。
また、なんらかの理由で、子を虐待等してしまったお父さん、お母さん、それでもお子さんは、あなたが大好きなのです。サケは、見たことがない親を探して、母なる川に戻ります。
なんらかの理由・事情により、お子さんと離れて暮らすお父さん、お母さん、お子さんは、あるいは、記憶がない父、母に会いたいと思っております。
ルーツを探して旅立つと言われますね。
こんなとき、『会いたい気持ちがママならぬ』とはなりませんように。
小樽のサケさんと会って感動いたしました。
経済効率は、体重と関係する…?
2014年10月4日
懐かしいプロペラ機に搭乗しました。
座席数は少なく、当然、機内は狭いです。満席でした。
ちょっと嬉しかったのは、荷物の収納に手間取ることが予想されるので、荷物室に預けることに協力をとの呼び掛けに、数人の人が名乗り出たことでした。
定刻に到着でき、時間が気になっていた私は、とても助かりました。
プロペラ機の航路は、利用する人が少ないかといかと言えば、必ずしもそうではないと思っています。
例えば、新千歳-女満別線はなかなか予約が取りにくいことで知られていますし、大阪伊丹と福岡の間にも、プロペラ機が使われることがあります。
これは、座席数に合った航空機のやりくりの必要性から生じるのだと思います。
よく、羽田-新千歳は搭乗率世界一,羽田-福岡,羽田-大阪伊丹までで、世界ベストスリーを取った年度があると報じられます。
世界的に見て、羽田-新千歳が、ドル箱であることはそのとおりです。
しかし、統計は、座席数から割り算するので、実数ならば、お隣韓国の済州島と、金浦や仁川を結ぶ航路,あるいはブラジル国内線などのほうが、上だと言われます。
要は、経済効率なのです。
カラの飛行機を飛ばしても、人件費・燃料費は発生します。福岡-松山、新千歳-函館などは、昔は、ジェット機が就航していました。
そんな事情から、日本の民間航路からボーイング747,ジャンボ機が消えました。子どものころ、SL蒸気機関車を追い回した経験からすると、ジャンボ機がなくなるのは、経済の重要性から生まれた物が、経済を理由に消えていく矛盾を感じます。
唯一の国産として、YS11は、惜しまれながら引退しましたが、近いところで、国産のジェット機がお目見えするようです。
このジェット機の売りは、座席数が少ないことだそうです。
やはり、あるのは経済効率ですね。
そして何か『想定外のアクシデント』が起こってしまうと、政界、財界も、このときとばかりに、経済を優先して、安全が蔑ろにされた可能性に言及するのです。
長く活躍するプロペラ機も、これから生まれる国産ジェット機も、長生きしてもらいたいです。
今日の出発空港での一コマは、プロペラ機,飛行機に、私たちも無理は求めないから、どうぞ長生きしてくださいとのメッセージにも見えたのでした。
でも、どこに荷物を置くかよりも、体の大きさで座席数を余分に取ってしまうような私には、「福本悟さん、体重減らして乗ってよ」と、聞こえなくもありませんでした。
「効率」は荷物だけの問題ではありませんね。
はるばる来たぜ函館へ…
2014年10月3日
本日も出張先より呟きます。
青函連絡船を乗り継いで降り立った函館は、まさしく北の玄関口でありました。
航空路の発達もあり、また、青函トンネルも開通し、2015年度末には、新幹線が伸長し、「新函館北斗駅」が開業するそうです。
そうすると、現在の函館市は、本州から素通りされ、寂しい街になってしまうのでしょうか?
函館市は、津軽海峡に突き出ていて、技術的に、新幹線を通すことは難しかったと説明されることがあります。
新幹線が通るかどうか,特に、新駅ができるかどうかは、さまざまな影響が生じると思います。
新横浜駅は、開通当時、何もなかったと記憶しております。
のぞみ号が停車しない静岡県には、新幹線停車駅が6つあります。
山口県には、「新」が付く駅が3つあります。
その昔、自分の出身地に、急行電車を停車させた運輸大臣が、辞職したことがありました。
高速道路もそうですが、新幹線を通すことや、どこに駅を作るかなどは、
どのような視点で決定されているのでしょうか?
公共交通機関は、そこで暮らす人の手足だと思います。
よく、不採算路線を廃止する際、「自動車などが普及して、そこで暮らす人が利用しなくなったから」と説明されることがあります。
函館市民の方々は、新幹線を利用しないのでしょうか?
最近、函館市の対岸にある青森県大間の原発の稼働をめぐつて、函館市が、これの差し止め請求をしたと報じられました。
原発事故が起きたとき、まさしく地形から、函館市民は、逃げ道がないからだとも言われます。
大間町の方々が、自分たちの生活のため、原発誘致は必要だと判断したとするならば、「なんでよそから文句を言われるのか」とお考えになられても、不思議ではないと思います。
それぞれのふるさとを持ち、ここに根付いて、ささやかに、一生懸命生きている一般市民同士が、あたかも対立するような現実は、明らかにおかしいのではないでしょうか?
これは、市民,「ここで暮らす人のため」というのは単なるお題目であり、利用者の目線に立っていないがゆえに、生じたと考えざるをえせん。
もちろん、そうならざるを得ないのは、そう決めた機関は、彼らの論理では、より重要な視点から、決定したのだろうとは思います。
この点、弁護士は、はっきりしています。
依頼者のため、たった一人のため、社会正義に背かない範囲で行動するからです。
さっきの例であれば、函館市民,大間町民のどちらかの立場に寄らざるを得ないからです。
この単純さが、弁護士の魅力でもあります。
あまり難しく考えないことです。
「はるばる来たぜ函館へ…」は、北島三郎先生の代表作であり、今も口ずさむ名曲ですが、「どうして名曲になったか」の質問に対してなされた答えは、至って単純でありました。
北海道出身の北島三郎氏にとって、初めは、「はるばる来たぜ東京へ…」だったそうです。
ところが、レコーディングのとき、「東京」のところを「函館」と北島さんが替えて歌ったら、「そうだ、このほうが合う」と関係者皆感じて、「はるばる来たぜ函館へ…」になったというのです。
このとき、北島三郎氏に、郷愁の思いがおありだったのか、あるいは、ちょっとしたイタズラ心でやられたのかわかりません。
難しく考えない,何をしたいのか,自分の思うとおりやる,いつもこんな気持ちで過ごしております。
初回無料相談の折、ご相談者の方から、「私は、相手から主張・要求されたことに、どう対応すれば良いでしょうか」というご質問をよく受けます。
私は、「相手にどう対応するかではなく、単純に、あなたは何をしたいのですか」と、ご相談者にお尋ねいたします。
単純・簡単に考えると、楽になりますよ。
「弾は当たらない」
2014年10月2日
本日は出張途中でのつぶやきです。
空港の保安検査場で、長い列ができる,細かいチェックをされる,そんな経験はありませんか?
同時多発テロ以降、この傾向が強いようです。
行きと帰りは全く同じ服装,同じ荷物なのに、なんで『ブー』と鳴るのか、キレた人をみたこともあります。◯◯地方の空港ですが。
安心・安全は、幾重もの無意味・無駄と思われることの積み重ねによって、確保されるのです。
「無駄を怒る」のではなく、「ああ、無駄に終わって良かった」と考えたいものです。
つまり「無駄」とは、「保険」と同じかもしれません。
長い間保険料を支払ったけれども、健康そのもので、ついに保険金は受け取れなかったというのは、喜ぶべきことだと思います。
よく、「保険を掛ける」とも言いますね。
弁護士の利用についても、同じではないでしょうか。
いつでも,気軽に,何なりと話を聞いてくれる,そして、万が一のときは、解決まで導いてくれる,これが顧問弁護士です。
きさらぎ法律事務所福本悟のこのような考えは、みなさまにご理解いただけるようになり、毎年、中小企業や個人事業主の方だけではなく、個人の方とも、法律顧問契約を結ばせていただいております。
「法律顧問料」は「保険料」と考えれば、「無駄」で終わって良かったのです。
さて、空港では、この日搭乗する便に限って、千円くらいで簡単に保険の契約ができる案内があります。
よく航空機を利用する私は、当然、無駄な保険料を納めて搭乗すると思われるでしょう。
実は私、この契約をしたことはありません。
なぜか?
「宝くじと弾は、自分には絶対に当たらない」という図々しい信念があるからです。
こうして今日も、機上の人となるのです。