郷土愛も、標準語にはかなわない?

2016年2月1日
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私たちの業界では、よく、「費用はいくらですか?」と尋ねられることがあります。

 

日本弁護士連合会は、平成16年に、戦後の新憲法のもとで確立した弁護士法に基づいて規定していた報酬会規を撤廃し、費用は、弁護士と依頼者との間で、自由に決めてよいことになりました。一連の規制緩和なのですが、私自身は、撤廃には賛同できませんので、きさらぎ法律事務所内での初回の相談料を無料にしている以外は、基本的に以前存在した会規をベースとして、ご説明しております。

 

弁護士報酬会規にも、『標準』と言う用語があります。標準額はいくらで、そこから30%の範囲で決める等がそれです。私は、この場合の標準とは、『真ん中』を意味するとご説明いたします。そう言えば、地球は丸いから生じるのかわかりませんが、イギリスロンドン郊外のグリニッジ天文台が、世界の経度および時差の基準を担うことから、航空会社の時刻表には、時差は、グリニッジ天文台を標準とすることが明記されておりますね。

 

『標準』とは、常に『真ん中』を指すと言うことなのでしょうか?昨年来ある地域、ある団体で、さんざん議論され、解決し得ない問題が生じておりました。

 

きさらぎ法律事務所は、サッカーJリーグ『アビスパ福岡』の法人後援会に登録されていて、私は昨年何回か、アビスパ福岡の試合を観戦しました。J1への昇格プレーオフが行われた師走の大阪長居の試合に居合わせたことは、本当にしあわせでした。その福岡県にはもうひとつ、『ギラヴァンツ北九州』があります。

 

このギラヴァンツのサポーターが掲げた横断幕が、物議をかもしていたのです。 選手を応援する、鼓舞するために、試合会場にサポーターらが横断幕を張ることは、主催者側から認めれれています。チームコンセプトを掲げることも、選手個人名を張ることもいろいろあります。ギラヴァンツ北九州のサポーターが掲げたのは、『ぶちくらせ!』でした。

 

『ぶちくらせ!とは、北九州地方の方言で、『殴り倒す』の意味なのだそうです。

 

サッカーも、勝敗を決するスポーツです。選手はピッチがまさに戦いの場、相手をノックアウトするまでやり通せ!の応援は、わからなくはありません。サッカーJリーグは、ここ数年差別的表現が問題にされたこともあって、各チームは、ある意味応援の際のルールに慎重なのかもしれません。ギラヴァンツ北九州のサポーターは、横断幕だけではなく、もともと『ぶちくらせ!」「息の根止めろ!」と立ち上がって連呼し、選手を鼓舞しておりました。

 

相手の息の根止めろなる表現は、世上簡単に用いられている感があります。私は、好きな表現ではありませんでした。こちらは、競技場を訪れた子どもたちへの教育的配慮と言う理由で、クラブ側とサポーター団体は、以後使用しないことで合意したとされます。

 

しかし、『ぶちくらせ!』は、地元北九州の方言であり、これは郷土愛を意味する、ギラヴァンツ北九州と言うクラブが地域に根ざし、浸透していくために、また、北九州を広く知ってもらうためにも、引き続き使用すると言うのが、サポーター団体の回答だったのです。 私は、『ぶちくらせ!』の意味は知りませんでした。

 

同じ福岡県にあるアビスパ福岡では、ぶちくらせ!を聞いたことはありません。

 

いわゆる九州ダービーで、ギラヴァンツ北九州の本拠地本城陸上競技場を訪れた他チームのサポーターは、『ぶちくらせ!』は、最初『撃ち殺せ!』に聞こえ、ゾッとしたと感想を寄せ、また北九州市在住の母親は、『ぶちくらせ!』の意味がわかるだけに、子どもを連れては行けないと述べたそうです。チームを運営するクラブには、その使用目的は皆理解しつつも、どちらかと言えば、『ぶちくらせ!』に批判的な意見が届いたとされます。

 

それでクラブは、サポーターらと協議を重ねたものの、サポーター側は、郷土愛を言い、合意を見られないことから、『子どもに夢と感動を!』の理念に照らすと、『ぶちくらせ!』は不適当と判断したとして、クラブ側は、これの使用禁止をサポーター側に告知したのでした。 ところがこれに従わないサポーター14名は、引き続き『ぶちくらせ!』の横断幕を掲げた等の理由で、試合会場への入場禁止措置を受けました。

 

さらにこの問題を収拾できなかった責任を取るとして、株式会社ギラヴァンツ北九州の代表取締役社長が任期を残して辞任するなど、未だ問題解決に至らぬまま、2016年に入ったようです。 確かに『ぶちくらせ!』は、方言であり、世間一般には知れ渡っていないでしょう。ここでは、知られていないから使うなではなく、『ぶちくらせ!』の意味が不適当だから使うなと言うことでした。でも、わざわざ本来の意味を露わにする必要ってあるのでしょうか。

 

それを聞いたら、やはり不適当となるのは大方の意見だと思います。しかし、ギラヴァンツ北九州のサポーターは、本来の意味、すなわち『殴り倒せ!』と囃し立てているのでしょうか?それは違うと思います。本来の意味なんてどうでも良く、ただ、この地域で普段使われている囃子言葉で盛り立ているだけのように思います。 標準語って、何を基準に決めるのでしょう。

 

以前山梨県警が、交通安全キャンペーンとして、『気をつけろしね』と書かれた看板を置いたことが問題になりました。甲州地方では、『何何してね』のとき、『何何し』と言います。そして、より丁寧な表現をするとき、語尾に『ね』をつけることがあるのだそうです。『気をつけてくださいね。』の意味が、『気をつけろ死ね!』と受け取れらたと言うものでした。それで批判を受けた山梨県警は、標準語に変えると言い、その結果掲示された看板が、『気をつけるじゃん』であります。

 

東京生まれ東京育ちの私は、子どもころから『……じゃん』に慣れています。でも、大人になって、全国あちらこちらに行って、『じゃん』は、東京地方独特の言い方ではないかと思っております。いわば東京の方言です。これを東京以外の方々が、標準語だと捉えられるのは、何と無くこそばゆい感があります。

 

要は、なんでもかんでも東京中心、東京に習えの悪しき例なのではと思います。 再度問います。標準語って何でしょう。先のギラヴァンツ北九州の件、標準語だと『殴り倒せ!』となるはずです。殴り倒すことが良くないことは、北九州市民にも当然わかっていることです。それでも『ぶちくらせ!』を使いたいと言うのは、殴り倒すことを目的にしているのではないことが明らかだと考えます。

方言は、まさにその地方を表すシンボル、郷土愛と言われましたが、ひとつの誇りでもあるのではないでしょうか?さて、今年株式会社ギラヴァンツ北九州には、前アビスパ福岡株式会社の取締役(元アビスパ福岡株式会社代表取締役)だった野見山篤氏が、取締役強化本部長に就任しました。

 

この『ひとりごと』でも何回か感謝の念を述べた方です。野見山篤さんならば、この『ぶちくらせ!』問題、良い解決策を考えられるはずです。それにしても、なんでもかんでも東京なんですね。

 

パートナーを愛すると言うことは、思いやる心を持つことです。

2016年1月29日
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きさらぎ法律事務所弁護士福本悟は、家庭裁判所に関わる事案が多いことは、この『ひとりごと』でもよく書いております。

 

家庭家族に関する問題と言えば、相続や遺産分割、離婚、婚姻外男女関係等です。昨年末からこのところ、『マイナンバーカード』の取り扱いで、数多くの依頼者の相手方とやりとりする機会があり、別居中で、まだ離婚に至っていないご 夫婦は、随分いらっしゃると改めて感じた次第です。

 

こんなことを申せば、ご依頼者から、「何を呑気なことを言って!しっかり仕事しろ!」とお叱りを受けるでしょう。ここでこんな話をするのは、この『ひとりごと』を愛読される方に、『愛するってなんだろう』『夫婦ってなんだろう』としばし考えていただきたいからです。

 

きさらぎ法律事務所にお越しいただいた段階では、離婚を希望しない方はおられます。

 

理由はいろいろです。自分は悪くない、離婚される理由はない、配偶者を愛している、相手のほうが悪い、突然離婚や別居を言い出すのは納得できない等等。きさらぎ法律事務所内での初回の相談は無料で、時間制限はありません。

 

じっくりお話を伺います。そしてご相談者が抱える悩みやトラブルに関して、何が問題か、どうすれば良いか、着地点収めどころはどこか、私の見たて考えを申します。そして、離婚を求められた、しかし先に挙げたような理由を述べられて離婚したくないを言われた方ほとんどが、ご自身が気づかなかった、あるいは気づくことを恐れた、認めたくなかった『離婚をしたくない本当の理由』『離婚を拒絶しなければ ならない事情』が露わとなり、離婚を前提にどうするか、要するに、ご自分がしあわせになるにはどうすればよいのかを、弁護士福本と一緒に考えていく選択をなされます。

 

離婚を拒絶することだけでしあわせになれるのか、じっくりゆっくり考えていくのです。 これまたよく言う言葉があります。『パートナーを愛せなくなったら離婚。パートナーから愛されなくなったら離婚』です。離婚を拒絶される方は、本当にこれほど自分を嫌いだ!と表明したパートナーを、心の底から愛しているいると本心から言えますか?恋愛とは違い、家族であり、ひとつの社会•組織を形成します。

 

そこには相手に対して、また社会に対して、責任が伴うはずです。社会に対する責任?全然福本悟らしくないじゃんと指摘されそうです。

 

社会の中で生きていく相互の責任とでも言っておきましょう。ふたりが同じ方向を見なければ、ひずみが露わになるだけだと思います。絶対自分は正しい(それはそうかもしれまそんが)、だからと言って、パートナーが嫌がることをするとどうなるでしょう。

 

元には戻れません。 最近良いことを言うな、これだなと思える記事を見つけました。

 

ある経済誌に掲載されていた家庭問題相談•人生相談のコーナーでのあるカウンセラー?の解説です。それは、夫婦の場合、『愛している』が根本、ただしこの『愛している』は、パートナーに対する『思いやる心』なのだと言うことです。結婚生活で最も大切なことは、相手を思いやる心、お互いに居心地良い家庭であるためには、相手が何を望み、何を不満とするかを知ることが、結婚生活の基本と書かれておりました。 この話に引き込まれました。

 

さらに例は続きます。夫婦相互が衝突する場合は、そのほとんどが、あうんの呼吸で歩み寄ったり、話し合いで支えあったり、納得して犠牲を払いながら家庭を築いていく。それは納得の上で、より良い家庭を作るためであるから犠牲とは思わない。その思いやり、すなわち愛は、以心伝心か言葉や行為で伝わっていなければならないと言うことなのだと言われます。 すなわち、離婚を求める人、それは数年間悩み続けて判断し、行動します。

 

それは全く予想しなかった側にとっては不意打ちであり、勝手であり、理不尽だとなります。でも、そのパートナーは、ずっと悩んでいたわけです。

 

『側にいる人に心が通じないのは、ひとりでいる孤独よりもっと辛い』。

 

 

これはまさに当職が、どうしでも離婚に応じていただけない相手方に、しばしば申し上げることでもあります。それは気づかない相手方を責めるのではありません。ただ、『思いやる心』があれば、それぞれの思いが通じないことはない、それは、離婚を拒絶しているあなたも実は当時、心が離れていたのです。

 

何も言われない、何も変わらないことに慣れていただけです。それは、パートナーに対する思いやりではなかったのです。 もちろん、離婚を強いられることについては、相応の手厚い保護を受ける必要はあります。離婚を拒絶される方のほとんどは、本当は、ここまでの生活に慣れてしまい、困っていなかったので、これが変わることによる不安ゆえに、『離婚したくない』と言われるのが現実です。

 

厳しい言い方をしますが、それは愛している、すなわちパートナーを思いやる心はある、と言うのではありません。単に離婚後の不安、端的に言えば、これまでーーパートナーの苦悩に気づないでーー当たり前のように生活していたところが一挙に変わる、これが受け入れられないと言うことだと思います。

 

不安はわかります。

 

でも、正直になりましょう。

 

 

もはや愛し愛される関係にはないと言うことを。 弁護士の仕事の中で、私がいちばん大切だといつも申し上げるのは、依頼者を説得することであります。何時間も何回もお話を続けた末、説得されること、痛いことを指摘されるのがイヤだとされる方は、弁護士福本悟のご依頼者にはおられません。

 

そんなとき、ご依頼者から、「先生が相手方の代理人だったら、より良い解決がーー相手方のためにもーーできたのに…、と言われることがあります。これは、相手方には説得する弁護士、首に鈴を付ける弁護士はいなかったと言いたいのだと思います。

 

離婚を拒絶し続ける方こそ、どうぞ福本悟に、あなたのしあわせのため、お仕事をさせて欲しいと思う今日このごろです。

駅と駅の間に、電車が止まることがないようにするための方策は?

2016年1月28日
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西日本九州地方が記録的な降雪に見舞われた翌日は、さらに列島を覆い尽くすように上空に寒気が入り込んだ影響で、朝からこの冬いちばんの冷え込みとなった場所が多く見られました。

 

前日沖縄県を除く西日本の県庁所在地は、最低気温がマイナスでしたが、晴天が続く東京都心部でも、翌朝の最低気温は零下2.6度まで下がりました。私の家の前は、1週間前の雪の跡がまだ残っておりますが、周辺の地面は、連日霜が降りているのです。 それでも東京は、冬は晴れの日が多いので、乾燥してインフルエンザ等には注意が必要ですが、日々の生活にモロに影響することは避けられます。

 

だからたまに雪が降ると、一溜まりもないのでしょう。福岡市で零下4.4度、鹿児島県伊佐市で零下15.2度等、九州を中心に、全国49の観測地点で最低気温が史上1位を記録したこの日、東京では、またこの冬降雪があったら交通機関はどうなるの?の意見が、ネット上で闘わされていました。それは、1週間前に大混乱を引き起こした鉄道各社の『間引き運転』の是非です。 都心部に降雪があった日は、週明けの月曜日であり、報道では前日から、交通機関の乱れが予想されていました。

 

何時もよりかなり早めに家を出た人が多い中、勤務先まで4~5時間かかったとか、もう夕方近くになっていたなんて聞かされました。特に東急電鉄と京王電鉄では、途中駅に入場規制がしかれるなど、ほとんど夕方まで混乱が続いたと報道されました。雪が降らなければそうならなかったと言ってしまえば『雪のため』なのでしょうが、直接の原因は、『間引き運転』だと言われます。

 

もっとも、雪に強いと評判?の京王線は、実は倒木と架線切れで、ほとんどの車両が車両基地を出られない状態に陥っていたことが問題でした。以前この『ひとりごと』でもお話ししたと思いますが、間引き運転のようになったのは、降雪が直接の原因とは言えないでしょう。実際京王線のある駅では、「車庫内の断線と倒木の影響で、ほとんどの電車が車庫線で眠ったままの状態です。」とアナウンスされたと聞いています。

 

間引き運転が計画的に行われるのは、大雪等の影響で、正常運行ができなくなって、駅と駅の間に長時間電車が停車するような事態を避けるためになされるのです。 鉄道専門家によれば、積雪量6センチの状態では、運転が不能となるような降雪量ではないとのことです。早めのブレーキ、乗降時間の延びが生じたとしても、間引き運転までしなくてもの意見があります。もちろん一定量の降雪となったら、安全性に関わることであって、間引き運転ではなく、『運転見合わせ』にすべきは当然です。

 

ただですら混時間帯なのに、電車の運転本数を減らしたら、始発駅近くで満員になり、いくら待てども満員電車に乗れませんとなるのは道理だと思います。それで暴動でも起きたら、またしても責任論が噴出するのではないでしょうか。 間引き運転する意味は、駅間に長時間電車が停車する事態を避けるためです。一般的に、鉄道各社は、駅の数とほほ同じもしくはやや駅数を越える電車数を線路に出していると言われます。

 

そうであれば、仮に駅間に停車することが避けられない場合には、停車中にその可能性をきちんと説明して、乗客の『降車の権利』を保障する、そして、万一駅間で具合の悪いお客さんなど出た場合には、前の駅に停車している先行車に、例えば『半分』でも駅から出てもらって、後方の車両を『半分』でも駅に入れることはできないものかと素人は考えてしまいます。よく言われるのは、まだレールに雪が積もる程度にまでいかない場合には、凍結防止のため、線路を使用したほうが良いと言う見解です。危ない状況、かなりの降雪になれば、運転見合わせとすべきです。

 

でもいちばん大切なことは、雪に弱い首都圏を熟知している我々は、こんな日は、外に出ないことだと思います。多くの人が街に出て、電車に乗ろうと駅に押し寄せる、それ自体危険ですし、緊急事態に陥った方々の救出援助等、本当に雪でも動く必要がある状況の妨げとなる可能性さえあると思います。私立学校等は、安全面から、前日に休校の決定することが見受けられます。

 

降雪により間引き運転が予想される日は、学校も職場もお休みにしましょう。こんな日に出勤しても、良い仕事はできませんよ。さて、今後も首都圏には降雪があるでしょうか?

 

「センテンススプリングありがとう!」って思える人と思えない人

2016年1月27日
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2016年は未だ始まったばかりですが、今年の流行語大賞の候補だとネット上で交わされているのは『センテンススプリング』があります。

これは、奥さんがいる音楽バンドのボーカルとお友だちになった女性タレントが、ふたりがあたかも不倫関係ではないかと報じた週刊誌に対して、感謝のあまり叫んだ言葉だとされています。実際件の女性タレントが、そんな発言をしたかどうかはともかく、これを生み出した感性に、巷では賞賛の声があがっているようです。

『センテンススプリング』とは、『文春』と言う週刊誌を意味するそうですが、時を同じくして『文春』に記事が掲載された方がおられます。それは、安倍内閣の経済再生大臣ですが、なんでも秘書、そしてご自身が、約1.200万円を建設業者から受け取ったが、政治資金収支報告書には、それに沿う記載がなかったそうで、違法な行為をしたのでは?と指摘されているものです。

このお方、センテンススプリングのお友だちとされる男性ボーカルのファンらしく、今月から運用が開始されているマイナンバー制度をアピールするため、この男性ボーカルが歌う曲の替え歌を披露したとお聞きします。私は、このグループも、楽曲も全く知らなかったのですが、報道されたところでは、

「私~以外 私じゃないの〜 あたりまえだけどね だ•か•ら マイナンバーカード!」って、この大臣、ずいぶん楽しそうに、自信を持った調子で歌いあげたそうですよ。

ところがこの大臣、ファンかお友だちの男性ボーカルが、「ありがとう!」って叫んだ文春から、先に挙げた内容の記事を書かれたわけですが、どうやら「ありがとう!」って言わないようです。

現在のところ、ご自身が、記事のように、現金500.000円を2回にわたって受け取ったかどうか記憶かないそうです。だからハッキリと「ありがとう!」と言えないのでしょうかね。それで、国会で、このことの釈明を求めれたのに対しては、しっかり調査して説明責任を果たすと述べられたのでした。

この衆議院議員である大臣、お金を受け取ったかどうかは現在記憶がはっきりしないと仰って、1週間以内に、調査結果を説明すると述べました。現在記憶がはっきりしないけれども、今後記憶が戻るようです。でも、現在でもこの大臣、「自分のことで、法に触れるようなことはしていない自信はある」と断言しています。記憶がないのにそんなこと言って大丈夫でしょうか?じゃあ、記憶がないなんて言わずに、事実はないと明言すれば良いと思うのですが……。

このかっこいいセンテンススプリングなる言葉を世に発したことになっている女性タレントのお友だち、この人の楽曲は、この大臣のお仲間も、気に入っているようです。なんでも大臣にお金を渡したとをセンテンススプリングこと『文春』に喋った建設業者は、「ゲスの極み。まさに『両成敗』という形でたださなければならない」と言うのが、大臣が所属する政党の有力者のご見解でした。

でもねえ。『両成敗』は、どっちもどっち、くだらない、それこそゲスと評されるようなことをやっている両人に対して、第三者が言う言葉ではないでしょうか?この大臣のお仲間の有力者、同じ与党に所属しているのです。与党は庇うのではなく、両者を成敗することを決めたのですか?こんな発言をしたからには、大臣は国会議員を辞め、ゲスの会社は閉鎖倒産でもしなさいと言うことでしょう。


こうして辞任した大臣は、お友だちのように、「文春ありがとう!」って言えるでしょうか。

 

「記憶にありません」ので、これから『調査』することになるのでしょうか?

2016年1月26日
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昔、国会の証人喚問で、「記憶にございません」が繰り返されたことがありましました。

 

これは、昭和51年初めに発覚した『ロッキード事件』が契機でした。法令に従って宣誓した証人が、自己の記憶に反する事実を述べると偽証罪に問われる可能性があるからです。自己の記憶とおりに証言すれば、たとえ客観的事実に反していても、偽証罪にはならないのです。

 

私たち弁護士は、法廷で、証人尋問を行うことがあります。証言とは、事実を述べることであり、証人の主張や見解を意味するものではありません。国会中継では、しばしばイライラする光景を目にするかと思われます。

 

それは、証人は、知っている、経験した事実だけをその記憶とおりに述べればよいのに、ときに弁明を、ときに自己主張を交えて述べ、また、尋問する側も、自分たちの期待した、筋書きとおりの答えが欲しくて、「こうでしょう」「こうなりますよね」「それ、おかしいんじゃないですか」なんて証人に議論を吹きかけることが見受けられるからでしょう。

 

実際の法廷でも、相手側の証人や本人の証言を聞いていると、「嘘ばっかり!」と憤慨される例です。私はもう慣れっこで、全然驚きません。なんとか嘘の証言を崩そうとして、反対尋問で、「あーでしょう。こーでしょう」とやれば、「違います」の一言で、証人の証言を固めてしまうのです。 そんな経験からでしょう、私たちの先輩は、「いちばん良い反対尋問は、反対尋問をしないことだ」と言われました。

 

これはもっともだと思います。

でも、依頼者からすると、真実ではない証言が延々と続き、自分の弁護士が、何もしないのは、やはりストレスとなるでしょう。私は、相手側の証人には、法廷で、堂々と嘘を言わせるのだと申します。好きなように喋らせて、明らかに不合理、客観的にあり得ない事実を述べさせると良いのです。 証人は、特に反対尋問には、最初緊張しております。そこを好きなように、それどころか証人を持ち上げるような対応をすると、ついいい気になって、やり過ぎるのが人間の性です。

 

やがてやりとりを聞いていた依頼者も、何が行われているかわかります。もちろん裁判官は、証人の全証言、証言態度から真実を見抜きますーーと信じておりますが。 そうは言っても、30年以上の経験をしても、まだ私は、「反対尋問しない」勇気はありません。これもよく言われるのですが、「決定打は1個で良い」のです。長い証人尋問で、たったひとつ「これだ!」となる決定的な証言を引き出せば、流れは一気に変わります。

 

これは、きさらぎ法律事務所のホームページのあちらこちらで書いておりますが、裁判官には、『心証の雪崩れ現象』があるのです。

 

ある事柄で、0から100に変わるのです。 ですから、決定打を取ったのに、欲を出して、あるいはさらに固めようと思ってやり過ぎると、効果は萎んでしまいます。決定打を取ったとき、件の証人は、それに気づいていないことがほとんどです。そこで止めておけばよいのに、さらにグダグダやると、気づかれてしまいます。

 

それで、さっきのは勘違いとか言って、落ち着きを取り戻してしまいます。 私が実際の証人尋問で何を心掛けているか、どんなやり方をしているか、関心はおありでしょうか?これは反対尋問のときだけではなく、相手方とやりとりするとき、「こんなふうに臨むのだ」と依頼者に申し上げるところに通じます。この『ひとりごと』は、同業者や依頼事件の相手方は、ご覧になっていないと判断して、少し種明かししましょう。

 

このことは、依頼者もしくは依頼者側の証人に、反対尋問への対処を指導助言していて気付いたことであります。反対尋問に対する答えは、『Yes』『No』『知らない』しかありません。私から先に行う主尋問で、「Aです」と証言したのを、反対尋問をする側は、「AではなくBです」と言わせたいわけです。ここから反対尋問者は、「こうでしょう」の質問となりがちです。

これに対して証人は、「Aです」と答える。つまり、反対尋問に対しては『No』の答えとなります。また、「あーでしょう」「こーでしょう」とたたみ込まれ、枕詞として、誰誰はこう言っているとか、何何なんだけど等言われたら、「知りません」で良いのです。このような反対尋問がなされ、このとおり証人が対応することで、先に述べた主尋問を固めてしまうことになります。 クイズ?が好きな方は、それでは福本悟は、どんな反対尋問をやっているのか、しようと心掛けているのか、答えが見つかったのではありませんか?そうです。

 

「YesともNoとも答えられない質問」をすることです。

 

これはなかなか難しいです。ですが、反対尋問を受ける人が、全て真実を述べているのではない限り、必ず出てくるはずです。もちろん事前に主尋問での答えを想定して準備はしますが、実際の法廷では、良くも悪くも準備やシナリオとおり行きません。その場の判断で即決対応となります。 でも、事実はひとつしかありません。それがYesともNoとも答えられないのはおかしいのです。なぜなら、これもしばしば申し上げるとおり、『事実は変えられない。事実と違うことをやり通そうとすると、必ずどこかに無理がくる』からです。

 

そして、経験した事実に関して、しかも直前の主尋問で答えた事柄に関連して「知らない」はあり得ないのです。これまでの幾つもの法廷経験で、あんな例、こんな例はありますが、具体的な事件が想定されたり、また、『こんな例』を覚えられてパクられたらイヤですから、これ以上は差し控えます。 さて、安倍内閣の経済再生担当大臣に便宜を図ってもらうため、千葉県内の建設会社が、大臣や秘書らに総額1.200万円を渡したとの記事を掲載した週刊誌が発売されたようです。

 

衆議院議員であるこの大臣の政治団体は、政治資金収支報告書には、1.200万円までの記載がないとのことで、仮に職務に関連して交付されたものではなかったとしても、この件は、政治資金規正法には違反するでしょう。この1.200万円のうち2回、各金500.000円は、直接大臣に手渡しされたと書かれているとのことです。これに対して大臣は、未だ週刊誌は見ていないとした上で、「調査して国民に説明する」と述べました。これは、先のとおり直接大臣に交付されたのですが•••の質問に対してなされたものです。

 

ちょっと待って!コレおかしくありませんか。何をこれから調査するのですか?だって週刊誌は、大臣に対して直接現金を手渡ししたと言っている人がいると書いているのですよ。自分が経験したことだけを述べれば良いのです。つまり、「Yes」か「No」のどちらかしかありません。自分のことですから、「知らない」はあり得ませんね。

 

あっそうか!「記憶にありません」これで行こう!あのロッキード事件の証人尋問が思い出されます。 これまで『政治とカネ』にまつわる疑惑に関して、政府与党が、関係したとされる人の証人尋問を避けようとしていることもわかりますね。

 

宣誓した証人が、記憶に反することを述べたら偽証罪になります。記憶にあるのに「記憶にありません」もアウトですから。