火中の栗を拾った方々に対する感謝の気持ちを持ち続けたいと思ったサッカーJリーグアビスパ福岡の2016年でした。

2016年11月7日
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2016年サッカーJリーグJ1の最終戦が、11月3日文化の日に催行されました。今年J1に所属するアビスパ福岡は、既にJ2への降格と、年間最下位が決定していました。J2に所属していた昨年の今ごろは、全く負ける気がしないと言うか、ワクワクする試合を続けていて、随分観戦に行ったものです。きさらぎ法律事務所は、『アビスパ福岡後援会』に登録されているので、本年最終戦に参戦いたしました。

ホームレベルファイブスタジアムでは、アビスパ福岡後援会、『ソシオ』のテントを訪問しました。今年いたただいた招待券を使い切らなかったお詫びを言い、来年もお願いしてまいりました。降格が決まってからも、ホームゲームは毎回10.000人以上の観客が訪れるとのこと、やはりJ1へ所属した効果でしゎうか。
この日の相手は、柏レイソルです。昨年1年間アビスパにレンタルされて、この時期神懸かり的にゴールマウスを守護した中村航輔選手が登場しました。あれから1年、不思議な縁です。中村航輔選手、柏レイソルの中心選手に成長し、世代別代表でも、素晴らしいパフォーマンスを見せています。この日は、チョット暇そうでした。
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そうなのです。アビスパ福岡と柏レイソルとの力の差は歴然としていて、中村選手が守る柏レイソルのゴールの枠内目掛けて飛んだシュートは、0本でした。対して柏レイソル、そんな凄さはないのかもしれませんが、終わってみれば4点を取り、ホーム最終戦は、0対4でアビスパは敗れました。今年は、34試合闘って4勝しかしていないのですから、残念ながら、負けはもう驚かなくなりました。

試合終了後のセレモニーで、井原正巳監督は、ひとえに自分1人の責任を強調しておられました。周囲からは、『1年でJ1復帰』とか希望的観測のもと、勝手な発言が出る中、井原正巳監督からは、遂に『来年』に向けての言葉はありませんでした。確かに勝負の世界、誰かが責任を問われる、最高責任者は監督であるのは、組織としてのルールではあります。

でも、敗軍の将兵を語らずではありませんが、ホントに監督だけの責任なのでしょうか。この日久しぶりにアビスパの試合を見て、なんか覇気がない、チーム一体感がない、何をしたいのかはっきり見えないもどかしさを感じました。これは昨年感じなかったことです。どうしてこうなったのでしょう。

チームも会社関係者も、サポーターも、また、サッカー関係者も、就任1年目で、昇格プレーオフを勝ち抜いてJ1に復帰させた井原正巳監督の手腕任せきり、井原さんがやっている限り大丈夫たと思い込んでいたのではないでしょうか。これは監督にとつては、相当な重しになります。アビスパ福岡の会社としても、川森社長になって、百数社だったスポンサーの数が、1.500社になりました。地道に、『謙のみそれをなす』の姿勢で、スポンサーを集めた社長以下会社関係者の努力には頭が下がります。でも、どこか、だからこそ安心もしくはこんなはずじゃないの焦りはなかったでしょうか。

最終戦が行われた日、1人の元アビスパ戦士が引退を発表しました。ジュビロ磐田からアビスパ福岡に期限付き移籍していた岡田隆選手です。2012年のシーズンに、J1へ降格したアビスパ福岡に期限付き移籍されました。その年ボロボロになったアビスパ。でも、岡田選手は、自ら志願して磐田にも戻らなかったと言われます。
そして2013年シーズンは、アビスパに籍がない状態で、チームキャプテンを引き受けられました。その年でしたか、アビスパ福岡が連続債務超過で、ライセンス剥奪の危機に陥ったとき、チームの存続のため、率先して諸々の活動をされました。こうしてアビスパ福岡がJリーグに残ることを見届けた岡田隆選手、翌年J2に降格した古巣のジュビロ磐田に、戻られたのでした。

岡田選手は、とにかく走っていた印象です。怪我で十分な動きができないときでも、ボールに食らいついていました。試合後は、サポーターに歩み寄り、いつも感謝の言葉を述べておられました。その岡田隆選手、名門ジュビロ磐田が、1年でJ1へ戻れなかったことからか、翌年2015年のシーズンは、ジュビロ磐田のキャプテンとなりました。
しかし、怪我に悩まされ、その後公式戦に出場する機会がないまま、今年2016年のシーズンで、引退を発表されたのです。まだ32歳です。

岡田隆選手は、ある意味苦労を買った、火中の栗を拾った人でした。ご自身は、そのためボロボロになっても、チームのため、サッカー界のため、そして未来の子どもたちのために、ただ走ってきた方なのではないでしょうか。アビスパ福岡ライセンス剥奪の危機、あのとき岡田隆さんがおられなかったら、今のアビスパ福岡はありませんでした。また、ジュビロ磐田に復帰し、試合に出られないキャプテンとして、選手チームを鼓舞することがなければ、果たしてジュビロ磐田は、J1へ復帰できたでしょうか。

その岡田隆選手、引退を表明された折、アビスパ福岡にも、言葉を寄せられました。アビスパ福岡でプレーできたこと、キャプテンとして支えてもらったこと等を仰って、アビスパ福岡に対しても、感謝を述べておられるのです。昨年のシーズン、ジュビロ磐田とアビスパ福岡が、最後まで相譲らず、ともにJ1昇格を果たしたことを、本当に喜んでいただきました。

井原正巳監督も、かつてジュビロ磐田に所属しました。長年名将ネルシーニョ監督のもとで、ヘッドコーチを務められた柏レイソルを退団して、中村航輔選手と言う素晴らしい若手選手を連れて、アビスパ福岡の監督になられました。おそらく周囲からは、なんでアビスパ?って意見されたのではないでしょうか。井原監督は、巡り合わせ、縁であったと言われますが。火中の栗を拾うどころではなかったと想像します。そして2年目の今年、アビスパ福岡は、全くJ1では歯が立たず、惨憺たる結果となりました。シーズン終了の挨拶では、来季に向けた餞け?の言葉はありませんでした。井原正巳氏、おそらく退団する決意なのだと思われます。アビスパ福岡の川森社長は『続投』をお願いしたと明かしましたが。

井原正巳監督に対しては、感謝しかありません。だからこそ、私たちは、もう恩返しすべきでしょう。日本サッカー界にとっては、とても大切な方です。いつまでもアビスパに引き込み、ボロボロになることは、アビスパ福岡を愛する者として、見ることはできません。ご本人が、思うところあって、ゼロからスタートされるとのお気持ちを持たれたならともかく、素晴らしい夢を見させていただけだことでもう、井原正巳監督、『解放』して差し上げることではダメでしょうか。

岡田隆選手と言い、井原正巳監督と言い、私たちアビスパ福岡を愛する者は、永遠にそのご恩を忘れません。そんな思いに至った2016年サッカーJリーグ最終日の福岡でした。頑張れアビスパ福岡!