ある病院の点滴用袋に、界面活性剤が投入されていた事件に関する報道から感じたひとりごとです。

2016年10月4日
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横浜市内の病院で、入院患者2名が、点滴に混入された界面活性剤がおそらく原因で、死亡する事件が起きました。警察署は、殺人事件として捜査を開始していて、亡くなった方が入院していたこの病院の4階の患者に投入予定の点滴にも、複数注射針の痕が残っていたと報じられております。

 

そして、この病院に詳しい者による連続殺人の様相を示しているとも報道されています。まず、このような事件に遭って命を落とした方には、哀悼の意を捧げます。

 

この病院では、この2ヶ月近くの間に、4階に入院した患者さんが、50名近く亡くなっていることが異常だとも指摘されているようです。80くらいの病床の病院で、1日に5名も、同じ階の患者さんが亡くなった日もあるとのことですが、病院側は、やや多いとは思っていたものの、死因に不審なところはなく、今回の事件の発生に至ったとされます。

 

この数をどう見るかですが、末期医療を行う病院では、確かにそのように感じられるのかなとも思います。私は以前、ほとんど亡くなる場所として入院患者を引き受ける病院を知りました。また、いわゆる介護療養型病院での『退院』理由の多くは語らずとも明らかです。もしかして、この病院に恨みがある人間による意図された犯行だとしたら、この種病院の盲点でもあったかもしれません。

 

私自身は、介護療養型医療施設は、とても重要と考えます。よくテレビなどでは、人の命をいかに救うかに重点を置いた医師の姿が現れます。それはそのとおりですが、唯一人間が避けられないのは死であります。医師でも救えない命はあります。そんな局面に携わる医師もまた、人として、とても重要な職責を担っていると思うのです。

 

そして、医師を支える看護師さんたち医療スタッフのご苦労には、常に感謝の気持ちを持ちたいです。誰だって目の前で人一人が亡くなることは辛いですから。 さて、この病院に対して、連日多くの電話が外部から入っているそうです。そのほとんどは、『人殺し!』等の病院を非難し、罵倒するものだと言われます。

酷いですね。

こんなことをするのは、不自然な亡くなり方をした患者さんのご家族ではないでしょう。

大切な人を失ったときに、そんな気持ちになれるのものでしょうか。こんな電話がなされているそのときでも、末期医療に携わるこの病院は、患者さんのため、できる限りのことをしているでしょう。

 

医師看護師他スタッフ皆さん、本当は、やってられない気持ちでしょう。

でも、目の前の患者さんを放ってはおけません。

この『事件』に関して、病院が被害者だとまでは言いませんが、病院に対してこんな匿名の電話をかけて何になるのでしょうか。 いつも同じようなことを言いますが、弱っている人、反発できない、する余裕もない人に対して匿名の電話をかけたり、ネットを利用して投稿するような人は、『本件』とは直接関係のない人です。

 

社会的、経済的、何よりも精神的に、パッシングを受ける人よりも、優位な地位にある人たちです。弱っている人たちをさらに徹底的にやり込めること、これは、私が最も嫌いなやり方、生き様です。単に『暇だな』くらいで、放っておいてよいものでしょうか。

あることについてミスした、あるいは迷惑をかけた、するとそのことについて、これでもか!って執拗にやり込める傾向になっているように思います。なんででしょう。何か自分が偉くなった、英雄気取りになった人が増えているのではないでしょうか?自分自身に拍手するがごとく……。自分が被害を受けたわけではないし、その対象とされた人とは、接点を持ちようがない人こそが、こんな態度に出ていると思うのです。

 

関係ないから、繋がりがないから、何をやってもバレない、自分が追われる、責任を問われることはないと思っているが故に、やってるのでしょう。情けないですね。 社会的非難と言う問題については、法律家を志したときから、とても関心がありました。むしろ、そんな社会を無くしたいとの思いから、法律実務家を志したとも言えるかもしれません。

 

子どもが何かしでかしたら親が非難される、夫が何かやったら妻が追いかけ回される、なんでだと思いました。そして、最近のネットに見られる匿名社会がさらにこの問題に、拍車を掛けているようです。

 

弱っている人にこそ優しくの社会に進まないのはなぜでしょう。弱っている人をやり込めることが強さであると勘違いしているのでしょうか。強さを求める社会が、こんな現実を生み出した一因であると考えるものです。