定員オーバーで、座席がない乗客を搭乗させた航空機が離陸しようとした事例に関するひとりごとです。

2016年10月26日
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1ヶ月ほど前、福岡空港を出発して離陸しようとした全日空機が、定員オーバーであって、1人分の座席が足りないことが判明して、その状態での離陸が不可能となり、ボーディングブリッジに引き返すアクシデントがありました。

 

『立ったまま離陸』とか、かなり驚きをもって報道されましたが、この事態を知っていくつか考え、思うことがありました。 まず、本当に満席だったのだとわかりました。

 

昔、JRが国鉄だったころ、列車、特に寝台列車は、必ず座席の空きを残しておくと聞いたことがあります。本当に、突発的に、予想しえない万一が起きたときに、対応するためだそうです。もっとも公共交通機関は、可能な限り満席にして運行したいわけです。特に航空会社は、時期によっては上りと下りで搭乗客の数が相当違ってくることがあります。

 

カラの飛行機を飛ばさないことが求めれます。それでも本当に全部の座席を埋めていたとは初めて確認しました。確かに座席数より多く予約を受け付けるので、ときに『オーバーブッキング』が起こることはあります。そのときでも予約客に協力を求めて他便に振り替えてもらい、搭乗人数を減らして出発します。ですから、正真正銘の満席になっていたのだと驚いた次第です。

 

この定員オーバーの事態は、別々の席を予約していた父子が、同じバーコードを使用して搭乗しようとしたことからミスが起きました。本来別々のバーコードを各自使用しなければならないところ、子が誤って父の座席のバーコードをスマートフォンにダウンロード、保安検査場と搭乗口では、同じ人物が2度通過したことになる『警告』が出たものの、係員は、複数回機械にタッチしたからだと思い込み、実は1枚の搭乗券が使用されたことになるので、別の1枚の座席保有者は、搭乗していないことになって、その1座席が、キャンセル待ちの客に割り当てられてしまったと言う流れでした。

 

私も、よく搭乗口で、バーコードがエラーになることがあります。そのときは、また搭乗券をタッチさせてやり直し、通過します。搭乗口で、タッチし直しの場面を見ることは結構あると思います。変に慣れてしまって、どうせ感度が悪かったからとか、機械が『詰まった』のだと判断して、当然のようにやり過ごします。ここには機械も一瞬間違えるが、機械は正しいとの思い込みがありました。

 

バーコードのかざし方が悪かったのでダブルカウントされたと、人間は判断してしまったのです。 バーコードのかざし方による『警告』は、利用者も係員も、 もう慣れっこになっていて、警告の意味をなしていないように思います。いつか保安検査場の『ブー』は、こけおどしではないかなんて申しましたが、これでは何のために機械を用いたのかわかりません。今回のアクシデントは、たまたま父子のもと予約席が、キャンセル待ちにより割り当てられたことがすぐに判明しましたから、安全への不安は少なかったでしょう。

 

しかし、全員正規の予約をした人でありながら、席がひとつ不足すると言うケース、もしかして邪な考えの者が1人紛れ込んでいるかもしれません。

 

むしろたまたま定員オーバーだったから離陸できなくなり、機械に頼る問題性が露呈されたのであり、安全先に警鐘を鳴らしたことになるなら良しといたしましょう。 今回の事態を踏まえ、国土交通省が、2012年以降の統計を取りました。すなわち、運行開始前の航空機で、搭乗手続きを済ませた搭乗客数と実際の搭乗者数が異なるケースが236件発生していたとの結果が出ました。

 

その中で、定員超過は5件あったとされ、いずれも離陸前に定員超過に気づいたと言うまさに今回のANA機と同様のケースです。さらに、離陸後に定員数が合わないことに気づいたケースも報告されたそうです。航空会社は、いずれも搭乗手続きのミスが原因で、同じ席の搭乗券を2枚出した例等が説明されました。

しかし、こんなところで『ひとりごと』を書くのも問題なのかもしれませんが、今回の国土交通省の統計を、公にしたことは秘密はよくないですが、悪用されないか心配であります。

 

機械を頼り、信用し過ぎると、ヒューマンエラーが起きるのだと、肝に銘じる必要があるでしょう。

 

しかも、間違いが起きていることに気づかないのが問題です。 先日瀬戸内海を高速船で渡りました。そのとき、搭乗券購入に際して名前を言いましたが、いざ乗船するときには、番号カードを渡されました。

 

それを下船するときに、係員に渡します。こうすれば、購入したチケットを他人に渡したり、偽名で申し込みすることは可能であっても、実際の乗船数には、齟齬は生まれないと思います。

 

これは人間による手作業です。機械を操るのも人間、私は、人間を信用したいです。