NHK大河ドラマ『真田丸』は、舞台は大坂の陣となっています。日ノ本一のツワモノと称せられた真田幸村の活躍の場であり、最期の場でもあります。大坂の陣の結末はわかっている、歴史は変えられないと言うのが視聴者の声ですが、いよいよクライマックスに向けて一気に、また、助命嘆願の声もあり、最後まで目が離せない展開です。![]()
BS放送があるので、単純な視聴率の比較はできませんが、地上波では15%を切ることはなく、2時間前に放送されるBSでは、健闘と言われる3%から、奇跡と言われる4%を超え、5%に定着していて、相当な人気です。『真田丸』が人気を博したのは様々な要因があるでしょう。三谷ワールド、堺雅人さんが主演、適材適所の俳優陣、毎回存在する笑いを齎すオチ等のほか、『ナレ死』や『黙れ小童』等の流行語?枚挙に暇がありません。何かあると期待してしまいます。 真田丸の最終回は、12月18日の放映です。ところで真田丸、最終回は、副題がないことが発表されました。初回の『船出』から前回の『砲弾』まで、『決戦』『幸村』『完封』等等、二文字の副題かありました。関係者によると、真田幸村を演じた堺雅人さんの演技は、たった二文字で収まりきれない熱くて深い思いが最終回には詰まっていたと強く感じたがゆえに、最終回は、『無題』としたのだと言うことであります。まさに収まりきれない、真田幸村の、堺雅人さんの、そしてこの大河ドラマに関わった全ての方々の思いが、そうさせたのでしょう。 それにしても切なくなる方も多いのでは?三谷幸喜氏の脚本であっても、歴史は変えないものの、随所に仕掛けと奇想天外の展開があり、飽きさせない内容です。ですから最終回も、これまでのドラマや、研究者等が示していた真田幸村の最期とは違うものが予定されているとは思います。でも悔しいですね。従来の歴史物に比べて、大阪方の無能?は露呈されず、大野治長や淀殿も、幸村の理解者?のように位置付けられてはおります。しかし、真田幸村をしても、淀殿らを動かすことはできなかった、特に徳川家康が示した和議に乗ってしまったのは悔しいですね。 そこを三谷幸喜氏、どんなふうに描くのでしょうか。 私は、織田信長も豊臣秀吉も嫌いです。特に秀吉は、歴史上の人物の中でも、嫌いは際立っていると思っています。また、歳を重ねうちに、あえて言えば徳川家康を評価する意識が出てきましたが、どうにも大坂の陣の家康は、好きにはなれません。私が秀吉を嫌いな最大の理由は、晩年が酷かったことにあります。 家康は、それまで焦らず慌てず、石橋を叩いて渡ればラッキーが転がるような人生たったように思うのですが、関ヶ原以後、自分の老いと成長する豊臣秀頼が気になって、策を聾すようになったこと、それもフェアーではないやり方を用いたことが、嫌だなと思うのです。そんな徳川家康に果敢に挑む真田幸村は、英雄なのです。 二条城での豊臣秀頼との対面、家康とすれば、豊臣が徳川の臣下となったことを示したかったわけですが、加藤清正が同席する場面での豊臣秀頼、凛として毅然とした対応に、家康は恐怖を覚えます。それで方広寺の鐘、そして大阪冬の陣後の和睦等、豊臣側の無知無策に乗じて『騙し討ち』して大阪城を落とすのでした。真田丸では、大阪城の内堀を埋めるところは、どのように描かれるでしょうか。 これはある意味豊臣秀吉の晩年も似ています。秀吉は、メチャクチャやりましたから。まだ家康は、頭で考えて行動する、騙す力に長けていた点で良しとすべきでしょうか。歳をとると焦るのでしょうか。戦いが長引けば、豊臣恩顧の武将らが大阪方に味方するのではと思えたのかもしれません。そんなところが家康の焦りだとしても、真田丸での騙しの家康、不甲斐ない大阪方の上層部を見れば、視聴者は歯がゆい思いがするのでしょう。真田幸村の活躍と歴史の変更?を期待してしまうのです。 でも、歴史は変えられません。 ある人が、歴史は後日歴史家が決めると述べたことがありました。 それは無理な話です。『戦後レジームからの脱却』を意図して、歴史を変えようとすることは、絶対に容認できません。しかし、真田幸村の活躍は、多少『改ざん』しても、国民は納得するかもしれません。実際後藤又兵衛や西郷隆盛、源義経らの生存伝説は各地に残ります。それはその人たちが慕われていたからでしょう。 しかし、『戦前の日本』、ポツダム宣言受諾によって終戦とならざるを得なかった暗黒時代を齎した人々を崇敬する気持ちは全くありませんし、そしてその人たちを讃える見解には、全く同意できませんから。