百貨店の物産展は、人と地域、そして心をつなげる何かがあります。

2016年9月8日
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秋になると、都内の百貨店では、恒例の『北海道物産展』が始まります。

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今年は台風の影響が甚大で、特に十勝や道央方面からの品物が入りにくくなっていると報道されています。『全国有名駅弁とうまいもの大会』で有名な京王百貨店新宿店では、2週間にわたって開催されています。いろいろな地域の物産展がありますが、北海道は人気ですね。 サラリーマンの単身赴任先として、人気が高いベストスリーには、だいたい札幌市が入ってきます。仙台市、広島市、そして神戸市も人気が高いですね。今日は、実際暮らして良かったナンバーワンの福岡市のお話は止めておきます。以前日本人は、『外人』と言えはなんでもアメリカ人と思っていると指摘されました。

 

私からすると、北海道と言えばなんでも札幌のイメージが強いですね。実際九州の経済、人の動きは、なんでも福岡とは思えないのに、北海道では、全てが札幌を向いて、札幌から発信されているように思えてなりません。 そんな北海道でも、物産展は、道内各地から様々な品物が集まり、まるで地域の振興、お祭りの感があります。会場内で、故郷を語るのもよいですね。元気がもらえます。京王百貨店では、1日限定何個として、各地の銘品をまとめたお弁当が、999円出ています。カニであったり、ステーキ肉であったり、海鮮丼であったりします。会場での匂いもよいですね。でも、すぐに完売です。イートインコーナーでは、寿司やラーメンがあり、地ビールも味合うスペースがあります。

 

9月に入ると、地元北海道でも、秋を味合う行事お祭りが目白押しです。特に札幌市の中心部大通公園では、道内各地から店が所狭しと集まります。観光客に混じって、地元の方々も楽しみにしているとお聞きします。今年は、台風の影響で、農作物は大きな打撃を受けていて、そんな中で集められた品物は、ぜひ手に入れたいものです。こちらは、大通公園が、ひとつの北海道物産展のごとくであります。 物産展は、ほぼ同じ時期に幾つかのデパートで順次開催される気配があります。京王百貨店、小田急百貨店、伊勢丹、高島屋、東武百貨店、西武百貨店、三越、東急百貨店等等です。同じような店舗が出ていることにも、気づかれると思います。もちろん人気があり、美味なのだと思います。出店を競い合うというではなく、共に協力して、それぞれの地域や銘品を覚えてもらいたい願いがあるのだと思います。

 

お店のひとは、元気がありますね。あの声を聞き、説明を聞いていると、買いたくなり、また、その地域に行ってみたくなるのはなぜでしょう。百貨店で一番人気は、物産展なのだそうです。 昔、『故郷の訛り懐かし停車場の……』と言ううたがありました。行ったことがない地域、それまで興味がなかった逸品でも、何かその場に行ってしまうと惹かれるものがあります。それは日本人には、もともと心の故郷があったのではないかと思うのです。

 

 

何が懐かしい、何に郷愁を感じるのかわかりませんが、それは子どもものころ見た風景かもしれない、親の背中なのかもしれない。
でも、何が穏やかな気持ちになった誘われるのです。 確かに百貨店の物産展は賑やかです。

そんな中にも、どこか子どものころに感じた故郷が紛れているのです。それは、物理的に故郷を持たない私にも感じられるのです。あの雰囲気、とても好きです。どことは言わず、物産展を覗いてみることをお勧めします。

 

人間は自力だけでは生きていけない、他力本願の教えは、他人に優しくすることに通じます。

2016年9月7日
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東京都下の病院5階から、遠くスカイツリーが望める穏やかに晴れた朝でした。私の母は、88歳にて、阿弥陀如来のご本願により、生まれし浄土に還ることができました。天気同様穏やかな表情でした。
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私ども浄土真宗本願寺派では、故人は即往生し、極楽浄土で、私どもを見守る立場になられたわけですが、『門徒物知らず』と揶揄されるごとく、これからの諸事には、いろいろ難儀が予想されました。

最初にやらなければならないのは、葬儀場の確保、すなわちこれを執り行う業者への連絡、打ち合わせです。

この歳になりますと、結婚式より葬式に出る機会が多く、経験上火葬場がたいへん混雑することを知っているからです。これは冗談ではなく、数分間の打ち合わせ中に、火葬の時間が埋まってしまうことがあるのです。これも冗談ではなく、葬祭会社と、『事前予約』が可能となっています。特に互助会等に予め加入していると、『予約』は、3日間有効なんてところもあります。つまり、優先的に焼き場を押さえるシステムが存在すると言うことです。施主すなわち喪主を務める私は、予め『事前打ち合わせ』をしておりましたが、病院の窓から外を眺めている暇はなく、日程調整、すなわち焼き場を押さえる手配をしました。

さて、困ったことに『友引』がありました。

これは浄土真宗の門徒には、逆の意味で『難問』なのです。すなわち、浄土真宗では、吉兆等全く関係ありません。教義は他力本願、阿弥陀様のお慈悲により、即成仏できますから、成仏を妨げると言われる諸々は、全く気に留める必要がないのです。

そもそも『友引』は、中国の六曜に基づくもので、仏教徒とはなんら関係がない上に、もとは『共引』、要は引き分けを意味する言葉だからです。それは六曜が、闘いや勝負事から生まれた歴史を振り返れば当然と言えるのです。でも、葬儀に参列される方はどんなふうに感じられるかで、私たちは悩むのです。友引には、休業の葬儀場さえある現実から、友引が入ると、さらに火葬場の予約が困難になるのです。

結局、浄土真宗本願寺派の門徒でありながら、私は、『一般常識』を執りました。そのため葬儀は、まる4日後になりました。また、死は汚らわしいものではなく、即成仏して、極楽浄土で無力な私たちを見守り、お救いになる立場になられたわけです。当然参列された方には、『清めの塩』は要りません。でも、ある浄土真宗のご葬儀で、会葬御礼に塩が入っていないことに文句を言われた場面を見たことがあります。それで私は、会場の脇に、『清めの塩』を置く対応をいたしました。

保育園の建設反対運動もそうですが、火葬場の建設についても、強い反対運動があるようです。少子高齢化社会なのに、いずれも不足が言われはのはどうしてでしょう。火葬場にお世話話にならない人はいないと思います。確かに一生一回ではありますが。私は、あちらこちらで共生共存の大切さをいつも言いますが、優しくないですね。私からすると、友引はダメなんて風習?を持ち出す前に、火葬場の建設を含む人の最期の時を安心安全に不安なく送れるように対応して欲しいと思います。

また、少子高齢化社会、核家族化が進み、墓所を承継する人が少なくなっているいっぽうで、新たに公共の霊園等の墓所の確保も、難しいと言われます。これも、住宅事情や地価の高騰なども影響しているのでしょうが、やはり人の生死は、自分には関係ない、むしろ『そんなもの!』迷惑だと考える国民が増えているのではないかと思ってしまいます。今の自分がいるのは祖先がおられたからであり、日本国民として、安寧のうちに暮らせるのは、先人たちの弛まぬ努力があったからです。これまたいつも申しますとおり、優しさが無くなったに通じます。

浄土真宗では、阿弥陀如来のご本願により、これを信じ、南無阿弥陀(本願寺派では、ナモアミダブツと言います)を念じれば、仏様になることができます。我々は凡夫であり、完全にに他力本願です。自分では何もできない、だから他人にも寛容になるべきと思えるのかもしれません。難しい教義はありませんし、決まりしきたりもありません。

親鸞聖人は、僧籍者として最初の妻帯者と言われます。肉も食べ、酒も飲みます。苦行はありません。ごくフツーです。その普通の生活、人の一生の中で、保育園幼稚園、学校も必要、そして最期のときは火葬場です。その間病院や介護施設も経験するでしょう。

普通の生活、人として避けられない生活であるがゆえに、排他性を嫌うのも浄土真宗の本質です。私が浄土真宗本願寺派の門徒となったのは偶然ですが、そして、真面目な門徒様からすると、テキトーで叱られるかもしれませんが、他力本願は、人への優しさに通じると悟ったものこのご教義があればこそでした。

それでも凡夫、私は、迷いながらも一般常識に従った通夜葬儀を執り行う前の日、この『ひとりごと』を書いています。母が生まれし浄土に戻った日、病院から眺めた都内ののどかな風景は、心に刻まれるものとなるでょう。ありがとうございました。

 

NHK大河ドラマ『真田丸』、犬伏の別れを終えた感動です。

2016年9月6日
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NHK大河ドラマ『真田丸』は、最大の見せ場と言われた『犬伏の別れ』のシーンが放映されました。放送終了直後から、視聴者から多くの声が寄せられ、そのツィートの数1時間で5万件に達したそうです。その中でも、真田信幸役の大泉洋さんの演技を絶賛するものが多かったようです。

『犬伏の別れ』に関する従来の歴史家の定説、ほぼ固まっている事実関係については、先般の『ひとりごと』で書きました。真田家存続のため、父真田昌幸と二男真田幸村こと信繁が石田三成側に、長男真田信幸が徳川家康側に付く決断をしたことは間違いありません。ただ、誰が、どのような理屈理由をつけて、また、それぞれどのような受け取り方をして、さらにこの決断後、3人はどのような態度を取って別れたのか……諸説入り乱れていて、三谷幸喜さんの脚本に期待が膨らんでいたのです。ある意味予想を裏切られる?展開で、感動した方が多かったでしょう。それはまさしくこの日の主役は、真田信幸すなわち大泉洋さんとなったからです。


もしかしたら…と思わなくもなかった『くじ引き』のシーンこそありましたが、その前に、信繁が、後の世に、天下分け目の関ヶ原と言われた石田三成側と徳川家康側の戦は、国内を二分する結果にはなるけれども、短期間に終結すると予想し、その後、真田家は、どこにも属さないで生き抜くことは不可能と父に意見します。すなわち、家康が上杉攻めをしている最中に家康側を襲い、かつて武田家の支配下にあった信濃甲斐を押さえるとの目論見が奏功する見込みはないことを言います。これは、意外とこの先の伏線になっていると思いました。大泉洋さん扮する真田信幸は、もう、そんなことは止めましょうと父に言い放って『くじ引き』を引っ込めさせ、『私は決めた!徳川に付く』と。

そして、石田三成側が勝利したときは、命を懸けて自分を守れ、徳川家康側が勝利したときは、自分は命を懸けて父と弟を守る!そしていずれにせよ真田家は残ると言うのです。これを真田信幸すなわち大泉洋さんに言わせるのは、流石三谷幸喜さんですね。大泉洋さんは、大河ドラマへの出演が決まった喜びとともに、その難しさをしばしば言われており、特に、長いセリフは経験がなくてからっきりダメ、時代劇は苦手と謙遜されていたことを思い出します。アレ、もしかして、三谷幸喜さんとつるんで、わざと言っていたのでしょうか?


父昌幸は、おそらく自分を超えた息子たちを誇らしげに思って安堵し、最後の戦いを徳川家康に向けられることを、再確認したと思われます。兄弟涙して酌み交わす酒、親子3人で笑いながら飲み交わす酒、イイですね。最後の韓信の戦術のくだり、流石真田昌幸の息子と思わせる真田信幸の『解説』にも唸らさらましたが、真田昌幸の『韓信はバカだ』は、面白かった!その戦術の本当の狙いを書に残したら、誰も実践で利用できないと。流石父上の貫禄でしょう。


舞台が多い大泉洋さんは、私のイメージは、『北海道』『札幌』に、そして憎めないダメ男でした。その演技力は、まさに彼しかできないと思わせるような凄みもありました。でも、ご自身仰っていました。自分は、結婚しているし、家庭もある、本当はダメ男ではないと……。

そのとおりですね。お見事!


真田昌幸が、信濃甲斐に拘りを持ち続けるのは、信玄公への崇敬の念もあるでしょうが、この大河ドラマの最初のシーン、お館様武田勝頼を岩櫃城にお連れできずに、子らのみ人質を免じられて生き残ったことが、何か重みになっているような気がします。また、犬伏の別れの回での大谷吉継と石田三成とのシーンも良かったですね。こちらは、片岡愛之助さんと山本耕史さんですから、期待とおり出来て当たり前でしょうか(失礼!)。

史実では、上杉攻めに向かう大谷吉継が、蟄居中の石田三成を訪ねたところ、「家康を討つ」と打ち明けられて賛同を求めれ、親友に殉じたと言われます。豊臣秀吉亡き後、秀吉末期の混乱の中で治めるのは家康だと大谷吉継は認識していて、例の『直江状』にも、大谷吉継に対する徳川家康の信頼が見て取れます。実際大谷吉継は、3度に渡って勝ち目がないことを石田三成に言って翻意を促すのですが、勝ち負けではなく信義であるとする石田三成に従うことに決めたとされます。
それは、この『ひとりごと』でも書きましたが、大谷吉継は、石田三成に対しては、特別な思い入れがあるからでした。

『真田丸』では、石田三成が訪ねてきたことを、もはや武将として働くことができない大谷吉継は、自分は、三成が来ることを待つていた、つまり死に場所を貰いたかったのかもしれないと描いた上で、その三成のため、また、自分らしく生き抜く証のため、必ず勝たなければならない!と鼓舞して、石田三成に同心したのでした。真田昌幸にも届けられ、『犬伏の別れ』を演出した全国の豊臣恩顧の武将に対する文書を書くシーン、名優の演技に引き込まれます。

さて、いよいよ関ヶ原です。でも『真田丸』の視点では、真田信幸の居城沼田城を死守するその妻稲こと小松殿の憤然とした姿、そして徳川秀忠の関ヶ原参陣を遅らせた第2次上田合戦、これらが楽しみです。三谷幸喜さんの隠し玉?でもない限り、おそらく『犬伏の別れ』が、真田親子の最後の一緒にいるシーンとなるはずです。いっぼうで、関ヶ原では、大谷吉継が注目されます。

こうしてみると、三谷幸喜さん流の真田丸、毎回主人公があり、スポットライトが当たる人がいて、それがさらに今後の真田幸村こと信繁の活躍に、期待が高まるものです。関ヶ原の後、高野山九度山での蟄居の生活の描かれ方も気になりますが、それは満を持しての大坂の陣、『真田丸』へ向かう全ての仕組みプログラムと考えましょう。

それにしても、男たちの世界、そして素晴らしい俳優陣、男って、そんな『つまらないもの』ではないと思います。ひとつの大山を終えたNHK大河ドラマ『真田丸』、放映翌日の福本悟のひとりごとでした。

 

エアドゥの機内誌から、なぜか存在する北海道への思い、自分祖先や親に対して、柄にもなく思いを馳せたひとりごとです。

2016年9月5日
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森進一さんのヒット曲の中に、『港町ブルース』がありました。「背のびして見る海峡を、今日も汽笛が遠ざかる。あなたにあげた夜をかえして。港、港函館、通り雨…」。これは北海道の入口津軽海峡を臨む街函館から、森進一さんの故郷、旅路の果て鹿児島までの港町を、女心に合わせて歌ったものです。

港町と女心、酒、別れ、なんか合うのですね。その他、港町を歌った数々の名曲があります。

特に北海道は、演歌の舞台。石原裕次郎さんの名曲、『北の旅人』では、釧路、函館、小樽が出てきます。確かにこの3都市は、道内の港町として知名度があります。釧路の夜、釧路川、函館の女、立待岬、小樽のひとよ、小樽運河等等、この港町を舞台にした名曲は、時を超えて日本人の心にしっかりと刻まれているようです。
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ところで先日、北海道を本拠地とする航空会社エアドゥの機内誌に、釧路、函館、小樽とは違った港町3都市が案内されていました。『ぶらり港町』と題する旅人への誘い、それは太平洋、日本海、オホーツク海の3方を海に囲まれた北海道の海岸線の至る所には、漁港と人の暮らしがあって、北の海の幸と風情を求めて気ままにのんびり歩くのもまた一興と受け取りました。「あぁ、そうなんだ」と気づかされて興味をそそられ、また、「うん、知ってよ」と納得し、少し嬉しくなった箇所もありました。しばし『ひとりごと』に付き合いください。

今回エアドゥの機内誌が誘うのは、網走、えりも町、室蘭市の3箇所でした。網走と言えばオホーツク海の代表的都市、厳冬の時期には、シベリアアムール川から流氷が接岸します。えりも町は、森進一さんの『襟裳岬』で知られる岬から太平洋沖へと、ただひたすらに岩礁が続く強風の町です。室蘭市は、内浦湾に面する道内では降雪の少ない工業都市、かつては『鉄の町』と言われた景勝地でもあります。この3都市に、それぞれ秋の味覚を味わうテーマで、のんびりとした旅が始まるのです。

網走の海の代表は、『きんき』です。この機内誌にも、詳しく案内されていました。基本的に秋から冬の魚ですが、網走では、『きんきの一本釣り』の漁師さんがいらっしゃいます。都内の百貨店でも、たまに目にしますが、かなり高い魚です。脂ののりから、煮付けと焼きが美味しいと言われます。

たまにすすきので出会う機会がありますが、なぜ私がきんきを知り、それなりに詳しいのかと言えば、九州そして福岡大好き人間の私は、『赤むつ』贔屓だからです。白身のトロとも言われる、かの錦織圭さんの「のどぐろが食べたい!」発言で、のどぐろの呼び名で知られてしまった赤むつ、私は、赤むつこそ私が知りうる魚の中で、最も美味しい魚だと思っていて、『きんき』はライバルに当たるからなのです。

煮付けは赤むつと信じている私からいたしますと、一本釣りであること、煮付けと焼きも美味しいこと、白身で脂ののり抜群であること等、赤むつが西の横綱なら、きんきは北の横綱なのです。きんきは、流氷が来るころには漁が終わります。流氷を見損じた人が、また翌年流氷遭遇に挑戦して、網走を訪れるのと交代するように、きんきはその時期、厳冬の海の中に姿を隠すのだそうです。実は私も網走からの流氷を見損じたひとりです。数年後再挑戦しようと思っていますが、そのとききんきには会えないでしょう。やはり幻の手が出ない魚なんです。

えりも町は、日高山脈がそのまま海中になだれ込んだような地形の風が強い町として知られています。なんでも風速10m以上を超える風が、年間260日も観測される太平洋に突き出た港町です。えりも町と言えばまず、『日高昆布』ですね。それと、この近くには太平洋に注ぐ川が幾つかあり、この時期は、サケ漁も盛んです。北海道を代表する貝は、ホタテ、ホッキ、ツブの3つですが、札幌や小樽の市場でも、大きな殻に入った日高産真ツブを見かけます。この日高地方、実は、私の父方の祖母が生まれたところであることが、祖母が亡くなって30年も経過した数年前にわかりました。

祖母自身、おそらく道内での生活は、覚えていなかったのではないかと想像される戦前戦中、そして戦後の引き揚げ等の厳しい生活を余儀なくされていたのです。未だ見ぬ襟裳岬、いつか私は立ってみたいと思いました。

そして3つ目は室蘭市です。室蘭は、高度経済成長期には、製鉄、造船等の重工業を支えたパワー溢れる町でした。私の父は船乗りで、世界各地に貨物を運んでおりましたが、ときどき北海道では室蘭港に入った記憶があります。かつては北海道の工業の中心の町であり、政財界で名を成した人が多く出入りしていたことから、和食や懐石料理店は、古くからあったそうです。

室蘭市は、穏やかな内浦湾に面しているので、カレイやコマイ等の北海道の食卓に上がる常連の魚はもちろん、最近では、『ソイ』の町として売り出しているのだそうです。ソイ、東京あたりでは、『黒そい』と呼ばれる白身の刺身として重宝される魚は、鯛が獲れない北海道では、『北海道の鯛』とも称されるようです。確かに鯛に、大きさでは見劣りしませんし、値段もそこそこ、都内の北海道をウリにする居酒屋でも、お目にかかれる逸品であります。

ソイの生態は知りませんが、寒さが緩む室蘭あたりの海には、本当に鯛が現れるのではないかと思わせる『ソイ』の水揚げの話題です。そしてこの室蘭市、今では、夜景都市としても、道内では有名だそうです。夜景と言えば、昨年日本三大夜景に藻岩山からの夜景がランクインした札幌市が有名ですが。室蘭市のそれは、ひと味違うのです。すなわち、工場群の室蘭港からの夜景なのです。この工場夜景は、川崎市が力を入れていることが知られています。室蘭市と川崎市、後先に関係なく、街づくりにアピールしていただきたいと思います。

そんなことを考えておりましたら、新千歳空港からの搭乗機は、羽田空港A滑走路に進入しました。A滑走路の左手には、川崎市の工場群の夜景が、煌びやかに見えます。川崎市は、私の両親が定着した都市、私も数年暮らしました。

北海道と東京、遠くて近い、違うようで似ている、機内誌を読んで、なぜ私が祖母や両親のことに思いを馳せたか、数日したらここに書くことがあるかとしれません。『北海道の港町』から、いささか脱線した『ひとりごと』だったかもしれません。

 

NHK大河ドラマ『真田丸』、いよいよ『犬伏の別れ』です。

2016年9月2日
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NHK大河ドラマ『真田丸』は、いよいよ最大の見せ場『犬伏の別れ』が放映されます。


歴史通の間では、広く知られた場面ですが、その意義評価、特に真田昌幸の真意に関する捉え方は様々で、栃木県佐野市にある『犬伏』ですが、実際どこで『別れの話し合い』がなされたかも、複数説が分かれているのです。ただ明らかに言えることは、この場面、登場人物は、真田昌幸、真田信之(信幸)、真田幸村(信繁)の3名であること、この『別れ』の結果、3人それぞれの運命、真田家のその後が決まったと言う事実です。

少しおさらいしましょう。

犬伏の別れは、関ヶ原の戦いの直前になされています。太閤豊臣秀吉が死去後、遺児豊臣秀頼を盛り立て、忠誠を誓うことになっており、徳川家康もまた、かたちの上では豊臣の臣下でありました。

ところで石田三成を中心とする文治派と、いわゆる7将を代表にする武断派との対立があって、秀吉亡き後の豊臣体制は、一枚岩ではありません。

それは豊臣武士団の分裂を、徳川家康が利用したわけです。きっかけとなったのは、石田三成の朋友とされる直江兼続が、徳川家康に充てたいわゆる『直江状』に憤慨した徳川家康が、直江兼続の主君上杉景勝に謀反の疑いがあるとして、豊臣武士団を引き連れて、大阪伏見から東国に進軍したとき、近江の国佐和山城で謹慎していた石田三成が、反家康の旗を揚げたことが、関ヶ原の戦いに、その前提となる『犬伏の別れ』につながるものです。

真田家は、信州小県郡、現在の上田市を中心に勢力を築いており、もともとどんな巨大勢力にもつかない歴史がありました。

真田昌幸の父幸隆が、そのころ力をつけてきた甲斐の国の武田信玄に惚れ込み、真田昌幸を含む子らとともに信玄の家臣となったことが、真田昌幸そして信幸、幸村兄弟が世に出る契機となったものです。

真田昌幸は、若いころより武田信玄の下で帝王学を学び、長篠の戦いで兄2人が戦死したことから家督を継いだもので、他国の侵略を許さないと言う真田家の伝統と、偉大な軍略家であり、政治家である武田信玄への崇敬の念を併せ持つて、信長秀吉家康の時代を生き、これらと張り合うことになるのです。

これまでの歴史物では、真田昌幸そして幸村の家康嫌いが強く現れていたと思います。この点『真田丸』では、それもそうですが、信玄公に対する尊敬の念と、『あのころ』に戻りたい真田昌幸の思いが強く出ているように思います。


『犬伏の別れ』では、どのように描かれるかわかりませんが、草刈正雄さん演じる真田昌幸は、あのころの夢をもう一度のような、これまでといくらか異なる脚本になるのではと予想しています。

『犬伏の別れ』に関する解釈は様々です。その中で、『通説』とされていたのは、戦国の世をしぶとく生きぬいた真田昌幸は、豊臣徳川どちらの世になったとしても、真田家が存続できるよう我が子をそれぞれに分けて、自らは嫌いな家康をコケにしてやろう、最後の戦国武士の面目を示してやろうと考えたとされているのです。私もこの見解を基本的に支持していました。

これに加えて真田幸村は、上杉家に人質として出されたのに、上杉景勝や直江兼続によりしっかり教育されて幾分恩義を感じていたこと、かつての第一次上田合戦では家康軍を蹴散らし、また信玄公時代には、三方ヶ原の戦いで、家康を追い詰めていて、あの無様な家康の天下など見たくないとの思いが重なっていたと考えていました。

ただ最近では、別の見方があるようです。『真田丸』でもよく現れていますが、大泉洋さん演じる真田信之の正室は、徳川四天王のひとり本多忠勝であり、一時期信之は、家康の配下に入っていて、その政治力、すなわち乱世を終わらせるのは家康しかないと傾倒していた傾向があったのではないか、また、真田昌幸の妻は、石田三成の妻とは親戚関係にあり、真田信繁の正室もまた、石田三成とは親友である大谷吉継の娘であること、すなわち、姻戚関係により必然的に真田昌幸と信繁は西軍、真田信之は東軍に分かれたのだという説です。

さて、草刈正雄さんではなくて、真田昌幸さん、どういたしましょうか?と言うよりも、三谷幸喜さん、まさかいつかあったシーンのように、『くじ引き』ではないですね。

『犬伏の別れ』は、悲愴的な別れと言うよりも、大きな決意を持った新たな出発のときであったでしょう。直接関ヶ原の戦いには影響されなかったとは言え、第2次上田合戦の顛末は、徳川家康の逆鱗に触れ、真田昌幸信繁親子は死罪となるところ、真田信之そして本多忠勝の執り成しで、両名は、高野山への追放となったのです。

そして真田信幸は、信州松代藩を与えられ、これが幕末まで続き、恩田民親、佐久間象山らを輩出する徳川譜代と同格の扱いを受けたのでした。

『真田丸』とは、大坂の陣のとき、真田幸村が築いた砦です。

ただ、この大河ドラマでは、真田丸と言う家族が一体となって船出する姿が描かれているので、おそらく『犬伏の別れ』でも、そのような視点から、家族一体として真田丸の船出、新たな真田一族がスタートするのではないでしょうか。

一族が、敵味方になった事件としては、保元の乱があります。

このとき、勝者となった源氏の棟梁源義朝は、父為義や弟を処刑しました。これが源氏の凋落と、平家の世をもたらしました。


しかし真田一族の決別、『犬伏の別れ』は、それぞれに分かれた真田丸の船出、いわゆる護送船団方式とも言える敵ではあるが、互いに競い合うことで、結果として真田家を残し盛り立てる、さらに繁栄する契機となった特別な『別れ』なのだと思います。


そんな見方をして、日曜日の『真田丸』を見たいですね。