トイレで容器に尿とお茶を入れ替えた、お茶から覚せい剤陽性反応が出たとの報道に寄せて。

2016年12月26日
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歌手で音楽家のASKAこと、宮崎重明氏が、覚せい剤取締法違反の嫌疑で警視庁に逮捕勾留されたところ、検察庁は、嫌疑不十分で不起訴処分としました。その後も、主としてマスコミを中心に、あたかも不起訴処分は疑問であるかの、また、宮崎氏は、無実を説明すべきだ、なんか釈然としないかの報道が続いています。これは、マスコミのあり方としても、同意できるものではありません。

宮崎氏が警視庁に逮捕されたとき、覚せい剤事犯は、特に50代以上は再犯が多いとか、宮崎氏について言えば、治療を止めて日頃から1人でいた、おかしな言動があった等等発表し、ある番組では、逮捕される直前の宮崎氏に、インタビューと称して未発表の楽曲を受け取り、勾留中に勝手に『発表』したのでした。

このあたりまでは、逮捕勾留された人は『犯人』であるとの推定が働き、仮に無実無罪が確定しても、『容疑者』となって社会的には制裁を受けたまま、その名誉の回復は著しく困難な日本社会の現実があるとのいつものパターンでした。今日は、この点は省略します。

宮崎氏が釈放されたのは、実に意外と思っていたのでしょう、マスコミ各社は、なぜ不起訴になったのかとか、不起訴の決め手は?なんて報道していました。決め手も何もないでしょう。起訴する、そして刑事被告人となった人に対して有罪判決がなされる見込みに乏しい、少なくともその可能性は低いと検察官が判断したってことです。有罪の決め手がなければ無罪です。何か不起訴になったのがいけないみたいに聞こえます。

さらに気に入らないのは、不起訴処分を受けた宮崎氏に、『説明』を求める姿勢です。しつこいですね。ある芸能人・タレントと言われる方から、このままでは嫌だとか気持ち悪い、酷いのになると、無罪を証明して欲しいなんてのがありました。嫌なら嫌でいいでしょ。ご本人が『気持ち悪い』と思っていないなら余計なお世話です。無罪の証明なんて言い出す人、それなら警察検察は何すればよいのですか?この方々は、自分が偉いと勘違いしてるんじゃないですか。どーやって、やってないことを証明するんですか。

私は、タレントと言われる人や、テレビ番組のレポーターと言われる人たちが、公的立場にあるとは思いませんが、その発信するところの影響力は、考えてもらいたいと思います。そもそも警察側の情報のみをそのまま疑問なく発信する報道もどうかと思いますが、事件が終結後も、なんか欲求不満な顔を見せるのは、明らかにバランスを欠きます。

今回のケースでは、尿とお茶がすり替えられた、そして提出された『物』から陽性反応が出たと報道されました。お茶から覚せい剤の陽性反応が出るとは初めて聞く話ですが、こんなこと、報道する意義はわかりません。

すると今度は、お茶と尿をすり替えることができるかの論評になっていました。私にはわかります。宮崎氏が、尿を提出したら終わりだと言った意味を。検察庁の発表では、宮崎氏の尿とは特定できなかったと発表したらしいです。お茶とは聞いていません。この辺りから、何が本件で問題か、わかると言うものです。にも関わらず、マスコミやタレントさんの論議はどうでょう。

結局、話題性なのでしょう。ASKAさんが覚せい剤に手を出したという話題は、庶民に関心を持たれると言うことでしょう。そして、不起訴になった宮崎氏、今度は、なんで不起訴処分になったのかが、世間の興味を持たれる事柄との判断があるのではなかったでしょうか。売れれば良いわけです。

でも、そんな話題に惹かれる世間も、世間です。折から国会では、TPP承認、年金カット法、カジノ解禁法が、成立しました。また、安倍晋三内閣総理大臣とプーチン大統領との『長門市対談』もありました。何かこっちのほうが、飛ばされた、国民的関心を持たれなかった感さえあるASKAさんこと宮崎重明氏の逮捕勾留と不起訴処分に関するしつこい報道でありました。