『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵』武田信玄の言葉から。

2016年5月2日
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企業では、戦国武将の名言が、社員教育に使われていると聞くことがあります。

 

自己を研鑽し、顧客を満足させ、会社を繁栄させる、若い人や新人社員に体得させるのだそうです。話は変わりますが、安倍晋三内閣総理大臣も、座右の名がありますね。『至誠に動かざる者は、未だ之れ有らざるなり』。もともとは孟子の言葉ですが、長州藩士吉田松陰先生が、日頃を弟子たちに伝えていた心得です。

 

人には誠意を持って接すれば必ず心を開いてもらえるものだ、まだそうならないのならば、それは自分の誠が足らないからだとの意味です。安倍晋三内閣総理大臣、さすが組織のトップとして、未熟な部下たちに授けるにふさわしい言葉ですね。

 

少数者を排撃するヘイトスピーチを厳しく不法行為と断じた判決が言い渡されたばかりですが、一部与党議員の中には、原発反対!安保反対!の運動をヘイトスピーチだと言った人もおり、極め付けは「保育園落ちた 日本死ね!」をヘイトスピーチだと言った人がおりましたから。

 

原発にしろ、安保にしろ、保育園問題にしろ、政治の誠実さが欠けていたら、国民の支持理解を得られないと言う当たり前のことを仰ったわけですから。これとほとんど同じ意味に使われる戦国武将の名言があります。今日は、そのお話であります。 『人は石垣人は城…』は、私が若いころ、年配者がカラオケで歌っていました。

 

『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』あまりにも有名な言葉ですね。甲斐の国主武田信玄の言葉です。群雄割拠、明日をも知れない戦国時代、ほとんどの武将は、堅固な城を構えました。しかし、躑躅ヶ崎の館と言われるごとく、武田信玄は、『普通の家』に住んでいて、城は造りませんでした。

 

どれだけ堅固な城を構えても、人の心が離れていては、世の中を収めることはできない、人を信頼し、情を持って接すれば、人は石垣や堀以上に守ってくれる、ただし誠意を尽くさず、仇で返すような振る舞いをすると、人は裏切り、やがて自分の周りに人はいなくなり、自ずと滅んでいくの戒めです。すなわち、誠意を尽くし、人を大切にすることで人は恩義を感じ、力を発揮し、また離れることはない、人こそ城だと言う理解です。

武田信玄が戦国最強の武将で、風林火山の旗印のもと、史上最強の甲州軍団と言われた所以はここにあります。信玄亡き後家督を継いだ武田勝頼が大敗を喫した長篠の戦いは、『馬と鉄砲』と言われるのですが、歴史研究家の中では、武田武士団の集団自殺とも評する見解があります。

 

馬場美濃守、山県昌景、真田兄弟ら多くの名将が命を落としました。いくらなんでも戦況がわかるのに、鉄砲のある柵に向かって突撃だけを繰り返すのは歴戦の強者たちにはあり得ない、ここを死に場所として、信玄公に殉じたと言う説です。 豊臣秀吉の末路は言うまでもなく、あの織田信長だって、権勢を極める過程で、幾つもの味方からの裏切りに遭っています。

 

織田信長は、父に疎まれ弟を殺しました。武田信玄は、晴信時代父を追放し、その後嫡子義信を自害させました。そんな経験のある武田信玄だからこそ、自らが人を大切にする姿勢を示さなければならないと考えたのかもしれません。部下からも、領民からも慕われ、今なお山梨県民の4分の3は、尊敬する人物として武田信玄を挙げると言われるごとく、甲斐国を強国とし得たのだ思います。ここが裏切りを終始恐れ、自分に従わない者は殺してしまう織田信長と異なるところです。

 

あまりに偉大な父を持った武田勝頼は、気の毒だったかもしれません。しかも、頼りにしたい者たちが、集団自殺したのでは。 『人は石垣人は城』は、歳を経るごとに学ぶべき人生訓だと感じるようになりました。私は、あるお方と同じく、吉田松陰先生を尊敬してもおります。「弁護士の仕事でいちばん大切なことはなんですか?」と問われます。

 

私は、『説得する力』だと申し上げます。説得の相手は裁判所だったり、事件の相手方だったりもしますが、最も説得する機会が多く、かつ、大切なのは、依頼者を説得することだと思っています。依頼者は、不安と不満の塊です。

 

それをどうときほぐし楽にして差し上げられるか、また、心の落ち着きを取り戻し、抱えておられる問題に終止符を打つか、要するに、収めところを見極め、そこに導くように説得することがそれです。そのためには、まずは自分が誠実で、誠を持って接しなければならないのです。今日は、特急あずさに乗車して、これを書いています。電車は、甲府駅に到着しました。