人は石垣人は城、諸国民の公正と信義に信頼すること、どこか似ていませんか?

2016年5月6日
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ゴールデンウィークのころになると、自宅から駅までの間の道路沿いには、ツツジが咲き並びます。白、濃いピンク薄いピンクとてもきれいです。私が通勤のため利用する路線にも、つつじにちなんだ駅名があります。ツツジの花の中には、ハチの姿がよく見られますね。ハチは痛いですが、甘い蜜をもたらします。
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でも、私は、『ツツジ』と聞くと、直ぐに浮かぶものがあります。『躑躅ヶ崎館』です。今は現存しない、甲斐の国主武田家の館です。この館ができたのは武田信玄の父武田信虎時代で、急遽現在の石和方面から、移動しなければならない事情が生じたのですが、父信虎を追放して国主となった武田晴信、後の信玄公は、あえて築城しなかったとされます。信玄を継いだ武田勝頼の時代、甲斐武田家が滅亡した折に、躑躅ヶ崎館も消失しました。『古府中』と呼ばれるその場所は、現在は武田神社となっていて、JR甲府駅からバスで行くことができます。

『人は石垣人は城……』の武田武士(武田節)の唄でも知られる武田信玄の政治力学から、この館は、武田家滅亡の少し前まで、甲斐武田家のシンボルでした。戦国大名が、堅固な城を築城する中、武田信玄は、城を造りませんでした。有名な、『人は城、人は石垣人は堀、情けは味方、仇は敵』がこれです。どんなに堅固な立派な城を構えても、人を大切にしなければ崩壊する、人こそ宝であり、自分の味方であると言う意味と言われます。すなわち、人を大切にし、その力を信じ、その能力が如何なく発揮できるのよう整える、また、人は温情をかけ、誠を持って接すれば、必ず心を開いて力になってくれる、反対に、恨んだり憎めば、人は害意を持ち反発する、武田信玄が、戦国最強の武士団を育成統率できたのは、この力学によると評価されているのです。実際、信玄を裏切って、躑躅ヶ崎館へ攻め込まれたことはありませんし、信玄在命中は、その領土が、他国他の大名から侵されたこともありません。この教えは、人をやる気にさせる企業とは?として、企業戦士のバイブルともなってもいるようです。

人を信頼してこそ自分たちも生きられるの考え方、実はわたしたちも、踏襲しているのです。それは、あの忌まわしい大戦敗戦の経験に基づくものです。あの暗黒時代、本当に人を憎み、鬼畜とも言い放ち、敵に回して結局悲惨な結末を迎えることになりました。そこから生まれたのが日本国憲法です。その前文には、こう書かれています。

『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した』のです。これは、非武装で、何もしないと宣言しているのではありません。まず、自分たちの安全平和は、他人、諸国民を信頼することから生まれる、人に憎しみや仇を感じるようでは、結局それは自分たちに降りかかってくる、日本国民は、先の大戦でそれがよくわかった、だから全世界の人々に先んじて、平和を愛する諸国民を信頼することで、国際社会において名誉ある地位を占めるべく、国家の名誉をかけ、全力をあげて、この崇高な理想と目的を達成することを誓うとしたのです。

最近ある国家が危険だとか、その脅威に対抗する云々が言われているようです。その方法として、例えば軍事力を誇示するとどうでしょうか。相手は、さらに力を持って対抗してくるでしょう。中南米にあるコスタリカは、キューバ、ニカラグァ、ドミニカ共和国、そしてアメリカ、これらが隣国にありますが、常備軍はありません。常備軍がないと言ったのは、万一他国から侵略された場合に、徴兵できるシステムを残しているからですが、現代社会で、軍隊がないところに急遽徴兵してにわか軍を設けても……でありますから、コスタリカには、軍隊はないとなるのです。コスタリカは、中南米の楽園と呼ばれますが、軍隊が無くなった後、侵略されたことも、戦争に巻き込まれたこともありません。日本には、自衛権を行使する必要が生じた場合に備えて、自衛隊は存在しますが。

この自衛隊、現内閣により、いわゆる集団的自衛権の行使ができるとされ、この春施行された法律により、同盟国を救助しなければ日本が侵略されるとして、地球の裏側まで行くことが可能とされました。これが本当に自国への差し迫った侵略なのかどうかの点もありますが、そもそも他国、他の人たちを信頼して初めて自分たちの生存と安全があるとの根本的な決意とは、相入れませんね。

よく、同じ憲法前文の『われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって……』の部分のみが、好んで引用されますが、これは、ある国に助けられてばかりいてはいけないのであって、その国が攻撃されてることは、日本のへの武力行使だから助けに行く!なんて根拠にはなり得ません。この無視してはならないの対象は、いわゆる仲の良い同盟国を指すものではないからです。先に決意したとおり、日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼したのだから、それを無視軽視することは、『自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務』に反する行動だと戒めているのです。要するに各国は、この決意をした日本に見習えと求めているのです。

戦国時代は、国内で争い、だからこそ身内を大切にする必要がありました。今は国際協調社会です。世界の平和、自国の平和は、まさしく他国、他人を信頼してこそ維持されるのだと考えます。仇とまではいかなくても、信頼されていないとわかれば、その相手だって、こちらを信頼するはずがありません。アメリカ合衆国共和党次期大統領候補者であるドナルドトランプ氏は、日米同盟は、アメリカのみが負担を強いられるもので、見直しが必要だと述べています。よく言うよ!と思いますが、それなら結構、アメリカ軍、どうぞお帰りください。思いやり予算なんて言葉が定着して何年かと思いますが、日本の予算も大きく変わることができるでしょう。日本国憲法は、占領下のアメリカが中心になって日本に押し付けたものだと批判する方々は、『トランプ大統領』に言われるまでもなく、『アメリカ軍』そんな有難迷惑なもの、さっさと返上するのでしょうね。

ツツジは、ハチの痛さと蜜の甘さが共存しています。現代の武田信玄は現れないでしょうか。