先日走行中の東海道新幹線の車中で、71歳の男性が、持ち込んだ燃料に火をつけて焼身自殺した事件が起こりました。
人が現に居る公共交通機関での放火であり、この男性の自殺に巻き込まれて死傷された方がおられるうえに、多くの利用者に、多大な迷惑、衝撃を与えたことは、到底許されるものではありません。
ネット等で、非難の嵐となっていることは当然です。 この被疑者の行為自体は、全く同情の余地はありません。
ただ、自殺した動機が徐々に明らかされるに従い、なんとかならなかったのかと悔しく、やるせない思いに至りました。
被疑者は、昨今言われる『下流老人』だったのです。そして、高齢者の困窮を支援するあるNPO法人の代表理事によれば、高齢者の9割が、下流老人に陥る試算となっていると言うのです。 現役時代に大企業や公務所等に勤めたごく一部の富裕層や、生活安定者を除けば、低収入で現役を退き、年金生活に入ったものの、預貯金はなく、頼れる身内友人もなく、生活困窮を訴え、相談する対象もない人々は、誰でも『下流老人』になるのだそうです。
この被疑者は、流しの歌手や清掃廃品回収の仕事等をしながら、約35年間国民年金を納めてきたにも関わらず、受給できる年金額は、この被疑者が住む都内の自治体の1ヶ月の生活保護費よりも少ない12万円なのですから。
前年仕事をしていれば、国民健康保険と住民税だけで、数万円の支払いを要します。 被疑者が賃借する家の家主は、生活が苦しいからと申し出され、1年前より家賃を1.000円減じたこと、2ヶ月分まとめての支払いだったが、遅れたことはなかったと言います。
私はわかります。この被疑者は、受給する年金が、2ヶ月に1回入ったら、直ぐに家賃の支払いをしていたのです。
事件を起こす当日、落ち着いた声で、区役所に電話して、恨んでいない旨言っていたと報じられております。
この被疑者から相談を受けていた区議会議員は、生活保護の申請について話をすることになっていたと言います。被疑者の知人は、かつて区役所に、縄を持って相談に行ったと聞いたことがあると述べており、おそらく生活保護が、なかなかおりなかったのでしょう。
繰り返しますが、私は、この被疑者の行為は、酌量の余地がないもので、彼のこれまでの生き様を正当化するつもりはありません。
ネットでは、死ぬなら勝手に死ねとか、人に迷惑かけず人知れず死ぬ!なんて掲載されています。もし、この方が、人知れず自殺した場合、彼の人生って余りにも悲しいとは思われませんか。貧困は、彼ひとりの罪なのでしょうか。 かつてこの『ひとりごと』でも、案内しましたか、菅原文太さんは、国の責任は、戦争をしないこと 、国民を飢えさせないことだと言われました。
こんな勝手に死ね!の風潮で良いのでしょうか?
生活保護を受けることが悪いかの風潮があることは悲しいです。もし、偉そうな水際作戦ではなくて、自治体が、資金がなくて本当に住民を助けることができないなら、赤字国債を発行し、じゃぶじゃぶ市場にお金を流し込んで株価が上がったと得意顔するではなく、国は、地方交付税交付金を増やすべきでしょう。
第1次なんとか内閣では、『再チャレンジ』なんて政策が示されましたが、既にスタートラインに差がついているところに、競争を煽ってお金をつぎ込んでも、『勝つこと』は困難です。
そしてここ数年、『アベノミクス』であります。この被疑者のように、低所得ながらも、国民年金を納めてきた高齢者が、下流老人になってしまうのは、政治の誤りだと思います。
誰でも下流老人になりうるのです。センセーショナルな事件報道に留まらせることなく、事件の背景事情、遠因について、国民として考えなければと思いました。