一気飲みで放置されて亡くなった元学生の両親が、居合わせた友人らを提訴したと言う報道に寄せて

2015年7月24日

東京大学に在学中の男子学生が、大学サークルのコンパで一気飲みして死亡した『事故』をめぐり、当時の学友ら21名を被告として、死亡した元学生の父母が、損害賠償請求訴訟を提起したことが報じられています。

記者会見した元学生の両親は、一気飲みによる被害は、亡くなった息子で終わりにして欲しい思いから提訴したと、その動機を語っておられました。 『もう、このような被害を出して欲しくない』から、被害者やご遺族が、訴訟の提起などを通じて社会に警鐘を鳴らすことは、残念ながら後を絶ちません。

なんで繰り返されるのか?と義憤に駆られることは、しばしばあると思います。

ただ、この元学生のご両親が、21名を相手どってそのような対応に踏み切った最大の、また、直接の契機は、『一気飲みでぐったした者を別の場所に移して4時間放置したうえ、異変に気付いて救急車が到着したら、その場を立ち去ったことがなんとも容認できないから』と言われるのでした。

ご両親は、苦しんでいた息子は、さぞかし辛かっただろう、もし、誰かが気付いて通報なりしてくれれば、息子は死ななかったと胸のうちを吐露されています。

確かにそうかもしれません。

この感情は、実際このような目に遭った方でなければわからないでしょう。この提訴の事実の報道に対しては、相変わらずネット社会では、『自己責任』の声が多いです。 亡くなった元学生の思いを、推し量ることは難しいです。

本当に、勝手な推測ですが、悔しい、苦しいより、友達甲斐がないことにショックを受けているのではないでしょうか?

私は、この記事を目にしたとき、ご両親と同様、『(救急車が来て、事態が明るみにでたら)よくその場を立ち去れるな』と思いました。 一気飲み自体は、ネット上の意見に与するわけではありませんが、全てがその場に居合わせた学生らの責任と断ずることはできないと思っています。

 

少なくとも法律的には、亡くなった元学生には、結果(被害)に関して過失はあります。自動車事故等でしばしば言われる過失相殺です。

また、21名全員に、この元学生が亡くなったことについてまで、法的責任があるのか、ましてその証明ができるのか難しい問題ですね。21名は、本当に、異変に気付かなかった、それはやむを得ない状況だったのかもしれない、また、仮に早く誰かが気付いていて、通報等なんらかの措置を執ったとしても、元学生の命は、残念ながら救えなかったかもしれない、これはしばしば裁判等で過失、予見可能性、相当因果関係と言われる部分です。

しかし、そうであればこそ、ご両親、そしてその代理人弁護士にはそんなこと、百も承知のことなのです。この3年間、ずっと気持ちを温めていたのでしょうか?

そうではないでしょう。

ちなみに、不法行為の事実および加害者知って3年経過すると、損害賠償請求権は、消滅時効が完成します。

さて、そんな思いでおりましたら、最初の報道の翌日、こんな新聞報道がありました。これを記事にしたのは、安倍晋三内閣総理大臣、そして安全保障関連法案、さらにはかつてこの『ひとりごと』でも書いた『ギャグ先生』からの評価等等について、特にこのところ福本悟が、その特徴(特異?)をご案内する大手新聞社でした。

 

その報道によれば、事故後これまでの間、元学生のご両親は、その場に居合わせた彼の友人らをあたり、話をし、また、彼らからの話を聞いて十数人と『和解』したのだそうです。

『和解』の内容はわかりません。これまた勝手な推測ですが、いくらかの和解金、その金額としては、お見舞金程度だったかもしれませんが、それを授受し、例えば亡くなったこの元学生のことを生涯友人だったと思い、悲しい不幸な事件を忘れないことをこころに誓うこと、あるいは、飲酒事故撲滅のために、なんらかの社会的活動を行うことなどが、内容になっているのでは?と考えます。

これは、弁護士的視点であります。 ところが、今回被告となった21名は、「法的責任はない」と応対したのだそうです。それはそうかもしれません。刑事上は、その場に居合わせた者に、保護責任を負わせることは難しいです。民事上も、先程来挙げたとおり、その立証等には、幾つものハードルがあります。

しかしながら、だからこそ、また、私が弁護士だから言うのかもしれませんが、和解?を拒絶した21名(全員がそうなのか、新聞報道の限りではわかりません)は、間違っていると断じます。確かに防衛本能はわかります。

あれから時間が経過しました。元学生のご両親には、時間は止まったままです。元学生は、還ることはありません。くだらないネット上の意見はともかく、ご両親は、何億かのお金が欲しくて何人をも提訴したわけではないのです。

いつまで経っても 友達甲斐がない連中、あるいは、もう友だちではない、関係ないなんて態度こそ、容認できないのでしょう。

私に言わせれば、「何が法的責任はないなんて言えるんだ。偉そうに。ふざけるな!」であります。

 

ご両親、そしてこの案件を担当された代理人弁護士のご苦労は、いかばかりかとお察しします。

3年間、当時の学生らを訪ね、一人一人和解の機会を求めてきたのです。何もしなかった、単に大金を請求したと言うものではないのです。『和解』を拒絶した?21人は、世間から低い評価以上に、この方々も、ずっとひきづるのだなと、有る意味かわいそうです。

『和解』は、ひとつの形式に過ぎないのかもしれません。しかし、この形式により、それぞれの節目となり、リスタートする千載一遇のチャンスとなるものです。 この報道については、いろんな意見、評価があるでしょう。

◯◯新聞社も、良いこと書きますね。「それはそうだろう。」ギャグ先生はもちろん、有る方向から教えられそうです。