保守でもなく、リベラルでもない政治

2015年7月28日
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先日あるテレビが、『戦後70年ニッポンの肖像』と題するテーマを放映するにあたり、『戦後を最も象徴する人物』のアンケートを行ったところ、吉田茂、昭和天皇、美空ひばり氏らを押さえて第1位となったのは、田中角栄元内閣総理大臣でありました。

 

私も、まあ、そうだろうなと感じます。 田中角栄氏は、『日本列島改造論』で知られます。

 

また、その象徴とも言われる越山会、新潟の寒村出身の学歴なき宰相であることを強く打ち出して、高度経済成長を地方に齎す、日本の政治は地方からとして、高速道路をはじめとするとする公共事業を打ち出し、また、福祉元年を掲げつつ、後の自民党政治の骨格を築いた人との印象を持ちます

田中角栄氏のやり方は、後に田中政治とか、金権腐敗などと批評されました。その基本は、成長の果実を地方に分配する、豊かさを求める国民に応えるべく、お金を落とすことで政権の座にあり続ける方法と言ってよいでしょう。

 

東京目白の田中邸には、『目白詣で』と言われるごとく、陳情の団体がバスで乗り付ける有り様でした。成長を分配する手法で、自民党への集票に結びつける、これは中選挙区制のもと、同じ党の候補者が議席を争うシステム上、自ずとボスからお金を貰って選挙戦を繰り広げることから派閥が生まれ、また、分配される果実のもとに人は集い、群がるため、既得権益の温床となったとも称されるのです。

 

確かに、経済が成長し続ければ、果実を分配し、その見返りを受けることは可能でした。しかし、低成長時代に入り、お金は入らないのに、成長を支えるシステムでもある既得権は肥大化したため、これの維持等のため、国の借金は増え続けたのでした。田中角栄氏自身、総理大臣を退いた後、5億円の賄賂を受領したとして、ロッキード事件で有罪判決を受けたことは、田中政治の象徴だと思われます。

田中角栄氏が、佐藤栄作氏の後の内閣総理大臣に指名される前提となる自民党総裁選は、『三角大福』と言わるごとく、後に全員内閣総理大臣を歴任するヒートした選挙戦でありました。この選挙戦、予想では、佐藤栄作氏、岸信介氏の兄弟の流れを汲む福田赳夫氏の優勢が伝えられておりました。しかし、総裁に選出されたのは田中角栄氏で、もう、このときには、『分配』を起点とする田中流親分子分の関係、派閥政治が構築されていたとも言われるのです。

 

さて、この選挙戦を生涯忘れ得ぬ人物がおりました。後に、「自民党をぶっ潰す!」「この内閣に反対する勢力は、全て抵抗勢力!」と言って、分配から競争を持ち込んだ小泉純一郎氏であります。

 

小泉氏は、師匠福田赳夫氏が、田中角栄氏に敗れたことを知ると号泣し、夜明かし福田氏の側に居たそうです。 確かに、分配を続けるには、資金が必要で、高速道路やダム建設等いったん決められた公共事業をゼロベースに戻すことは容易ではありません。ある意味地方の思い、あるいは福祉の重要性を言っても、抵抗勢力だとか既得権だとか言われるので、小泉政治には、反旗を翻しにくい感はあったでしょう。

 

小泉氏得意のわかりやすい、単純な言葉に国民が酔いしれた面もありました。小泉内閣の発足時の支持率は、過去の自民党内閣の最高値を記録しました。 小泉政治は、肥大化したシステムに切り込み、民間の競争力を高め、能力ある者が勝利するいわば新自由主義であり、『小さな政府』を目指すものです。

 

その結果、確かに不要なモノはなくなったとは言え、守るべきものが失われ、福祉は冷え込み、国は、国民の面倒をみない、競争社会が齎されたのでした。第1次安倍内閣も、基本的には小泉政治承継しており、私はしばしば、「競争が成り立たないところで競争させている」「競争原理を持ち込むべきところではないところに競争原理を持ち込んでいる」と評しました。

さて、NHKの討論では、同じ自民党でありながら、手法の違う政治が行われたこと、そして現在の安倍内閣はどうなのか?について、こんな見解が述べられておりました。もともと保守に対立する言葉はリベラルであり、保守は、文字とおり読めば組織を守ること、リベラルとは、みんなに富や幸を分配することである、田中角栄氏は保守で有りながら分配をした、これは福祉政策に見られる革新勢力の立場に近い、小泉政治は、分配をなくしたが組織をぶっ潰した、この交錯が、自民党政治の矛盾であり、行き詰まりだとするものです。

なるほどと感嘆しました。それでは安倍晋三氏の政治は何なのか?について、こんな答えが述べられました。「あれは保守であり、イデオロギーである。」そうですか。なんとなくわかります。安倍晋三氏の言動を追えば、ご自身の世界観、物事に対する独特の観念をお持ちなのでしょう。

ですが、幸徳秋水以来、日本におけるイデオロギーとは、愛国主義と軍国主義の産物、あるいは、大正デモクラシーの時代、日本の独特性と言う欺瞞により、政治や自由を抑圧する用語としてイデオロギーが使われたことを忘れてはならないでしょう。

 

私は、田中角栄氏を称賛するものでも、小泉純一郎氏の子息小泉進次郎氏の応援団でもございません。でも、復古主義的イデオロギーには、戦後憲法を学んだ人間として、どうしても馴染むことはできません。昭和と言う時代、捨てたものではなかったですね。