学校給食費の支払いは、したくないのかできないのか

2015年7月10日
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『学校給食費の未納が3ヶ月間続いたら、翌月から給食の提供を停止します。その間は弁当を持参させてくださいーー。』

 

首都圏のある自治体の中学校が、こんな通知を保護者に出したところ、該当する40何世帯全部が、納付するか納める意思示したーー。

 

こんな事例が、新聞報道されています。 市内にある4校の生徒1人あたり月額4,500円の給食費の滞納額が、4月から6月までに約180万円となっていて、このままでは食材購入ができない恐れが出てきたとして、学校として、このような方針をとったと言うことです。

 

保護者に配布した通知には、『給食を停止する際にはお子様にも告知する』『有料なものには相当額の支払いをするのは社会のルール』などと明記したとも言われます。

 

学校の先生に教えられるまでもなく、これらご家庭のおとなたちが、『有料なものに相当額の支払いをするのは社会のルール』であることはわかっていたでしょう。

確かにズルをするおとなたちがいるのも事実でしょうし、あるいは、先生らに敵対心を剥き出しにする、クレーマーのような人もいるでしょう。実際効果があったようですし、市に寄せられた意見のほとんどが、この4校のやり方を支持するとのことでした。

でも私は、これはおかしいと考えます

 

まず驚いたのは、給食費の管理は、各学校に任せる私会計方式がとられていることです。

そのため担任教諭らが、未納家庭を訪問し、お願いをし、就学援助の仕組みを説明する例なのです。

離婚や破産の事例を担当し、かねてより私は、なんで給食費は、別に納めなければならないのだとの疑問を持っておりました。確かに学校に行く行かないに関わらず、ご飯を食べる必要はあります。

 

ですが、学校で皆と一緒に食べると言うのは、教育に含まれる、そのひとつの場面なのではと思います。

私が大好きな福岡市、その教育委員会について、以前批判的な意見を述べましたが、福岡市教育委員会の健康教育課の見解は、『給食は教育の一環として実施している。給食の提供は市の責任であり、未納を理由に食べさせないとことは考えていない』であります。

 

今度は、『良いこと言うな‼︎』です。

 

福岡市のように、一般会計に予算計上して、一括管理する公会計方式にするまでに至らなくても、なんで件の自治体は、『学校任せ』にするのでしょう。

 

先生たちは、昨今の教育改革だの行政改革などにより、少ない人数でやることがたくさんあります。

子どもと充分コミュニケーションがとれないと嘆く先生が多い中、未納家庭を訪問して、給食費の納付をお願いするとか、福祉制度の説明をするとか、これは教育の一環なのでありましょうか。

 

特に、学校間を競わせ、先生の成績に影響するような流れの中、教育現場が心配です。

取り立てに先生を使うようでは、心情的にも、先生と生徒保護者との間に、信頼関係は構築できるのが、不安になります。 この『ひとりごと』のどこかで申したかもしれませんが、債務を抱え、失業し、お金がなくて生活保護の申請に出向いた依頼者が、自治体の『水際作戦』により、ボロクソ言われて追い返された例がありました。

この方、当然給食費なんて、お金がないので支払えません。給食費を滞納していることがわかって、子どもが虐められるのではないかと心配しておられました。

件の4つの学校で、もし『お弁当』を持ってきた、あるいはそれすらできなかった子どもがいたらどうしたのでしょうか?お金の支払義務があるのは親であり、子どもには罪はない、子どもは教育を受ける権利があり、学校に行くことが保障されなければなりません。

 

私は、ある裁判所で、長年司法委員を務めております。

司法委員とは、民間の協力により、健全な市民の感覚、社会常識と言ったものを民事裁判に反映させるため、簡易裁判所の民事事件で当事者間の和解を試みたり、訴訟の審理に立会い、意見を述べる民間から選ばれた非常勤の裁判所職員です。

例えば、携帯電話の支払いしていない等数万円の支払いを求められて提訴される例もあります。裁判になる人は、本当に支払えない人です。その事情を聞くと、必ずしもその人のみの無責任でそうなったとは言い難いケースがあります。

 

本当に支払えない人、生活保護を受けている人等については、たとえ本当が支払いたい!と仰っても、司法委員として和解は勧めません。 私は、この4校のある自治体は、学校に取り立てをやらせるではなく、裁判所の手続きを執るべきだと言いたいです。

その過程で、自治体の担当者は、裁判所司法委員を交え、被告となった滞納者が、ズルして支払わないのか、本当に支払えないのか見極め、支払えない家庭の子どもから、教育を受ける権利を奪うことにならないよう、その後の対策を考えていただきたいと思うのです。

 

一年に一回、そして一生に一度

2015年7月9日
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日本列島周辺には、6月末に発生した3つの台風が近づき、その影響で、7月に入って全国的に雨の日が多く、東京などでは、梅雨冷えなんて言われております。この時期に、台風3個が列島に影響するのは13年ぶりだそうです。

この関係で、7月7日の七夕は、夜空に天の川どころか、星を眺められる地域は、ほとんどなかったのではないでしょうか?

七夕とは、江戸時代には5節句に数えられた笹の節句、星祭りとも称されますが、天の川を挟んで織姫彦星の伝説が有名ですね。

でも、梅雨空で天の川なんて……と恨めしく思う向きもあろうかと思いますが、もともと七夕は、旧暦の7月7日に行われていて、これが新暦になって、折から梅雨に当たってしまったのでした。

ですから、仙台市なとでは、8月に七夕祭りが行われるわけです。

織姫彦星の物語は中国(だったと思います)の故事で、これが遣唐使?を通じて日本に伝えられたのだと聞いております、その昔、天の川の西側に織姫と言うお姫様が住んでいて、美しい機を織るこの姫君を、父天帝はたいそう慈しみ、結婚相手には、天の川の東側に住む働き者の牛使い彦星を選んだところ、このふたりは仲睦まじく、いつも一緒に居て、働かなくなってしまいました。

怒った天帝は、天の川を隔ててふたりを離れ離れにしたのですが、あまりに可哀想に思え、七夕の夜に限ってふたりを合わせることにしたと言う物語であります。天の川に輝く琴座のベガが織姫すなわち織女星、鷲座のアルタイルが彦星すなわち牽牛星で、夏の星座を探す目印ともなっているのです。

なんか福本悟に似合わないお話であります。

私が言いたいのは、七夕の夜のように、1年に1回しかないもの、これは世の中には結構あるのではと言うことです。1年に1回どころか、おそらく一生に一度の結婚式は特別でしょうが、弁護士に何か依頼するのも、一生に一度あるかないかが現実だと思います。


そんなふうに考えれば、私どもは、皆様の人生に、とてつもなく大きなエピソードをもたらしていることになります。

私自身の仕事でも、『1年に1回』はあります。例えば、株式会社の定時株主総会総会がそれです。
また、かつては、子どもと離れた親が、1年に1回我が子と面接することもありました。
何気無しに過ごしてきましたが、当事者にとりましては、とてつもなく大きく、また緊張する場であります。自分の誕生日が1年に1回は当たり前、なんか緊張感なく歳をとっていくようです。

そんなときは、織姫彦星のロマンチックな伝説に思いを致すことなど、良いのかもしれません。

子ども心に帰り、また、短冊に願いを立てた?青春時代を思うのもまた一興しょうか?今年は、夜空に星を眺めることはできませんでした。

来年は、どうでしょう。


今、国会でなされようとしている事柄を考えると、どんやりした梅雨空が続いてしまいそうです。天から光がさす日が訪れるでしょうか。

 

オヤジギャグは、自分が言いたいことを優先する特徴かあります。

2015年7月8日
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私は50代ですが、人を笑わすことは苦手です。

 

面白いこと、可笑しいことをやって、その場を和ませるのは、若い人やその道の達人にお任せすれば良いと思います。

最近、ある勉強会に講師として招かれたやがて60歳になろうとする男性が、「ギャグを言った」として、話題になっています。と言うよりも、ご発言後、ご本人がギャグだと仰っているだけで、その場に居合わせた勉強会参加者や、その上司、さらにはギャグ?を聞いた多くの人たちは、どういうわけか、誰もギャグだとは受け取っていないようです。

 

ご発言の内容は、米軍普天間基地の辺野古沖移設に反対の世論が強い沖縄県を代表する新聞社2社を、「潰さなあかん」と勉強会に参加した『生徒』の質問に対して答えたものです。

その理由も、きちんと説明されました。なんでも普天間基地の周りに基地があるのを認識して人が集まり、地主となった方々は、大金持ちとなったから、本当は基地の移転を望んでいない、基地従事者の性的暴行事件が基地移転問題の契機となったが、米軍関係者より、県民によるその種事件のほうが多い、中国から、県内の何処か一つでも奪われたら、この新聞誌を購読する県民も、目を覚ますのではないか云々であります。

 

生徒たちは、ギャグでありながら、あまりにおかしくて受けたのか、拍手したそうです。

 

でも、この講師さん、おかしなことも仰っていました。

 

ギャグを言ったのは、この勉強会が、居酒屋での会合みたいなものだからであって、それなのに、こんなギャグに聞き耳立ててマスコミが流すのは卑怯だと言うのです。

 

確かにギャグの目的は、その場を和ませることでしょう。熱心に勉学に励んでお疲れになった生徒から、講演終了のころに出た質問ゆえに、ギャグを披露されたのかもしれませんね。

 

でも、勉強会は、居酒屋談義とは違うと思うのですが。

この生徒さんたち、居酒屋に出向いてギャグを聞きに行く時間なんてないはずなのです。だって、このギャグ先生の勉強会と同じ日に並行して行われる予定だって他のメンバーの勉強会は、まさしく今、この団体が直面する重要問題に直結するテーマだったにも関わらず、上司から、そんな時間はない!として、中止が決められたのですから。

 

ギャグ先生は、新聞社をネタにするのはお好きなようです。このギャグが世間から注目されたところ、卑怯な振る舞いをしたとされる新聞社3社を挙げて、「本当に潰れて欲しい」とツイートしたそうですから。

 

でも、こちらは、ギャグとは言われません。とある団体の勉強会ではないから、ギャグを発したことで、その場に居た生徒が、上司から、お叱りを受ける心配がないからでしょうか。 ひところ『オヤジギャグ』と言う言葉が流行りました。

 

これは単純でわかりやすく、安直であるがゆえに笑えないために、聞き手に苦痛を与える類いのギャグ?を意味しました。

 

このギャグ先生、関西方面の方のようですが、かつて例えば、『そんな洒落、言いなシャレ』『痔になったん。そらひさんや大黒堂』なんてありましたね。

 

でも、オヤジギャグは、相手を楽しませることよりも、自分が言いたいことを優先するところにその本質があったのではないでしょうか。

 

なるほどこのギャグ先生、見事に言いたいことを言いましたね。

だからこそ、沖縄県の新聞社2社についてはギャグ、卑怯な振る舞いをした大手新聞社3社は本当にキライ!やはりどちらも本音だったのでした。

 

それにしても、ギャグの場に、すなわち居酒屋談義に居合わせた生徒さんが、上司から処分されたのは、お笑いで済まされないのでは?あのギャグ先生からは、こんな声が聞かれそうです。「それもギャグや」。

 

確かに、この団体が、今進めようとしている事柄は、悪い冗談にしても決して笑えませんから。

札幌転勤者も、福岡転勤者も、東京都民も3度泣く?

2015年7月7日

『札幌転勤者は3度泣く』をご存知ですか?サラリーマンの悲喜交々も言い当てた言葉です。

 

1番め、最初は、突然上旬から、札幌市への転勤を命じられたとき、「あぁ、あの寒い北海道に飛ばされるのか」と泣き、

2番めは、札幌で、最初の冬を迎えるとき、

そして3番め、最後は、札幌転勤を終え、いよいよ札幌市を離れるときに泣くのです。

 

札幌市にはよく行く私も、なんとなくわかる気がします。サラリーマンが購読する雑誌で、『転勤したいところ』の上位に、必ず札幌市は入ります。神戸、仙台、広島市などは常連のようです。

 

さて、実際転勤を終え、東京などに帰ってきたサラリーマン、特に単身者が、『転勤して良かったところ』のほぼ1位は、様々なアンケートによっても、福岡博多となっています。

さあ、また福本悟の福岡自慢が始まりました。

 

先ほど、『なんとなくわかる気がします』と申し上げたのは、初めて福岡、九州に踏み入れた25歳の4月、ブルートレイン『あさかぜ1号』博多行きに乗車して、下関駅を出たときの思いが、フラッシュバックするからです。

 

このときまで私は、実家暮らしでした、 あさかぜ1号の車掌さんが、『これから関門トンネルを通過します。トンネルを出たら、次は、九州の門司です。』とアナウンスしました。直後、トンネルに入り、なんとなく感情が高ぶったことを覚えています。門司駅に到着すると、機関車を交換するため停車時間があって、車外に出て、思いっきり最初の九州の空気を吸いました。

 

そして、この先、まさか福岡にこれほどハマるなんて、全く予想できないことでありました。

福岡市から帰ってきた27歳の11月、前夜は、福岡市で知り合った友人宅に泊めていただき、新幹線博多駅で『ひかり号』が発車したそのとき、『ありがとう』と不覚にも涙が出てきました。その後、毎年福岡市に行き、我が家に居る20代後半にもなる息子たちも、縁あって、福岡ファンとなっているのです。

 

今や福岡市は、我が家にとって、心の中の帰省先でもあるのです。

 

福岡市の人口は150万人を超え、政令指定都市中、福岡市の人口増加率は1位です。人口が増え続けているのは、それなりの理由があるわけです。地元紙西日本新聞が、纏めたところでは、3つほど理由があるようです。

これら理由から『暮らし易さ』が魅力となるのだと結論づけられています。衣食住ですが、今日は省略します。 いつも思うのですが、東京って、魅力ありますか?食べ物はマズイ、物価は高い、通勤が大変、老人ホーム(特養)や保育園には入れない、自然がないし、危険ばかり等等。そのくせして、なんでも東京東京の風潮は、愉快ではありません。

最近では、新国立競技場建設問題が起きています。 東京オリンピックのメイン会場になる新国立競技場は、2500億円の建設費用がかかるようです。新国立競技場の建設は、東京オリンピックの招致が決定する前に、1300億円くらいの費用を見込んでいたらしいですが、流線形の綺麗な姿にするために、費用が増大し、また、工期が間に合うのかも指摘されていて、この増額分を、東京都が負担するのか等、迷走状態です。

 

北京、ロンドンのオリンピック会場が、400億とか650億円とか言われていて、なんでこんなにお金をかけなければならないのでしょうか。

なんか首都東京を凄い!と見せなければならないような感覚なのでしょうか。東京にだって、普通に暮らしている人、暮らしたいと願っている人が多数のはずです。

 

暮らし易さこそ、その土地への愛着になるのではと思います。東京都民として、あのハコモノは、要らないなと思います。

 

外国からのお客様は、アレが目当てでいらっしゃるのではないでしょう。

東京以外の地域の皆様は、この新国立競技場建設を巡る騒ぎを、どんなふうに感じられるでしょうか?

 

『新国立競技場に3度泣く』は嫌ですね。最初は、東京オリンピック開催が決まったとき、2度めは、オリンピックが現実にここで開催されたとき、そして最後になって、オリンピックが終わり、まさかの負の遺産となってしまったときなんてならないことを、東京都民として願っているのです。

偉大なるイエスマンの今と昔

2015年7月6日
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今、都内を歩いていると、2020年東京オリンピックのバッジを着けている人を見かけます。その東京オリンピックで、新たに競技に加えられる種目に関して、誘致応援活動がなされています。スカッシュ、テコンドー、ボウリング等が対象とされています。

その中で、もし正式に競技種目に決定されたら、日本代表の選考に、ユニークなやり方をする種目があります。ボウリングがそれです。要するに年齢問わず、誰でも予選に参加できるのだそうです。このニュースを扱った番組のキャスターは、「ピンが倒れる前に、ボウラーが倒れるのでは?」と、全然心配した感じなく、軽口をたたいておりました。

選考過程には、いろいろご苦労されるでしょうが、まず、正式種目となるための努力してるなと感じました。ボウリングと言うスポーツに、国民が注目する契機ともなります。そして、現在ボウリングをやっている方々に、やる気を起こさせるでしょう。「東京オリンピック代表予選に出た!」と言うのは、ひとつの勲章となるかもしれません。

『誰でも参加』は、よく聞く言葉です。でも、なんか自分には遠い存在と思って引いてしまうものでもあります。確かにオリンピックは、「参加することに意義
がある」と言われたものです。私も、自分はやっていないのに、サッカーの4級審判員の資格取得したときは、嬉しかったものです。

そのボウリングを普及しようとする全日本ボウリング協会の代表に、懐かしい顔を見つけました。

元自由民主党幹事長武部勤氏です。武部氏と言えば、小泉純一郎元内閣総理大臣時代に、郵政民営化を率先忠実に行い、郵政選挙では、造反議員の選挙区に刺客を立て、ご自身仰っていた『偉大なるイエスマン』は、当時の流行語にもなりました。

郵政選挙である意味敵を作ってしまったこの方、ある選挙区の応援演説で、『最初はぐー、斎藤健』なんて絶叫したところ、与党議員から『最初はぐー、武部はパー』なんてからかわれてるように、上司に忠実なあまり、生き生きとした表情をなされない印象がありました。本当に、真面目な方なんだなと思いました。

その武部勤氏、政界を引退後、久しぶりにお姿を拝見しましたが、いい顔していましたね。ボウリングをされていたからか、若返ったように見えます。あれなら、まだまだピンを倒せるでしょう。

マイクを向けられて、ご自分の意見を述べておられました。

さて、今、与党議員は、どんな心身の状況で、日々生活されているのでしょうか。あるいは、ガス抜きになっていたかもしれない国会、委員会でのヤジも、どなたかのヤジがきっかけで、国民的関心が持たれ、なかなか発せない心理状態になったと思われます。安全保障法案の件から早く解放されたい!とお考えかと推察いたします。

ただ、これから解放されたは良いが、武部勤氏のように、全部やり遂げて、自ら政界から引退するではなく、志半ばで、先の法案に賛成した、それは決して『偉大なるイエスマン』なんかじゃないとして、選良により、『引退』『失業』に追い込まれるかもしれません。

そんな余計なお節介までしたくなる武部勤氏の清々しいお姿でありました。
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