人間は自力だけでは生きていけない、他力本願の教えは、他人に優しくすることに通じます。

2016年9月7日
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東京都下の病院5階から、遠くスカイツリーが望める穏やかに晴れた朝でした。私の母は、88歳にて、阿弥陀如来のご本願により、生まれし浄土に還ることができました。天気同様穏やかな表情でした。
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私ども浄土真宗本願寺派では、故人は即往生し、極楽浄土で、私どもを見守る立場になられたわけですが、『門徒物知らず』と揶揄されるごとく、これからの諸事には、いろいろ難儀が予想されました。

最初にやらなければならないのは、葬儀場の確保、すなわちこれを執り行う業者への連絡、打ち合わせです。

この歳になりますと、結婚式より葬式に出る機会が多く、経験上火葬場がたいへん混雑することを知っているからです。これは冗談ではなく、数分間の打ち合わせ中に、火葬の時間が埋まってしまうことがあるのです。これも冗談ではなく、葬祭会社と、『事前予約』が可能となっています。特に互助会等に予め加入していると、『予約』は、3日間有効なんてところもあります。つまり、優先的に焼き場を押さえるシステムが存在すると言うことです。施主すなわち喪主を務める私は、予め『事前打ち合わせ』をしておりましたが、病院の窓から外を眺めている暇はなく、日程調整、すなわち焼き場を押さえる手配をしました。

さて、困ったことに『友引』がありました。

これは浄土真宗の門徒には、逆の意味で『難問』なのです。すなわち、浄土真宗では、吉兆等全く関係ありません。教義は他力本願、阿弥陀様のお慈悲により、即成仏できますから、成仏を妨げると言われる諸々は、全く気に留める必要がないのです。

そもそも『友引』は、中国の六曜に基づくもので、仏教徒とはなんら関係がない上に、もとは『共引』、要は引き分けを意味する言葉だからです。それは六曜が、闘いや勝負事から生まれた歴史を振り返れば当然と言えるのです。でも、葬儀に参列される方はどんなふうに感じられるかで、私たちは悩むのです。友引には、休業の葬儀場さえある現実から、友引が入ると、さらに火葬場の予約が困難になるのです。

結局、浄土真宗本願寺派の門徒でありながら、私は、『一般常識』を執りました。そのため葬儀は、まる4日後になりました。また、死は汚らわしいものではなく、即成仏して、極楽浄土で無力な私たちを見守り、お救いになる立場になられたわけです。当然参列された方には、『清めの塩』は要りません。でも、ある浄土真宗のご葬儀で、会葬御礼に塩が入っていないことに文句を言われた場面を見たことがあります。それで私は、会場の脇に、『清めの塩』を置く対応をいたしました。

保育園の建設反対運動もそうですが、火葬場の建設についても、強い反対運動があるようです。少子高齢化社会なのに、いずれも不足が言われはのはどうしてでしょう。火葬場にお世話話にならない人はいないと思います。確かに一生一回ではありますが。私は、あちらこちらで共生共存の大切さをいつも言いますが、優しくないですね。私からすると、友引はダメなんて風習?を持ち出す前に、火葬場の建設を含む人の最期の時を安心安全に不安なく送れるように対応して欲しいと思います。

また、少子高齢化社会、核家族化が進み、墓所を承継する人が少なくなっているいっぽうで、新たに公共の霊園等の墓所の確保も、難しいと言われます。これも、住宅事情や地価の高騰なども影響しているのでしょうが、やはり人の生死は、自分には関係ない、むしろ『そんなもの!』迷惑だと考える国民が増えているのではないかと思ってしまいます。今の自分がいるのは祖先がおられたからであり、日本国民として、安寧のうちに暮らせるのは、先人たちの弛まぬ努力があったからです。これまたいつも申しますとおり、優しさが無くなったに通じます。

浄土真宗では、阿弥陀如来のご本願により、これを信じ、南無阿弥陀(本願寺派では、ナモアミダブツと言います)を念じれば、仏様になることができます。我々は凡夫であり、完全にに他力本願です。自分では何もできない、だから他人にも寛容になるべきと思えるのかもしれません。難しい教義はありませんし、決まりしきたりもありません。

親鸞聖人は、僧籍者として最初の妻帯者と言われます。肉も食べ、酒も飲みます。苦行はありません。ごくフツーです。その普通の生活、人の一生の中で、保育園幼稚園、学校も必要、そして最期のときは火葬場です。その間病院や介護施設も経験するでしょう。

普通の生活、人として避けられない生活であるがゆえに、排他性を嫌うのも浄土真宗の本質です。私が浄土真宗本願寺派の門徒となったのは偶然ですが、そして、真面目な門徒様からすると、テキトーで叱られるかもしれませんが、他力本願は、人への優しさに通じると悟ったものこのご教義があればこそでした。

それでも凡夫、私は、迷いながらも一般常識に従った通夜葬儀を執り行う前の日、この『ひとりごと』を書いています。母が生まれし浄土に戻った日、病院から眺めた都内ののどかな風景は、心に刻まれるものとなるでょう。ありがとうございました。