オリンピックと言えば、東海道新幹線を思い出す世代です。

2016年9月13日
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2度目の東京オリンピックが2020年に開催されます。住んでいる都市で、オリンピック開催に2回も当たるのはラッキーと言えましょう。

 

もっとも、1964年のオリンピックは、小学校1年生ときであり、ほとんど記憶、印象はありません。むしろこのときの東京オリンピックが、戦後復興の集大成、日本の高度経済成長のシンボルだったと学校で習ったことが思い出されます。 東京オリンピック、高度経済成長のシンボルとして、真っ先に挙げられるのは、東海道新幹線ではないでしょうか。

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夢の超特急とも言われた新幹線ひかり号、子どもこころにワクワクした思い出かあります。当時は、都内大田区に住んでおりましたが、最寄駅の下に新幹線の線路があり、小学校を出たところに橋があって、そこから眺める富士山と夕焼け、その中を疾走する新幹線は、とても絵になる風景でした。小学校高学年のとき、『郷土研究クラブ』と言うサークルの長をしており、地域の歴史と新しい『我が街の新幹線』を研究するのは、夢がありました。あのころを思い出す2度目の東京オリンピックです。

 

今日は、東京駅から東海道新幹線に乗車しています。

 

今年は、新幹線に乗車する機会が多いです。新幹線に乗ると、必ず⚪️ー⚪️になるので、大阪以遠の行き来は航空機にしております。今日は日本列島ほとんど雨模様、停電の影響で遅れが発生なんて車内で案内がありました。実際、乗車している列車も、雨が激しくなった静岡県内で、途中停車しました。外は霞んでいて、車窓からの景色を眺める楽しみもありません。富士山どころではありません。 子どものころ乗車した新幹線、司法修習生として赴任した福岡市との行き来で利用した新幹線、いくつか思い出があります。午前中に東京を出るときは、進行方向左側が太陽となります。

また、富士山は、左側からは、ほとんど目にすることはできません。私が思い出深いのは、進行方向右手で、静岡駅を出てしばらくしたころ見えるお茶の葉を集めて、『お茶』と書いてある茶畑です。グリーンが綺麗です。また、なぜか浜名湖では、小舟で漁をしている姿が見られます。何を獲っているのでしょうか。冬は、関ヶ原付近のみ降雪になります。東山トンネルを抜けて見える京都タワーも、私の中での『これぞ京都』です。新大阪駅に停車するとき、よく大阪伊丹空港へ向けて降下する航空機が見えました。 現在東海道新幹線はJR東海が、山陽新幹線はJR西日本が担当しています。博多からは九州新幹線です。車両は変わらないですが、乗務員は、途中で変わります。今は不思議ではありませんが、国鉄分割民営化直後は、やはり会社が変わったのだなと感じました。それと変わったことと言えば、食堂車ビュフェが無くなったことです。

 

昔は、車内販売もそれはうるさいくらい頻繁に通路を通りました。最近では、『車内販売はありません』と放送された経験をしました。 現在東海道新幹線は、車内にコンセントが設置されていて、パソコンを操作するサラリーマンの方、があちらこちらにおられます。まあ、そうでなくて、スマホをいじる方の方が多い感じですが。慣れない私は先日、差したままのコンセント、そのままにしていて、車内に忘れてしまったことがあります。今日は、忘れないぞ!でも、今も昔も変わらないところもあります。

 

トイレは、奇数号車の後方ですね。あと、指定席と自由席があります。この点、JR東日本の『はやぶさ』や『かがやき』は、全車指定席です。 それにしても、途中ひどい雨でした。新幹線は、やがて名古屋駅に到着します。少し雨が収まりつつあるようです。名古屋は、JR東海の本社があり、建設中のリニア中央新幹線の始発駅でもあります。なんでも高速化になり、これでは出張族は、軽く『行ってこい!』とハードな出張が続くでしょう。

 

東京オリンピックを前に、老朽化した高速道路のメンテナンスや改修工事こそ急務と思うのですが、夢の超特急を超える列車を運行させる意味あるんですかね。

 

ただ、これまで交通に難があった都市は、リニア中央新幹線の開通で良い効果が出るでしょう。政策減税を得られたJR東海、今度は、リニアで開発費が出されますが、これによりリニア中央新幹線が停車するようになれば、『地方創生』ってことになるのでしょう⁉︎それとも⚪️⚪️ミクスの効果⁉︎リニア中央新幹線の開通は、東京オリンピックには、間に合わないようですが。

 

日本人にとって、オリンピックと新幹線は、対を成すでしょう。なんとなく懐かしい新幹線に親しみを覚えてこの『ひとりごと』を書いております。