保育園開園中止・延期問題の本質を考えましょう。

2016年6月13日
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東京23区と日本の20の政令指定都市、そして1年前、待機児童数が100人を超えていた39市町の合計82自治体を対象に実施した待機児童調査で、今年4月に開園予定だったのにこれが中止・延期になった認可保育所等は、15自治体で、49園あったことが明らかになったそうです。

 

このうち、『住民との調整』が理由だったのは7自治体で13園、その理由は、子どもの声や車の通行量増加等への懸念から、住民の理解が得られなかったのだそうです。これは、事実なのでしょう。でも、これ『調査』をした新聞社、安倍晋三内閣総理大臣、そして自民党からかつて目の敵とされていたと言われていたのに、参議院議員選挙前に、報道した意図はなんでしょう。

 

私は、子どもの声が聞こえる社会は、とても大切だと思っています。

 

中止や延期になった13園のうち4園が中止を決め、6園が開園時期は未定なのだそうです。「ほら見たことか。保育園が開設できないのは、安倍政権の責任じゃないだろう!」って声が聞こえてきそうです。

 

待機児童問題は、政府与党として充分やっていると反論がでそうです。 住民の反対の声としては、「静かな地区なのに、子どもの声でうるさくなる」「調理室から臭いがでる」「保育園の送迎で、車や自転車の通行量が増加して危険」等が寄せられるようです。もちろん安全や平穏な生活の保持は、国民として享受しなければならない大切な人権です。最近憲法の『公共の福祉』が、あたかも政権与党から見たそれ、つまり『国家』と同義に使用されるようで気に入らないので、ここでも共存共生と言っておきます。

 

子どもだって大人だって高齢者だって、安心安全な生活を送る権利はあります。 日本の高度経済成長期を支えてきた世代は、これからの余生、静かに送りたいと願っているのでしょう。一億総中流意識、日本経済が右肩上がりの時代のころと、現代は同じではありません。

 

いろいろな業態が生まれ、女性や障害を抱えた方々が、社会に出て働く社会そのものは、社会の進歩、人権の高揚とも言えるでしょう。しかし、今保育園待機児童問題で困っている方々は、夫婦家族が外で働いてお金を稼がないと生きていけない実情にあります。一億層活躍社会なんて、言葉倒れでしょ。活躍なんてしなくても良い、普通の安心安全な生活を送りたい、ただそれだけのご家庭が、ほとんどではないでしょうか。 待機児童問題は、政治の責任です。私たちが子どものころ、お母さんは家に居て、夕飯を作ってくれました。家族みんなが働いて、こうして得たお金で消費が活発になり、後世の社会保障費に充てられる、それを信じることができますか。どの自治体でも、保育園入園の優先順位はポイント化され、非正規雇用、アルバイト・バートは、順位が下がります。

 

ここにも格差があるのです。高齢者にしてみれば、自分たちは働き蜂だった、老後はのんびり暮らしたい、給与の中から社会保険料もしっかり払ってきた、それが少子化となった今、なんで保育園がもてはやされ、自分たちの安寧な生活が乱されるのか、納得できない面はあるのでしょう。 なんでこんなことになったのだと思われます?私は、『成長』を経済政策に組み入れようとする政権与党の時代錯誤だと考えます。いつも言うとおり、少子高齢化社会に、そもそも成長ってあるのですか。

 

今、かつての働き蜂たちが、落ち着いて安心安全な生活をしたいと願うのはよくわかります。そんな社会に、競争による成長は、馴染むはずがないのです。だいたい資源が乏しく、自給率が著しく低い国土です。外交でもアメリカ一辺倒、〇〇等アジアの隣国を敵視していますが、アメリカ国債を最も多く保有している国の経済力を、アメリカが無視できるとは思えません。

 

共和党次期大統領候補者ドナルドトランプ氏、相当意識すると思います。 日本を取り巻く状況がこんな具合であるのに、保育園が開設できないのは、近隣住民との軋轢であるかに捉える報道は、納得できませんね。子ども数が減ってるのに、保育園が不足する言う現実が、この国の経済がどんな状態なのか、わかるというものです。

 

もし、一生懸命働いて富を築いて、老後を安心して暮らしたい方がおられるなら、その富を分配して、保育園なんかなくても、建設なんかしなくても、万人が生きていける社会が構築されることを、政策として訴えていただきたいものです。

 

 

ある若者の声です。奨学金を受けて社会に出て働いた、家庭は持てたが、奨学金の支払いもあって、夫婦で働くしかない、しかし非正規雇用しかないし、保育園には空きがない、そんな状態で働いて、社会保険料を支払っても、国自体が借金だらけ、きっと自分たちの老後は、年金も受け取れないだろう、そんなことが予想されるのに、今の年寄りのために金だけ支払わされた挙げ句の果てには、もはや年寄りになった自分たちには、『保育園反対!』を叫ぶ力はないだろうと。

 

 

選挙が行われる前に、なんで日曜日の朝刊の1面に、『開園中止・延期13保育所。今春住民との 調整を理由に』なんて記事を出すのでしょう。ある方向から、『選挙の報道は公平中立に』の要請が奏功したと、聞こえてきそうです。