『名選手必ずしも名監督に非ず』の言葉に寄せて。

2016年6月15日
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プロ野球セ・パ交流戦が行われています。これまでの通算成績も、順位も、全てパ・リーグが勝っていて、今年もそんな傾向が出ています。

日曜日の12日も、全国で行われた6試合中5試合で、パ・リーグのチームが勝利しました。特に昨年日本シリーズを制した福岡ソフトバンクホークスの強さは、際立っていますね。現在セ・リーグ防御率1位のチーム、防御率0点台の絶対的エースがいるチームを、いずれも3タテして連勝を続けているとのことです。

私は、ほとんど野球は見ませんし、選手のことも、ほとんど知りません。でも、なぜかその姿に唸らされものを感じる選手がおります。

北海道日本ハムファイターズの大谷恭平選手です。大谷恭平選手と言えばいわゆる二刀流、投手と野手をいずれもこなす選手で、投手として出場した交流戦も、打席に立っていました。何かのコマーシャルで、子どものときからエースで4番と言う歌がありましたが、投手で鳴らした選手が、バッター専門になるケースは、プロ野球の世界では、しばしば見られますね。あのイチロー選手は、甲子園では投手でしたが、野手に専念して、あのようなすごい記録を打ち立てた後にも、日本のオールスターゲームでは、140キロ台の速球を投げたことや、平成の怪物松坂大輔投手も、オールスターゲームでは代打で出場して、ヒットを放ったことがありました。それにしても大谷恭平選手は……ですね。

その大谷投手、このところ彼自身が記録保持者である日本最速記録163キロの速球を連発しています。今年は、連続試合ホームラン記録も作りました。この『ひとりごと』でも書きましたが、高校卒業後は、アメリカ大リーグ入りを希望して、これを表明していた大谷恭平選手については、日本のプロ野球界は、ドラフト会議の指名対象外と暗黙の認識があったところ、北海道日本ハムファイターズが、大谷恭平選手を単独指名、入団させることに成功したのです。

これもこの『ひとりごと』でお話したと思いますが、日本ハムの説明が素晴らしい!「いちばんの選手を取るのはプロとして当たり前」。

大谷恭平選手を口説いたのは、球団の熱意と就任した栗山監督の手腕でしょう。栗山英樹氏は、プロ野球選手としては、唯一の国立大学出身、かつ、現役の大学教授の職にあった人で、しかも監督就任前には、ほとんど指導歴がない異色の監督と言われていますね。


栗山英樹氏が日本ハムファイターズの監督に就任したのは、2002年に、北海道夕張郡栗山町に、私財を投げ打って天然芝の野球場を作り、その後北海道日本ハムファイターズの東京から北海道への移転に伴い、様々な応援をしたこともあり、日本ハムファイターズの監督に就任されたと理解しています。

大谷選手については、その二刀流が輝き、投手として、また、バッターとして、素晴らしい結果が出される度に、野球評論家や、プロ野球界のOB重鎮から、やれ投手がいい、やれ野手がいいと、二刀流を止めて片方に専念して、世界の冠たる野球選手となるよう、意見が出されていました。でも、今年はあまり聞かれません。おそらく専門家の経験からすると、必ず行き詰まる、どっち付かずになるとの観念思い込みがあったのではないでしょうか。


そこが監督未経験、栗山英樹氏との決定的な違いでしょう。栗山監督、大谷選手が入団するにあたっては、二刀流を貫くことを約束しました。おそらく行き詰まる、また、怪我をする、日々悩むことがあっても、大谷恭平選手自身は、好きで選んだご自分の道、悔いはないでしょう。そして彼の登場と活躍により、私のようにプロ野球に関心を持つ人が増えることにも繋がるのではと思います。大谷選手、躍動していますね。いっぽうで、年々大谷恭平選手を褒めなくなった栗山監督の姿があります。

彼は、安心したのかもしれません。

かつて私は、日本一の選手を取るのはプロとして当たり前と述べた北海道日本ハムファイターズの姿勢に共感しました。栗山英樹氏が、キャスターや大学教授から、プロ野球監督に転身することに関しては、外野からは、色々言われました。


スポーツ界には継承される格言があるそうです。「名選手、名監督に非ず」がそれです。選手時代に苦しんだ方は、いろいろ学び、実践したでしょうし、選手の内面に関しても、理解しやすいのかもしれません。プロ野球界では、西本幸雄氏や上田利治氏はその代表でしょうか。

プロ化した日本サッカー界でも、そんな感じはあります。かつて日本代表を率いて、日韓ワールドカップに出場したフィリップトルシエ監督は、現役時代よりも、国際的には監督としての功績知名度が高いです。日本人監督としては、唯一代表チームを率いた岡田武史氏もまた、同じ立場のジーコ氏と比べれば、明らかに現役時代の岡田選手ではなく、元日本代表監督で通るかと思います。

現U23の監督をされる手倉森誠氏もまた、選手としてはほぼ無名(失礼!)ながら、これまた知る人ぞ知る小林誠二現清水エスパルス監督のもと下積みをし、帝王学を学び、大分、山形、仙台の各Jリーグに所属するチームの力を底上げし、現在のポジションにおられると認識します。

苦労が分かっていて、また選手の苦労を分かってあげたい思いなのかもしれません。


その手倉森誠氏が、U23チームが、リオオリンピック出場を決めた直後、新聞社のインタビューに答えておりました。サッカー日本代表が、初めてワールドカップに出場したフランス大会、日本チームの中心選手、井原正巳選手や中山雅史選手の躍動する姿を見て、「自分は、良い指導者になるぞ!」と決意したそうです。


手倉森誠氏、井原正巳氏中山雅史氏とは同期、ご自身は、鹿島アントラーズの前身チームに所属しており、日本サッカー界のプロ化を楽しみにしていたところ、相次ぐ怪我に見舞われ、プロになるかならないころ、引退を余儀なくされたのだそうです。ワールドカップフランス大会、そしてその前の『ドーハの悲劇』を経験した井原正巳氏、名波浩氏、森保一氏、長谷川健太氏らがJリーグチームの監督として、また、中山雅史氏や三浦知良氏は、なお現役選手として奮闘されている現在のサッカー界、指導者として先んじているところに、またひとつの元プロ選手の生き様を見た思いです。

『名選手必ずしも名監督に非ず』、これを打破していただきたい方がおります。私がこんな方向に話題を持っていく、おわかりですね。アビスパ福岡井原正巳監督です。井原正巳氏は、言わずと知れた日本サッカー界の歴代ナンバーワンと言われる名ディフェンダー、『アジアの壁』と銘打たれ、日本代表歴代2位の国際Aマッチ出場記録を持つ、日本サッカーが、初めてワールドカップに出場したときの代表キャプテンであります。


その井原正巳氏、名将ネルシーニュ氏の元で帝王学を学び、初めて監督に就任した昨年、サッカーJリーグディビジョン2に属したアビスパ福岡を、即J1へ昇格させたのでした。井原正巳氏率いるアビスパ福岡、今年はJ1で厳しい闘いが続いて、最下位から脱することが、なかなかできません。でも、井原正巳氏を信じないサポーターはおりません。


もちろん、今年を諦めたわけではありません。でも、結果がどうであれ、選手そして応援団を惹きつける魅力ある指導者、これも新しい指導者像ではないでしょうか。井原正巳氏に関して言えば、『人柄』です。


苦労人であり、学ぶ人、栗山英樹氏そして手倉森誠氏、私は、いずれも好感を持っています。でも、縁あってアビスパ福岡の監督になられた井原正巳氏、名選手であり、名監督となられるよう切に願うものであります。

見せてやれ 博多の男 紺色の井原アビスパ!!