辺野古沖移設問題について(その3)

2015年4月16日
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昨年12月に行われた衆議院議員総選挙で、政府与党は、沖縄県小選挙区全4選挙区で、議席を獲得できませんでした。

最近ある国政政党から除名処分を受けた小選挙区と重複立候補して比例区で復活当選した衆議院議員が、辞職しないのはおかしいと批判されています。先の総選挙では、自民圧勝でしたから、重複立候補者は、ほとんどが小選挙区で当選するので、従って、小選挙区で落選しても、比例区で復活当選となる仕組みです。

この比例復活により、衆議院議員となった沖縄選挙区選出の議員から、沖縄県知事は、もっと政府与党を見なければダメだとの発言がなされたのは、昨年12月に知事に就任した翁長雄志氏が、政府関係者と面談出来ない理由を述べた折のことでした。

この方々も、元々は、ーー選挙目当てのアナウンスだったのかもしれませんが、ーー辺野古移転に反対を表明されていたと思います。

ところが、一昨年当時の自民党幹事長より、政府与党の意見に同調するよう求められ、記者会見までさせられて、『転向』を余儀なくされたものです。

かつて仲井真前知事は、よい正月が迎えられるほどの『おみやげ』を持たされて、辺野古沖の埋め立てを承認しました。そして今度は、政権与党の実力者による恫喝により、地元選出の議員も、『転向』を余儀なくさせられました。名護市長選挙では、元自民党沖縄県議会議長が、辺野古沖移設反対を表明する稲嶺進氏を応援するので離党届を提出したところ、これを受理せず、除名したと報じられました。


そして、翁長雄志氏こそ、生え抜きの自民党だったはずです。

橋本内閣以来、何人か総理大臣は替わりました。この間、大阪府知事から、関西空港を米軍代替基地とすることを検討するとの表明もありました。

曰く、「大阪府には基地か無いから」が理由だそうです。民主党政権時代には、鹿児島県のある島が、具体的に検討されたことがありました。実際海兵隊の一部は、グアムに移動しました。

民主党政権は、国民に大き失望を残して終焉を迎えました。
このとき、竹島そして尖閣諸島を巡る対応を批判する世論に上手く乗っかって、現政権そして巨体与党が出来上がったことは、意外と指摘されていないようです。

あたかも中国、そして朝鮮半島の方から、日本の独立平和が侵されるかの風潮がありました。国民にナショナリズムが起こるとき、軍事に関する懸案事項は、さらりと通過してしまうことは、歴史が示しているものです。ただし、悲惨な歴史の経験者である沖縄県民は、政府与党に反発する姿勢が、強固となって行きました。

沖縄県民は、未だかつて沖縄県に基地が必要と言ったことはありません。

日本の米軍基地の4分の3が集まる沖縄県は、強制的に土地を奪われ、基地にされてしまったのです。

ですから、もともと普天間基地の代替基地を用意するとの発想がおかしいわけです。

翁長知事は、政府の官房長官に対し、普天間基地の危険性を言われるが、ーーそんなこと、沖縄県民が気づかないわけはない!ーーなせ危険性の除去を沖縄県民に求めるのか。
沖縄県民の民意ははっきりしている、これを汲んで事に当たれないのは、政治の堕落だと言い切りました。

私は、翁長知事にしても、元々は保守勢力に属した方々が多く辺野古移設反対に次々と回ったのは、政府与党の問答無用の態度、沖縄県そして県民の意思を顧みることをしない傲慢さに対する怒りの表明だと思っています。

それは、国民(本土の)より絶対的な支持を得て、有る意味批判されず、言いたい放題やりたい放題の政府与党に対し、政治の原点を知らしめるアリの抵抗なのだと感じます。率直に言って、翁長知事稲嶺市長とて、政府が政策を変えること、米軍が応諾することはないとわかっておられるでしょう。

でも、、このままで良いのか、黙っていて良いのかの思いなのでしょう。

先の大戦で唯一地上戦が行われた沖縄、ここに生き、暮らす県民に対して、後世において格別の高配を願ったのは、自決した太田実海軍中将でした。

歴史は繰り返します。

最近『我が軍』発言をした総理大臣も、『粛々として進める』と繰り返した官房長官も、今後その言葉は使用しないと公言されました。

繰り返すのが歴史、歴史から学ぶのであれば、今こそ私たちは、太田中将の最期の言葉を思い致すときなのではないでしょうか?

御高配どころか、捨て石にするがごときは、先人の遺徳に背くことだと考えます。

もっと政治が謙虚になれば、そして国民皆が、自分の街に基地が来たら?と考えて、公平に対処していけたらと願うものであります。